小悪魔ですから
私は、力が緩んだバンデュラの腕の中で、体をクルリと反転させた。
バンデュラが突然のことに、驚いて私を見下ろした。
背の高いバンデュラを見上げて、微笑んでやった。
「こんな近くで私の目を覗きこむとは、バカめ」
「!小娘!その赤い目は!」
「もう遅い。愚か者め。まだ呼ぶか、小娘と」
「くっ…」
バンデュラの顔がみるみる赤くなっていった。
逃がさないよ。
私は腕を伸ばして、バンデュラの顔をつかんだ。
「私のことが好きだろう」
「くうう…」
「好きで好きでたまらないだろう」
「んぐぐぐ…」
「私のことをどう思う?」
「…きれいだ」
はい、完了です。
「手を離せ」
「はい…」
バンデュラの腕が、ギギギギッと不自然に軋んで開いた。
今だ!
ナッツ、猛ダッシュでルークの元へ!
なぜなら。
バンデュラが荒い息を吐きながら、膝をついた。
顔を上げると、ほおら、こっちを睨んでる。
ナッツの魅了は、視線がそれると短時間で解けちゃうんだよ。
特に、魂の気迫が濃いバンデュラタイプは、ナッツ苦手なんだ。
まだまだ未熟なの。小悪魔だからね。
「よくやった」
ルークは小さな声でそう言うと、私を自分の背中にかばった。
バンデュラが鬼の形相で、こっちに一歩、踏み出してきた。
怖っ…
バンデュラが次の一歩を踏み出した時。
月の花が舞った。
それはそれは、美しくて。
鬼を忘れた。
真珠の輝きがふわりふわりと舞い上がり、月明かりに溶けていった。
何にも似ていない繊細な光。
これ、花びら?
無数の花びらが次々に泡のように浮かんでは溶ける。
「すてき…」
ナッツ、女の子ですから。
きれいなもの、大好き。
ふと気がつくと、ルークも穏やかな顔で月の花の舞を見ていた。
ついでに見ると、バンデュラも今までで一番いい顔をして、花びらの光たちを見上げていた。
最後には、大きな月だけが残った。
ナッツには、他のと区別がつかない普通の木が立っていて、真珠色の花はもう欠片もない。
なんだか寂しいな。
ん?ルークがこっちを見てる。
「ナッツがいるからかな」
「何?」
「月の花が散る時、毎回、こういう現象が起きるわけじゃないんだ。実際、俺が以前見た時は、花びらは茶色く変色して散り、土に還った」
「そうなの?私たち、めっちゃラッキーだったね!」
「ナッツが月の花に歓迎されたんじゃない?」
「えー、そんなー、そうかな」
「きっとそうだ。俺の時はそうはならなかったんだから」
「おい。俺様の存在を無視するのはやめろ」
忘れてた。
私はルークと息ぴったり、同時にバンデュラを見た。
また怒っているかと思ったら、あれ、バンデュラ、怒ってないね。
バンデュラは、これまでで一番落ち着いていた。
「引き分けだ、魔術師ルーク」
「うん。山賊バンデュラ」
バンデュラは、私を見た。
「小娘。お前の名前は」
「小悪魔ナッツだっつってんだろーが」
「ナッツか」
バンデュラが前のめりになった。
お。
ルークがさりげなく私の前に出て、バンデュラの視界を遮ってくれた。
バンデュラはルークを見た。
「月の花の秘められた栄光。今回の神秘は、俺が山賊業界に返り咲くことに対する祝福、ということで間違いない」
超自信たっぷりに、バンデュラは言い切った。
確信に満ちた顔。
すげー。根拠ゼロですが。
バンデュラは余裕の表情で続けた。
「勝負は引き分けだが、目的はある意味達成した。俺は、月の花の祝福を受けた事実をもって、言わせてもらう」
はあ。
「バンデュラはここに復活を宣言する!」
はあ。
「さらばだ。魔術師ルーク。次に会う時は、お前に勝ってみせよう」
「いつでも受けて立つ」
「ふん。そして小悪魔ナッツ」
「なによ」
「お前は近くで見るとわりと可愛い。魅了も悪くない体験だった。その男に飽きたら、俺のところに来るがいい」
バンデュラはニヤリと笑った。
行かねえし。
ナッツ、ルークの背中越しに、あっかんべーをしてやった。
「はっはっは!あばよ!」
バンデュラは豪快に笑いながら、どこからともなく松明を取り出し、走り去って行った。
やっぱ、足速っ。