お礼
遅くなりましたが最終話です。
「おや、今日はお寝坊さんだね」
翌朝、マアリイの宿にある自室で目を覚まし、軽く身支度を整えて食堂に降りると、「珍しいものを見た」とばかりにマアリイに言われた。日の出とともに起き出して早朝の鍛錬に出るのが日課だったのに、今日は寝過ごしてしまった。いつもなら鍛錬を終えて帰って来て、朝食も済ませているような刻限だ。マアリイも私が鍛錬で外に出ていると思っていて、だから部屋から下りて来たのに驚いたようだ。
「昨日はなかなか寝付けなくて」
「気が昂ぶってたんだろうね。ま、たまには構わないだろうさ。一日鍛錬を休んだからってどうこうなるもんでもないんだろ?」
手早く朝食の準備をしてくれながらマアリイが言う。
前半はその通り。“お礼”をやりきった達成感と、ちょっとイヤラシイ意味での興奮のせいでなかなか寝付けずに寝台の中で寝返りを打ちまくっていたのである。
でも後半は違う。練習を一日怠れば三日前の技量に戻るなんて言葉もある。この後、軽くでも体を動かしておくべく木刀も持ってきている。
「ところで胸を潰すのは止めたのかい?」
「なんだかもう意味が無いような気がしますので」
女性らしい膨らみを示す私の胸元を見ながらマアリイが問うてくるのには肯定を返す。男装の一環としてサラシで胸を潰してきたけれど、昨夜は多くの人に娼婦姿を見られているし、ウラヤやフェイフォンなど数人には全裸に近い姿をモロに見られてもいる。それ以前から女であるのは周知されていた状況も鑑みるに男装の為に胸を潰す意義はかなり薄れていた。
とは言えサラシ無しでは支障もあるので、前側で8の字を描くように乳房を包み込んで揺れを抑制する巻き方に変更している。締め付けはほとんど感じず、これだけでも随分と楽になるものだ。胸元が楽になっているからかいつもよりご飯が美味しい。
「オウカはいつも美味しそうに食べてくれるね」
「そう見えるのはマアリイの作るご飯が美味しいからですよ」
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
そんな穏やかな朝食の席にシューリンがやって来た。
「どうしたんだい? 今朝は随分と早いじゃないか」
マアリイが軽く驚きを表していて、丁度口の中に食べ物が入っていたので何も言わなかった私も同意を示してうんうんと頷いた。何かと私の世話を焼いてくれるシューリンは頻繁にマアリイの宿にやって来るけれど、娼婦という仕事柄朝が遅い。私にとっては寝坊の時間帯であっても、普段のシューリンならまだまだ睡眠中である筈だ。
「オウカが出かける前に呼びに来たんです。ねえオウカ、娼館通りに来てくれない? 昨日の皆が話をしたいって言ってるの」
「昨日の皆さんですか。私もお礼を言わなければならないですから構いませんけど」
昨日は復讐劇からの流れでお風呂に入ってしまい、体を清め終わって食堂に戻ったらほぼ無人。残っていたのはマアリイとシューリンだけだった。
組合側の人員はヒノベ達を連れ帰ったのだろうから当然として、導士や傭兵、娼婦の皆さんまでいなくなっていた。“お礼”に協力してくれたお礼を言いそびれてしまったので今日は仕事を休んでお世話になった人達へのお礼に回ろうかと思っていた。その中で朝の遅い娼館通りは昼過ぎくらいに回る予定だった。こんな早い時間に、逆に呼び出されるのは予想外ではあるけれど、もともと訪れるつもりではあったので否やは無い。
そしてシューリンに連れられてやって来た娼館通り。
場所は昨夜と同じシューリン達が所属する娼館の食堂だ。
ざっと見たところ昨日のメンバーは全員揃っている。ひとまず自分の目的を果たすべく「昨夜はありがとうございました」とお礼の言葉を述べるも「礼なんて良いよ。私達は結局何もしていないんだから」と軽く流された。
「いえ、あれはその場に居て頂くことに意味がありました。何もしていない訳じゃありません」
「うん、まあオウカが恩に感じてくれるなら丁度良い。恩を返すと思って、昨夜のアレを私達に教えておくれよ」
「はあ、アレ、ですか? ええと……どれでしょう?」
「とぼけちゃいけない。あんたがやったアレだよ。あの男のを乳で挟んだやつ」
「え!? パイズリをですか!?」
「ほう、あれはパイズリというのかい。なるほどオッパイでスリスリするからパイズリか。言い得て妙、上手い名付けだ。あんたが考えたのかい?」
「え……まあ、そうですね……」
まさか『あちらの世界』の記憶ですと明かすわけにもいかずに肯定するしかないが、途端に「オウカは凄いねえ」と尊敬すら籠った眼差しを向けられることになって戸惑いを禁じ得ない。
「あの、どうしてですか? 昨日はあんな感じだったのに」
昨夜はヒノベには「変態か」と罵られ、場の雰囲気も相当に引いていた。極めてシンプルな性行為が常識となっているこの世界では、男性のモノを乳に挟むパイズリは受け入れられないのかと思っていたのだが。
不思議に思って訊いてみると、メンバーの中でもベテランの娼婦が苦笑を浮かべながらも説明してくれた。
「私らもね、最初はどうかと思ったんだよ。だって乳だよ? 乳で挟むなんてオウカは何を考えているんだろうってね。でも事が終わってあんたが引っ込んだ後に……」
その場にいた傭兵や導士が、同席していた娼婦達に「俺にもあれをやってくれ」と口々に言ったそうだ。私が強いたヒノベの連射っぷりを見て、「もしかしてあれはとても気持ちの良いものなのではないだろうか」と考えを改めたらしい。娼婦側でも似たような認識になっていて、とんとん拍子に話はまとまり各々の娼館へと引き上げて行為に及んだとの事。
お風呂から戻ったら皆いなくなっていたのはそんな事情があったのか……。
「試してみた結果、これが思いの外受けが良い」
ベテラン娼婦の言に同意の声が重なる。
「でも男の人は虚しくなるのではありませんか?」
「そうでもないんだよ。手ですると最後は宙に向かって放つだろ? で、胸ですると私達の体で受け止める事になる。中で出すのとは違う、別の満足感があるらしいんだ」
はあそうですか、としか言えない。
ともあれパイズリは(早くもこの呼び名が定着しつつある)素晴らしい。本番抜きで客に十分な満足をしてもらえて、なおかつ娼婦側は体への負担が少ない。『一回』の客を一晩で数多くこなすのも可能となり、“障り”中の代替手段ではなく正式な商いの一つとして取り入れたい。そんなふうに力説され、だからやり方を教えてくれと頼まれても正直困る。
「やり方と言ったって、挟んで擦るだけですが……」
「挟んで擦るだけでもそれなりに良いようなんだけどね。でもあんたはもっと複雑な動きをしていたじゃないか。私らからは背中しか見えなかったけれど、あれはただ擦っていただけじゃないでしょう」
「それはそうですけど」
ヒノベの反応を窺いながら色々と工夫した覚えはあるから「擦るだけ」は言い過ぎだったか。
「だからそれを教えて欲しいんだよ」
「あれを言葉で説明するのは難しいです……」
「ならやって見せておくれ!」
「はい!?」
何を言っているんだこの人は。
呆気にとられた眼前にぬうっと突き出されたのは、厨房から持ち出してきたのだろう太くて黒光りしている擂粉木だった。
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「疲れた……」
解放されたのは昼過ぎだった。
剥ぎ取るように着物を脱がされ、サラシも外され、延々と擂粉木相手にパイズリの実演講習をさせられた。大勢が見守る中で卑猥な行為を繰り返させられるのは、見ようによっては新手の羞恥プレイかはたまた下手をすればイジメかととられかねない光景だっただろう。生徒役の娼婦の皆さんが真面目な顔で「ふうん、そんなふうに動かすんだね」「強く挟めば良いってものでもないのか」などと研究熱心な雰囲気だったからまだマシだが、それでも恥ずかしいのは変わりない。この時ばかりはシューリンもあちら側、「ごめんね、私も教えて欲しいから」と助けてくれなかった。
そして私の気を重くさせるのは講習が終わった後に言われた「このパイズリはいずれ央国中の娼館に広まるよ」との一言だった。この世界では街間での人の行き来は少ないものの、皆無という訳でもない。パイズリを知った客や娼婦が他の街へと行けば徐々に知れ渡っていくのだろう。その時に私の名が出ないようにと一応釘は刺してきたけれど。不安だ。『止水』や『透徹』を広めたのとは訳が違う。まかり間違い考案者として『パイズリの祖』などと呼ばれて名が伝わっては目も当てられない。ファンランの『仙術中興の祖』に比べるまでもなく情けなさすぎるではないか。
疲労と軽い気鬱を引き摺ってマアリイの宿に帰る道すがらウラヤと行き合った。
ウラヤも昨夜は組合側の人員として動いていて、今朝は私が娼館通りに拉致されてしまったので顔を合わせていない。“お礼”後、初めて見るウラヤの顔だった。
「ウラヤ、おはようございます」
「と、言うには遅い時間だが……む、おい、オウカ、それは……」
ウラヤの視線は私の胸元に向いていた。照れ臭そうにしているのは、昨日の事を思い出しているのだろうか。監視役として同席していたウラヤには全てを見られてしまっているのだと思うと私の頬も熱くなってくる。
「だ、男装はもう止めても良いかと思いまして」
サラシの巻き方の変化に気付いたウラヤに、マアリイにしたのと同じ説明をする。「そうか」と短く言ったウラヤは嬉しそうだった。
ウラヤはおっぱいが好きだから、ではないと思う。
私が男装していたのはヒノベ達を原因とすらトラウマからだったから、男装を止めても良いと言い出したのを確かな回復の徴と見たのだろう。
「ウラヤは組合に?」
「そうだ。ヒノベ達の引き渡しに立ち会うことになっている。お前も来るか?」
「……いえ、やめておきます」
本番ではないといえど、あんな事をしたヒノベ達に会うのは避けたい。
「判った。引き渡しは俺が見届ける」
「はい……。そうだ、ウラヤ、ありがとうございます」
「急にどうした」
「ここまで来れたのはウラヤのお蔭です。ウラヤがミヅキの村に来なかったら、私は何も知らないままでした。ウラヤがいたから真実を知って立ち上がれたんです。それだけじゃありません。世間知らずな私を導いてウーハンまで旅をさせてくれたのもウラヤです。なにもかも、ウラヤがいてくれたからこそでした」
もしもウラヤがミヅキの村に移住してこなかったなら。
そう考えるとぞっとする。以前ウラヤは「村に留まっていても先が無い」とか「嫁にもいけずに枯れるだけ」などと言っていたが、実際あのままだったならそうなっていたに違いない。こうして色々な街を巡って見分を広め、様々な出会いを経て、そして“お礼”を終えて一区切りついた今でこそしみじみ思う。傭兵を続けるにしろ農民に戻るにしろ、もう「先が無い」とは言わせない。嫁にいけるかは……トラウマが払拭されたなら目が無い訳でもないだろう。少なくとも枯れるに任せるような羽目にはならない筈で、こうなるようにしてくれたウラヤにはどれほど感謝してもし足りない。
「本当に、ありがとうございました」
今はまだお礼を言う事しかできないけれど、いつか恩を返したいと強く思う。
「礼には及ばない、と言ってもお前は納得しなのだろうな。だが俺はいくらかの助力をしただけだ。事を成したのはお前自身、それは忘れるな」
「はい!」
ウラヤが褒めてくれたのが嬉しい。
思わず元気良く返事をした私に「ふむ……」と何やら考える素振りを見せたウラヤ。
不意に、その手が私に向かって伸びてくる。
――!?
既視感を得ると同時、伸びてくる手に向かって頭突きをかましていた。
直前までの話の流れからして、ウラヤは私を褒める意味で頭を撫でてくれようとしたに違いない。しかし、過去に二度、失敗している。一度目は私が無意識に避けてしまったからであり、二度目は私は踏み止まったもののウラヤの方が一度目を思い出して手を止めたからだった。私は今回も踏み止まろうとしたのだが、案に相違して腰は全く引けず、勢い余って逆に前に飛び出してしまったのだ。
「何をしている?」
さすがは導士と評するべきか。
突然の頭突きにも慌てずにがっちりと、アイアンクロー気味に受け止めたウラヤ。
戸惑いの声を絞り出している。
「ええと、今のは無しです。やり直してください」
「やり直せってお前、こういうのは照れるもんなんだぞ」
「それはこちらも同じです。でもやり直してください」
「ったく……じゃあやるぞ、もう妙な真似をするなよ?」
いくらか警戒しつつ再度伸ばされた手が、私の頭に乗った。
頭髪越しに程良い重みが感じられる。
「マアリイの言ったとおりだった」
「マアリイですか?」
「以前こうしようとしてお前に逃げられただろう。その話をマアリイにもしていたのだが、先ほど言われたのだ。今のオウカなら逃げないだろうとな」
「……なんでもお見通しですか。マアリイには敵いませんね」
「まあ、頭突きしてくるとまでは言っていなかったが」
くくっ、とウラヤが楽しそうに笑う。
笑いながら、無骨な手に似合わない優しい力加減で撫でてくれた。
「もう一度言う。俺の助力など微々たるもの。ここまで来たのはお前自身の力だ。オウカ、よく頑張ったな」
「ありがとうございます!」
一頻り撫でてくれたウラヤは感慨深げに自らの手を見ていた。
「お前にまともに触れたのはこれが初めでだな」
「そうですね……」
言われてみればその通りだった。仙腎検査やら糞便塗れになって滝壺に投げ込まれたり。まともな状況でウラヤが私に触れてくることはなかった。潜在的に男性を苦手とする私を気遣っていつも適度な距離を保っていてくれたからだ。ただ頭を撫でられただけなのが偉大な一歩に思えてくる。
「これからはもっと撫でてくれて良いですよ。遠慮なく褒めて下さい」
「お、おう……お前、なんだか変わったな。いや、撫でられても平気なのだから変わったのは確かなのだろうが、それとは別に……上手く言えんが……なんだ、マアリイならこういうのも判るのだろうか」
トラウマからくる男性恐怖症的な症状が改善されているのは自覚していたが。
それとは別の変化ってなんだろう。
深呼吸をして、己の内を省みて。
一つの気付きがあった。
――私は、この世界に受け容れられた。
そう思う。
もちろん“世界”などというものに意識はないのだから容れるも容れないもない。私の側がそう感じるだけの事なのだが、では、なぜそう感じるのかと言えば、これまで常に付きまとっていた疎外感――異世界の記憶に基づいて形成された人格を持つ私はこの世界にとっては異物に過ぎないのではないかというそれが、無くなりはしていないもののかなり軽減されているからだった。
きっかけは昨晩取り戻した“あの時の記憶”なのだろう。
六年前に封じ込められた記憶によってそれ以前の『オウカ』と以後の『私』は分かたれていて、これこそが疎外感の主要因だったのだと思う。そして記憶が解放された今、『オウカ』と『私』の人生は一続きとなり、全てをひっくるめて私なのだと実感できる。
疎外されるべき異物などではなく。
この世界に生まれて育ったオウカなのだと。
こんなのは他の人には当り前で、マイナスからゼロに戻っただけなのかもしれない。
でも、それはとても嬉しい事だった。
「なにか判ったようだな。どう変わったにせよ、良い変わり方なのはお前を見ていれば判る」
「はい」
「おっと、そろそろ行かんとまずいか。ではな」
「あ、組合には頃合いを見計らって私も行きます。フェイフォンやケイイン、組合の皆さんにも昨日のお礼を言わないと」
「おう。俺から伝えておこう」
そう言って、ひらひらと手を振りながらウラヤは立ち去った。
さて、私も行こう。
宿に戻ってお昼ご飯を頂いたらお礼行脚だ。
ユエン達導士組、ティエレン達傭兵組。娼婦を相手にお楽しみだった彼らは今頃何処にいるのだろうか。昨晩に纏めて伝えられていれば簡単だったのにと思わないでもないが……。何処にいようとも必ず探し出して全員にお礼の言葉を伝えよう。そう決めた。
あ……お礼と言えば、もう一人。
ウラヤのお蔭で真実を知り、ファンランに教えられて本当の仙導力を身に付けた。
傭兵組合や娼館通りの皆、導士や傭兵、沢山の人に支えられて今日のこの日を迎えた。でも、私が私である事の、一番の感謝を捧げるべき相手が他にいる。
そう思ったら自分を抑えることなどできず木刀を手にしていた。
先端を地面に押し当ててガリガリと動かす。固く踏み固められた地面でも『気の刃』で強化した木刀なら簡単に削れ、動かした通りの軌跡が地面に残り形を成していく。
――できた。
書き終えたそれを満足した心地で見下ろしていると、通行人が訝しげな顔をしていた。路面に描かれたそれと私を見比べ、訳が判らんと首を振って去っていく。
無理も無い。私が感謝の気持ちを込めて描いたこれも、彼らには意味の無い図形にしか見えない。彼等だけではない。この世界に生きる誰も、私を除いては読めない。
たった五文字のメッセージには宛先もなにもない。
でも、これを読めるのは私以外にただ一人。
六年前、壊れそうになっていた私に強い心をくれて、生きていくための力――スキルまでも与えてくれた人。
天音桜。
彼女が再び私を夢に見てくれたなら、きっと自分宛てなのだと理解してくれるだろう。
とどけ、この想い。
強く念じつつ再び凝視する赤茶けた路面には。
『ありがとう』
日本語の平仮名で、そう描かれている。
エセ仙術使い ― 完 ―
エセ仙術使い本編はこれで完結となります。
よろしければ最後まで読んだうえでの評価をお願いします。
なお、この後に後書きのようなものを追加したのちにタイトル完結といたします。(”お礼”内容がああなってしまった点についての言い訳なども含みます)




