ウラヤの仙導力
この世界に存在する魔物は『あちらの世界』と同じく魔界の生物だった。
ウラヤには北壁を越えて魔物の領域に踏み込んだ経験があり、そこで『魔物の巣』を見たという。
「巣とは言うが……あれが何なのか俺には判らなかった。黒いモヤッとした塊にしか見えん。巣から小鬼どもが出てくるところも実際に見た。あれはおかしな光景だったな。出てきた小鬼をどう詰め込んでも巣に入りきれるとは思えなかった」
魔物の巣についての描写はあちらの世界の『穴』そのものだ。魔物は『穴』を通路として魔界からやってくる。巣の大きさと出てきた魔物の量が釣り合わないのも当然だ。
この『魔物の巣』=『穴』という事実に、ちょっと思い付いたことがある。
『魔物の巣』から魔界に入って『あちらの世界』に通じる『穴』を発見できるのではないか。記憶の中にしか存在しない友人達に会えるのではないか。
……まあ、無理かな。
ここが並行世界なら『魔物の巣』から繋がるのは魔界に対する並行世界だろうから。世界がいくつもあるからややこしい。そもそも魔界に入って安全な旅などできないだろう。儚い希望に賭けて侵入するのは危険過ぎる。
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地図と図鑑を見て私にとっての世界は少し広がり、それからは一層鍛錬に力を注ぐようになった。
傭兵組合の仕事の一つとして辺境に湧き出る魔物の討伐がある事から判るように、『魔物の巣』は北壁以南の央国内にも発生する。あちらの世界でも突発的に『穴』が開いて魔物が溢れ出してくる事例は多く報告されていた。それと同じだ。
つまり平和なミヅキの村に暮らしていても、いつ魔物の脅威に晒されるか判ったものではなく、けして油断はできないのである。自衛の手段としてスキルを鍛えておくのは無意味ではない。
一つ安心できる点もあった。ウラヤの話にも魔物図絵にも人型の魔物――魔族――は出てこなかった。恐らく魔物の巣は魔族の通過を許せる程の規模にならないのだろう。魔族一体は数百の魔物と同等かそれ以上の恐ろしい存在なので、これはこの世界にとって幸いな事だった。
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ウラヤが移住してきて、村の生活は少しだけ変わった。
猟師役を買って出たウラヤのお陰で村内の肉供給量が増え、元傭兵が生産的な分野で貢献してくれることに村人も喜んでいた。
そんな中、私のスキルがばれた。
私に仙腎があるのではないかとウラヤが勘違いした原因。それは私が使っていた気功スキルを「仙導力に似た奇妙な気配」として感じ取っていたからだった。検査によって仙腎が無いと確認された後も、私が気功スキルを使っていれば「またか。どうなってるんだ?」と首を傾げていたのだが。
ある日の午後、薪割りをしていた。気功スキルに加えて、魔力増強の鍛錬として『加速』と『筋力増強』も使っていたところ、どこからともなくウラヤが凄い勢いで走って来た。
「やっぱりお前か! おい、もう誤魔化されんぞ!」
私を見ると挨拶も抜きにそんな事を言ってくる。息が荒く乱れているのは走って来たからではなく気が昂ぶっているからのようだった。
「誤魔化すって何のことですか」
「何じゃない。今ならはっきり判るぞ。お前、仙導力を使っているじゃないか」
「仙導力を? でも私に仙腎は無いって、確かめたじゃないですか」
「だから誤魔化しだと言っている。もう一度確かめさせろ。今度は誤魔化せないようにじっくりとやってやる」
ウラヤの目は獲物を狙う狩人のようだった。導士にとって後継者候補とは獲物のようなものなのか。
「もう尻には触らせないと言ったはずですよ」
「尻などどうでも良い。確かめさせろ」
何度検査をしようと結果が変わるわけないと私には判っているし、検査を受ければまたとても恥ずかしい姿を見せてしまうので断固拒否するしかない。そうして「検査をさせろ」「嫌です」と押し問答をしていると、声を聞き付けた義父が裏庭にやってきた。
今にも私に飛びかかりそうな態勢で、しかも手をワキワキと蠢かしているウラヤ。
警戒心剥き出しに身構えている私。
義父は一目で事態を理解した。
「ウラヤ……昼日中から人の家の裏庭で娘に手を出そうとするなど……許し難い行いだが、まだのようだし今後娘に近付かないと誓うなら今回だけは不問としよう。それができないなら残念だが村を出て行ってくれ」
いや、誤解していた。
傍からはウラヤが私を襲おうとしている図にしか見えないだろうから無理も無い。
義父は落ち着いた口調ながら怒りの籠った声で、腕っ節ならウラヤには到底敵わないのに一歩も引かない構えだ。義父として娘を守ろうという決意が感じられてじんと来た。
さすがに慌てたウラヤが弁明し、誤解が元で追い出されるのはあんまりなので私も弁護した。襲おうとしたのではなく仙腎検査をやり直そうとしていただけだと理解した義父は怒りの鉾を収めたが「やり直して結果が変わるものではないのだろう?」と怪訝な顔をしている。
「しかしだな、俺は今オウカから確かに仙導力を感じている。この間の微かな気配とは違う。仙導力を使っているとしか思えないのだ。村長もこの娘が常人以上に仕事をすると言っていたではないか」
そう言いながら、ウラヤの目がある場所に止まった。何を見ているのかと視線を辿ってみると、そこには私が割っていた薪が落ちている。ウラヤは薪を拾い上げ、「村長、これを見てくれ」と義父に差し出した。
薪を受け取った義父は「これがどうしたんだ?」という顔。
「それが『割った』ように見えるか? 断面を見ろ。『斬って』いるだろう?」
「『斬って』いる? これは……確かに。オウカ、これはどういうことなんだ?」
手にした薪を示して義父が問いかけてくる。
その断面は滑らかだ。
木の繊維に沿って割り裂くのが普通の薪割りで、断面はざらざらでささくれだっていたりする。私は鍛錬として鉈に気を流し込んで切断力を強化し、剣術の動作で斬っていた。違いは歴然としていて、指摘されれば義父も気付く。
「どうもこうもない。剣の達人が余程の業物を振るえばこうもなるだろうって域だ。そんな鉈でできるなら導士としか考えられん」
なるほど、導士も気の刃みたいなことができるのか。
義父の「もしかしたらオウカは本当に導士なのか?」という視線を浴びながら、現実逃避気味にそんな事を考えていた。
「だがこの間のあれでオウカが導士でないと確認したのだろう?」
「だからやり直したいと言っている。思えばあの時の反応も不可解だった。念入りに調べれば何か判るかも知れん」
「念入りにって……冗談じゃありません」
あんなのを念入りにやられた日には色々と終わってしまいそうだ。
……新しい何かが始まってしまうのかもしれないが。
とにかく、あんな痴態を晒すのは御免だけれど、普通ではない薪という証拠を握られているのだから下手な言い逃れもできない。
観念して話すことにした。
事実の一部だけを。
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私が話したのは「夢に見た鍛錬法を試したら本当に不思議な力が使えるようになった」という嘘ではないけれど事実のほんの一部分だけという内容だ。『あちらの世界』の記憶だの人格がどうの魔術がどうのまで話していたら、取り止めが無さ過ぎて話すこちらも聞くあちらも大変だ。
「夢で、か……信じ難いが、こうして目の当たりにしているのだから信じざるを得んな。キコウと言ったか。仙導力に似ていて、しかし仙導力に非ず。なんとも奇妙な力だ」
意外とあっさり受け入れられたのも話をシンプルにしたからだと思う。「似非仙導力といったところか」というコメントには若干イラつかされたが。気功は気功だ。断じて仙導力の紛い物ではない。でもそれを言い出せばややこしくなるので言わない。
義父も私の「常軌を逸した仕事振り」に説明がつくとあって納得の表情だ。
「……似ていると言われても私は仙導力を知りません。どう似ているのか、どう違うのかが判らないんです」
「ふむ、ならば少し見せてやるとするか。村長、オウカを借りて行くぞ」
「借りて? どこかに行くんですか?」
「少々派手な事になる。村の中では不都合だ」
派手な事になる?
仙導力を気功に類似するスキルだと考えた場合、派手になる要素なんてほとんど無い。気功スキルの基本的な効果は身体の能力向上であり、効果が外部に現れるのは『鬼の手』のような気を実体化させる技に限られる。あとは『山津波』や『山津波・改』といった剣圧系の技か。いずれにせよ村の外にまで出る必要はなさそうに思える。
ウラヤの仙導力に興味があるらしく義父が「儂も行こう」と言って同行した。ウラヤの家に立ち寄り「傭兵時代から愛用している」という剣を持ち出し、そうして三人でやって来たのは里山の浅い辺り、大きな岩もごろごろしている殺風景な河原だった。
「導士は他に比べて体が強い。力が強く、動きも機敏だ。そして仙導力を用いるとそれらがさらに強化される」
私と義父を前にしてそう言ったウラヤは例の調息に良く似たリズムの呼吸に切り替えた。途端にウラヤから感じる気配が濃密になるのだが、これは義父には感じられないらしく目立った反応は無い。逆に「うわ」と反応してしまった私を見て、ウラヤは「やはり判るのだな」と頷いている。
調息の呼吸はすぐに止めてしまった。
思うに、最初に調息で練り上げた微量の気をスターターとして仙腎が活性化し、あとは放っておいても仙導力を生み出し続ける、という形式らしい。呼吸のリズムを維持し続けなければならない気功スキルとは大きく違う部分だった。
「もう仙導力を使っているのか? 特に変わったようにも見えないが……」
「そうだろう。変わるのは外見ではなく内部だからな。論より証拠だ、見ていろよ」
ウラヤは大きな岩の前に立ち、力一杯に殴り付けた。素の拳を打ち付けたとは思えない轟音が河原の木々を揺らし、義父が「ぬうっ!」と唸りを上げ、岩には大きな破砕孔ができていた。殴った手を開いたり閉じたりして怪我がない事をアピールするウラヤ。
次いで「これはオウカがやっていたのと同じ事だが」と言いながら剣で斬りつけ、大岩には一筋の斬線が刻まれた。ただステータスアップしただけでは不可能な技で、気の刃と同じく剣に仙導力を流し込んで切断力を強化しているのだと思われた。
「仙導力とは凄まじいな」
岩の斬線に指を這わせ、戦慄混じりに義父が言う。しかしウラヤは「驚くのはまだ早い」と、川向う、対岸の岩に向けて剣を構えていた。
「仙導力の鍛錬を積むとこういう事もできるようになる。見せてやろう、俺の仙技を」
ウラヤの剣から炎が噴き上がった。