地図と図鑑
ここは並行世界であり、ならばウラヤが広げた地図には天音桜が良く知る日本列島が描かれているに違いない。それは勝手な思い込みに過ぎなかった。私の容姿や名前に桜の文字が入っている事、ミヅキという村の名前や富士山そっくりな山の存在。そうした幾つかの材料があるにしても、そもそもが『向こうの世界』で読んだ創作物の知識に照らしての判断だった訳で、根拠としては良い加減過ぎるほどに良い加減だ。
だから地図に描かれていたのが日本列島とは似ても似つかない全然別物だったなら「ああ、並行世界じゃなくて異世界だったのか」と普通に納得して、日本語で叫んでしまうほどに驚きはしなかった筈だ。
ところが地図に描かれていたのは日本列島でこそないものの微妙に見覚えがある形だった。ぱっと見では中国の地図なのだが「ここが倭州だ。ちゃんと海に面しているだろう」と言ってウラヤが指差した東端の部分を見ると、日本があった。
もちろん日本列島がそのままそこに存在しているのではなく、倭州として区分されている地域の海岸線や内陸側の州境をなぞると、なんとなく日本っぽい形なのである。イメージとしては、日本列島をぎゅっと一つに押し固めて大陸にくっ付けたような感じだ。皮に染料で描いたらしい地図に伊能マップのような精密さは期待できないけれど、例えば記憶だけを頼りに日本列島を書くなら誰でも書くであろう特徴的な部分は残らず抑えられている。
この地図を見れば確かに倭州は『沿海』だった。
新潟や金沢を太平洋沿いとするようなスケールには違和感があるが……。本州を縦断する距離を隔てても、ユーラシア大陸東部の大部分を占めるような広大な国土の中では『沿海』扱いになってしまうのだ。
ウラヤがミヅキの村の位置を教えてくれて、それは私が予想していたのと大体一致していた。今となってはだからなんだという感じだった。「あんなに見たがっていたのにもう良いのか?」と不思議そうな顔をしているウラヤに礼を言って家に帰った。
村長宅の裏手に薪置き場がある。
山で集めてきた薪を置き、ついでに薪割りもやってしまう事にした。一人で黙々とできる作業をしながら少し考えを纏めたかった。
輪切りにした丸太が薪割り台だ。薪を立てて鉈を振り下す。これも鍛錬の一環なので鉈に気を流し込んで割るというよりも斬る感覚で適度な太さに揃えていく。そうした作業をしながら考えるのは見てきたばかりの地図のことだ。
ユーラシア大陸にくっついた日本列島。
あちらの世界でも、遠い昔日本列島は大陸の一部であり地殻の移動に伴って分離したのだと考えられている。何百万年とか千万年とか気の遠くなるような過去の出来事だ。
それを踏まえて並行世界説を採ると何百万年も前に分岐した事になってしまう。私が知る並行世界説では分岐の時期が遡れば遡る程、二つの世界の間の差異は大きく開いていく筈で、今あるような類似点が発生する確率は限りなく低くなる。地殻の移動なんていう地球規模の現象の差異があるにも関わらず富士山そっくりの山があるのも不自然だ。
でも富士山を含めた類似点の多さが、ここが全くの異世界であるという説も否定してしまう。今までは何となく並行世界だろうと納得する事でオチを付けていたのに、それが揺らいでしまっては落ち着かない。
考えれば判るような問題でもないが考えずにはいられない。機械的に薪を割りながら堂々巡りな思考を続けていて、不意に思い付いた事がある。
――この世界、神がいない?
神と言っても『向こうの世界』で一大勢力になっている宗教のような神ではない。日本古来の八百万の神々の事だ。そして更に遡って日本建国神話。記紀などまともに読んでいないから詳しくは知らないので大雑把に言うと『大陸の一部であった土地を神が切り取り、東の海に移動させて日本が誕生した』という内容だ。
思い返すとミヅキの村での生活で八百万の神々を窺わせるような話を聞いた記憶が無い。概念として存在するなら生活様式や言い回しの中に残滓が残っていそうなものだが、憶えている限りではそれらをにおわせるような出来事は一切無かった。
――神がいなかったから建国神話の出来事が起こらず、日本は大陸にくっついたままになっている?
そうだとしても大昔なのだが、何百万年と比べればぐっと近くなる。超自然的な力を振るう神の仕業であるなら富士山のような例も有り得無くは無い。ふとした思い付きは荒唐無稽なようでいて、でも考えれば考える程こっちが正しいのじゃないかと思えてきた。
日本列島が大陸から分離してきたという事実が科学的に明らかにされたのが何時頃なのか知らないけれど、建国神話を書いた人達が生きていた時代よりもずっと後なのは確実だ。なら彼らはどうやってそれを知ったのか。神によって土地が切り取られ、海を移動するその場に居合わせたからではないだろうか。
うん、今回はこれでオチを付けておくとしよう。
強引な結論なのは百も承知だ。
それでも、『あちらの世界』から弾き出されてしまった私にとって、ここが並行世界なのか異世界なのかは結構重要なのだ。
……八百万の神々が実在したとも建国神話が実話に基づいているとも証明されていないから、単なる偶然に過ぎない可能性の方が高いのだけれど。
まあ、そこには目を瞑ろうと思う。
それよりも、ウラヤに対して少しばかりおかしな態度をとってしまった。夕飯を届ける時にでも謝っておこう。そしてもう一度地図を見せて貰うのだ。さっきはびっくりして碌に地図を見られなかったから。
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で、再び地図を見せて貰った。「見たがったと思えばいきなり帰ったり……で、またか? お前は一体何がしたいんだ?」とウラヤに皮肉られたが。
改めて地図を見る。
あちらの世界の地図を見慣れた身としては、見れば見る程に違和感を覚える。日本が大陸にくっついている影響なのか朝鮮半島が無くなっていたりと微妙に異なる部分もあるのだが、それは些細な問題だ。奇妙なのは北方だ。あちらの世界では中国の北には大国ロシアがある。ウラヤの地図も基本的にはユーラシア大陸なので、当然ながらロシアに相当する土地も描かれている。でもそこはほとんど空白になっていた。
境目には一際太い線が引かれていて、倭州よりも少し北の海岸から始まり、うねうねと蛇行しながら西側の高山地帯まで続いている。ただ国境を表しているのではなさそうな雰囲気だった。
「それが北壁。央国の北の果てだ」
私がその線を目で追っているのを察したらしくウラヤが教えてくれた。
「こっち側にはどんな国があるんですか?」
「……は? 何言ってるんだ? 北壁より北は魔物の領域。国はおろか人の住む所じゃないぞ。本当に知らないのか?」
「え? ええと、そういう話は聞いた事無いです」
なんだか凄く呆れたように言われた。けれど誓ってそんな話を聞いていない。『魔物の領域』なんて物騒極まりない話題なら聞けば絶対に憶えている筈だ。ウラヤは「いくら辺境だからって……」「気にする必要も無い話なのか……」などとぶつぶつ呟き、「俺も詳しいわけじゃないから簡単にだが教えてやろう」と言った。
「北壁は名前の通り壁だ。もともとは北方民族の侵攻を食い止めるための城塞が点在していたのを、魔物が発生した後にその侵入を防ぐために城塞同士をつなぐ長大な壁を建設している。件の北方民族が侵攻してくる事は無くなったから、恐らく魔物に滅ぼされたのだろう」
「『長城』みたなものですか……ところで魔物ってなんですか?」
「チョウジョウ? って、いやそこからなのか!? お前、本当に魔物を知らないのか!?」
「魔物っていう言葉は知ってます。でも私は見た事がありませんから」
ウラヤが話す北壁の由来はあちらの世界にある万里の長城に似ていた。似ているのは由来だけで位置は大分北にずれているが。あちらの世界と同じ場所にあったなら、倭州も大部分が壁の向こう側になっていただろう。
それはそれとして、そんな長城を築いてまで阻止すべき『魔物』の方が気になる。ウラヤは「魔物が発生」という言い方をした。これまでは魔物は単なる危険な動物程度と考える余地もあったのだが、それならいきなり発生はしないだろうし。いよいよあちらの世界の魔物と同種である可能性が高くなってきた。
無知な私にウラヤがまた嘆きそうだったので「これも傭兵の皆さんのお陰です。村に魔物が来ないように頑張ってくれてるんですよね」とフォローしておいた。すると「う、うむ、まあそうだな。しかしそれが傭兵の仕事だ。殊更に言う程のことじゃない」と照れたように言い、幾分機嫌が良くなった。
「見た事がないなら見せてやろう。北の探索に行く時に北壁の城塞都市で買った奴だ。貴重品だぞ」
言いながら荷物を漁り、取り出したのは紐綴じの本だった。
「それは紙なんですね」
「当たり前だろ。皮なんかで本を作ったら分厚くなっちまう」
ほら、と渡された本の表紙には『魔物図絵』とタイトルがあった。魔物の図鑑といったところだろう。表紙を捲ると中のページは和紙のような手触りの紙で、そこには鳥獣戯画を彷彿とさせる特徴的な絵に簡単な説明文が添えて描かれていた。
『ゴブリンだ……』
独特な筆致の絵だけれど見間違えようはない。
ずんぐりとした体で短足、そのわりには手が異様に長い。無毛の頭部とぎょろりとした目。あちらの世界で、温泉宿に泊まり込んでアルバイトをした時に見たゴブリンの姿そのままなのだ。名前は『小鬼』となっている。
「ゴブリンダ? お前は時々変な言葉を使うな。なんなんだそれ?」
思わず漏れてしまった日本語の呟きを聞き付けてウラヤが首を傾げたのは適当に誤魔化しつつ次のページへ。
似たような絵があり名前は『大小鬼』……。あちらの世界では『ホブゴブリン』と呼ばれていた魔物に違いない。それにしても『大小鬼』って。大と小で打ち消し合ってるじゃないか。あちらの世界でもホブゴブリンは大型のゴブリンという認識だったから、小鬼に対して大小鬼と呼びたい気持ちは判るけど。
それ以降もページを進めるごとに見知った魔物が現れた。『オーク』や『トロール』『オーガ』等々。これはもう間違いない。この世界の魔物はあちらの世界の魔物と同じく魔界の生物だ。