仙腎検査
「む……まあ結婚は冗談として……本当に済まなかった。まさか女だとは思わず」
土下座を解いて立ち上がったウラヤは決まり悪げにそう言った。あの一瞬、結婚の一語に本気の気迫を感じたのだが……まあ本人が冗談だと言うならそういうことにしておこう。
女だと思われなかったのが男装のせいだとすればこちらにも非がある。だからそこを追及して非難するつもりは無い。
非難はしないが、引く。
だって女だと思わず、それで尻を触ったのだから。
「つまりあんたはオウカを男だと思いながら尻を触ったと……あんた、男が好きなのか」
身の危険を感じたように、そしてその危険から遠ざかろうとするように、義兄が戸口の外にまで後退しながら言った。義父も椅子に座ったまま後ずさりしようとしている。
いきなり生まれた空白にウラヤは慌てた。
「待て! 違うぞ、断じて違う! 俺は衆道に興味は無い!」
「ならなんでオウカの尻を触った!?」
「その娘から奇妙な気配がしたからだ。微かにだが……仙導力に似ていたのでな。導士かも知れんと思えば確かめるのが当然なのだ!」
ウラヤは必死に弁解している。これから移り住もうとしている村で、初日から男色家の烙印を押されては堪ったものではなかろう。しかしそんなウラヤの事情よりも、彼の発した言葉に私は惹き付けられた。
仙導力。
導士。
この世界で初めて聞くスキルっぽい言葉だ。
一方で義父や義兄は「オウカが導士? そんなまさか……」といった具合で、それらの言葉自体には聞き覚えがあるらしい様子。なのでそれが何なのかを訊いてみたところ「凄い傭兵らしい」という曖昧な答えが返って来た。
「こうした村ではその程度の認識なのか……。まあ平和の故と考えれば俺達の仕事が役に立っていたと言う証左なのだろうが」
私達の無知にウラヤが複雑な顔をしている。
「導士というのは……まあそちらの『凄い傭兵』という認識でもあながち間違いではない。導士は漏れなく強靭な肉体を持っているからな。傭兵になれば凄い傭兵になるし、軍に入れば凄い兵になる。ちなみに俺も導士だぞ。導士としては大したことは無かったが、この歳まで傭兵をやってこれたのもそのお陰だ」
「判らないな。それとオウカの尻に何の関係がある」
「それも説明する。導士と呼ばれる条件は仙導力という力を持っているか否かだ。そして仙導力はこの辺りにある『仙腎』から生み出される」
ウラヤは「この辺り」と言いながら自分の尻――尾てい骨の辺りを指差していた。
でも……向こうの世界の知識として人体の構造図を知っている私には、あんな所には何も無いのが判る。いや、何も無いわけではなく、尾てい骨の辺りには尾てい骨しかないという意味だ。『仙腎』という臓器なり器官なりが入り込む余地は無さそうだが。
「ある、とは言ったが実際に仙腎を見た者はいない。随分と昔に死んだ導士の体を開いて調べたらしいが、それらしいものは何も見つからなかったそうだ。しかし導士であれば良く判る。仙導力は確かにここで生まれていると」
再び自分の尻を指差すウラヤ。
四十過ぎのおっさんが尻を指差しながら熱弁する様子に義父と義兄は先ほどとは違う意味で引いているが、私はと言えば更に興味を引かれていた。ウラヤが頻りに指差している部位、あれは『あちらの世界』のとある気功流派が謳うチャクラなのではないかと思い至ったからだ。関わりの無い流派なので天音桜も詳細は知らないが、人体に存在する七つのチャクラを表した図を見た記憶があった。その図によると丁度ウラヤが示している尻……からもう少し前に進んで股の辺りにも一つチャクラがあった筈だ。
もっとも、チャクラにしたところで気功の修行を効率良く行うための概念であって、人体内にチャクラなる器官が実在する訳は無く、この点もウラヤが言う『仙腎』と共通していた。
すると仙導力は気功なのだろうか?
ウラヤが感じている微かな気配とやらが、今も発動中の気功スキルだろう事は確実だ。それ以外に私が発する力なんて無いのだから。
「で、だな。導士は仙腎の有無を確かめられるのだ。そこに触れて軽く仙導力を流し込めば簡単に判断できる」
そこ、と言いつつウラヤが指差したのは、今度は私の尻だった。
思わず尻を抑えて避けてしまい、ウラヤは所在なくなった指を引っ込めた。
「うーん、しかしオウカが導士というのは信じられないな」
「そうか? 仙腎の持ち主は無自覚であっても体が強くなる。年の割に力が強いとか体が大きいとかなかったか? そして俺が見るに、女にしてはやたらと背が高いようだが」
「背の事は言わないでください!」
「むう……済まん」
気にしている所を突かれたので反射的に鋭い声が出てしまった。
素直に詫びるウラヤだったが、義父や義兄は「そう言えば昔から大人顔負けに仕事してたな」「いや、オウカは頑張り屋なだけだ」「いやいや、それにしてはここ最近の仕事振りも常軌を逸しているのではないか」等々言い合っている。
……気功スキルや魔術スキルのステータスアップが思いのほか影響しているようだ。自分では不自然にならないように手を抜きまくっていたつもりなのに、それでもまだ傍目に見れば働き過ぎだったらしい。
でも「常軌を逸している」はどうなのよ、義父さん。
義父・義兄の言い合いに「やはり思い当たる節があるようだな」と我が意を得たりとばかりに頷くウラヤ。
「導士となれば道が開ける。傭兵になるもよし、兵になるもよし、よしんばそうした道を選ばなかったとしても、導士として力を付けるのはけして無駄にはならない。だからお前の為にも仙腎の有無を確かめさせて欲しい」
結局のところ、もう一度尻を触らせろということなのだろうが……。
ウラヤの顔にも声にもイヤラシイ色は無く真摯そのものだった。
「導士たる者、後に続く者を見出し育てるべし、だ。頼む」
「……判りました」
後継者を見出して育てたいというウラヤの願いを感じ、また私自身の好奇心もあって了承した。仙導力は気功に通ずるものがあり、現に私は気功スキルを使えている。であれば件の仙腎を私は持っているのではないだろうか。これまで意識していなかったそれを鍛えれば、今以上の力を得らるかも知れない。
「そうか! ではもう一度尻に触れるが構わんのだな!」
「尻尻と強調しないで下さい。あくまでも仙腎とやらがあるか確かめるだけですからね」
「無論だ。俺に下心など無い」
義兄は「本当に良いのか? 尻に触られるんだぞ?」と心配そうにしている。大丈夫だからと返してもなお心配そうだ。男を避けてきた私の事情を良く理解しているだけに気が気でないらしい。
「では、始めるぞ」
そう言ったウラヤの呼吸がリズムを変えた。
――調息だ!
私が知る天音流剣術のそれとは異なる。練気の為の調息としては些か効率が悪そうだったが、それでも明らかに調息である。事実、調息が始まると同時にウラヤから感じていた独特の雰囲気が強さを増した。
あ……ウラヤが私から感じたっていう気配もこういうのなのかも。
そう思った。
最初に見たときからウラヤには他の人には感じられない独特な雰囲気――気配が備わっていた。調息を始めると同時にそれが強まったと言う事は、それこそ仙導力を持つ者の気配なのではなかろうか。
ますます仙導力=気の図式が信憑性を帯びてくる。
だが、ウラヤはすぐに調息を止めてしまった。
それでいて強まった気配はそのままで、弱まったりしない。
私が使う気功スキルは常に調息を続ける必要があり、リズムが崩れれば練気も途絶えてしまうのだが。
ウラヤの右手が私のお尻に宛がわれた。
大きな掌からじんわりと、体温ではない何かが伝わってくる。それは、例えば冬場の電車の座席暖房に似た温かさで、思わず「ほう」と息が漏れてしまう程に心地良かった。これが『仙導力』なのだろうか。
「では『通す』ぞ」
ウラヤがそう言った途端、掌から感じていた温かさは熱さに変わった。
そして……
「あひゃん!」
変な声が出た。
尻から前へ向けて通りぬけた『熱さ』に、私の敏感な部分が内側から刺激されたのだ。
「すぐに終わる。我慢しろ」
「あひっ……我慢、しろ……って言われ、ても! これ、は……ひ、ひん!」
「みょ、妙な声を出すな! 俺まで変な心持ちになっちまうだろうが!」
砕けそうになる腰と崩れそうになる膝を、テーブルに手をついてどうにか支えるのが精一杯。これまでに感じた事の無い感覚にどうやって抵抗したら良いのか判らない。
このままだとマズイことになる。
家族――殊に義父や義兄といった男性の前でさらすべきでない醜態をさらしてしまいそうだ。
――それだけは、駄目だ!
下半身が言う事を聞かなくなっていても気は別だ。乱れがちな呼吸の中で細々と練り上げた気を操って『その部分』に流し込む。すると幾分だが落ち着き、難しい顔をしたウラヤが手を離すまで耐えきることに成功した。
「ど、どうでしたか……?」
荒い息の中からようように問うと、ウラヤは「うーむ」と考え込んでいる。
堪らずに相殺を掛けたのが良くなかったのだろうか。
「……残念だがお前に仙腎は無い、と思う」
「はっきりしないのだな」
「うむ。こんなのは初めてだ。仙腎があればこの手に返るものがあり、無ければ素通り。それが普通だ。この娘は……返るものは無く、かと言って素通りもしない。途中で何かに引っ掛かっているような、そんな感じだった」
やっぱり相殺がまずかったか。
まあウラヤは混乱しているようだけど、私には結果が判った。
私に『仙腎』は無い。相殺を掛けなかったならウラヤが流し込んだ力はそのまま通り抜けていただろう。
「あるべき反応が無かったのなら、やっぱり私に仙腎は無いんですよ。それがはっきりしたなら良いじゃないですか」
「しかしな、無いなら無いでお前が幼い頃から発揮していたという力の説明が付かなくなる。絶対に仙腎はあると思ったのだがなぁ……」
ウラヤはまだ納得していない様子だったが「無いもの無いです」と切り捨てて食堂を後にした。
「オウカ……」
戸口で擦れ違うとき、義兄の私を見る目が今までと少し変わっているのに気付いた。
が、気付いていない振りをさせて貰った。
最悪の事態は避けられたとはいえ、女っぽい顔を見られて女っぽい声を聞かれてしまったのだ。男装して過ごしてきた私とのギャップに戸惑っているだけだと思いたい。
今はそれよりも、一刻も早く汚してしまった下着を替えたかった。