もう一人の似非導士
ファンランはお茶を一啜りして「ほう」と小さく息を吐いた。
お茶を飲んでの「ほう」ではなく、なんとなく安堵の吐息に思える。
「『あっち』のファンランと私は別人で夢に見ただけ、か。私はこれを生まれ変わりだと思っていたのだけど、夢というほうがしっくりくるし、安心できる」
そう言ってファンランは、先ほど私が行った説明のお返しとばかりに自分の経緯を話してくれた。
その述懐によると彼女は生まれた時から『あちらの世界』の記憶を有していたそうで、その為に生まれ変わり以外の可能性を考えられずにいたそうだ。
「ただね、生まれ変わりだとしたら腑に落ちないところもあった」
「腑に落ちませんか? そんな状況なら私だって生まれ変わったのかと思っちゃいます」
記憶が途切れて、次に気付いたら赤ん坊の姿で母の腕に抱かれているのである。こんなシチュエーションなら誰だって生まれ変わったと考えるに違いない。
「こっちでの状況だけ見ればそうでしょうけど、生まれ変わるには、その前提として『あっち』で死んでなきゃいけないでしょ? でも『あっち』での記憶の最後は全然死にそうになかったし、そもそも自分で言うのも……夢だったら自分じゃないのだけど……まあとにかく、そう簡単に死ぬような体じゃあなかったから。いったい何があったのかって不思議だった。だからね、ある時からある時までの『あっち』の私の人生を夢に見ただけという方がしっくりくるというわけ。私の場合は生まれる前に、母のお腹の中で夢を見たのでしょうね」
「ああ……なるほど。確かにそうですね」
ファンランの説明には自然と頷かされていた。
芳蘭は仙人系のエルダーだった。まず老衰死はあり得ない。そして強靭な肉体は病魔を寄せ付けず、身体能力に優れていれば不慮の事故による怪我とも無縁だろう。言い方は悪くなるが、殺しても死なないようなしぶとさを持つのがエルダーなのである。生まれ変わりの前提となる死に疑問が湧くのも当たり前だった。
「しっくりくるのは判りましたが、安心というのは?」
「あの時期に死んじゃうっていうのはね。あなたもあの時期を……あ、あなたはもっと先まで記憶があるんだっけ。ねえ、あれってどうなったか知ってる? アルハオ……と言っても通じないのか……ええと、大きな戦いが差し迫っていたでしょ?」
何かを言いかけて言葉に詰まり、もどかしそうに言い直すファンランを見ていると、言葉が不自由になった時の私もウラヤからはこう見えていたのかと感慨深い。
まあ、それはともかく、さっき言いかけた『アルハオ』という言葉。これが中国語だとしたら『アル』は多分数字の2だろう。一二三四五が中国語でイーアルサンスーウーになるのは天音桜の記憶にある。勉強したのではなく、烏龍茶のテレビCMのフレーズにそういうのがあったからだが。
数字の2と大きな戦い。
二つを合わせればファンランが何を知りたがっているのかは明白だ。
明白ではあるが、私は明確な答えを返せない。
「ごめんなさい。私の記憶は翌年の七月までですけど、まだ始まっていませんでした」
「私が知る限りでも開戦間近という雰囲気だったのに、一年近く経ってもまだ始まっていないなんて……」
ファンランは残念そうにしている。
あの戦いの行く末は私だって気になる。気になると言えば記憶が途切れた翌日に予定されていたライバルとの試合の結果だって気になっている。誰か私の記憶の先を知っている人が現れたらファンランと同じように訪ねてしまうだろう。
「その時に私がどこにいたのかは判る?」
「『二号結界』に……現地に行っていた筈です」
「それならちゃんと参戦できたかな」
「そうですね……ああ、安心って、そういうことですか」
これもまた頷かされる話だった。
誇張抜きに『あちらの世界』の命運が懸った戦いが目前に迫っていて、芳蘭は人類陣営の主戦力の一角を担っていた。記憶の断絶が死を意味するのなら、その戦いに参加すらできなった事を意味する。ファンランはそれをずっと気に病んでいたそうだ。
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「で、話を戻すけれど」
「私達の――いえ、『あちらの世界』のファンランと天音桜の関係ですね。正直に言ってしまえば別段親しい間柄でもありません」
これは事実で、天音桜と芳蘭の関係はそれほど深くない。数度顔を合わせただけだし、格闘術の指導を受けたというのも『龍鳳』の型を一度見せて貰ったに留まる。例の戦いに関連して芳蘭が忙しくなってしまったため、それ以後は全く接点を持てなかった。天音桜と芳蘭の関係は最大限に見積もっても“知り合い”以上にはならないだろう。
彼女が親しくしていたのは剣術の師匠であるシシルと同居人であるライア、あとは同じ日本に住んでいた魔術鍛冶のミア・フィスティスくらいのものだ。
親しくはなかったと聞いて渋い顔になったファンランだったが、天音桜の師匠がシシルであると聞いて表情を緩め、ミアと親交があったと聞くと身を乗り出してきた。
「ミアと仲が良かったの? どれくらい?」
「どれくらい、というのは答え難いですね……」
「ミアと本当に仲が良かったのなら、あの子の秘密を知っているでしょ?」
「もしかすると“猫の目”のことですか?」
猫の目と言った途端、ファンランの態度が軟化した。
そうなってみて初めて気付けるレベルの話であるが、どうやら今まで警戒されていたらしい。
「ミアがその秘密を明かしたとなると、相当に気に入られていたみたいね」
なんだか口調まで柔らかくなってきている。
シシルの弟子ということよりも、ミアの友人だったというほうがファンランにとってはより大きな意味を持っているようだった。
「ミアは人の良し悪しを敏感に見抜くのよ。ミアが秘密を明かすほどに気に入ったなら、あなたは間違いなく“良い人”だわ」
「そうは言っても私じゃありません」
「それは些細な問題よ。『あっち』のファンランと私が別人だとしても、私もファンランであることは変わらない。記憶と一緒に人格も受け継いでいるのだから。あなたも自分をアマネサクラだと思い込むくらいに人格を受け継いでいるのでしょ?」
「そうですが……」
「私と親しくなかったと正直に言ったわね。親友だったとか大金を貸していたとか、何を言われても私には真偽を確かめる術が無い。あなたが良い人でなかったら、何かしら私に取り入るような事を言ったんじゃないかしら」
「取り入る?」
「こういう暮らしをしているのは場所柄でね。仙術武器の売り上げに国の保護もある。私ってお金持ちなのよ。権力者にだってそれなりの伝手があるし」
彼女の生活空間の全てである室内をぐるりと指示してファンランは言った。
ファンランがお金持ちなのは事実だろう。仙術武器は高価であり、彼女は央国最高の仙術武器職人だ。立派なお屋敷に住むくらいの金銭的な余裕は十分にあると思う。
ロンフェンに優れた鍛冶職人が集められたのは国の政策だとウラヤが言っていたのを踏まえると、国の保護や権力者への伝手も言った通りになる。
なるほどファンランに取り入れば大きなメリットがあるようだ。
「取り入ろうなんて全然考えてなかったでしょ? 今初めて気付いたって顔してるもの。それでこそミアが認めるほどの“良い人”だわ」
良い人認定は、これ喜ぶべきなのだろうか。
悪い言われようでないのは確かなのだけど。
色々な人から素直さを褒められた時と同じく、もうちょっと強かさを身につけた方が良いように思えてくる。
ともあれ人格的な面で私が天音桜に近しいのは認めざるを得ない。
思考が基本的に日本語なのも、日本人天音桜の影響を色濃く受けている証拠であるし。
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それからは色々な話をした。
日本語と中国語の摺り合わせが必要になる場面が多々あったものの、共通の認識が増えれば会話も次第にスムーズになる。
そうした中、彼女がファンランを名乗り、この山をロンフェンと呼んで居を構えたのは『あちらの世界』の記憶を持った者を呼び寄せる目的があったのだと判明した。「その初めての成果が私の知らない相手だったのは少し残念だけれど」と肩を落としたのには申し訳ない気持ちで一杯になった。
「景色も似せておいてくれて助かりました。名前だけだったら気付かずに素通りしてました」
「それは何より。あなたがそう言うって事はFSサーバーのロンフェンは本当に瓜二つに作られたのね。さすがはアリアン」
「アリアン?」
「エルダーの一人よ。あまり表に出なかったから知らないかな?」
「はい。知りませんでした」
「彼女は特殊な能力を持っていてね。目にした光景を細大漏らさず記憶して、しかも記憶を直接電子データに変換できるのよ。ロンフェンを完全再現すると言って隅から隅まで歩き回っていたのを憶えているわ」
「そんな人がいたんですか」
これには正直驚かされた。
科学が発達したあの世界の中で、エルダーが象徴していたのは科学とは真逆の、魔術に代表される数々のスキルだった。科学と無縁とまでは言わないまでも、まんま科学に属する能力を持つエルダーの存在は意外の一語に尽きる。
それにしても小なりとはいえ山丸ごと一つを“目で見て”完全再現するなんてとんでもない荒業だ。
言われてみれば思い当る節もある。
普通、仮想世界に森のような地形を作る場合、木のデータを何種類か用意した上でのパターン植樹が行われると思う。どれだけリアルに作り込んでいても、見回せば同一形状の樹木が目に入ってしまう状態だ。天音桜が通う学園を再現した例でも敷地内の林ではそんな感じになっていた。ところが龍鳳では木の一本一本がそれぞれ違う形をしていた。現実の風景を見たまま再現したからこそなのだろう。
そんな具合に『あちらの世界』の話題で盛り上がり、次にはこちらの世界での話題へと移っていく。
「そう言えば、ファンランは導士ということになっていますけど仙腎はあるんですか?」
「仙腎なら無いわよ。無くて良かったわ。あったら多分仙人になれなかったから」
「そうなんですか?」
「私が知っているのは気功の延長として仙人になる方法だもの。仙導力でどうやれば仙人になれるかなんて知らないわ」
「なるほど。あ、そうするとファンランも似非導士ですね」
「似非? なにそれ」
「ウラヤが……ウラヤは私の旅の仲間で、今は下で待っているんですけど、そのウラヤが私の気功と魔術を見て言ったんです。導士に似て導士に非ず、人呼んで似非導士だそうです」
似非導士と呼ばれるに至った経緯を簡単に説明すると、ファンランは不味い物でも食べたような顔になった。
「導士の偽物扱いされているみたいで面白くない」
「私も最初はそう思ってました。最近では抵抗もあまりなくなってきてますけど」
似非だからこそ導士にはできないこともできるのだと気付いてからは似非の二文字を誇らしくさえ思えるのだから不思議なものだ。
「ふうん。オウカは前向きね。まあ、私が仙人になれたのも似非だからと言うならそのとおりか……」
苦笑いしながらもファンランは似非導士という呼び方を受け入れていた。
似非導士仲間ができた瞬間である。




