ファンランの正体は
「『龍鳳』……」
声に出すことで記憶が鮮明になった。
天音桜が仮想世界の中で訪れた『あちらの世界』の龍鳳。同じ名前の格闘術流派が修業場としている山だ。彼女はそこで仙人のエルダー、芳蘭と戦い、敗れ、“死に戻り”というルールによって龍鳳の入り口である門の前へと飛ばされた。そこで見た光景が、今私が目にしている光景にぴったりと重なっていた。
記憶と現実の風景を重ね合わせたまま門を潜る。
いくらか山道を登り、確信した。
ここは『あちらの世界』の龍鳳にそっくりだ。
もちろん細かな違いは数えきれないほどにある。門の横棒もそうだし、木々の生え方や細かな地形も記憶とは異なる。でも大雑把な地形と山道はほぼ記憶と一致していた。
「オウカ、勝手に進むな。おかしいぞお前」
「……すみません。ところでウラヤ、さっき門の上にあった看板ですけど」
「ん? ああ、龍鳳と書かれていたな」
「やっぱり、あれで『ロンフェン』と読みますか」
これは饅頭に続いてこの世界の文字事情にやられた形だ。
この世界には表意文字と表音文字があり、地域によって表意文字の読み方や意味が変わるため、混乱を避ける意味で公式には表音文字が使用されている。
例えば私の組合証には『オウカ』と記されている。『桜花』だと、倭州でなら問題なくても他の地域では異なる発音で読まれてしまうからだ。名前でこれが起こると会話が成立しなくなるので表音文字表記は妥当な措置だと思う。
思うのだが、同じ理由で地図の地名も全て表音文字表記であり、そのせいで何度もその名を目にしながら『ロンフェン』と『龍鳳』が全く結びつかなかった。
――それにしても、凄い偶然。
まあ美月の村に生まれた私や、倭州にある富士山そっくりの山など、名称や地理が『あちらの世界』とシンクロしている例は色々とある。龍鳳そっくりの山があって、そこが龍鳳と呼ばれていたっておかしくはない。
一時の驚きから覚めれば、そのように落ち着いて考える余裕も生まれた。
「なあ、本当にどうした?」
「実は、例のあの夢で、ここに来たことがあるんです」
「ここに?」
「ええと、ここと言うか、ここにそっくりな山なんですけど」
龍鳳と龍鳳はそっくりであっても別の山。“ここ”と言ってしまうのは誤りかと思い訂正しておく。
「キコウやマジュツ、剣術を見憶えた夢か……それ本当にただの夢なのか? もしかして夢の中でファンランにあって仙術も修業したとか言わんだろうな?」
「まさか。そんな会ったことも無い人に会う夢なんて見ようがないですよ。私はファンランがどんな人なのかも知らな……い……って、あれ? ファンラン?」
「なんだ?」
「……あの、ウラヤ? つかぬ事を窺いますが、ファンランってどういう字を書くか知ってますか?」
「知っているが……」
「か、書いてみて下さい!」
勢い込んで頼むと、ウラヤは怪訝な顔で「お前がおかしいのは今に始まった事ではないが、今日は特におかしいぞ」と極めて失礼な呟きを漏らしつつも、腰から剣を外し、鞘の先端でがりがりと地面に文字を書いてくれた。
『芳蘭』
「芳蘭! うわ、ちょっと待ってくださいウラヤ、私やっぱりファンランに会ったのかもしれません、夢の中で!」
これはもう偶然じゃない。
龍鳳そっくりな山があって、そこがロンフェンというだけなら偶然で済む。
ロンフェンに芳蘭という人が住んでいるのも、まだ偶然の範疇と捉えることができただろう。
でもそこに仙術という要素が加わったらどうか。それでもまだ偶然で片づけるべきか。否。誰かが言っていた。「二度は偶然でも、三度重なれば必然である」と。
しかもこの山をロンフェンと名付けたのはファンランその人であるし、そう考えてみると私達が歩いている山道も偶然にしては『あちらの世界』の記憶と一致し過ぎる。「道は歩きやすいところに自然とできる」のだから、地形が似通っていれば同じようなルートに道ができるのだろうとも思う。でもそれだけではない作為を感じる部分もいくつかあった。
先ほど山道は邪魔な大岩を迂回していた。
この岩は龍鳳には無かったのだが、大岩を左から回った先にはまた記憶と一致する山道が続いていた。ここがおかしい。あの大岩、右から回った方が確実に“歩きやすい”地形にあったからだ。しかし右から回ると、その後極めて不自然な曲線を描かないと龍鳳と同じルートに復帰できない。つまり最大限龍鳳と同じにするために、敢えて歩きにくい左から岩を迂回したように見えるのである。
ファンランは龍鳳を知っている。
そうでなければ説明できない。
こうなったら悠長に歩いてなどいられない。
ファンランが私と同じように『あちらの世界』の記憶を持っているのか確かめねば。
「ウラヤ、走りますよ!」
気功スキルを発動し、強化された脚力をもって山道を駆け上った。
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ほどなくして山道の先に数軒の建物が見えてきた。
龍鳳では山中の各所にちょっとした平坦地があり、そこを修業や居住の場として利用していた。位が上がるほど山頂に近い修業場に移っていく決まりなので、一番下のここは入門者用といったところだったろうか。
こちらロンフェンでは、どうやら仙術武器の直売や外来者の受付など、外からの客を迎える場として整えられているらしい。
本来の目的からすれば直売所に向かうべきなのだが。
私の足は、登ってきた山道に向かって開放的に作られている小屋に向かっていた。この先も記憶通りの道が続いているなら、芳蘭が――ファンランがいるであろう山頂近くの修業場まで駆け抜けることもできるけれど、さすがにそれはマズい。ちゃんと取り次いでもらうべきだろう。
「ようこそロンフェンへ。仙術武器の販売はあちらの建物で行っておりますが?」
小屋の中にはいかにも受付といった感じのカウンターがあり、作務衣を中華風に改造したような簡素な服を着た女性が愛想よく迎えてくれた。私達の身なりから傭兵だと見当をつけ、ここを訪れるなら導士であり、ならば仙術武器を買いに来たのだと考えたのだろう。
まあ、ハズレていはいない。
「仙術武器を買いに来たのではありません。あ、いえ、試して使えるようなら買おうとも思いますが、それよりも芳蘭……じゃなくて、ファンランに会いたいんです」
私がそう言うと、困ったように眉を顰めてしまった。
そして私の背後のウラヤに助けを求めるような視線を向ける。
「ああ、済まない。こいつは時々言葉が不自由になるんだ。で、どうやらこいつ、前にファンランと会ったことがあるらしい。それがここにいるファンランなのかは今一つはっきりしないのだが、それを確かめるために会いたがっているようだ」
「ウラヤ凄い! 良く私の考えていることが判りましたね!」
「なんとなくな。それでどうだろうか、ファンランに取り次いでくれないか」
ウラヤが尋ねると、受付の女性の目は再度私に向けられた。
疑いの眼差しになって。
「あなたがファンランに会ったことがあるんですか? それは何時、どこでですか?」
「ええと……何時というのははっきりしないですけど、敢えて言うなら五年前でしょうか」
「敢えて言うなら? しかし五年前ですか。では別人ですね。ファンランは高齢のため住まいと作業場を往復するばかりの生活になっており、それは五年前も同様です。山を下りてあなたに会ったとは考えられませんし、五年前にここで会ったのなら本人かどうかを確認しようとはならないでしょうから」
「うぐ……仰る通り! まったくもって仰る通りなんですが! お願いします! ファンランに取り次いでください! それでファンラン自身が『会う必要なし』と言うなら諦めますから!」
必死の懇願に、困惑顔ながらも「取り次ぐだけですよ?」と受付女性は頷いてくれた。
「ありがとうございます!」
「ファンランが会うとは限りませんのでお礼はまだ早いです。ではファンランに窺ってきますので、あなたの名前を教えてください」
「オウカです」
「オウカ、ですね。では……」
そこでハタと気付いた。
芳蘭はオウカと言う名前を知らない。「オウカと言う方が来ていますが?」と取り次がれたら「そんな奴は知らない」となるに決まっている。
「待ってください! 無しです。オウカは無しで、サクラ……アマネサクラでお願いします!」
受付女性の私を見る目がだんだん怪しい人物を見る時のそれになってきているが仕方ない。背後のウラヤは「そうか、夢の中で会ったのなら夢の中の名前を名乗るべきなのか」と納得の呟きを漏らしていて、少なくとも理解者が一人いてくれるのが大変心強い。
「わ、判りました。アマネサクラですね?」
「はい、それでお願いします……って! ああ!? アマネサクラも駄目!? です!」
「はあ!?」
「おい、アマネサクラで良いんじゃないのか?」
「いえ、駄目です。ファンランはアマネサクラという名前を多分知りません」
天音桜と芳蘭が会話しているシーンも、もちろん鮮明に思い出せる。
その記憶の中で天音桜は日本語を、芳蘭は中国語らしき言葉で話していた。それで会話が成立していたのは仮想世界ならではの便利機能『翻訳アプリ』なるものがあったからである。ところでこの翻訳アプリを通すと、芳蘭自身の名乗りも「ホウラン」という日本語読みで聞こえていた。恐らくはアバターデータとして登録されている漢字を参照して翻訳結果に反映させていたのだろう。恐ろしく高性能な翻訳機能である。
が、この高性能が仇となる。
すなわち天音桜が「アマネサクラ」と発音していても、芳蘭の耳に届いた翻訳音声では中国語読みに変換されている可能性が高いのだ。これでは仮にファンランが芳蘭の記憶を持っているとしても、「アマネサクラ? 誰それ」状態になるだろう。
「あの、失礼ですが、この方大丈夫なんですか?」
「大丈夫……だと思いたいのだが、俺も少々自信がなくなってきた」
受付女性とウラヤの会話が耳に痛い。
支離滅裂なのは判っている。「会ったことがある人なのか確かめたい」から始まってのこの流れ、頭がおかしいと思われても文句は言えないくらいのグダグダっぷりだ。




