恋?
お風呂に対する想いは『日本人』特有のものではなく倭族にも共通しているようで、バイカ達もいそいそと髪を洗い始めた。私もポニーテールを解いて汚れを落とす。
本番はあくまでもお風呂に入ってから。ここではよその家のお風呂を使うための最低ラインをクリアするための仮洗いだけだ。野営と山中の活動で溜まった土埃などをざっと流せば終了となる。水から上がり、濡れたままの着物をまとって村長宅への帰路へと就いた。
「さすがに冷えますね」
日が沈み始め、気温も下がりつつある刻限だ。季節がら寒さに震えるほどではないものの、薄暗い雑木林を吹き抜ける風が重く湿った着物に当たって冷たさを強調していく。熱い風呂への渇望もいや増そうというものだ。
「あれ? だれかいるね」
トウリの声に前を見ると、雑木林から抜ける辺りに二つの人影があった。西日の逆光に黒い影と化しているがシルエットで判る。ウラヤとジンノだった。
「こんなところで何をやってるんだい」
「おう。戻ったか。いや、なに。若い奴らが少しばかり不埒な企みをしていたものでな。こうしてウラヤと二人、見張っていたというわけだ」
「不埒ねえ……覗きかい?」
「そういうことだ」
バイカとジンノは「仕方のない奴らだね」「まったくだ」などと苦笑交じりに頷き合っている。
「ま、目当てはオウカだろうね。オウカが傭兵の体じゃないのは見て判るだろうし」
「そうと決まってもいないだろう。お前らを見たいって奴もいるかもしれない」
「気を遣わなくてもいいって。こんな年増傭兵の裸なんか見たって若い奴らには面白くもないだろう」
自嘲気味にバイカは言う。
こちらの世界では二十歳を過ぎても未婚なら行き遅れの年増扱いになる。二十代半ばのバイカはアウト、二十歳前後のトウリでもアウトかセーフかギリギリのライン上だ。そうした基準でならバイカの言う通りなのだが、『あちらの世界』の基準で見るなら間違いなく二人は若い。当然容色に衰えも見られないし、傭兵として鍛え上げられた肉体もアスリートに似た機能的な美しさすら感じさせる。そう卑下したものでもないと思う。
まあ、それはそれとして、私がしていた心配は当たっていて、でも対策は不要だったのだと判った。実は水浴びの当初、着物を脱ぐ段階から『止水』の広域探査を発動しっぱなしにしていた。無論の事、それは覗き対策だ。
ミヅキの村では頻繁に覗きにあっていた。
角度調整をしてモロ見えこそ防いでいたものの、覗きを摘発して追及したりはしなかった。未婚でありながら純潔でもない私は男性からすれば「手を出しても構わない相手」となるが、そんな役割はまっぴら御免とばかりに男装してその意思を示していた。
……それら全てが私の被害妄想に過ぎなかったのだけど、当時の私には判らない。手を出させない代わりに、ガス抜きの意味で覗き見られるに甘んじていたわけだ。
そんな経緯で覗きにあうのは慣れているけれど、だからといって恥ずかしくない訳がない。見る側にある程度の満足を与えつつ、モロ見えよりはマシだという妥協点がお尻であり横乳であっただけで、見られるのはやっぱり恥ずかしいのである。
だから、必要が無いなら覗きを許すつもりは毛ほども無い。
実際にはミヅキの村でも覗きを許す必要は無かったのだが、そこは今さら悔やんでも仕方ない。過去の過ちとして記憶の底に封印しておこう。
でも封印する前に。
この記憶が与えてくれた教訓を一つ。
結局のところ、ミヅキの村で覗きにあっていたのは村内での私の扱いがどうこうには一切関係なかったという事で。私だけの問題ではなく、と言うよりも、問題は男性の側にある。ちょっと頑張れば見られるところに裸の女性がいるならば、男の人はやっぱり頑張ってしまうものなのだ。特に若ければ若い程。
屋外で脱ぐなら常に覗きは警戒しないといけない。
その教訓に基づき、水浴びのために着物を脱ぐ前から『止水』を発動して周囲を警戒していた。なのに誰も来なかったものだから、もしかしてミヅキの村の人達が特殊なのだろうかと思ったりもした。蓋を開けてみれば何のことは無い。やはり若い男の人の考えることはどこでも変わらず、年長者たるウラヤとジンノが良識に基づいて防いでくれていたのだった。
「ウラヤとジンノが引き止めてくれてたんですね。助かりました。ありがとうございます」
覗きが来たとしても撃退するのは簡単だ。でも流れを間違えると魔木の件などで友好的な関係を築いた傭兵達との間に溝が生まれかねない。冗談に紛らわせて喜劇的に対応できればベストだろうかと考えていたが、他の誰かが止めてくれるというのはそれ以上だった。
礼を言う私を見て、ジンノは「やはり」と頷いた。
「オウカには“覗きがいなかった”という確信があるんだな。魔物を探す時に使ったアレか?」
「そうです。ずっと使ってました」
「オウカにはそれがあるから絶対気付かれると言った俺の忠告は間違っていなかったな」
したりとばかりに頷きを繰り返すジンノ。私の『止水』を引き合いに出して、成功率の低さを仄めかすことで覗きを諦めさせたらしい。こちらに防ぐ手段があると知らしめれば抑止力になるようだ。これは今後の参考にしよう。
「ウラヤもありがとうございました」
先ほどからジンノばかりが話していて、ウラヤは一言も口をきいていない。お礼にもリアクションが無かったのでもう一度言ってみた。するとウラヤは「あ、ああ」と曖昧な返事。
西日の逆光がきつくてどんな顔をしているのか判らないが、どうもじっと私を凝視しているようでもある。
「どうしたんですか? そんなにまじまじと見て……」
「うむ……見違えるな、と。そうしているとオウカも普通に女っぽいな」
「え? あ、ああ、髪を下してますものね」
この後すぐにお風呂に入るのだからと髪は解いたままだ。同じ理由でサラシも巻いていないから着物の胸元は本来のボリュームで下から押し上げられている。しかも湿った着物が肌に張り付いて少しばかり扇情的な有様だ。あまり男性の目にさらしたくない姿だが、ここで変に恥ずかしがれば余計に恥ずかしいことになる。着物の状態はバイカ達も同じなのだから、彼女たちを見習って平然を装うのが良さそうだ。
「でも、“っぽい”はないでしょう? これでもれっきとした女なんですから」
「そうだな。すまん。それに……女っぽいというよりも……色っぽい……」
殊更軽く言ってみたら、返って来たのはそんな言葉だった。
最後にぼそりと呟かれた一言を聞いてしまえばもう平然を装うどころではなかった。
思わず胸を抱きしめるようにして後退ってしまう。
「ど、どこを見てるんですか!?」
「そういう反応も実に女らしい。不思議だな。同じ顔なのに全く違って見える」
「それは……男装するときにはそれらしい顔をするようにしてますから」
天音桜風に言えば男前モード。
眉間に力を込めて気合を入れるとそういう顔になる。
「これは……まいったな」
「どうしてウラヤがまいるんですか。そんなことを言われたらこちらがまいってしまいますよ」
「そうか。引き留めて済まなかったな。風呂の用意はもうできているだろう。早く行くと良い」
「……そうさせてもらいます」
ウラヤ達と別れて村長の家に向かいながら、どうにも釈然としない。なんだかウラヤのほうでも平然を装っているように思える。ミヅキの村からこっち男装姿しか見せていないから、今のこの姿がショックだったのだろうか? 昨日知り合ったばかりのジンノはまだ馴染みが薄いから「男装をやめればこんなものか」くらいの反応だったし。
そんなことをつらつらと考えていたら、不意にトウリが「初めて見た」と漏らす。
「初めて? 何を見たんですか?」
「人が恋に落ちる瞬間ってやつ?」
「私が訊いているんですが……でも恋ですか? 誰が、誰にです?」
「本人には判らないものなのかな」
「はい? 別に私は誰にも恋などしていませんが」
今のところ恋に落ちる予定すらない私ははっきりと否定した。するとトウリは「やれやれ」と肩を竦める。そんな仕草はトウリに似合わない。
「オウカが誰かにじゃなくて。ウラヤがオウカに、だよ」
「え? ウラヤが私に?」
トウリの言葉を脳内で咀嚼して、
「いえいえ、それはないですよ。ありえません」
そう結論した。
「ないって、そうしてそう言えるの?」
「だってウラヤですよ。私とは親子ほどに……いいえ、親子以上に歳が離れているじゃないですか」
「親子ほどに歳が離れている」と言いかけて、姉のトウカや甥姪が思い浮かんだ。トウリは十六で甥を生んでいる。甥が私と同じ歳になってもトウカはまだ三十一。私とウラヤの年齢差は二十五もあるのだから「親子以上」に言い換えた。
「オウカは判ってないなあ。いい? 恋に、歳の差なんて、関係ないんだよ?」
一語ずつ区切って強調して、トウリは「私良い事言った」という顔をしている。
「あの、トウリはこう言ってますけど、どう思います?」
「うーん、私にはそんな風には見えなかったけどね」
「ですよね」
バイカは否定した。
トウリは傭兵でありながら夢見る乙女のようなところもある。
きっと妙なフィルターをかけて私とウラヤを見ているのだろう。
「私の目は確かだよ。ウラヤはオウカに恋してる。間違いない」
私とバイカの反対意見にもめげずに、トウリは自信満々にそう言った。
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あまりにトウリが自信たっぷりなものだから、少し気になってしまった。
お風呂を終えて宴となり、それとなくウラヤの様子を窺っていたのだが。
やっぱりないな。
そう思う。
「やはりオウカはその方がしっくりくるな」
サラシを巻いてポニーテールにして、元通りに男装した私を見てのウラヤの第一声がこれだ。男装を解いた私を見て恋をしたなら再度の男装を少しは悔しがりそうなものだ。
さらには。
「おおい、肉があったらどんどん持ってきてくれ。こいつ、肉に飢えてるんだ」
ここ数日の食べっぷりを引き合いに出して笑いのタネにされる始末。
おかげで宴の席ではお肉に困ることは無かったけれど、恋する相手を笑いものにはしないだろう。
確信した。トウリの言を借りるなら「間違いない」だ。
ウラヤが私に恋をしたなんて、トウリの妄想に過ぎないのだ。




