こちらでもサラシを巻くことに
私が『私』として目を覚ましてから三年余りが経過して、村の中での私の扱いは少々微妙な感じになっている。
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理由の一つに言葉の問題がある。
通じないのではない。
オウカとしての記憶があるからこちらの世界の言葉は普通に理解できる。理解できるのだが、『私』の思考が日本語ベースになってしまっていて、母国語で考えて外国語を翻訳しながら会話しているような状態になってしまう。また、オウカの語彙は所詮十歳児のものなので、十八歳相当の思考をスムーズに表現するのには少々足りない。どうしても受け答えがワンテンポ遅れてしまったり、適当な言葉が見つからずに黙りこんでしまったり、となる。まあ『私』の思考がスムーズに表現されてしまったら、それはそれで問題もあっただろうからかえって良かったのかもしれないが。
とにかくも、そうなった原因が私の人格変化だなんて周囲の人には判らない。客観的な事実として、男に乱暴されたのを境に変わったという、それだけがあるのだから「過酷な経験で少しおかしくなってしまった可哀そうな子」という結論になったのは自然な流れだろう。
そしてもう一つの理由。こちらは最初なんだか判らなかった。私を見る男性陣の目に何とも言えない色が混じっているのを感じて、それとなく姉に訊ねた結果判明した。トウカも言葉を濁して婉曲な表現を多用していたので、もしも純朴なオウカのままだったら理解できなかったかもしれない。それなりの知識を持った『私』だからこそ十全に理解できたのだと思う。
それは風俗に関する問題だった。
風俗と言っても如何わしいお店とかの風俗ではなく、しきたりやら風習やらの方の風俗だ。
ざっくり言うと「女子は結婚するまで純潔を守るのが望ましい」という暗黙の了解があるのである。これは私にも受け入れやすい考え方だ。多少古臭くは感じるものの、あちらの世界でだって度を越して性に奔放な女性はビッチと呼ばれて軽蔑の対象になっていたのだし。
問題なのは、望んだ事ではないけれど私の体は既に純潔ではないという事実だ。男性側から見た場合の結婚相手としての価値は大暴落している。
しかし、これは別に構わない。
深刻なトラウマにこそなっていないものの、あのシーンを目の当たりにしてしまったせいで男性とそういう関係になるのには正直嫌悪感がある。向こうから避けてくれるなら面倒が無くて大助かり。
で、終われば話は簡単だった。
さきに挙げた風俗、男子の側には特に制約が無いのである。不公平なものだと思うが、あちらの世界でも処女と童貞は当価値では無かった。下世話な例え話に『敵兵の侵入を許した事の無い砦』とか『砦に進入した事の無い兵士』とかあるけれど、こちらでもそれに似たような考え方があるようで。
するとどうなるか。
需要と供給が全く釣り合わなくなる。
未婚の男性が女性を欲したとして、既婚女性(不倫になってしまう)と未婚女性(結婚するまでは~という不文律がある)には手を出せない。手を出して許されるのは後家さんか、ちょっと遠出して街で商売女を買うか。後家さんは数が少ないし本人に拒絶されればお終い。町は遠いしお金がかかる。
……十分如何わしい意味での風俗の話になっているな。
まあ仕方ない。
で、そんな中、純潔でない未婚女性である私がいる。
ぶっちゃけて言うと『手を出しても構わない相手』と見做されてしまったのだ。男性陣の視線に混じったのは色欲だったのである。
冗談ではない。
ただでさえ嫌なのに、ていの良い処理相手と目されては堪らない。
そうと判ってからは向こうの世界の私と同様にサラシで胸を潰した。着物も男物にして髪も男の位置で結んだ。こちらの世界では女はそのまま髪を下ろしていて、結ぶにしてもそのまま束ねるだけ。男は髷の様に高い位置で結ぶので、まんまあちらの世界でしているのと同じポニーテールになった。
男装したのはそんな位置付けに甘んじるつもりはないという意思表示。
言葉にはしなくても意思は通じたようで、以後は不埒な目を向けてくる男はいなくなった。それでも無理矢理に、などと考えるような男がいなくて幸いだ。
もしもいたなら、今の私は無力ではない。実力でお引き取り願うことになる。
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体が治ってからはオウカの記憶にあった通りの元の生活に戻っていた。
大人に混じって畑仕事や山仕事をする毎日である。
前述の通り村の中での扱いは微妙だったから、せめて働き手として認められようと頑張った。その助けになったのはもちろん気功スキルだ。夢に見た断片的な記憶から見様見真似の呼吸法だけやっていた以前の私と、きちんと理解して調息と練気をしている今の私では全く異なる。体そのものの経験値が低ければ練気量も高が知れているが、それを効率良く利用する技術があるから数段上のステータスアップ効果が得られるのだ。
あまりに頑張り過ぎると「体を壊すぞ、少し加減しろ」と大人達に窘められるので相応に手を抜くことになったが。
まあ、本気を出してしまうと頑張っている云々ではなく明らかに異常な作業効率を叩きだしてしまうので注意が必要だ。
そしてこの世界でも魔術スキルが使えた。
山仕事で一人になった時に試しに炎の矢の呪文を唱えたら問題なく発動した。この事実が『あちらの世界』の実在を確信させた。魔術と気功ではものが違う。こんな複雑な技術を一人の子供の妄想で作り出せる筈が無い。一つの世界の中で発展した技術体系を垣間見たのだと考える方が遥かに妥当だろう。
そこからは仕事の合間や一人になれた時間を見計らって魔力を鍛えた。ある程度までは炎の矢で魔力上げをして、『加速』や『筋力増強』が使えるようになってからはそれらを日常的に使い続けた。あちらの世界で友人が実践していた『日常的な魔術の使用』を真似て地道に魔力を成長させたのだ。
もちろん並行して剣術の鍛錬も怠らない。刀など無いので適当な木の枝を木刀代わりにしての一人稽古だが。
とにかく一日でも早く強くなりたかった。
村は平和で、村人も良い人ばかりだ。男装する羽目になったのはアレだけれど、そうして拒否の意思表示をすれば無理強いされないのだから、やはり基本的に良い人達なのだと思う。たまに水浴びやお風呂の最中、止水の気配察知に引っ掛かる人もいるにはいるが、覗き程度で満足してくれるなら可愛いものなので私の羞恥心が許す範囲では好き覗かせている。本番は絶対に御断りなので、見られるくらいは我慢しても良いと思えたから。
と、まあ村の中は平和なものだけど、村の外はその限りでは無い。
だからこそ私はあんな目にあった訳で。
村にいると実感し難いけれど、こちらの世界はあちらの世界に比べて格段に治安が悪いと考えた方が良い。か弱い少女のままでいれば、いずれまた不本意な経験を強いられてしまうだろう。せめて自分の身を守れる程度のスキルは使えるようにと、そう考えたのだが始まりだった。
ところが、村人とのコミュニケーションが増えてこの世界に対する知識が増えてくると、警戒するべきは人間だけではなさそうだという事が判ってきた。
あの時、私を村に送り届けてくれた『傭兵』と呼ばれる人達。
彼らは町にある傭兵組合に属していて、定期的に辺境の村々を巡回しているそうだ。その目的は碌な戦力の無い農村を野盗や魔物の害から守る事。
ここで物騒な単語が出てくる。
『魔物』だ。
ただし、これはこの世界の言葉を私が日本語に訳した時に最もニュアンスの近い単語が『魔物』なだけで、あちらの世界に存在する魔界の生物としての魔物と同じなのかは今のところはっきりしていない。単に危険な野生動物を指して言っているだけなのかもしれない。
いずれにせよ傭兵などという専門職を組織して対処しているのだから、戦う術の無い一般人にとっては危険な存在だ。傭兵は巡回制で常駐はしていないし、あちらの世界の警察の様に呼べばすぐに来てくれる訳でもない。そもそも電話などの通信手段が無いのだから呼ぶ事すらできないのだが。どうしても呼ぶなら町の傭兵組合まで行かなければならず、往復に何日もかかるから緊急の事態には対処できない。私がああした被害にあったように、傭兵だけでは辺境の治安を万全に保つのは難しい。
やはり自衛の力は必要だ。
一層気を引き締めて鍛錬に邁進した。
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そうして更に二年が過ぎて、十五歳になった年に転機が訪れた。
村にウラヤという四十歳くらいの男が移住してきたのだ。
元傭兵だというウラヤとの出会いによって私は知った。
この世界にも独自のスキルが存在している事を。
そして五年前に私に身に降りかかった災難の、その真実の一端を。
それらは平和な村を出て、未知の世界へと踏み出すきっかけを私に与えてくれた。