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わたしも、あなたが

作者: 秋津 亮介

 ドアを開けると、薄暗い部屋の中には年老いたタヌキが一匹、寝ていた。噂通りである。

 人里離れたこの森の中の、一番古いクヌギの木のウロを棲み家にするタヌキが居る。そのタヌキは100年以上も生きており、不思議な魔力が使えるという。

 そんな噂話が、辺りの動物達の間で囁かれていた。

 都会に住み暮らすノラ猫のリエも、いつとはなしにその噂を聞き及んでいたが、てんで本気にはしていなかった。

 今でも本気にはしていない。でも、もし出来るならば、リエは人間になりたかった。どうしても、人間にして欲しかった。それが叶うなら、どんな辛い条件でも飲むつもりでいた。それで、タヌキの棲み家を探し出し、ドアを開けてみたのだった。


 しばらくの間、開けたドアから薄暗い部屋の中を覗きこんでいたリエだが、意を決して、陰気な感じのするそのウロの中にノッソリと入っていった。

 タヌキは、寝ているのか起きているのか解からない。ただ、目をつむってじっと伏せっているだけだった。

 どうしたものかと、リエは困ってしまった。やっぱり帰ろうかと後ろを振り向いたりしていると、急にタヌキが言った。

「ドアぐらい閉めなされ」

 リエはビックリして一歩後ずさりし、戦闘態勢を取った。

「あんたも猫なら、暗闇は平気じゃろうて。とりあえずドアを閉めてくれんか。まぶしいてかなわん」

 タヌキのその声は、どっしりと落ち着いていて、リエの不安感は急速に消えていった。

「ごめんニャさい」

 リエがドアを閉めると、ウロの中は本当に薄暗い。どこからか木漏れ日は入っているのだろうが、ほとんど真っ暗である。しかしリエの瞳孔は、すぐに満月のように丸くなり、その暗闇に充分対応できた。

 リエは、タヌキのすぐ側まで寄っていき、ちょこなんと座り込んだ。全く足音は立てていないのに、目を閉じたままのタヌキは、その動きが逐一解かっている様であり、リエが座ると、タヌキは深みのある声で話し出した。

「わしも歳でな。折角のお客さんに何のもてなしも出来んし、こんな格好のままで失礼するよ」

 リエは、100年も生きているタヌキとはどんなに恐ろしいものだろうかと想像していただけに、案外のタヌキの優しい態度に、すっかり警戒心も解けてしまった。

「実は、タヌキさん・・・」

 リエが喋ろうとすると、

「解かっておる。人間になりたいのであろう?」

と、タヌキは言った。相変わらず、目は閉じたままである。

「どうしてそれを・・・」

「ほっほ!100年も生きておるとのう、相手の考えていることぐらいは解かるようになってくるものじゃ。ふむふむ、それで、人間になりたい理由は・・・ふ〜む、人間の男に惚れよったか・・・」

 自分の思っていることが相手に解かってしまうというのは、よく考えると恐ろしいことなのだが、そのときのリエは逆であった。

「そうだニャン!わたしの気持ちが解かってもらえるニャら話は早いニャン。わたしを人間にして欲しいニャン!」

「人間にのう・・・」

 タヌキはそう言ったまま、後を続けようとはしなかった。

 しばらくの間、リエは首を(かし)げてタヌキをじっと見つめ、後の言葉を待ったが、タヌキは深いため息を吐いたまま口を開こうとはしない。

 その沈黙に絶えきれず、リエはタヌキに聞いた。

「ダメかニャン?」

 タヌキはフウーっと、再び大きなため息を吐いて言った。

「ダメじゃろうなあ、その分じゃあ・・・」

 リエは傾げていた首を真っ直ぐにして、タヌキに食い掛かった。

「どんいうことだニャン?」

「人間になることは出来る。わしにもその力はある。しかし、問題がある」

 リエは「どんな」というふうに、また首を傾げた。

「言葉じゃよ、猫よ。人間になると、我々動物は口が利けなくなるのじゃ。これでは人間になってもどうすることもできんじゃろ」

 これにはリエも、考え込んでしまった。確かに口が利けなくなるのは困る。

 自分にとても優しくしてくれた人間の青年。たとえ自分が人間になったにせよ、どうやってその青年と知り合いになるかは、全く考えてはいないが、その後のことは色々な想像をしていた。そしてどの想像にも「楽しい会話」は不可欠のものであった。その「会話」が出来ないとなると、リエの想像していた楽しみも半減してしまうだろう。このまま、猫のままで過ごす方が良いのか。しかし・・・リエは決心した。

「それでも、良いニャン!」

 タヌキはそのとき、始めて片目を開けて、

「ほっほう!」

と、軽い驚きを見せた。

「堪えられるかな?」

「堪えられるニャン。ニャンニャン。堪えてみせるニャン!」

「そうか・・・決心は固いようじゃの。よかろう。猫よ、お前を人間にしてやろう」

「本当ニャン!」

「ああ。本当じゃ。ただし、今言ったことを忘れるでないぞ。人間になれば人間と話すことは出来ないんじゃ。もし、無理にでも喋ろうとしたときは、その場で元の猫の姿に戻ってしまうでな。しかしまあ、そう案ずるでない。気が滅入った時には動物になら話しかけられるでな」

「動物となら喋られるニャン?」

「そうじゃ。動物とは話せる。話せなくなるのは人間が相手のときだけじゃ。肝に銘じておけよ・・・人間とは話してはいかん・・・」

 そのタヌキの言葉と共に、リエの意識はすーっと薄れて行った・・・。


 人間になったリエは、どうにかこうにか愛しの青年と知り合うきっかけをつかみ、いつしか二人は恋に落ちて行った。

 青年は、リエが猫であったとき以上に、優しくリエに接してくれた。

 喋ることの出来ないリエに、青年はそんなことを気にする素振りも見せず、

「リエ、リエ」

と、呼んで愛情を注いでくれた。筆談による会話はもどかしいこともあったが、そのことは二人の間では、大した障害にはならなかった。

 ドライブをしたり、遊園地に連れて行ってもらったり、素晴らしく楽しい日々が永遠に続くとリエには思われた。

 そんなある日のこと。

 リエは一人、ある公園のベンチで青年の来るのを待っていた。

 ここは、リエにとって思い出深い公園であった。

 猫であった頃の自分が、始めて青年に会った場所。

 それからも幾度と無く、この公園で青年はリエと遊んでくれた。

 野良猫であった自分に、お弁当の残りや時にはミルクを買ってきてくれたりした。

 リエがベンチに腰掛けてそういう思い出に浸っていると、いつの間にか隣に一匹の子猫が座っていた。普通、猫は人間に対して警戒心を持っているものだが、さすがにリエには近づいてくる猫は多い。匂いか何かで解かるのだろうか。

 リエはそういうとき、よく猫に話しかける。やはり、仲間意識は簡単には抜けないものだろう。だが、人前ではそういうことは絶対にしない。いや、出来ないのだ。

 そのときのリエは、幸せで気が緩んでいたのだろうか。もうすぐ青年が来るということを気に掛けながらも、その子猫に話し掛けていた。

「あら、坊や。どこから来たの?この辺の子じゃないわねぇ。お母さんはどこに行ったの?・・・」

 子猫の方も、リエの言葉が解かっているのかどうか「ニャン、ニャン」と、返事を返してくる。そしてリエも、今は猫の言葉など解かる筈も無いのに、

「あら、そう・・・」

などと、言葉を返していく。やはり、話せないことのストレスが溜まっているのであろう。

 しかし、会話の途中で、不意に子猫が逃げて行ってしまった。

 リエは一所懸命になって、子猫の方を向いて話しをしていたので、人が近づいて来るのが解からなかったのだ。

 一瞬、顔が蒼ざめたのが自分でも解かった。


 横には、青年が立っていた。

「リエ・・・君は、喋ることが出来たんだね・・・どうして今まで喋れない振りをしていたんだ・・・僕に・・・」

 リエは、何も言葉が出て来なかった。どちらにしろ青年に向かって話すことは出来ない。ただ、両の手で口をおおっているしかなかった。

「僕は、君が本当に好きだった・・・。ずっと一緒に居られると思っていた・・・でも・・・君はそうじゃなかったんだ・・・良く解かったよ・・・。君にとって僕は・・・いや、もういいか。でも、これだけは言っておくよ。僕は真剣に、心から君を愛していた。じゃあ、さようなら・・・」

 青年はリエに背を向けると、弱々しい足取りで歩き出した。

 リエは立ちあがって青年を追いかけようとしたが、足がすくんでしまっていうことをきかない。

 このままでは青年は行ってしまう。

 リエの前から去ってしまって、二度と会えなくなる。

 青年に会うことが出来ないのなら、何で人間のままでいられようか。

 青年と一緒に居られないのなら、人間の姿をしている意味はない。

 いや、今となっては生きている意味さえなくなってしまう。

 そんな思いがリエの頭の中を、一瞬の間に駆け巡った。

 そして、気が付いたときには、リエは青年の背中に向かって叫んでいた。

「待って!わたしも、あなたが・・・!」

 リエのその言葉は、辛うじて青年の耳に届いたようだった。

 青年は歩くのを止め、ゆっくりと後ろを振り向いた。

 しかし、そこにはリエの姿は無く、昔、この公園でよく遊んでやった猫が、ポツンとその場に居るだけだった。

 青年は、その意味が解かったのかどうか、悲しそうな顔をしてしゃがみ込むと、声を詰まらせながら、こう言った。

「リエ・・・おいで・・・」

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― 新着の感想 ―
[一言] 何が何だかよく解らないが、良いと思う。 猫と人間の、種族の壁を越えた恋愛。共感させられますな。
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