~第一話~ 昔の町
最初におかしいと思ったのは、音だった。
夕方のはずなのに、車の走る音がほとんどしない。
遠くで犬が吠える声だけが、やけに大きく聞こえた。
見慣れたはずの町だった。
駅までの道。古い商店街。道の角の自動販売機。
全部、何度も通った場所だ。
それなのに、どこか輪郭がぼやけている気がした。
スマホを取り出す。…圏外。
この町でそんなことは、今まで一度もなかった。
スマホの画面から顔を上げた瞬間、違和感に気づいた。
商店街の看板が、知らない色をしている。
閉店したはずの本屋に明かりがついていた。
――ここ、こんなだったか。
不思議に思ったので、本屋の前に歩いて行った。
古びた町中の本屋。
よくある、昔ながらの本屋。
中に入ってみよう。
そう思い、引き戸をガラガラと開けた。
中の風景を見渡してから数秒、
目から零れた水が頬を伝う。
「……大丈夫ですか?」
はっ、と我に返り声の主の方を向いた。
まだ新しいセーラー服。少し短いスカート。
こちらを見て、不思議そうに首をかしげる。
その声を聴いた瞬間、なぜか確信した。
この町は、僕の知っている時間に居ない。
「えっと、はい。大丈夫です。」
「本当に?どうしたの?」
理由か。
僕には分からない。
「ちょっと迷っちゃって。へへ。」
下手くそな笑顔と嘘をつく。
「……この辺、初めてなの?」
そう聞かれて、僕は曖昧に頷いた。
初めてなのか、そうでないのか。
自分でも判断がつかなかったからだ。
少女はそれ以上、踏み込まず、鞄の肩紐を持ち直して歩き出した。
「駅までなら、案内しますよ。ちょっと遠いけど。」
断る理由はなかった。
しかし、ついていく理由もはっきりしなかった。
歩きながら、街を観察する。
電柱は古く、ポスターの色は褪せている。
それでも、見覚えのある曲がり角や、かつて存在していた空き地があった。
そして日は落ちてきていた。
「この町、静かですね。」
彼女は少しだけ驚いた顔をした後、答えた。
「そうかな?私には、うるさいです。」
意外なことに、答えが返ってきた。
「人、少ないし。」
僕には理解できなかった。
しかしそれ以上、彼女は説明しなかった。
商店街に入ると、急に空気が変わった。
シャッターの閉まった店と、
まだ明かりのついている店が混在している。
その中の一軒、文房具屋の前で、彼女は足を止めた。
「ちょっと、寄ってもいい?」
返事をする前に、引き戸が内側から開いた。
「おや、紗理奈。今日は遅いね。」
白髪交じりの男性が、穏やかな声で行った。
「うん。……この人、道に迷ってて。」
彼女はそう言って、僕は振り返る。
”迷っている”という表現が、妙にしっくりきた。
男性は僕を一瞥し、深く詮索することもなく頷いた。
「そうか。この町は、初めてだと分かりにくいからな。」
店の奥から、インクの匂いが漂ってくる。
その匂いに、理由もなく懐かしさを覚えた。
「紗理奈、鍵は?」
「ちゃんと持ってるよ。」
そのやり取りに、親しい間柄であることが分かった。
僕がそれに気づいた瞬間、背後から軽い声が飛んできた。
「おー、白石。今日も一人?」
振り返ると、自転車を押した少年が立っていた。
短髪で、制服の袖をまくっている。
「森下。どうかした?」
紗理奈、が名前を呼ぶ。
「いや、通りかかったから。そっちは?」
「んー。迷子。」
少し考えてから言った。
森下、は僕を見て、一瞬だけ不思議そうな顔をした後、笑った。
「この町で迷うやつ、あんまいないけどな。」
森下にとってはそうなのか。
文房具屋の男性が言った。
「駅まで行くならもう暗くなる。今日は無理しないほうがいい。」
恐らく、僕ではなく紗理奈のことを心配しているのだろう。
紗理奈は少し考えてから、僕を見た。
「……今日、どうする?駅から家までの道のりとか分かる?」
家、か。おそらく、この町には存在しない。
そして何より、家までの道のりが分からない。
答えを出す前に、もう一つだけ気づいたことがある。
僕は、元の時間のこの町について、徐々に忘れていることを。
頑張って書くので、応援よろしくお願いします。




