花嫁は復讐を望まない
その日、ある伯爵家の嫡男が花嫁を迎えた。
花嫁は成人したばかりの、あまりいい噂がない伯爵家の長女が選ばれていた。
新郎、セドリック・ホーソンの家は新婦の家よりも古くから続く家系で、領地も安定した収入があった。
セドリックは既に父親から仕事の大部分を引き継いでおり、そろそろ家督を継ぐ時期だと言われていた。
一方、新婦であるセレナ・リューデンの家は先代であるセレナの父親までは安定していたが、セレナの両親が不幸な事故で命を落としたため伯爵家に戻った叔父が、セレナが成人するまでの四年の期限付きで領地運営を任された。
しかし、あっという間に叔父一家の浪費により領地は荒れた。
先代領主が安定させていたため何とか持ちこたえているだけの不安定さだった。
昔からよくある話で、叔父とその家族は伯爵家の中継ぎにも関わらず正当な後継者であるセレナを蔑ろにしていた。
叔父とその家族は、あくまで「成人までの後見人とその家族」であり、伯爵家を正式に継いではいなかった。
だが、叔父一家が屋敷に住み始めたその日から、セレナの立場は急速にその地位を落としていった。
食卓では末席に座らされ、いつしか同席も許されなくなった。
領地の報告書は後見人に任されているからと、一切見せてもらえなくなった。
―やがて屋敷の外では、セレナに関する悪意のある噂が囁かれるようになっていた。
「セレナは父の死を受け入れられず、癇癪を起こしているためにデビュタントもできないらしい」
「従妹の持ち物を取り上げドレスも切り刻んでいるらしい」
「身持ちが悪く夜な夜な出歩いているらしい」
もちろん、どれも叔父の家族が悪意をもって流したものだったが、領民達は数年姿を見ていないセレナを信じていいのか迷っていた。
そんな噂があるセレナだったが、セドリックにとっては政略としては悪くない縁談だった。
不安定な領地ではあるが貴族の血筋で、噂のみ出回っている先代伯爵の娘。
叔父一家の振る舞いを見ていれば噂は当てにならないと予測は簡単にできたが、万が一噂が事実だとしても、それは彼にとっては些末な問題だった。
三年前に成人したセドリックは、成人と同時に結婚をする予定だった。
しかし、婚約者が流行り病で体を壊し、長期の療養が必要となったため婚約を解消せざるを得なかったのだ。
良くない噂がある相手であろうが、結婚さえしてしまえば親戚達が持ち込む煩わしい婚約話を持ち掛けられることもない。
打算しかない考えだったが、家督を継ぐ準備で毎日忙しい彼にとっては大事なことだった。
とは言え、本当に噂通りだとすればそれなりの対応を考える必要があると彼は考えた。
よくある悲劇のお話であれば、虐げられた正当な後継者は清廉潔白であり、噂は事実無根である、という流れだろう。
だが、もしも事実であれば、後継は親戚筋から養子を考える必要があり、割り当てる予算も考えなければならない。
婚姻の話が持ち上がった際、彼は密かにセレナの家の状況を調べさせた。
結果は、噂とはまるで逆だった。
セレナは癇癪を起こし使用人を虐げるどころか、屋敷の片隅で静かに暮らしていた。
従妹がセレナの部屋から勝手にドレスを持ち出し、酷く汚しては処分していた。
夜な夜な出歩くどころか、外に出ることすら許されていなかった。
領地の荒れは、叔父の無茶な運営によるものだった。
伯爵家の元使用人の口は軽く、金貨数枚でペラペラと面白いほど簡単にセレナの噂を否定した。
『当主代理の娘が廊下の壺を割ったのをあたしの責任にされてクビよ。あたしが幾ら否定しても聞き入れてなんてくれないわ。執事さんが何とか娘の証言の矛盾を突いて弁償なしまで持ち込んでくれたのが救いかしら。ま、その執事さんもあたしと追い出されちまったけどね。疑われるのと楯突く使用人はいらないんですって。町におりてきてセレナお嬢様の噂を聞いた時は、それって当主代理の娘の話じゃないって町中で思わず叫ぶくらいには驚いたわ。周りがどう受け取ったか?そんなの知らないわ。あたしは本当のことしか言っていないもの。でもね、着丈の合わないドレス姿の娘を見ていれば察するんじゃない?』
そばかすを浮かべた元使用人は肩をすくめていたと、セドリックはそんな報告を受けた。
「……なるほど。噂とは便利なものだな」
噂に関する報告書を閉じたとき、セドリックはそう呟いた。
その口元には笑みが浮かんでいた。
♦♦♦
「伯爵家の妻として奥向きのことは君に全て任せたい。仕事は多いだろうが、無理そうなら早目に言って欲しい。補佐を考えなければならないからな」
初夜の寝室で言うべきことではないが、セドリックは淡々とベッドに腰掛けるセレナに告げた。
ベッドサイドのテーブルに置かれたワイングラスには赤ワインが注がれていたが、セドリックもセレナもテーブルには視線を向けていなかった。
セドリックは金の瞳でセレナを見詰め、セレナはグリーンの瞳を愉快そうに細めて笑った。
「私の悪評はご存知なのでしょう?任せてもよろしいのですか?」
セドリックは器用に片眉を上げてセレナに告げた。
「噂だけで判断すると痛い目に遭うからな、調べた上で君になら任せられると思った」
セレナは口元を緩めて小さく息を吐いた。
噂だけで判断されていたら、と最悪の想像をしていたが、それが杞憂だと分かったからだった。
「―ありがとうございます、ではリューデン家を退いた執事とメイドを私付きにしても?二人共紹介状もなく困っておりまして」
「ああ、優秀な執事と抜け目のなさそうなメイドだと聞いている。……クビになったタイミングも計算の内か?」
セレナはにっこり笑って答えなかったが、セドリックも気にした様子はなかった。
「廊下を走るなんてはしたない、と何度も言っておりましたわ。たまたま置物の位置がずれていたのは不幸なことです。―執事は信用に値すると判断しています」
叔父の滅茶苦茶な指示と後見人には不要な浪費を己の裁可の範疇で却下していた目障りな執事と、セレナが目をかけていたメイドを給金を取り上げてクビにする腹積もりだったのだろう。
底が浅い人間の考えそうな事だとセレナは呆れていた。
呆れると言えば、成人した後継の娘を嫁に出す意味も考えれられない叔父一家には頭痛を覚えたものだ。
「彼等は既に領内にいるだろう?明日にでも遣いを出すといい。優秀な人間は何人いてもいい」
「ありがとうございます。それでは明日早速ご紹介いたします」
セドリックはワイングラスを一つセレナに手渡すと、自分はソファーに腰を下ろして別のワイングラスを手に取った。
「そうしてくれ。それで、君の実家はどうなる予定なのかな?」
「私がリューデン家の当主ですので、私達の子に継がせられれば、と思っています。叔父が優秀であれば叔父を当主にすることも考えておりましたが……」
途中で言葉を切ったセレナは静かにワインを口に含んだ。
「優秀な人間を手放すような彼には任せられないな。己を知らない方々だな」
「ええ。それと、私から奪ったものは返していただかなければ」
セドリックがすっと目を細めるとセレナはワインを一気に飲み干した。
「お父様が残した財産を私の後見人という名目で食い潰し、お母様の宝石を奪い私のドレスを切り刻み、私の悪評を流した彼等を、私は決して許しません。私の屋敷から出て行って貰います。使い込んだ財産も請求しなければ。証拠は全て揃えていますから、明日から動き出します」
十四歳で何の力もなかった彼女が、どんな思いで怒りを飲み込み、ひたすら証拠を集めていたのか、とセドリックは考えた。
「それが、悪評を流された君の復讐かい?」
セドリックは新しいワインを動作だけでセレナに勧めたが、セレナは緩く頭を振ってワインを断った。
空のワイングラスを見詰め、セレナは囁いた。
「―私の言い分なんて全て潰されてしまいました。外に出ていないのに、真実とは違う私が拡がっていった。その恐怖を彼等は知らないのでしょう。私の知らない救いようのない私が悪意で出来上がってしまった。彼等が全てを手にしたと舞い上がっている今、彼等に奪われたものを返して貰おうと思っただけです。財産も、宝石も、評判も」
ドレスは今さらいりませんけどね、と呟いたセレナはグラスをナイトテーブルに置き、寝台に横たわると大きな欠伸をした。
「復讐なんて、する訳ないじゃないですか。私はただ返して貰うだけなんですから」
◆◆◆
セレナの叔父であるダドリーは目障りな姪から伯爵家を奪えたと満足していた。
兄であるチェスターは優秀で、嫉妬から「兄さえいなければ」、と思っていたのは事実だった。
兄が亡くなり姪の後見人として伯爵家を継いだ。
兄と同じグリーンの瞳で、十四歳のセレナに書類の間違いを指摘された時、哀れな姪から目障りな後継者になった。
結婚させて家から追い出してさえしまえば、伯爵家は自分の好きにできる、とダドリーは本気でそう考えていた。
可愛い娘を後継者として周囲に紹介しなくては、とニヤニヤ笑っていた時、扉の外が騒がしくなった事に気が付いた。
不審に思っていると扉が乱暴に開かれ、追い出したと思っていたセレナが姿を現した。
「部外者が勝手に入るな!」
「ええ、ここはお父様の執務室、代々の当主が執務を行う部屋ですもの。部外者は出て行く必要があります」
セレナは深いグリーンの瞳を光らせた。
「ダドリー・リューデン、貴方は伯爵ではありません。使い込んだ当家の財産も、叔母様と貴女の娘が私から奪ったお母様の宝石も、全て返却していただきます。当主は、私です」
セレナの後ろには使用人達が控え、ダドリーを冷たく見据えていた。
「セレナ、お前、お前は情がないのか?」
冷や汗をかいたダドリーが声を震わせているがセレナはにこやかに答えた。
「お陰様で、情が湧かない関係性を与えてくださりありがとう存じます。旦那様より人をお借りしましたので荷造りは私にお任せください。貴方達が持ち込んだものだけきっちりお返しいたします。使い込んだ金額はきちんと控えておりますから、後ほど新しい住まいにお送りします。―絶対に、逃がしません」
ダドリーは、にこやかなセレナの瞳が冷たく輝いている事に気が付いた。
「詰めが甘くて助かりましたけど、その詰めの甘さ故にお父様が貴方を執務から遠ざけていたのですよ。欲を出さずにいれば、別邸で生活する位は許可しましたのに」
ダドリーはそこで気が付いた。
セレナを遠く追いやっても使用人達はセレナを冷遇しなかった。
新しく雇い入れた使用人もいつしかダドリーよりも執事の指示で動くようになっていた。
「……私から全てを奪うか……それがお前の復讐か……」
ダドリーが膝をつくとセレナは心底不思議そうに首を傾げた。
「復讐?いいえ、私は私の物を返していただくだけですわ」
終
成人は18歳の世界観
セレナ・・・18歳、グリーンの瞳。下戸。ワイン飲んで酔い潰れました。
セドリック・・・21歳、金の瞳。ざる。取り残されてポツン。ちゃんと隣で寝ました。
髪色決めてないですが、何となくセレナもセドリックも黒髪な気がします。
復讐ではなく貸したの返してね、ってお願いしただけです。
叔父がブーメラン過ぎる。
そう言えば人に貸した漫画が10年以上返ってこないんですよね。




