■ 第6話 クマのラテ、引っ掻き傷
客が途切れたタイミングで、ヤカンの水を入れ替え、七里は由依に手渡した。
レトロなストーブにヤカンを運ぶ由依を、さり気なく見守る。
由依はヤカンを置くと、それとなくため息をついた。
やっぱため息だよな。
ロングメイド服を着た由依は、いらっしゃいませご主人様とは言わない。喫茶まきの雰囲気そのまま、もの静かに落ち着いた接客をしてくれている。
それが、今日は小さなため息をついている。
確認して、迷いが消えた。
「疲れたね」
なるべく驚かせないように声かけたつもりが、由依は身体をビクっとのけ反らせ、振り返った。
エプロンとスカートがたゆたう。
由依は、まるで何事もなかったかのように笑顔になった。
「疲れたときは休んでいいよ」
ようやく決まったアルバイト。
しかも、ロングメイドさん。
休みながらでも続けて欲しい。
欲しいのは労力のはずなのに、なぜ休んでいいと言ってしまうのか。
うっすら不思議に思ったが、深く考えない間に由依が口を開いた。
「疲れたわけじゃなくて、ただ……」
口ごもる由依の次の言葉を待つ。
こんなときに気の利いた声かけができないのがもどかしい。
「待ち合わせに遅刻しちゃって――、おまけに、ちょっとトラブルで――、ほら、ここ見てください」
由依は、七里に口の横にできた引っ搔き傷を見せた。
見た七里の顔がゆがむ。
「それで、へこんじゃってて……」
「女の子の顔に傷なんて……、つけたやつ、許せないな」
「遅刻した分、仲間に悪いなって思って、普段より張り切りすぎちゃって。じゃなかったら、こんな怪我しなかったのにって思うと悔しくて」
「和田さんは何も悪くないでしょ。そんなの手を出した奴が悪い」
かわいそうに……。もしかしたら、遅刻したのは慣れないバイトのせいかもしれないと思うと、何かしてあげたくなってしまう。
しかし、あいにく、女子高生に受ける冗談も話題もない。いや、女子高生相手じゃなくても怪しい。
学生の内は、それなりに人付き合いもあったが、社会人になってからはめっきり減った。
喫茶店の店主だからこそ、相づちはうまくても、会話術は長けてはない。
黙っている時間が長いのが、自分でもわかる。
どうしてあげればいいのかわからない。
できるのはコーヒーを淹れるくらいだ。
コーヒー……。
思いつき、逡巡し、やはり、思い切ることにする。
「今の内に休憩にしよう」
エスプレッソマシンの前に立つと、由依は素直にカウンターに座った。
ここ数回の経験で由依はリラックスしてまかないを飲めるようになってきている。
シュッ!ジジジっ!
鋭い蒸気音に、由依が七里を見た。
ミルクを注いで、由依の隣に座る。
「エスプレッソにミルク……カプチーノです?」
覚えたての知識を総動員してきたのを、褒めたくなる。
「いや、カプチーノよりミルクの層が薄いから、ラテだね」
「難しい」
七里は手に隠していた物を見せた。金属製のピックだ。
「何に使うんです?」
それには答えずに、ピックをカフェラテの泡につけた。
ミルクの泡にコーヒー色のクレマをちょんちょんつけていく。
由依の視線がピックを追う。
すぐに泡でクマの絵ができた。
「わぁ!! かわいい!!」
「どうぞ」
できたてのラテアートを由依に寄せる。
「えっ、無理ムリ! こんなの飲めないよ」
やっぱ、筋肉中年おっさんがクマのラテアートは、気持ち悪いか……。
心配があたってしまった。
「かわい過ぎ、勿体ない!」
「え?」
「そうだ! カメラ!」
由依がロッカー室に駆け込んで、スマホ片手に出てきた。
呆気に取られている七里を見て、止まる。
「あっ! 写真撮っていいですか?」
「も、もちろん」
由依は角度を変えて何枚も写真を撮った。しきりに喜んでから、ようやく席に座り直す。
飲むかと思ったら、手が止まった。
「ラテアートってどう飲めばイイんです?」
「かき混ぜて飲むんだよ」
「そんなことしちゃクマさんが!」
クマさんね。清楚ってイイっ!
心の中でガッツポーズになる。
どうしたって比べてしまう。女王様ならこうは言うまい。
「いつでも作ってあげるから」
「やった~」
由依は、スプーンでクマを崩した。一口飲んで満足そうに頷く。
「メニューにはありませんよね?」
「ないね」
「お得意様だけの裏メニューです?」
「いや、初めて人に出した」
「勿体ない!! 出せばいいのに」
「や、だって気持ち悪いだろ」
は?とは言われなかった。由依は首をかしげた。
「こんなおっさんが、クマのラテアートだよ?」
「全然」
本音に聞こえるから、余計に嬉しい。しかし、そう言ってくれるのは由依くらいのものだろう。
自惚れられない程度には、歳をくっている。
「やってみたいな」
「してみたら?」
「いいんですか!?」
由依は、時々驚くほど思い切りがいい。
こういう行動力があるから、アルバイトに飛び込んでこれたのだろう。
積極的なのかもな。
勇気を出してラテアートを見せたかいがあった。
由依を連れてカウンター内に入る。
赤いエスプレッソマシンの前に来ると由依は感嘆の声を出した。
「本格的!」
思わず苦笑してしまう。
「業務用だから」
由依はしまったと口に手を当てた。
「ごめんなさい。ここは喫茶店ですもんね。本格的で当たり前でした」
「ん、俺も初めてのバイトんとき思い出した」
エスプレッソとミルクの泡を二つずつ作って、片方を由依に渡した。
説明しながら、エスプレッソが入ったカップを傾けて、ピッチャーのミルクを注いでいく。
由依も真剣に真似し始めた。
「え、なんで?」
「うそうそうそ!?」
「待ってまって!」
大騒ぎしながらも完成させたラテアートが二つ、カウンターに並んだ。
「どうですか?」
由依は期待した顔で見てくる。
どう? どうって……。どぉ、答えればいいんだ!?
由依のラテアートは、画伯だった。
丸い輪郭はアゴがシャクレ、耳も先が尖り、左右の目の位置がズレて大きさも違う。
何かしら褒めてあげたいのだが、かわいいとは言い難い。
「実に……」
「実に?」
「実にアバンギャルド」
絞り出した感想に由依の時が止まる。
「アバン……ギャルド?」
やってしまった!
「ほら! ラテアートって右手と左手が違う動きをするから」
焦るせいで、しどろもどろになる。
「私、ピアノもそこで練習やめちゃったんですよね」
由依が両手で鍵盤を弾く真似をした。
おどけているのか判断しづらい。
「すぐイライラしちゃって」
「短気には見えないけど」
「周りの人には、よく気が短いって言われますよ」
意外な一面を知る日だ。初日にしたゲームより打ち解けてきた証拠かな。
「うちの微笑むロングメイドさんは、短気でピカソみたいな絵を描く。True or Doubt?」
「ピカソみたいな絵? 空間が歪んだあの絵?」
由依の目つきが鋭くなった。
「アバンギャルドってそういう意味?」
見た感想を聞いてきたのは、そっちなのに……。
短気というのは本当らしい。
由依は鋭利な刃物のような視線で七里を射止め、七里は言い繕うタイミングをはかる。
コーヒー香る静かな店内なのに、互いに好敵手と対峙しているかのような錯覚があった。
まさか……、ね。
七里は、無意識に由依の体形を分析していた。
つま先からふくらはぎのラインは瞬発力のあるしなやかさを持っている。
メイド服で隠れた部分は想像でしかないが、他のアルバイトが重いというトレイを難なく持てる。
そして……。
カロンカロンとウィンドウチャイムが鳴った。





