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恋は盲目、隙だらけ。

作者: ぽんぽこ狸





 ロイエンタール公爵家、それはこのアスティリア王国にとってとても重要な家系である。


 もともと精霊の力が強く魔力が豊富なアスティリア王国は、国土のすべてが深い森に包まれ、精霊が住まう土地であった。


 実際すぐ隣の領地でもあるクラッセン伯爵領は今も領地の九割以上が深い未開の森に閉ざされている。


 他の多くの領地もクラッセン伯爵領とまではいかないが、強い魔力を持った森が存在しており、それらの森から魔獣が一切出ないのはロイエンタール公爵家にある国宝の恩恵であると古い言い伝えがあった。


 そのロイエンタール公爵家の跡取り娘であるオリヴィアは、侍女が重たい扉を開けるのを静かに待って、聖堂の祭壇がある部屋のさらに奥、最奥の間へと足を踏み入れた。


 大理石でできている小さな小部屋は、国宝を保管するのにふさわしいような調度品があつらえられて柱には職人たちが趣向を凝らした意匠が刻まれていた。


「……あら、クリスティアーナこちらにいたのね」


 その国宝の目の前に一人の少女の姿を見つけてオリヴィアは笑みを浮かべて声をかけた。


 すると彼女はゆっくりと振り返り、陽だまりのようなおっとりとした微笑を見せた。


「お姉さま。同じ時間に来るなんて偶然。驚いちゃった」

「そうね。あなたはあまりこの場所には来ないとから、本当に偶然。もう魔力はささげたのかしら?」

「い、いいえ。ほら、なんていうかわたくしはね、そういうのは」

「ああ、そうだったわね。いいのよ、これはわたくしの役目だもの」


 オリヴィアは妹のクリスティアーナとそう短く言葉を交わし、一歩後ろに下がる彼女の代わりに前に出て、壇上に置かれている美しい枝に触れる。


 名画の額縁のような仰々しい鉢植えの中には上等なクッションがしかれその隙間にキレイに収まって伸び伸びと枝を伸ばしているそれは”精霊の裁可”と呼ばれる国宝だ。


 触れて魔力を通せば、淡い小さな魔力の光の粒が透き通った水晶のような枝の中を流れて枝先からフワフワとした光を放出する。


 ……この地をつかさどる精霊さま、精霊王さま、今日もアスティリアに穏やかな日々をありがとうございます。


 心の中でそう感謝を告げつつも、目的を達成してため息をついた。


 それからゆっくりと振り返りクリスティアーナの方へと視線をやった。


 もちろん彼女もきちんとしたロイエンタール公爵家令嬢であり、オリヴィアと違って跡取りではないが立派な貴族だ。


 そんな彼女がここにいることが珍しいと言ったのは、そのままの意味で、あまり彼女が信心深い方ではなく、精霊の裁可にまつわる古い言い伝えをあまり信じていないからだ。

 

 おのずとこうして魔力をささげて、感謝を伝える祈りをあげることも多くはない。


「……相変わらず、精霊の裁可はキレイ。お姉さまも毎日ここで祈りをささげているし、とっても立派……でもいいんじゃない? あんまり気負わなくたって、別に枯れるわけでもあるまいし」


 彼女は少し間を置くと、気まずそうに言葉を探して少し笑顔をぎこちなくして言った。


「たしかに、植物ではないから枯れることもないし、魔力を通して祈ってもなにかすぐに変化があるわけではないけれど、これがロイエンタール公爵家を継ぐ者の使命だもの」

「そんなの、わかってるよ。ただ、ちょっと疲れないのかなって思っただけ」

「それは……たしかに、重荷に感じることもあるわね」

「ね、そうでしょ? たまにはほら王都のほうへと遊びに行ってみたり、そうそう、旅行だってわたくしたちみたいに若いうちじゃないと楽しめないでしょ?」

「ええ、馬車の長旅は歳をとると体に堪えるそうだから。わたくしも行ってみたいと思うわ。あなたはこの間も南のほうへと海を見に行ったのだっけ?」


 オリヴィアは少し思考を巡らせて、わざとそう問いかけてみた。それがどんな目的の旅行だったか、オリヴィアは間違いなく理解している。


 けれども、それを彼女がどう判断しているか、もしくはまったく勘ついていないのかわからないがその話を出すととたんに彼女は表情を明るくした。


「そうなの! やっぱりいつものお屋敷からの景色とは違う場所を見られるってとっても素敵、それがさらに……大切な相手との旅行ともなると忘れられない思い出になるの」

「それはいいことね」

「ええ、今度、お姉さまもアルフォンス様と行ってみたら? 提案すれば案外ついてきてくれるかも」


 クリスティアーナのその言葉を聞いて、オリヴィアは逡巡した。


 アルフォンスはオリヴィアの婚約者で、縁の深いクラッセン伯爵家の子息だ。


 しかし、彼とはそんな旅行の話をするような関係性ではない。オリヴィアはこのロイエンタール公爵家の後継者として今でもやるべきことが山ほどある。


 社交の為に王都に行くことはあっても反対側の南側への旅行など夢のまた夢であり、さらにアルフォンスと予定を合わせるとなると不可能当という文字が頭に浮かぶ。


 ……それに、どの口が。なんて言ったらこの子どんな顔をするかしら。

 

 オリヴィアは浮かんだその意地悪な考えをおくびにも出さずに「助言ありがとう。考えておくわ」と平然と返す。


 その様子にクリスティアーナは安心したのか、また愛らしい笑みを浮かべて「そうして」と短く言って最奥の間からは駆け足で去っていった。


 その後ろ姿を眺めて、それから再度、精霊の裁可へと祈りを捧げそれから最奥の間を出る。すると聖堂の祭壇の前、説教を聞くために置かれているイスに今度は少年が座っているのが目に入る。


 彼は、オリヴィアを見つけるとぱっと表情を明るくし柔らかい金髪をふわりと揺らす。それをみてオリヴィアは意識せずとも自然に口角が上がって声をかけた。


「ヨルク、いらっしゃい。もしかして待たせてしまったかしら?」

「ううん。全然。ちょっとの時間だったよ。ところで、さっきクリスティーアナが出てきてさ、見つからないように隠れるの大変だったよ!」


 そばによるとヨルクは立ち上がり、オリヴィアの方へと前のイスの背もたれに手を置いて身を乗り出すようにして言った。


 その言葉に、クリスティアーナがいたことを思い出してオリヴィアは少し肝が冷える。


「そうだったわね。でも見つからずに隠れてくれたのね、よかったわ、あなたが従者を連れあるかない質で」

「お忍びで来てるんだから、そんな間抜けなことしないよ」


 ヨルクは子供っぽく口を開いて笑うが、子供っぽいと言ってももう十五歳も近い、子供というには少々男性らしくなってきた。背だっていつの間にかオリヴィアと同じぐらいになっている。


 貴族として、社交の場に出るときには、優雅に大人らしく振る舞うようにもなってきた。しかしこうしてオリヴィアの前になると少し幼く見えるのはヨルクが少なからずオリヴィアに心を許してくれているからだろうか。


 そんなことを考えながらも、ヨルクの言葉に、オリヴィアは少し呆れたような気持ちになって苦笑した。


「間抜けなこと……ね。する人もいるわよ」


 誰のこととは言わずにそうヨルクに言えば、彼は少し考えてから、同じように苦々しい笑みを浮かべた。


「あの人は、ほら、根っからの人だから」

「ええ、根っから。自分が優先されて自分だけが有能で自分がすべてうまくやっていると信じている」

「どうして、ああいう人がいるんだろう。クリスティアーナも僕もオリヴィアもあの人も皆貴族っていう同じ立場で育ったのに」

「なんでかしらね。わからないわ。……どうして、すれ違ってしまうのでしょうね」

「ね」


 同意するように短く言ってヨルクは、うーんと少し考える。


 ……わからないけれど、強いて言うなら、周りへの関心度の差とかなのかしら。


 適当に理由つけをしてみるけれどそれが正しいことかどうかは判断できない。オリヴィアだって自分の周りの環境をすべて正しく把握できているわけではないのだから。


 本当に正しいことなど誰にも、真の意味では理解などできないだろう。


 世界とは及ばないものだ、こうして人として生まれついたからにはきっとみんなどこか至らない見落としている部分があるのではないかオリヴィアは精霊の裁可を見るたびにそう思うのだ。


「っと、その話ももちろん興味深いけどさ、けどさ。オリヴィア、そろそろ、だね。準備は万端だよ」


 どこにいるかもわからない神にも等しい存在である精霊たちのことを思い浮かべて少し遠い気持ちになっているとヨルクは考えることに飽きたのか話題を変えて、悪戯を企む子供のような表情をした。


 その言葉に、オリヴィアも気持ちを切り替えて深く頷いた。


「ええ。ありがとう、わたくしのほうも根回しも手はずも整っているわ。後は、彼ら次第。どういう結末になるにしろ、最善を尽くしましょう」

「うんっ」


 元気よく返事をするヨルクに、オリヴィアは新たに決意を固める。


 これからなにが起こるのか、将又、なにも起こらないのかそれは、神のみ……いいや、クリスティーアナたちのみぞ知ると言ったところだろうか。







 準備を整えてからしばらくののち、なにも起こらないのではないかとオリヴィアは可能性を見出していた。


 しかし、その淡い期待ともいえる気持ちは軽く打ち砕かれる。


 オリヴィアは折り入っての話があるというクリスティアーナの言葉に、方々へと連絡し彼らが入室したことを確認し、最終確認を終えて応接室の扉を開ける。


 中ではアルフォンスとクリスティアーナが寄り添うようにソファに座っており、まるでオリヴィアは部外者であるかのように彼らの対面に腰かける。


 契約上も、周りの人間からしても彼らの間には兄妹の婚約者以外の関係性はないことになっているのに、そうして寄り添う。


 そのことを隠さなくなった様子にオリヴィアは確信をもって切り出した。


「……そういうことね。あなたたち、恋仲なのでしょう?」


 平然とした様子で問いかけてくるオリヴィアに、クリスティアーナもアルフォンスも驚いたような顔をしてクリスティアーナのほうが口を開いた。


「し、知ってたの!? お姉さま」

「……」

「わかっていたのに、黙ってくれていたの? ……ごめんなさい、お姉さま。わたくし、お姉さまにつらい思いを」

「俺からも謝罪させてくれオリヴィア、ただ君は後継者教育のために必死だっただろう?」


 落ち込んだ様子のクリスティアーナをアルフォンスが肩を抱いて、慰めながらもオリヴィアに言った。


 ……たしかに、昔からそのせいで彼からの誘いを断ることが多かった。けれどもわたくしは跡取りとして生まれついて、そういう生き方をするほかない。それを婿に来るのだからあなただってわかっていたでしょう。


 彼の言い訳のような言葉にオリヴィアは少し冷たい気持ちになって、無言を返す。


「幼いころから予定を断られ続けて、俺にだって俺のやるべきことがある。おのずと君を誘うことは少なくなって俺たちはすれ違い始めた」

「……そうね」

 

 アルフォンスの言葉に小さく頷いて返す。


「そんな時、俺は気がついたんだ。俺には……クリスティアーナがいる。君と会えない間も無邪気に俺を見ていてくれた可愛いこの子が俺にはいる」

「アルフォンス……」

「ただ、深く愛してしまったんだ。オリヴィア。すまない。婚約者の兄妹に思いを寄せるなんて不埒な男のすることだ。そんなことも理解している」


 オリヴィアはまだなにも言っていない。けれどもアルフォンスは自分語りをやめようとはしない。


 自身が悪いと言いながら、オリヴィアに責められる前に、悪いことはわかっているんだと開き直る姿に彼のプライドの高さを感じた。


「……」

「それでも、クリスティアーナと交流を重ねていくうちに、そんな罪の意識も薄れ、気がつけばこうしてお互いに大人への階段を登ろうとしている。このままでは俺たちは一生この浮気な関係から抜け出すことが出来ない」


 まるでそれが苦悩のように言っているが、本当にそうだろうか?


 べつに、責めたことなどなかったのだから、むしろそのままなにもせずにいたほうがずっと良かったのではないか。こんなふうに寄り添って姿をオリヴィアの前に現すぐらいなら、ひっそりと愛し合ってくれていた方がいい。


 その方がまだ、裏切られたという気持ちは小さくて済んだのに。


 傷つくつもりはなくてもそんなふうに思ってしまって少し眉間にしわを寄せた。


「だから二人で話し合って決めたんだ。オリヴィア」

「はい」

「婚約を解消したい。好きな人が出来てしまったんだ。それが君の身内だった、ただそれだけのことなんだ」

「お姉さま、お願い、わたくしもね、ただ愛しているの。アルフォンスと結ばれたい。胸を張ってそばにいたい」

「頼む。もちろん俺たちは爵位もなにも持たない。お互いの両親だってそんなことを認めないだろう。それでもなにもいらないからただ、二人で愛し合いたいんだ」

「そうなの。お姉さまの前から消える。だからほんの少しだけ協力をしてほしいの」


 ……来たわね。


 今までの言葉だけならば、あとは二人の問題で、そこまで愛し合ってしまったからには二人で駆け落ちをするなりともかく逃亡をするほかない。


 なにも望まないという言葉が本音であればそもそも婚約解消など必要がないのだ。だって勝手に逃げればいいから。

 

 彼らはオリヴィアからそのほんの少しの譲歩を引き出すためにこうしてわざわざ話し合いの場を設けたのだ。


 それを知っていたオリヴィアはクリスティアーナの真剣な言葉に心を打たれたような顔をして引き出すようなつもりで問いかけた。


「協力って?」

「……手伝って欲しいの、アスティリアの南側、向こうのヴァンデンベルクにわたくしたちが逃げられるように、馬車を手配してほしい。お父さまたちに気がつかれても逃げられるような……上等なものを」

「というと、追い風の馬車ね」


 クリスティアーナがなにを求めているのか、彼女はみなまで言わずに察してほしいとばかりにオリヴィアに視線を向ける。


 仕方がなくオリヴィアから提案するように、ロイエンタール公爵家が所有している魔法の馬車のことを口にした。


 追い風の馬車はその名の通り、風の魔法が組み込まれていて魔力を込めれば風を起こし、その力によって馬は疲れず、普通の馬車よりもずっと早く移動することが出来る魔法具だ。


 しかし、常日頃から使うような代物ではない何者かの襲撃があった場合やすぐに駆けつけなければならない時にのみ使う大変貴重なものだ。


 それを駆け落ちをする二人のためにオリヴィアに用意してほしいと、それがクリスティアーナとアルフォンスの目的だ。


「それにしても大胆ね。精霊の裁可ほどではないけれど、追い風の馬車だって他国に行くあなたたちが持って行っていいようなものではないわ」

「それは、もちろんわかっている、しかしロイエンタール公爵家も持参金をもって嫁に行く娘が減るんだ、損失は同じ程度だろう?」


 アルフォンスがそう口にして、納得させようとするがまるで違う。


 クリスティアーナがきちんと嫁に行ってそのための持参金を持っていく場合、相手となる貴族家とは大きなつながりが出来る。協力し合うメリットは大貴族であるロイエンタールにだってあるのだ。


 それに比べて馬車を貸し出せば返ってくることはまず見込めない。ただ単に損失を被るだけだ。


 貴族であればその違いぐらい理解できるだろうと思うけれども、それを今ここで訂正したとしても、きっと彼らはそれでもお願いだと食い下がってくるだろう。


「……」

「お願いだオリヴィア、きちんと婚約も解消してから向えば君はすぐに新しい相手を探すことが出来る。クラッセン伯爵家は渋るだろうが俺のサインがあれば無理を通すこともできるだろう?」

「お姉さまのこと、わたくしたちだってきらいなわけじゃないの。迷惑は出来るだけかけないようにするし、わたくしたちの選択だってきちんと書置きも残すから」

「ああ、君だってこんな、婚約者の兄妹を愛してしまうような男は嫌だろう? どうかここは、君の力で俺たちを救って欲しい」


 彼らはそろって頭を下げた。


 これで彼らの要望は出し切ったらしい。


 低い位置にある二人の頭を見て、それからオリヴィアは少し逡巡してそれから胸に手を当てて、緊張を解すように深く息を吐いた。


 厚かましいけれど、それでもたしかにこの二人が言っていることはオリヴィアに利がないわけではない。それは、こんなことを提案してしまうような妹と、婚約者をまったくの無関係にできることである。


 婚約の解消の手続きをしてから出て行ってくれるのはオリヴィアも助かるし、自分で配偶者を選べることはオリヴィアにとって価値になる。


 ……しかし、だとしても隙だらけ。


 思考を切り替えてオリヴィアは、クリスティアーナにもアルフォンスにも今まであった微かな情を捨てて冷徹な気持ちになった。


 彼らも本気で準備をしているようだったからもう少しまともな話かと思えば、そもそもこの提案だって簡単に蹴ることができる隙だらけなものだ。


 こんなことを企んだ時点で、アルフォンスとの婚約破棄など簡単にできるし、不貞行為の証拠などとっくに取ってある。


 それを使えばオリヴィアは自分の配偶者を選ぶことなどできるし、さらに厄介事を起したクリスティアーナをアルフォンスから引き離し、若くて見目が良ければ誰でもいいという貴族の元に嫁に行かせて持参金どころかお礼金をもらえばいいのだ。


 つまりは売り払ってしまえばいい、そうすればロイエンタール公爵家にとってきちんと利益になって、オリヴィアはこんなことをする妹も婚約者も手放すことが出来る。


 それをまずはわかっていない。


 そして表面上の作戦の拙さもさることながら、彼らの水面下で動かしている本当の目的についても杜撰で稚拙でどうしようもないものだ。


「……顔をあげて二人とも。なにもわたくしだって意地悪じゃあないのよ」


 オリヴィアがそう言えば彼らはそろってばっと顔をすぐにあげて「じゃあ!」っと希望に満ち足りた声で言った。


 その様子にオリヴィアは少し笑いが漏れてしまいそうだった。だってあまりにも滑稽だったから。


「ただ、あなたたち二人がね。本当に、根っからのおバカさんでさらに、盲目な恋に落ちていたから、それだけ」


 ついにはにこりと笑ってオリヴィアはそう続けた。気分は高揚して、ああ、自分が意地悪ではないという言葉だけは嘘だろうなと自覚した。


 騙せるつもりでいる彼らに、ついに自身の愚かさを自覚させられると思うと心臓が強く脈打って多幸感に包まれる。体が熱くなるのを感じるまま、パンパンと短く手のひらを打った。


 すると応接室の扉が開き、そこには鉢植えを抱えたヨルクの姿があり、後ろにはずらりとロイエンタール公爵家お抱えの騎士たちの姿があった。


 ヨルクは、トコトコと歩いて三人によく見える位置まで移動する。


 その手に抱えられている鉢植えには、精霊の裁可に似ても似つかない神々しさをこれっぽっちも模倣できていないガラスでできたなにかが生けられている。


 かろうじて精霊の裁可の模造品のつもりだろうと判別できるような粗雑な品であるが、彼らにとっては至極まっとうに心血注いで作った偽物だ。


 それがこうしてオリヴィアや多くの人の前にさらされている様子を見て、二人とも声を失って目を見開く。


「盲目な恋に落ちて、隙だらけの計画をたてたあなたたちがただ愚かなだけ……ね?」

「は……はぁ?!」

「これは、どういう……」


 混乱した様子のクリスティアーナに、部屋に入りきらない騎士たちを見つめてギョロギョロと視線を動かしているアルフォンス。


 混乱している様子の二人にオリヴィアは、仕方がないので続けて言った。


「あら、まだわからないの? クリスティアーナ、アルフォンス。本当にあんな罠でわたくしを陥れられるとお思いだったなんて、呆れてしまうわね」

「な、なに! ど、どういうこと!? だって、わたくしたちの計画は……」

「そうだ、俺たちの話を親身になって聞いてただろ! 今までだって気が付いていなかったはずっ、それがこんなっ」


 彼らはさらに混乱した様子でその能天気さにオリヴィアは苦笑して、そばで精霊の裁可の模造品を持っているヨルクに目を合わせて二人でくすくすと笑う。


 仕方がないので一から十まで説明してあげようと口を開いた。


「まずね、あなたたち、自分たちはとても賢くわたくしや家族を欺いてひそかな関係を結んでいるつもりでいたようだけれど、それがそもそもまったくの間違い。わたくしだって気がついていたし、お父さまもお母さまもみんな知っている」

「そんなはずないだろ!」

「それは誰にもなにも言われなかったから? 言ったってどうせ聞かないでしょう? だから誰も何も言わなかったのよ」

「で、でもなんでそ、それを……」


 どうやら目の前にある罪の証の方がクリスティアーナは気になっているようで、オリヴィアは続けて言った。


「そうね、何故って? わかっていたから。あなたたち二人が想い合っていることも、わたくしをやっかんでいることも、それからアスティリアの大切な国宝を盗み出してヴァンデンベルクで売り払い、悠々自適な生活をおくろうとしていることも、ね」

「っ!」

「さ、さぁ、なんのことだか……」

「今更とぼけたって無駄よ。証拠はこちらにあるのだもの。しおらしくこの家のことやわたくしのことを考えて身を引いて駆け落ちをするようなことを言っておきながら、企んでいたのでしょう?」


 二人は、必死に思考を巡らせてどうにかこの場を切り抜けようとしているらしいがそうはいかない。すでに、彼らはオリヴィアの手のひらの上にいるのだ。


「わたくしに馬車を出させて、精霊の裁可を模造品とすり替えて持ち出す。追い風の馬車の力で追いつけない状況なら、こんなあからさまな模造品ですぐにあなたたちが持ち逃げしたことに気がついたとしても追い付けない」

「……」

「……」

「もちろんわたくしが馬車を出したのだから一番に疑われる、最悪共犯者だと思われるかもしれない、だから父や母に管理を任されている精霊の裁可が偽物になっているという事実を、わたくしが隠蔽すると考えたのでしょう」


 彼らが考えていることなどお見通しだ。というかむしろわかりやすすぎてなにかほかにもっと張り合いのある新事実はないのだろうかと彼らを見つめる。


「わたくしが隠蔽すれば、さらに追手を出すのが遅れるしあなたたちは無事にヴァンデンベルクに逃げ延びる可能性が大きくなる。この間はそのための下見に行ったのだものね。それも知っているわ」


 しかし、オリヴィアの言葉に二人とも、俯いてどうにか策を考えている様子だがなにも言い返してこない。


「この国から動いたことのない精霊の裁可の本当の効力は誰にもわからない、けれども魔獣の出現が相次いで困っているヴァンデンベルクなんて、喉から手が出るほどどんな汚い手段を使っても欲しいでしょうね」


 問いかけるように言葉を重ねる。


「それを持っていけば、あちらで爵位を得られる可能性も十分にある。自分たちの罪を悔やみしずかに身を引くのならばまだしも、こんなことを企んでこの国の安寧すら脅かした。その罪は……重いわよ」


 静かに告げると、おそるおそる顔をあげたアルフォンスが、ぎこちない笑みを浮かべて言う。


「そ、そんなおぞましいこと、考えているわけがないだろ……!」


 するとクリスティアーナもそれを合図に口を開く。


「そうよっ! そんなのお姉さまの妄想じゃない、ただわたくしたちは……ええと」

「思い出の品を模倣して持っていきたかっただけだ!」

「そう、そうなのっ!」


 彼らは助け合って適当な言い訳を作り出し、二人で目を合わせて反撃開始だとばかりにオリヴィアへと視線を向ける。


 しかしそこにヨルクのまだ声変わりしていない軽やかな声が響いた。


「妄想なんかじゃない」


 彼の少年然としている高い声にその場の注目が集まる。


「僕のこと、忘れてもらっちゃ困るよ。兄上。兄上たちが二人でこっそり仲良くなって作戦を立ててる間、僕らにだって時間はあったよ。自分たちだけが人を出し抜く知恵を持ってるなんて大間違い! 僕はずっとオリヴィアに協力して兄上たちがヴァンデンベルクと繋がってる証拠もちゃーんと持ってるんだから」


 彼は少し自慢げにそう言った。そしてそれから、どうだとばかりにオリヴィアに視線を送る。その子供らしい様子にオリヴィアは後でたっぷり褒めてあげようと目を細める。

 

 すると、なんとか見つけた言い訳を封じられもう、言い逃れは出来ないことを悟ったアルフォンスは舌打ちをしてギロリとヨルクを睨みつける。


 クリスティアーナはオリヴィアのことを睨みつけた。


「いいじゃない……どうせ、老人たちの戯言なのに……あんなただの枝ぐらい持っていったってわたくしにくれたって……それなのに、ケチ、過ぎる……」

「……」

「いっつもお父さまたちに媚びちゃって偉そうにっ、偉そうに! ……アルフォンスだってそんなお姉さまだったから――」

 

 膝の上で拳を握って、もうなすすべがないことを悟ったクリスティアーナは憎々し気な声でオリヴィアに呪いのような言葉を吐いた。


 その様子はもうなにもオリヴィアの心に響くことはない。


 もう妹とも思えない。もう他人で関係がない。どうでもよくて振り返って騎士に捕らえさせようと考えた。


「なに言ってんの! オリヴィアは悪くないし、正当化できるわけないよ! だって浮気して、騙して国宝を盗もうとしたんだ、誰かのせいになんてできるわけないじゃん! 僕より年上のくせにそんなのもわからないんだ!」

「なんですってぇ!?」

「だから、オリヴィアは悪くないって言ってるんだ! 悪いのは君らだろ人のせいにするな、泥棒ネコ!」

「ヨルクゥ、お前……」


 ヒステリックに叫ぶクリスティアーナにヨルクはわざわざ彼女の言い分を否定して、ずいっと顔を突き出して彼女を睨みつける。


 ……泥棒ネコってわたくしが言うセリフじゃないの、ヨルク。


 彼のワードセンスが少し可笑しくてオリヴィアは冷たく氷のようになった心が解けて笑みを浮かべる。


 それからオリヴィアのことで怒ってくれる彼はやっぱり子供っぽくてそしていい子だと思う。


 しかし、そんなオリヴィアの気持ちなど関係無しに、ことは動く。


 クリスティアーナに文句をいわれたアルフォンスはこらえきれないとばかりに立ち上がってヨルクに掴みかからんと手を伸ばす。


 ヨルクは抱えていた鉢植えを落として、騎士にオリヴィアはすぐに合図をしたけれどもアルフォンスは拳を振り上げた。


 ……ヨルクッ。


 オリヴィアも咄嗟に立ち上がった。昔から仲の悪い兄弟だった彼らだったが、ヨルクが喧嘩に勝ったという話は聞いたことがなかった。


 鉢植えが床に激突して衝撃で枝を模したガラスが大きな音を立てて割れる。


 あまりの派手さに、なにかとんでもないことが起こってしまった様な気がしたけれど、パシッとアルフォンスの拳は止められて、ヨルクはじっとアルフォンスを睨みそれからぐっと拳を握ってみぞおちに打ち付けた。


「まだ勝てる気でいたの? 僕だってこれでも男だからっ!」

「グハッ」

「……兄上が恋とか愛とかに浮かれて、なにも見えなくなってる間も、ちゃんと修練してたから」


 腹を抑えて蹲るアルフォンスにヨルクは軽蔑の視線を向け、すぐにクリスティアーナも共に騎士たちに捕らえられる。


 抵抗する二人だったが、騎士に勝てるはずもなく、難なくお縄につきオリヴィアはほっと一息ついた。


 それからパタパタとヨルクの元へと駆け寄って、その手や顔、足にもなんの傷もないことを確認する。


「よかった。ヒヤッとしたわ。ヨルク。すぐに騎士を動かすべきだったのに」

「いいよ。僕が言いたかっただけだし、それよりごめんね模造品壊れちゃった」

「そんなことはいいのよ。騎士たちも目撃者として証言をしてくれるでしょうし、王族直轄の騎士も数名招集しているから彼らの証言なら大丈夫でしょう」

「さすが、オリヴィア。すごいね!」


 素直に褒めるヨルクの笑みに、ぎゅっと彼を抱きしめたいような心地になった。


 ともかくヨルクが無事でよかった。それにしてもいつの間にアルフォンスに勝てるようになったのだろう。


「僕が計画立ててたら今頃、二人して青くなってたよ」


 少しふざけたように言う彼にオリヴィアはいまさらながらに思う。


 気がつけば出会った頃から身長も伸びているし、目線だってきっちり同じで、手も足も大きくなって見違えるほどとはいかないけれど彼は変わっていっている。


 できる限り視野を広く持とうと思っているオリヴィアだったが案外近くにいすぎて、見えにくくなってしまっていることもあるのだなと思う。


 ……それが、あの二人みたいに破滅への道につながるとは思わないけれど、わたくしも気をつけなければね。


 そう思い直したのだった。






 元婚約者だろうが、ヨルクの兄だろうがたとえ隣の領地の貴族だろうが、オリヴィアはためらうことなく淡々と処置を進めた。


 アルフォンスは国で所有している国宝を他国へと売り払おうとしたためにその罰則も大きく、反逆罪としてクラッセン伯爵家全体が処分された。


 ただし、そんな下らないことでヨルクの将来を危うくするのはオリヴィアの望むところではないな。


 なのでしっかりと爵位の継承者で告発者であるとヨルクをたてて、彼には自分の家族よりも、国王陛下への忠誠を優先し告発した忠義者という立場になってもらった。


 そして爵位と領地をきちんと相続したのちに、多くのものを売り払って彼はロイエンタール公爵家へと婿入りした。

 

 財産を継承するための爵位であったため伯爵位は返上し、クラッセン伯爵領は周辺領地に吸収されてなくなった。


 アルフォンス自身はというと、愛したクリスティアーナとともに監獄に入っている。


 大罪人であるため当然だが、同じ場所にいるのだから、盲目な恋に落ちてそばにいたいと願った彼女たちには満足の結果ではないだろうか。


 ……まぁ、どこかで一目すれ違うことがあるかもしれないというだけで、共に過ごせるわけではないのだけれどね。


 そう心の中で付け加えて、オリヴィアは切り替えるようにふうと息を吐く。


 そんな意地の悪い皮肉ばかりの心の声など、やはりよくないと思っていていてもつい出てきてしまうもので、こういう自分はあまり好きではないのだがどうにも収まるものでもないらしい。


 仕方がないオリヴィアはどうやらこういう性分らしいのだ。


 それはもうあきらめるしかないだろう。けれども、一時的にそうではなくなる時もある。


 気持ちを切り替えてオリヴィアは、彼がよくいる屋敷の裏手、騎士たちの訓練場のある方へと向かった。


 騎士たちに交じって木剣で模擬戦をしているヨルクの姿を発見して、オリヴィアはしばらく声をかけずに眺める。


 彼を引き込んだからには最後までと、こうして自身よりも年下の夫を娶ることになったが、未だに実感はあまりわかない。


 必死に大人たちに食らいつき剣をふるうその姿を見てもオリヴィアは元気に頑張っているなという印象以外を受けたりしない。


 それはきっとヨルクも同じで、親戚のお姉さんとなんか仲がいいぐらいに思っているに違いない。


「あ、オリヴィア!」


 しばらくすると彼はオリヴィアへと気がつき、騎士団の人間はそれに機にしてしばらく休憩とした。


 そばにあるベンチに腰かけて、オリヴィアは話を切り出す。


「本日、無事に裁判も終わって収監されるそうよ。あれからいろいろあって期間が開いたけれどこれで一件落着といったところかしら」


 誰のこととは言わなくともヨルクは適当に汗をぬぐってそれから「よかったね」と目を細めて笑う。


 昼間の強い日差しが彼の金髪を美しく輝かせていて、笑みも相まってどこか輝いて見える。

 

「よかったねっていうか……よかったっていうか。僕は世間から当事者みたいに思われているけど、オリヴィアが大体のことをやったし」

「そうでもないわ。あなたがいたから、苦労しなかった部分も多いもの」

「そお? 少しは僕もオリヴィアの役に立ってるのかな」

「ええ、十分に」


 深く頷くと、ヨルクは少しオリヴィアから視線を外し訓練場の方へと目をやった。


「それならいいんだ。あーあ、これでやっと自由になる。あの人たちは馬鹿だよね。すでにたくさん恵まれてなんでも持っていたのに」

 

 ヨルクは思い出すように彼らのことを改めてそう形容した。


 たしかに、その通りだ。


 オリヴィアやヨルクには持っていなかった自由を彼らは持っていて、その結果手に入れたものだけを本当に大切にしていたのならばこんな結末にはならなかっただろう。


 跡取りとして家に束縛されていたヨルクも、土地や場所に縛られる感覚をよく理解している。


 それを持つことは幸福であり、同時に苦悩でもあるのだ。


 だからこそ、持たない彼らは自由でその自由さが生んだのが今回の結末だ。


「そうね。あんなに盲目になるほど好きな人がいて、どこへ行ったって許されると思える。それだけで十分に恵まれていたのにね」

「うん。そうだよ。そこだけは、ちょっと良いなって思ってるよ。僕、あのぐらいさ、周りが見えなくなるぐらい…………」


 ヨルクは途中で言い淀み、オリヴィアは黙った彼にしばらくしてから隣からのぞき込むようにヨルクを見た。


 しかし、ヨルクはオリヴィアと目を合わせて、それから少し頬を染めて言う。


「人を好きになりたいし、なってほしい」

「……」

「……」

「……」


 その言葉にオリヴィアは思考を停止して黙った。しばらく逡巡してそれから一度口を開いた、けれども閉じる。


 それから二人の間に誰かの足音すら響くような沈黙が流れ、そしてオリヴィアはやっと納得して口を開く。


「ああ、ええ、そうね。できることならやってみたい。なれるものならなってみたい。どんな世界に見えてるのか興味があるものね」

「! ……う、うん。そうなんだ」

「あら、そろそろ休憩も終わりじゃない? 騎士団の方が呼んでいるわ」

 

 オリヴィアは丁度いいタイミングで集まりだした彼らのことを指摘して、急いで訓練場に走っていくヨルクの背中を見送った。


 それからすぐにベンチを立ち、早歩きだけれど決して急いでいるとはばれないように、足を動かす。


 屋敷の中に入ると日差しがさえぎられてひんやりとした空気があたりを包む。しばらく歩いてから、無駄に顔が熱くなってその場にしゃがみ込んだ。


 ……え? わたくしのことを言っている?


 そうして初めて、盲目な恋の始まりを知ったのだった。






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