拗らせギャップの幼馴染の婚約事情
『性悪幼馴染のギャップにはついていけません!』(https://ncode.syosetu.com/n1484kp/)の続編になります!
今回はアルベルト目線の幼少期の話もあります。よろしくお願いします!
見慣れてきた天井を見つめて、目が冷める。ここは公爵家。もっと言えば、幼馴染であるアルベルトの私室。シンシアはベッドの上。横にはその部屋の主。抱え込むように抱かれてしまっている。気だるい体でされるがまま。もはやこの状況を受け入れ始めてしまっている。
「そろそろ帰らないと……」
部屋に差し込む日は明るい。もう時間は昼に近い。このままズルズルいたらまた今日のディナーも誘われ家に帰れなくなる。もぞもぞと動き出そうとすると、まだ眠気眼なアルベルトが更に密着してくる。
「やだ、まだ、もうちょっと……まだここにいて……帰らないで」
アルベルトが起きれないように腕を回してひっつき虫みたいにがっちり抱きしめ捕まえる。婚約時、契約で結婚までは毎週必ず顔を合わせる項目を追加した。こんなもの追加しなくてもほぼ頻繁に顔を合わせていたようなものなのだが。お陰で毎度ディナーの時はそのままお泊りコースで朝、否、昼までこれだ。昨日だって、いや今日の朝方だって起きる度に何度も求められては落ちてを繰り返したか。一体あの気力と体力はどこから生まれてくるのだろうか。婚約、やっぱり早まったかもと何度思った事か。ちなみにその婚約について唯一私を気にかけてくれた子がいる。子、というのも、シンシアにとってもこれから家族になる相手でもある。
アルベルトには9個年の離れた9歳の弟、ジュリアンがいる。可愛くて兄とは正反対の性格で、シンシアを『シアちゃん、シアちゃん』と慕い、とてもよく懐いている。それこそ赤ちゃんの頃から知っている子なので、本当の弟のような気持ちでもある。そんな彼に、婚約が確定してから初めて報告したあの日——
『シアちゃん本当にお義姉ちゃんになるの!?』
正気?!——と戦々恐々と恐れ慄く顔をするジュリアンに、シンシアもそれな——と二人して同じ顔をする。
『もう一回考え直したほうがいいよ』
『やっぱそうだよね』
ひしっと抱き合うシンシアとジュリアンを見ていたアルベルトが「おい……」と不機嫌オーラ全開でいたのは言うまでもない。
——とまあ実の弟にもそんな評価で言われようのアルベルトだが、意外にもジュリアンの方は兄のことも好いている。一方アルベルトは若干鬱陶しく感じているようだが。
未だ隣でくっついている婚約者をどうしようか考えながらも、この頑固な幼馴染が曲げそうもなく、とりあえずもう少しこのままでいる事にしたシンシアだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
——宮中主催の夜会が開催されると通知が来た。シンシア、アルベルト揃っての招待。皇太子直々の招待なので、欠席する訳にはいかない。婚約発表以来初めて二人で公の場に出る機会だ。顔見世の意味合いもあり、少々気合いが入る。
「いつも以上に更にお美しいですわ! シンシア様」
メイド達が沸き立つのも無理はない。着ているドレスは超一級品。肩口の広いデザインに胸元のビジュー。スカート部分はシンプルながらにもスリット部位に幾重かに重ねられた生地が動く度に揺れ、綺麗なラインを魅せる。
今回のドレスや靴などは公爵家から贈られてきたもの。アルベルトとお揃いでデザインされたものだった。二人並ぶと見栄えがいいが、シンシアは余計令嬢達を逆なでし反感を食らいそうで憂鬱だった。
玄関へ降りると、既に公爵家の馬車が横付けしており、我が幼馴染が待っていた。相変わらず嫌味になるほど麗しい。同じデザインの服でもこうも差が出ると憎らしい。
何やらこちらを見つめるアルベルトに、シンシアが横目でふんと目を細める。
「馬子にも衣装って言いたいんでしょ」
「まあ及第点だな」
顔色変えずさらりと言ってふいと先に歩き出すアルベルト。彼にしては珍しく優しい——いや、失礼だろ。こんなにめかしこんで綺麗にしてきた女性にかける言葉ではない。あまりにも一緒にいすぎて基準評価が低くなったらしい。はあと内心息を吐きながらシンシアも共に馬車の元へと行く彼についていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
会場へ着き、腕を組みエスコートされる形で中に入る。やはり婚約発表をしたお陰でざわざわとざわつき、視線を向けられ噂されているのを感じた。
「挨拶行かなくていいの?」
「は? なんで俺がお前に指図されなきゃならない」
出た上からアルベルト。本当に意味がわからないくらい偉そうな態度は何なのか。まったく二人の時の甘えた状態は一体。あんなギャップ、誰も想像つかないだろう。シンシアでさえ未だあの姿が慣れないでいる。こっちの方が安心する方も変な話だが。
「ルクセンブルク卿。婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます。ロアン侯爵」
しかし会場に入るとすぐに人が集まってきた。流石公爵家嫡男で次期当主。出向かなくても向こうから人が集まってくる。
その後も様々な人達に声をかけられ、目まぐるしく挨拶して回ったが、公爵家の仕事関係の人もいたため一度彼の元から離れようと思ったのだが、その瞬間腰に手を回され、ぐっと引き寄せられた。逃げられないようになるシンシア。
「ちょっとお手洗いに行きたいんだけど……」
「……行く」
挙句トイレにまでついてくる始末。それからシンシアの傍を微動だに離れないアルベルト。シンシアも友人達に挨拶に行きたいのだが、こんなのが付いてきたら友人に会いに行って話すのでさえ気まずい。仕方なくアルベルトの隣でちびちびシャンパンを飲んでいると、親しげにこちらへ近づいてくる影が見えた。
「アルベルト!」
「——ヨハン」
声をかけてきたのはパーティーや夜会でも何度か見かけたことのあるアルベルトの友人、侯爵家子息のヨハンだ。
「シンシア嬢もお久しぶりです。ご婚約おめでとうございます」
「ヨハン様、お久しぶりです。ありがとうございます」
明るく高らかな性格な彼は、にこやかにシンシアにも声をかける。その爽やかで優しげな顔つきは、人の良さがわかる。いつも思うが、よくこんないい人がアルベルトと仲良くしてるなとは思う。
「アルベルトもついに婚約を決めたかと思ったけど、シンシア嬢も、今まで婚約者がいなかったのが不思議ですね」
「男が寄り付かなかったからな」
余計な事言うな。隠れてギュッとアルベルトの腕を抓るも、眉一つ動かさず表情を変えない。ほんとに嫌な奴だ。
「まあでも、こいつの相手も小さい頃から一番一緒にいたシンシア嬢なら安心だな」
「お前はどの目線なんだよ」
「シンシア嬢、こいつをよろしくお願いします」
にっこりと笑うヨハンに、はいと笑うシンシア。アルベルトは本当にいい友達を持ったようだ。かくいう本人は不服そうな顔をしているが。
「——お、主役が来たようだ」
すると一際人々がざわめき立つ。皇太子殿下がご入場されたようだ。貴族たちが順々に挨拶に向かう。
「じゃあな、アルベルト」
シンシア嬢も、と彼は去っていった。階級順に挨拶に向かっている。アルベルトも早めに挨拶に向かった方が良さそうだった。
「……挨拶行くぞ」
面倒だと舌打ちをつきながら殿下の元へ向かう。公爵家であるアルベルトはウィリアム殿下とも親交があり、くだけた会話が許される仲だ。それでもその態度は不敬に当たると思うが。
「やあ、アルベルト」
こちらが声をかけるより先に、殿下が気づき声をかけてきてくれる。
「婚約者だ」
「初めまして、ハースト伯爵家のシンシア・ハーストと申します」
アルベルトの紹介にかしこまってカーテシーを行うも、殿下はいいよと柔らかく笑う。王家の象徴でもある美しく黄金に輝くブロンドに、濃く深い真っ青な瞳。彫刻のような顔立ちは、アルベルトと並ぶくらい、いやそれ以上に見るものを魅了し、令嬢たちからの人気も高い。
「シンシア嬢、来てくれてありがとう。アルベルトからかねがね噂は聞いてるよ。まさか二人が婚約するなんてね。散々アルベルトがいき遅れだなんだなんて言うから、これは私が責任を持ってもらおうかと思っていたんだ」
「——おい。ウィリアム」
「おっと、今日は最後まで背後に気をつけておかないとかな」
地を這うほど低い声で牽制し、不敬と思えるほどすごい形相で見つめるアルベルトに、にこやかに笑うウィリアム殿下。
軽くそんな冗談めかして言う殿下だが、それこそ命がいくつあっても足りないのでやめてほしい。今度こそ国中の令嬢達、いや貴族方から刺されそうだ。
「とは言え、会ってみたかったから今回二人揃って顔を見れて良かったよ」
「私も殿下にお会い出来て光栄です」
「嬉しいよ。やっぱり想像通り素敵な女性だった」
殿下の美しい微笑みに、思わずぽっと赤くなるシンシア。するとアルベルトが腰に回した手の力が強くなり、慌てて平常心を保つ。
「あまり君を独占してるとアルベルトが怒りそうだから、そろそろ行くね。婚約おめでとう」
「ありがとうございます」
またねと颯爽と去っていく殿下はまたあっという間に人に囲まれてしまっていた。
「お前、貴族としての意識あるのか。表情出過ぎだぞ」
「わ、わかってるわよ……でも不可抗力でしょ、アレ」
殿下に微笑まれて頬を染めない人間はいない。例え男性や老人、赤子だとしても例外はなく有名な話だ。そっちこそその不機嫌な顔を隠す努力をしたらどうなんだと思うシンシア。不愉快オーラがだだ漏れている。そんな小競り合いを隠れてしていると、殿下と別れたタイミングですぐ近づいてくる人がいた。アースキン家の令嬢、リオナだ。
「——アルベルト様、シンシアさん、ご婚約おめでとうございます」
今日何度言われたかわからないくらい祝辞の言葉。でもなんとなく気まずいのは、てっきりアルベルトが婚約するのはリオナだと思っていたからだろうか。恐らく婚約の話だって上がっていただろう。しかし当のリオナはそんな事など気にもしないように、にっこりと侯爵令嬢らしい完璧な笑みを湛えていた。
「アースキン嬢、ありがとうございます」
「リオナ様、ありがとうございます」
二人で頭を下げる。
「幼い頃から知っている幼馴染とご婚約なんて素敵ですね」
「いえ、そんな……」
「まるで童話の中のようなお話だわ」
ふふ、と優雅に笑う姿に思わず見惚れそうになる。社交界の華と言われるだけあって、やっぱり素敵な方だ。
「アルベルト様も、公爵様によろしくお伝えください」
「ええ」
そんなリオナにも興味なく見向きもしないアルベルトは最低限の礼を尽くしながらも端的に答える。
去り際に見えたこちらを見るリオナの目にビクリとした。それはあまりにも冷たく射るように冷めていたからだ。しかしそれも一瞬、次の瞬間にはいつもの完璧な侯爵令嬢に戻っていた。
——見間違い?
少し気になりながらも、そこまで深く考えなかった。気のせいかもしれないとシンシアは言い聞かせる。
——そう言えば、シュナイダー侯爵やアンリを見なかった。
この間の約束の手前、こんな突然婚約になって連絡も出来なかったので一度会って挨拶をしたかったのだが、どこにいるのだろう。
少し会場内を見渡すシンシアの視界にアルベルトが立つ。
「出るぞ」
「え? もういいの?」
「皇太子に挨拶したんだ。もう役目は終えただろ」
確かに、主催には挨拶したから間違いではない。そもそもアルベルトは昔からこういう夜会などの社交界の集まりは好きではなかった。余計な人達に囲まれてしまうからもあるだろう。地位や優れた容姿を持つ者は大変だ。そのまま後ろ髪引かれながら会場を後にする。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ホールから出ると、てっきりこのまま出口の方へ向かうのかと思いきや、休憩室の一室に入る。まあこれまでずっと挨拶回りで立ちっぱなしだった。休んでから帰るのも悪くない。
シンシアはふうと部屋のソファーに座る。ヒールは高いがいい靴なので靴擦れはしていない。
「疲れたか」
「まあ、挨拶回りが特に多かったから……」
するとガチャ、と鍵がかかる音がする。不穏な空気を感じて、シンシアが止まる。
「シアぁぁ」
気づけば既にもう傍まで来ていて、襲われるような形で抱き着かれる。
「今日のドレス可愛すぎだろ。俺とお揃いなのも最高なのに」
……どうしてこうなるのか。二人になると突然やって来るデレ期。何故かスイッチが切れるように、アルベルトは甘々のでろでろになってしまう。というかこちらが本音なのだろうか。にわかには信じがたいが本人曰くそうらしい。
「早く二人きりになっていちゃいちゃしたかった。俺ばっかそう思ってたみたいだろ」
首元にぐりぐり頭を押し当てる。どうやら甘えているらしい。はいはい、と頭を撫でてやる。
「……なのに最後にアンリ、探してただろ」
思わず撫でる手が止まる。バレている。あまりにも目ざとい。別に浮気でも何でもないのに、悪い事をしている気分になるのは何故だろうか。
「他の男の事考える余裕があるなんて、まだ足りないみたいだな。俺を知ってるくせに目移りしないで」
むう、と上目遣いでこちらを見つめる。少し目尻の赤い顔は反則だ。ただでさえ顔はいいのに。そう思ってると唇を塞がれる。ちゅっちゅと啄むようなキスを繰り返して、アルベルトが口を開く。
「——……このまま帰るなんて、言わないよな」
「え」
ここは休憩室。そういう目的でも使用されることは多々ある。まさかそれを見越して馬車に向かわずこちらへ来たわけじゃ——
アルベルトを見るとその瞳には劣情と熱がまじる。いや、そうみたいだ。
——今日も家に帰れない気がする。そしてそんなシンシアの予感は当たるのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
いつからだろう。いつからシアがいないとぐっすり眠れなくなったんだろうか。
夜会から帰ってそのままシンシアも公爵家へ泊まって帰っていった翌日。アルベルトは一人、広々とした自室のベッドに寝転んで、今はいない隣のぬくもりのシーツを見る。
幼馴染の好もあってシンシアは受け入れてくれる。でもそれは常にアルベルト発信で、シンシアが好意を向けているという訳ではなく、彼女は必ずしもアルベルト必要としていない。それはアルベルト自身がよくわかっていた。ただ、シンシアにとって一番身近だったのがアルベルトだっただけで、他に想いを寄せるような男がいなかった幸運。そんな話。
彼女がいない日は寝付きが悪い。隣にいないぬくもりに、目覚めも悪い。一瞬たりとも離れたくない。
俺はシアがいないと生きていけないのに。
——しかしいつも出るのは思っているのと反対の言葉。そんなこと露ほど思ってないけれど、一度素直に好意や想いを伝えると溢れ出て止まらなくなる。人前でそんな醜態を晒すよりはと引き締めるとついつっけんどんな言い方になる。この間の夜会だってそうだ。ヨハンと話していた時に、アルベルトの言葉にシンシアが咎めるように隠れて腕を抓ってきた。
あぁ……シアが俺に感情を向けてくれている……! そんな想いも露ほど表情には見せず、すまして会話を続けた。本当はとびきりめかしこんだお揃いのドレスのシンシアが愛おしすぎてすぐにでも押し倒したい気持ちだったのに。だから公爵家に戻るまで我慢できずに休憩室へ連れてしまった。今の自分に余裕はない。ようやく、何年越しに想いを打ち明けられるようになったのだから。
『すき……アルベルト、好き』
口にしていればいつかそれは本当になる。だからいつも、シンシアに好きと言わせていた。最近はねだらなくても意識が朦朧となったときは自発的に言うようになってくれた。世間では調教というのかもしれないが、そうやって一つずつ、着実に侵食させて、いつの間にか落ちてきてくれればいい。今は自分ほどの気持ちはなかったとしても。
これだけの想いをずっと募らせてきた。自覚する前からきっと、好きだった。最初から惹かれていたんだと思う。
シンシアとの事は、全て鮮明に覚えている。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
——伯爵家の庭で、花摘みをするシンシアを見る。
「ほらアル、シアちゃんに声かけてきたら?」
「……いい」
母にそう勧められるも、アルベルトはそっぽを向いた。
母親同士が親友で、幼い頃からよく互いの家を行き来していた。それについていく形で、アルベルトとシンシアも顔を合わせる機会が多かった。
最初は遠目から見ているだけだったり、母たちの茶会に同席して静かにお茶しているだけだった。向こうも積極的に関わりに来なかったので、しばらくその距離感が続いていた。つかず離れずな距離感。その中で、こちらは向こうの様子を窺っていた。
あ、またいちご残してる。
ティータイムでシンシアはショートケーキの上に乗ったいちごをまずは皿の上によける。先にケーキを食べてから、最後にパクリと、残したいちごを幸せそうな顔で食べる。クッキーなんかもそうだ。いちごジャムクッキーをいつも最後に残す。食べてる姿で好物なんだなとひと目でわかった。
「チュン太〜おいで」
シンシアは公爵家の庭に来るメジロにチュン太という名前を付けて呼んでいた。しかし昨日チュン太と呼んでいたのは『チュン太3号』だ。シンシアは全て同じ1つの個体だと思っているが、公爵家に来るメジロは3羽いる。非常に似ているのだが、よく見ると尾の模様が若干違う。チュン太1号は小さなハート型の模様があるが、2号は小さい2つの斑点、3号は3つの斑点模様になっている。それに気づかず一律で呼ぶ姿をアルベルトは少し離れたところで、読書をしたり母たちのティータイムに混ざりながら見ていた。
「昔話してたわよね、お互いの子供が生まれたら結婚させようって」
「そうね、懐かしいわ」
「シアちゃんがお嫁さんに来てくれたら私はすっごく嬉しいのに〜」
ある時、母たちの会話を聞いて、あの子と結婚か、と考える。メジロに屈託なく楽しく笑いかける姿や、美味しそうに好物のいちごを食べる姿を思い起こして、悪くないな、とは思う。
「はい」
そんな事を思い出しながらいると、目の前のシンシアがフルーツケーキに乗ったぶどうを、コロンとアルベルトの皿の方に乗せてくる。驚いてアルベルトが見ると、シンシアが口を開く。
「これあげる」
「え?……」
「いつも好きなものだから最後に残してるでしょ?」
確かに、ぶどうは好きだ。公爵家でもぶどう畑を保有していて、上質なワインができる。子供用のぶどうジュースも生産してくれていたため、昔から飲んでいて馴染みもあるからだと思う。好きなものを最後に残すシンシアを見ていたら、なんとなく自分もそうなっていた。
「私といっしょ!」
珍しくシンシアがにっこり笑ってアルベルトに声をかける。その瞬間胸がドキンと高鳴った。俺のこと、そんなに見てくれてたんだ。ドキドキと、心臓は未だ静まず激しく脈を打つ。胸をぎゅっと掴まれた気分だった。
——俺、絶対この子をお嫁さんにする!
その時心の中で誓いを立てた。かわいい。ずっと一緒にいたい。その笑顔でずっと自分を見てほしい。頬が熱くなる。
「お、俺も——」
アルベルトも自分のケーキに乗るいちごを分けようと考える。その様子を微笑ましく見ていた母たちが、にこにこと話し出す。
「なんだか今日はシアちゃん上機嫌ですごく嬉しそうね」
「ああ、今日はね、テオ兄様が来る予定なのよ。シア、兄様の事すごく気に入ってて——」
その時、伯爵家の出入り口から人が見えた。ちらりと見えたその姿から、シンシアがぱっと席を立つ。
「——叔父さま!!」
その声に気づき、その人影が近づいてくる。
「やあ、今日はティーパーティーを開いていたのかい?」
「そうなのよ。レティとその息子さんも招待してね」
「お久しぶりですテオドール様」
「こちらこそ、ルクセンブルク公爵夫人」
恭しくにこやかに挨拶した、顎髭に大人な余裕の見えるダンディーで彫りの深いシンシアの叔父だという男は、シンシアの前で膝をつく。
「シア、この前話していたプレゼントだ。気に入ってくれるかな」
そう言って出してきたのは、淡いピンク色のつばの広い帽子。ポイントで可愛らしい花の装飾があしらわれていた。
「ありがとう……! 嬉しい。大事にする!」
「貸してごらん。……うん、よく似合ってる」
その帽子をシンシアに被せる。叔父が頬にかかった髪を耳にかけると、彼女は照れたように頬を染める。
「叔父さま大好き!」
ガンと、殴られたようだった。満面の笑顔で嬉しそうに、全身で好意を体現しているような姿にショックを受けた。自分にはあんな表情見せてくれない。見たことない。
「ありがとう。私もシアのこと大好きだよ」
シンシアはぱっと頬を赤らめ、屈託なく笑う。
「大きくなったら叔父さまのお嫁さんになる!」
「あらあら、可愛らしいプロポーズだこと」
母たちは笑っているが、アルベルトは固まる。
公爵家であるから義務として、高位貴族の同い年くらいの子供たちとよく集まって交流する機会もあった。そこである程度自分の容姿が悪くない事を自覚したし、そのおかげもあり女子たちがこぞって集ってきて鬱陶しいくらいなのに。だが彼女は見惚れもしないし、アルベルトがじっと見つめても頬を染めることもない。
そうか、こいつがいたから俺には見向きもしなかったのか——
強いショックと敗北感に襲われる。胸が引き裂かれるような思いだった。
「——じゃあ、伯爵様にお会いしてくるから」
「ええ」
そうしてシンシアの叔父は去っていく。叔父からプレゼントされた帽子を被ったままぎゅっと両手で握りながら嬉しそうなシンシアが言う。
「お庭にいってくるね!」
「ふふ、飛ばされないように気をつけてね」
たたっと駆けて行ったシンシアの後をついていくように、アルベルトも席を立った。
ついて行った先、陽のあたる庭園で叔父から貰った帽子を被りながら嬉しそうに笑い、時に噴水に反射する姿を見て更に笑顔になるシンシア。
悔しかったのだ。アルベルトだってあんなに沢山会っているのに、あんな嬉しそうな表情は初めて見た。親しそうに、仲睦まじそうに。叔父に向ける顔なんて見たくなかった。だから気付いた時には口に出てしまっていた。
「へらへらした顔すんな、このブス!」
突然背後から投げられた言葉にシンシアはびっくりしたような顔をして、その後泣きそうな顔で歪む。
「……ブスじゃないもん」
その姿に思わずたじろいで、それでも後に引けなくて続ける。
「ブスだろ」
「ひどい!」
ダダダッとシンシアは走って屋敷の方に走っていってしまった。その日はそのままシンシアと別れてしまった。
謝らないとと思っていた。流石にあのまま別れてしまった手前、アルベルトも反省していた。
しかしその次の時、叔父からプレゼントされたという帽子を被って思わず溢れてしまっているように、あの日と同じように頬を紅潮させ恋した女の子の顔をして、嬉しそうに笑っていた。その顔を見て、またカッとなった。そんな顔で、笑うなよ。
「おいブス」
「え……」
「笑ってる顔だよ」
シンシアは傷ついたような顔をしていたが、ぐっと、アルベルトを睨んでいた。
——それから顔を見る度にブスと呼んだ。最初ムッとした表情をしながらも、あしらうような姿を見せていたシンシアだったが、そのうち彼女がアルベルトをいないもののように無視し始めた。アルベルトからの言葉も、何の反応もせず無表情で見つめるだけ。それだけでなく、アルベルトを完全に避けるようになっていた。
「おいブ——」
「お母さま、わたし先におやしきに戻るね」
アルベルトの脇をすり抜けていく。視界にも映さない。アルベルトは焦る。
もう、その瞳にも映してくれない。
「アルベルト! シアちゃんに謝りなさい。貴方女の子に向かって最低よ。あんな態度じゃ嫌われて当然だわ」
怒る母がはあと溜息をつく。こんな子に育てた覚えはないんだけどと眉を抑える。シンシアの母は苦笑していた。
「後悔する前に行って来なさい」
だが意地を張って、その言葉には追いかけて行けなかった。しかし時間をおけば置くほどこういうものはタイミングを逃していくもので。
その後、彼女はついに公爵家にも来なくなった。母と一緒に伯爵家についていくが、やっぱり、彼女はお茶の席にはいない。母たちが楽しそうに話す姿を横目に、アルベルトはそっとお茶の席から離れた。
よくいる木陰の下にも、庭園にも姿はなかった。彼女の面影を追う。しかしどこにも見つからない。もう二度と会えないのかも。幼心はそんなことを思う。会って、名前を呼ぶんだ。それから、謝る。これから先ずっと会えないなんて嫌だから。……お嫁さんにだって、なってほしいのに。
そんな中、ようやく小さなプラチナブロンドの姿を見つけた。歩き回って迷い込んだ伯爵家の裏手にある野原に、花を見つめてぽつりといた。
「シア」
初めて呼んだ名にシンシアがこちらを見る。驚いたような顔をしていた。
「悪かった」
その言葉を聞いて、彼女は怒るでもなく笑うでもなく、じっとこちらを見ていた。その表情は読めなかった。不安が募る。ごめん、と続けた。
「もうブスなんて言わないから」
許してくれなかったらどうしよう。もう口も聞いてくれなかったら。
鼻の奥がツンとした。こんなの初めてで、声が震える。彼女の顔が見れなくて俯く。
「だから、」
ぽん、と頭に手を置かれた。そしてそのまま撫でられる。
はっと、彼女を見る。彼女は飽きれたように少し笑っていた。
「いいよ、許してあげる。……もう言わないでね」
その言葉に、一瞬涙が出そうになった。安心したのだと思う。
「アルベルトくん、わたしのこときらいなんだと思ってた」
「アルでいい」
その返しに彼女がきょとんとする。
「きらいじゃない」
むっとしたような、眉を寄せたなんとも言えぬ顔のアルベルトのその言葉に、何故か面白かったようでふっとシンシアが笑った。
——それから、よく二人でいるようになった。どちらかと言えばアルベルトがシンシアの元へ行くことの方が多かったが。
『そのメジロ、昨日のやつじゃなくてチュン太2号だぞ』
『えっ?』
『昨日のはチュン太3号だ』
『ちがう子なの!? 何羽いるの?』
『3羽。ちなみにチュン太3号が一番よく来る』
『ええっ、そうなんだ』
公爵家の庭で二人座り、チュン太2号に餌をあげるシンシアを見ながら暇つぶしに彼女から教わった花冠をちまちま編んでいたアルベルトはふと口を開く。シンシアは驚いていた。
『なんで1羽ずつ来るんだろう』
『鳥もいつバレるか楽しんでるんじゃないか』
あそばれてたの……? 衝撃を受けるシンシアに鳥におちょくられるなんてな、と言いながらも見ていて飽きない。それから見分け方を教えてやった。結局最終的にメジロ3羽は『1号』『2号』『3号』と呼ぶようになった。チュン太の原型はもはやない。
他愛ない会話も増えて、二人は互いに互いを一番よく知る幼馴染になった。唯一無二の存在だと、アルベルトは驕っていた。
「——アル、はやくはやく!」
「あんまり急ぐと転ぶぞシア」
愛称で呼んでくれる事に喜びがあった。呼んでくれる度に嬉しくなる。そしてアルベルトも、当たり前のようにシンシアを愛称で呼ぶ。自分が彼女の特別になったような気がした。それもいつしか歳を重ねるうちに呼んでくれなくなってしまったのだけど。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「シアちゃんいらっしゃい!」
「ジュリくん〜!」
週1で顔合わせることにしたその約束の日。アルベルトが迎えに行き、公爵家にディナーへ招待されたシンシアがやってくると、弟のジュリアンが出迎える。その姿を見て彼女はぱっと華やかに笑う。非常に仲睦まじい姿に憤ろしい。
ジュリアンはシンシアを慕いすぎだし、シンシアはシンシアで何故かジュリアンをあんなふうに溺愛だ。『会いたかった』なんて言うが、こっちには言ってくれた試しがない。まるで本当の家族みたいだ。自分の弟なのに、とアルベルトは思う。にしても、気に喰わない。見た目だって幼少期の自分にそっくりだった筈なのに、ジュリアンだけを可愛がるシンシアに納得がいかない。それにジュリアンだけ愛称で未だ呼ぶのも気に喰わない。
「——ジュリ、母さん達が待ってるだろ」
アルベルトの言葉に、残念そうなジュリアン。
「どういうこと?」
「言っておくがディナーの用意は二人だけだからな」
「え? なんでよ、前回みたいに公爵家みんなで食べればいいじゃない」
「婚約者同士の交流なんだから本来必要ないだろう」
前回は家族皆揃って食べて、ほとんど母やジュリアンと話して終わっていただろうがと思うアルベルト。一方兄様……とうるうるした目で見るジュリアンを無視すると、彼は諦めたようにしょぼんと表情を萎ませる。諦めろ、わかっているだろう。俺のシンシアに対する愛の重さは。
それに今日のディナーはシンシアの好物ばかりにしている。最後のデザートはいちごたっぷりのタルトだ。小さい頃から彼女が大好きだった公爵家のデザートだ。これで少しは昔を思い出して欲しいというアルベルトの願いもあった。
「ほら、行くぞ」
エスコートするように、腕を出す。シンシアは仕方なく渋々その腕に手をかけ、ディナーの用意された部屋へ向かう。
しかし腑に落ちないような表情をしていたシンシアだったが、その後料理を食べて笑顔になる。最後のいちごのデザートでは、幼少期の話で盛り上がって、作成は成功だった。彼女と楽しく話せて、アルベルトは浮かれていた。
——そしてなんやかんやでまたシンシアが公爵家に泊まっていくように仕向け、いつもの如くシンシアがクタクタになるまで求めた。繋がっていると、確証が欲しくて。腕の中の彼女に問いかける。
「シア、俺のこと、好き?」
「ん……好き、アル……」
聞き返しては繰り返して。縋るように、その言葉に安堵を覚える。少なくとも、この瞬間は彼女は自分のものだと、感じることができる。
すぅ、とシンシアの呼吸で意識が落ちたのがわかる。加減ができない。悪いとは思う。無理をさせている自覚はある。それでも抑えることはできない。本当に愛おしすぎて、どうにかなりそうなのだ。一方で、離れていかないか不安でたまらなくもある。彼女が愛想を尽かさないことに感謝だ。
隣で眠る横顔を見ながら、幸福を感じる。
この腕に眠る愛しい温度が奇跡のように。
この手に入れたなら二度と、絶対に離さない。
END
【公爵家おもしろエピソード】
夜中トイレに起きてそっとベッドを抜け出したシンシアが部屋に戻ろうとすると、薄暗い廊下から「シァ……しあぁ……」と壁沿いに彷徨い歩く亡霊のようなアルベルトを見つけ思わず悲鳴を上げそうになったこと。
お粗末様でした!