赤猫のザジ・4
考えてみれば、確かに形式上私とルドガーは夫婦関係にあるのだから、ルドガーが私のそばに他の男を近づけたくないと思っていると、第三者であるザジが考えても不思議ではない。
でもそれは誤解だ。ルドガーは名目だけの妻である私に何の関心もない。
それに、もう夜だ。御者のマロウを一人、邸の外に放り出すわけにもいかない。
ザジにそう説明しようと思って口を開きかけた私の機先を制して、兄が冷えきった声を出した。
「ルドガー閣下に何の権利があるんだ? エリナに夫らしいことは何一つしてくれていないじゃないか」
「権利と言われても、俺にはわからない」
ザジはまじめな顔で言った。
「だがあいつが嫌がるのは間違いない」
「はっ!」
アルマンは、彼にしては珍しく、吐き捨てるように言った。
「自分は愛人と暮らしているくせに、エリナのことは束縛するのか?
僕のたった一人の妹を何だと思っているんだ」
ザジは透明なまなざしで兄を見た。
「それほど大事な妹なら、なぜ結婚を許したんだ?
ルドガーに唯一の相手がいることは、最初からわかっていたはずだろう」
「…白い結婚だと聞いていたんだ」
苦虫をかみつぶしたような顔でそう言って、兄はちらりと私を見た。
「貧民街の娼婦上がりの娘と公爵家の当主では、結婚するには身分の差がありすぎる。
どうにかしてその娘をどこかの貴族の養女にさせたとしても、せいぜい下位貴族だろうし初婚では無理だ。
まず最初の結婚をし、それに失敗したとして、再婚相手としてならどうにか、周囲に認めさせることができるかもしれないと。
そのためには、白い結婚を承知で嫁いできてくれる貴族令嬢を探しているのだと……フレイザー家からの婚姻申し込みが来た時、間に立ってくださった方がそうおっしゃっていると、父から聞いた」
そんな話は初耳だった。
私が目を見開いて兄を見やると、兄は気まずそうに目をそらした。
ルドガーがネリー嬢を唯一の相手と公言していたのはもちろん知っていたから、私もこの結婚は、いずれ彼がネリー嬢と結婚するための布石となる、白い結婚なのかと思ったこともあった。
ただ内情はそうであっても、それを大っぴらに口にすることはできないのだろうと。
だが初夜の床で、そんな私の甘い予想は完全にくつがえされ、粉々に砕け散った。
苦痛に満ちた交わりで私は純潔を失い、けれどセドリックを授かった。
「妹には、すまなかったと思っている」
兄はうなだれて弱々しい声を出した。
「あの時エリナはまだ16歳だった。
15歳で社交界デビューして、まだ大人の仲間入りをしたばかりだった。
魔力がないせいで貴族からの縁談はまったくなかったが、平民との縁談がないわけじゃなかった。
むしろ、引く手あまただったと言ってもいい。
うちの父は身分に関係なく弟子を取っていたから、平民の弟子もたくさんいた。
その中には、エリーを自分や自分の縁者の妻にと望む者は何人もいたんだ。
さっさとその中から良い縁を選んで嫁がせてやればよかった。
そうすれば、フレイザー家から目をつけられることもなかったのに」
「お兄さま」
私は兄に寄り添った。
兄は私を見ず、そのまま抑えていた感情があふれだしたようにしゃべり続けた。
「公爵家からの縁談を断ったら、それより下の家格の家へ嫁ぐことなどできない。
ましてや平民のもとへなど……それなら、フレイザー公爵と白い結婚をした方がいいと思った。
3年経てば、円満にフレイザー家を離れられる。
そのときエリナは19歳、まだまだ若い。
再婚相手はじっくり選ぶことができるし、なんならずっとリズリー家にいればいい、そう思っていた。
それなのに」
兄は苦痛をこらえるように言葉を切った。
「白い結婚などではなかった。
後でナタリーから、初夜の様子を聞いてはらわたが煮えくり返ったよ。
国民の英雄であるフレイザー公爵がそんな男だとは思わなかった。
その後もずっと、彼はエリナやセドリックをないがしろにし続けている。
大事な妹がこんな扱いを受けるなら、僕はこの結婚に反対するべきだった」
「お兄さま、ご自分を責めないで」
私は兄の背をさすり、優しく呼びかけた。
「私は後悔していないわ。セドリックが生まれてきてくれたんだもの」
「エリー……」
兄はようやく私に目を向け、自分の腕に添えられた妹の手にそっと掌を重ねた。