赤猫のザジ・3
それからザジは、私の方を見て言った。
「奥方さんよ。ここはノナばあさんの守護を受けて、結界が張ってあるってことは知ってるだろ?」
「知っています。フレイザー家に害をなすものが敷地内に入らないように、でしょう」
「ああ、そうだ。ばあさんに言われて、俺が結界を張っている。
今日は、その結界に不審なやつらが入ってきたんで、ちょっと探りに来たのさ。
結界に弾かれなかったところをみると、まあ害のある連中でもないんだろうが、中にはおかしなやつがまぎれ込んでいないとも限らないからな」
ザジが腕組みをして言うのを聞いて、兄は口をとがらせた。
「心外だなあ。
黒の森のノナ・ニムには、うちの音楽堂の祭壇から毎日音楽を献上しているのに。
リズリー家は何代も前から、ノナ・ニムに祈りや祭祀の歌を捧げてきたよ」
「リズリー? 祝ぎ歌のレーナ・リズリーの身内か?」
ザジはぶしつけに兄を指さしてヒュウ、と口笛を吹いた。
そんな無礼を、兄はとがめもせず返事をした。
「僕は彼女の息子だよ。自己紹介がまだだったね。
僕はアルマン・リズリー。これでも一応、音楽卿の称号を賜っている。
父はフィンバースの宮中伯アルバート・リズリーだ。
こちらは妹のエリナ。今は結婚してフレイザー公爵夫人だ。
君の言う、祝ぎ歌のレーナことマグダレーナ・リズリーは、僕たち兄妹の母だ。
僕らがまだ子どもの頃に亡くなってしまったけれどね。
ということで、兄妹ともども、今後はよろしく頼むよ、ザジ」
「ああ、よろしくな、アルマン」
呼び捨てにされても兄は気を悪くするそぶりもない。
私と同様、ザジには対等な立場で接しようと決めた、というよりも、生来のこだわりのなさで、貴族に敬語を使わないザジの態度もそれほど気にならないのだろう。
「ところで、今日ここに来た男はアルマンだけか?」
「え?」
兄と私は顔を見合わせる。兄が答えた。
「ターラは女性だし、男は僕と、あとは御者のマロウだ。
彼は腕のいい調律師だけど、馬の扱いも上手なんで僕が出かけるときはよく御者を任せているんだ」
「そいつは今夜この館に泊まるのか?」
「まあ、そうなるだろうねえ、なあエリー?」
兄の問いかけに私はうなずいた。ザジは大きくため息をついた。
「それはちょっとマズイんだよなあ…」
「なにが?」と兄が聞く。
「ここの結界はフレイザー一族に対する害意に反応する。
エリナはフレイザーの血を継ぐ坊主の母親だから、一族同様に護られていて、エリナに害意を持つものは結界で排除される。
だが閨事は害じゃない」
「なんだって?」
「要するに、奥方サマが合意の上で誰かとねんごろになっても、結界は反応しないってことさ」
「エリーがマロウのやつと肉体関係を持つって言いたいのか!?」
兄は気色ばみ、私は驚いて飛び上がりそうになった。
一瞬で顔全体が真っ赤になる。
「そ、そんなこと、あ、あるはず…」
舌がもつれてうまく言葉がしゃべれない私の台詞を、兄が代弁する。
「そんなことあるはずないだろう!
マロウは愛妻家で、去年の暮れに生まれた娘を溺愛してるんだ!
他の女性に手を出すはずがないよ、もちろんエリーは魅力的だけれども!」
最後の一言は余計です、お兄さま…と言いたかったが、言葉にならなかった。
私は火照る頬を両手で抑えてうつむくだけだった。
「そういう内輪の事情は、俺は知らないけどさあ、この館に男が泊まるってこと、あいつは許さないと思うんだよなあ」
「あいつって誰だ?」
「ルドガーさ、もちろん」
それは私にとって思いもかけない名前だった。