小さな騎士【外伝・義母イーディス視点】・5
少し暴力的な表現があります。ご注意ください。
一夜明けて、エリナさんがノナ・ニムの所から戻ってきた。
庭園に倒れていた彼女を、ルドガーが抱き上げて寝室へ運んだのだという。
だが私が身支度を整えてエリナさんの寝室を訪れた時には、すでにルドガーの姿はなかった。
部屋の中では領主館の侍女たちが汚れものの片付けなどで何人か立ち働いており、その中にはエリナさんの腹心の侍女であるナタリーも交じっていた。
その他に、エリナさんの実兄である音楽卿と、彼の侍女のターラという小柄な老女が、枕元に付き添っていた。
「おはようございます、音楽卿。
エリナさんの具合はいかがかしら?」
私がそっと声をかけると、彼は驚いたようにこちらを振り向いて立ち上がり、目礼して言った。
「これはこれは、おはようございます、夫人」
「どうぞイーディスとお呼びになってくださいな。
私たちは身内ですもの」
「恐縮です…ではイーディスさま。
妹のエリナがご心配をおかけして申し訳ありません。
どうやらずいぶんと疲れているようで、ぐっすり眠っているのですが、お医者さまに診察してもらったところ、特に身体に異常はないとのことです」
「そうですか。安心いたしましたわ」
「お気づかい、いたみいります。
僕はこれから音楽会がありますのでこれで失礼させていただきますが、エリナをどうぞよろしくお願いいたします」
そう言って音楽卿は頭を下げ、退室していった。
私は彼の座っていたスツールに腰かけ、眠っているエリナさんにしばらく付き添ってから、朝食をとるために食堂へ向かった。
その日は花祭りの初日だった。
セドリックはあれほど楽しみにしていたにもかかわらず、母であるエリナさんが死んだように眠ったままでいるのが不安でたまらないらしく、一日中母親の寝室で過ごしていた。
私とベニートは来客が多くて対応に追われていたが、夜になってようやく解放されて一息つくことができた。
夕食をとった後、まだ母親の寝室にいるであろうセドリックを迎えに行くと、何やら怯えた表情の侍女たちが廊下でざわめきあっている。
「なにごとなの?」
私に付き従ってきた侍女頭のカイサが問いただすと、侍女たちはいっせいに訴えかけてきた。
「ご当主さまが…!」
「突然入っておいでになって、それで」
「セドリック坊ちゃまが…」
複数人が口々に話すので要領を得ないが、どうやらただごとではない。
カイサが寝室に足を踏み入れた後に私も続いて入室した。
そこにはエリナさんの眠るベッドの方を向いている騎士団服のルドガーと、ベッドの前でそれに立ちはだかるかのように両手を広げている幼いセドリックの姿があった。
「母さまに近づくな」
セドリックは険しい表情でルドガーをにらみつけている。
ふだん明るくて優しいこの子が、こんな剣呑な空気をまとっているのは珍しい。
私は二人の間に割って入って声をかけた。
「何をしているの、二人とも。
病人の前ですよ。
ルドガー、あなた、この子に何をしたの?」
ルドガーは無表情に私を見て言った。
「何もしていませんよ、母上」
「はは…うえ?」
ルドガーの返答を耳にしたセドリックが、私を見て問いかけてきた。
「おばあさま、母上って? それじゃあこの人は…」
大きく見開いた赤い瞳は、父親そっくりだ。
だがこの子は父親を知らない。
私は孫息子を驚かせないように、ゆっくりと優しく答えた。
「あなたは初めて会うのね、セドリック。
この人はおばあさまの息子の、ルドガー・フレイザー。
あなたのお父さまよ。
ほら、黒い髪も赤い目も、あなたとそっくりでしょう」
「僕と、そっくり…?
ルドガー・フレイザー…?」
セドリックは思い切りしかめ面でルドガーを見た。
父親のルドガーはそんな息子に眉一つ動かさない。
するとセドリックは突然、何かひらめいたというようにルドガーを指さして叫んだ。
「ルディ!?」
そのとたん、父親は幼い息子の手を無慈悲にはたき落とした。
「いたっ!」
「ルドガー、何をするの!」
私は、はたかれた手をおさえて身を縮める孫息子の小さな身体を父親からかばった。
もちろんケガなどはなかったが、セドリックは燃えるようなまなざしで父をにらみつけた。
それとは対照的に、ルドガーは一切表情を変えず、幼い息子に冷たく言い放った。
「無礼者。人を指さすのではない。
お前の母親は、息子にそんなことも教えていないのか」
セドリックの顔にカッと血が上った。
父親につかみかかろうとする小さな身体を、私はかろうじて抑えた。
「母さまを悪く言うな!」
「セドリック、やめなさい!
お母さまが眠っているのよ!」
私がたしなめると、セドリックは我に返って身体の力を抜いた。
私はエリナさんの眠るベッドにセドリックと二人腰かける格好で、眼前の息子を叱責した。
「ルドガー、あなたはここへ何をしに来たの?
病人の休養の邪魔をするなら出て行きなさい」
「そうだよ!」
私の腕の中でセドリックが父親に向かって吠えた。
「母さまにひどいことはさせないぞ!
僕が母さまを守るんだ!」
その声を耳にした瞬間、私の脳裏に20年も昔の花祭りの日の思い出がよみがえった。
(母上、心配しないで!)
(僕が母上を守るから!)
ちょうど今のこの季節、花盛りのザヴィールウッドで、この子と同じ黒髪赤眼の小さな私のルドガーが口にした言葉。
私は目の前の偉丈夫を見上げて、その顔をまじまじと見つめた。
あの時のりんごのような赤い頬も、生えそろったばかりの小さな乳歯も、面影一つ残っていない。
けれど…。
ルドガーはちらりとエリナさんを見、小さく息をついた。
そしてセドリックを見下ろし、平坦な声で言った。
「母を守るというのなら、いつまでも母さまなどと甘ったれた呼び方をせず、母上と呼べ。
小さな赤ん坊ではないのだろう」
「…!」
腕の中のセドリックが悔しそうに顔をゆがめる。
ルドガーはそれを無表情に見つめてふいと視線をそらした。
そのまま私たちに背を向けて立ち去っていく息子に、私は声をかけた。
「ルドガー、エリナさんを心配していたの?
大丈夫よ、どこも悪いところはないってお医者さまがおっしゃったわ。
ひどく体力を消耗して、疲れて眠っているだけですって」
「…この女の心配などしていません、母上」
ルドガーは立ち去ろうとしていた足を止め、私を振り向いてそう吐き捨てた。
「俺はただ、ノナの力が異変を引き起こす危険な兆候がないかどうか、確認しに来ただけです。
ことによっては王都に戻ってから、ゴダード陛下に報告しなければなりませんからね」
「そう。
そういえばあなたは、ゴダード陛下の王命を受けてザヴィールウッドを監視しに来たのだったわね。
それで、どうするの?
エリナさんがノナ・ニムのもとへ行ったことを、あなたはゴダード陛下にご報告するつもりなの?」
昼間の内に、私とベニートのもとにザジがやってきて、エリナさんがノナ・ニムと対面したことも、黒の森の魔女として魔女名を賜ったことも、なるべく秘密にしておいた方がいいと忠告してくれていた。
それもあって私はゴダード陛下に対しても、エリナさんのことを知らせたくなかった。
だがルドガーはフィンバース王国の騎士団長だ。
臣下として、ゴダード陛下に忠実に尽くしているし、頭が固くて融通のきかないところもある。
もしルドガーが、ゴダード陛下にこのことを律儀に報告するつもりでいるのなら、どうにかして止めさせなければ。
そう思って私は強い口調で息子を問いただしたのだが、ルドガーの返答は意外なものだった。
「その女のことは、フレイザー家の内輪のことにすぎません。
見た限り大きな魔力変動はなく、特に対処する必要もない。
陛下にご報告するまでもありません」
「え、ええ。そうね。ありがとう、ルドガー」
「別に、母上に礼を言われるようなことではない」
淡々と無表情に応じて、ルドガーは私に背を向け再び歩き出した。
だが私には、息子の顔に一瞬よぎった心の揺らぎが感じ取れた。
そこに表れたのは羞恥とか、はにかみとか、そんな表情に見えた。
魂をもがれたルドガーは、感情の読み取りにくい子どもだった。
けれども、注意してその表情をよく見ていると、心を許した相手にだけ、この子は自分の内面をかいま見せてくれることがあるのだ。
今、立派な成人男性となり、数年間顔を合わせてもいなかった息子を前にして、私はこの子の幼い頃を思い出していた。
変わらないわね、ルドガー。
大人になっても、根っこの部分はあの頃のまま。
「…やなやつ!」
「お父さまにそんなことを言うものではないわ、セディ」
「僕知らない、あんな人!」
ルドガーが去った後、セドリックはぷんぷん怒っていたが、私はそれをたしなめる自分の顔がほころんでいることに気がついていた。
ねえ、セドリック。
さっきあなたは、ぼくが母さまを守ると言って、ルドガーの前に立ちはだかったわね。
まるでお姫さまを守る騎士のように。
ルドガーも…あなたのお父さまも、あなたくらいの年頃のとき、僕が母上を守るとおばあさまに言ってくれたのよ。
ルドガーも、私にとっての小さな騎士だった。
あなたたち父子は、よく似ているわ。
その後すぐ、セドリックはもう床につく時間だということで、ナタリーに付き添われて自分の部屋へ引き上げていった。
それを見送って、私は静かになった部屋の中で、病人のベッド脇のスツールに腰を下ろした。
エリナさんは、朝に比べていくらか血色が戻ったようだった。
その安らかな寝顔に向けて、私は小さな声で語りかけた。
「エリナさん。
あなたには、とても頼もしい小さな騎士がいるようよ。
早く戻っていらっしゃい」
もちろん返事はない。
だが私の言葉が聞こえたかのように、金色のまつ毛がかすかに揺れた。
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