小さな騎士【外伝・義母イーディス視点】・1
「母上!」
3歳になった息子が私に手を振る。
夫とともに馬上にあるその姿に、周囲の民衆の視線は釘付けになっている。
「ルドガーさまだ。ベニートさまと同じ黒髪だ」
「本当に赤い瞳なんだな」
「あんなに小さいのに、堂々と馬に乗っているよ」
「やっぱり黒竜王の生まれ変わりなんだ」
そんな声があちこちから聞こえてきた。
私イーディス・フレイザーは、ザヴィールウッドの領主夫人として、大精霊ノナ・ニムに祈りをささげる花祭りで、花の女王に扮している。
山車に乗ってフレイザー公爵家の領主館を出発し、領都の市中をまわるパレードの真っ最中だ。
夫であるフレイザー公爵ベニートは、一人息子のルドガーを抱えて馬に乗り、私の乗る山車に並走してくれている。
「母上、スミレの花みたいだね!」
ルドガーが私の紫色の髪を指してか、そんな風に笑いかけてきた。
あらあら、そんなに身を乗り出したら危ないわ。
風魔法で空気のクッションをつくってあげようかしら……あ、ベニートがあの子を支えてくれたわね。
よかった。
沿道を埋め尽くす大観衆の中をパレードの一団は進んでいく。
私は笑顔で周囲に手を振りながら、誇らしげに私を見ている夫と息子に目をやった。
私の視線を受けて何と思ったのか、ルドガーは大きな声で私にこう言ってきたものだ。
「母上、心配しないで! 僕が母上を守るから!」
「母上、なぜあの女をノナの所へ行かせたのですか!」
ザジとエリナさんが精霊の道を通って立ち去って行った後、ルドガーは語気を荒げて私をなじった。
ベニートがそんな息子の前に立って、私をかばってくれる。
「母に対して何という口のきき方だ、ルドガー!」
「父上もです!
なぜあの女が行くことを許したのですか!?
取り替え子にあうのは子どもだけじゃない、若い女も危険なのだとご存じでしょう!」
ルドガーが私にこんな風に詰め寄って来たことは今までなかったし、父親であるベニートに食ってかかる姿も初めて見た。
思い返せばルドガーが魂をもがれて帰ってきたあの日以来、この子が喜怒哀楽の感情を表面に出すことはほとんどなくなっていた。
貧民の娼婦ネリーを真実の愛の相手と決めた時でさえ、ルドガーは感情の起伏を表にはあらわさなかった。
私がどんなに泣いても、ベニートがどんなに怒鳴り、殴りつけても、いつも通りの無表情で、自分の宣言した通りに行動しただけだった。
だが今のルドガーはどうだろう。
エリナさんがノナ・ニムのもとへ行ったことに対して、これほど激しく感情を爆発させている。
これはとても喜ばしいことではないかしら。
たとえそれが負の感情だったとしても。
先日、ヨシュアからウィロー砦の音楽会での出来事に関する報告があった。
軽い茶飲み話程度だったけれど、そこでルドガーが取った態度を聞いて私は驚いた。
まるで私の知る息子とは別人のようだったからだ。
話しているヨシュアも信じられないといった様子だった。
まだ少年のころから我が家に出入りしていたヨシュアは、ルドガーを兄と呼び、あの子の母である私を母上と呼んでくれる。
ベニートのことは、騎士団長であった間は団長と呼んでいたが、彼が働き盛りで半ば強制的に騎士団を退団させられてからは父上と呼ぶようになった。
ヨシュアは伯爵家の嫡子だが家庭に複雑な事情を抱えていて、親兄弟との縁が薄いこともあって、私たちのことを実の父母同様に慕ってくれている。
「兄上が激怒するところを、僕は初めて見ました。
ふだん感情をあらわにするような方ではないのに。何がそれほど兄上のお気に障ったのかわかりません。
僕としては、砦の司令官としての権限でエリナ夫人にバルコニー席を用意したことは、騎士団長夫人としての彼女のお立場からしても、礼儀にかなった適切な処遇であったと今でも自負しています。
ただ、チャリティー音楽会という場で、数百人もの聴衆のいる前で夫君から叱責されることになって、夫人のお心や名誉を傷つけてしまう結果になってしまったことが本当に申し訳ない。
すべては、兄上を止めることができなかった僕の責任です」
そう言って肩を落としているヨシュアに、私は慰めの声をかけた。
「ヨシュア、あなたのせいではないわ。
エリナさんだって、あの子が来るとわかっていたら音楽会へは出席しなかったでしょう。
悪いのはルドガーよ。
先触れも出さずに突然ウィロー砦を訪れたのでしょう。
何の目的だったのかしらね」
私が言うと、ヨシュアは弱り切った表情で頭をかいた。
「それが、兄上からは何も言われていなくて…。
音楽会の直前にあの騒ぎがあって、その後は音楽会が非常に盛り上がったもので僕もいろいろな対応に追われていまして。
ようやく落ち着いて兄上と話をしようとしたところ、兄上は夫人の宿泊している部屋はどこかと確かめると、すぐそちらへ向かわれて……」
「まあ、ルドガーがエリナさんの部屋へ行ったの?」
私は思わず大きな声を上げた。
夫が妻の部屋を訪ねるなど当たり前のことだが、ルドガーは結婚してからもずっと愛人のネリーの家で暮らしていて、妻であるエリナさんと過ごすことなどなかったのだ。
「それで、あの子はエリナさんと同じ部屋に泊まったの?」
私が聞くとヨシュアは心持ち眉をしかめて答えた。
「いいえ、兄上はその後すぐ、ウィロー砦を一人でお発ちになりました。
ザヴィールウッドへ向かうとおっしゃっていましたが、ここへ到着されたのは花祭り前日でしたから、それまでの何日間かはこの周辺を見回っておられたようです」
「ネリーと落ち合って旅を楽しんでいたのではなくて?」
私が意地悪な質問を投げかけると、ヨシュアは苦笑した。
「母上、兄上は黒の森の館へもおいでになったようですよ。
ネリー嬢が進んでこられた王都方面の街道とは正反対の方角です。
それに、ザヴィールウッドの騎士団詰所に到着されたとき、兄上はご自分の団長室に置かれたネリー嬢の荷物を見て驚いていらした。
なんだこれは、と聞かれましたよ。
兄上は嘘が下手なことは母上もよくご存じでしょう?
あの時の表情からしても、兄上がネリー嬢の訪問をご存じなかったことは間違いありません」
「そう…」
今年の初めごろだったか、ヨシュアからウィロー砦の司令官として赴任したという知らせをもらったけれど、私たち夫婦も王都からザヴィールウッドへ移って来たばかりだったので何かと忙しく、ヨシュアと会ってゆっくり話す暇もなかった。
だがこうしてルドガーについて腹を割って話ができるヨシュアは貴重な存在だとつくづく思った。
あの日、ヨシュアは、私が微笑みを向けると微笑み返してくれた。
今私の目の前にいるルドガーとは正反対の、穏やかな表情で。
ついさっき、エリナさんがザジとともに夜空の向こうへ去ってからというもの、ルドガーは苛立った様子で、落ち着きなくあちこち歩き回っている。
私はそんな息子の、広くたくましい背中に声をかけた。
「ルドガー。エリナさんのことについて、あなたに少し話があります」
ルドガーは私の声に反応して振り向き、いぶかしげな視線を寄こした。




