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赤猫のザジ・2

だいぶ深くなった夕闇の中、赤毛の男は私たちの方へゆっくり歩を進めながら、自分の肩の上のセドリックに問いかけた。



「おい坊主、お前が親父にそっくりすぎて、おふくろさんが誰だかわからねえよ。

どっちだ? 茶色い髪か、金髪か?」


「金髪!」


赤毛をいじっていた手を止めて、セドリックは私を指さした。



「金髪が僕の母さまで、茶色い髪はナタリーだよ!」


「そうか」


男はセドリックを地面に下ろし、「行きな」と私の方へ押しやった。

私は、駆け寄ってきた息子を抱きしめ、初めて会う男の顔を見つめた。




セドリックのことを「親父にそっくりすぎる」と言ったこの男は、ルドガーを知っているのだろうか。



ルドガーと同じくらい背が高いが、やせぎすで彼のような威圧感はない。

むしろなんだか気だるげで、動作も緩慢だった。




セドリックに乱されたせいばかりとは思えない、こんがらがったもじゃもじゃの巻き毛。


前髪に隠れそうになりながらかろうじてのぞく、緑がかった灰色の目。


近隣の村の村民たちと同じような簡素な服装をして、腰にはやはり村人と同じような巾着を下げている。

その他には、背中に長い棒のようなものを背負っているのが目を引いた。




私たちが近づくと、赤毛の男は、所在なさげに視線をさまよわせて頭をかいた。



「あー…あんたが坊主の母親かい?」


私が返答しようとするのを兄が制し、私と子どもを背後にかばって、男の前に立ちはだかった。


その後ろで、ナタリーも私を背にかばう。

ターラは私の横で地面に膝をつき、セドリックをしっかり抱きかかえた。


兄アルマンは、警戒心をあらわにした声で男を問いただした。




「君は誰だ? どうしてこの子と一緒にいるんだ」


「どうしてって…この坊主が俺を追いかけてきたんだよ」


「この子が君を?」



兄はターラの腕の中にいるセドリックを振り向いた。


「セディ、この人を追いかけていったのかい?」


「うん、そうだけど……違うの。猫を追いかけて行ったの。植え込みの中にいた猫」


「ああ、猫ね。森で抱いているのが見えたよ。それで?」




兄は舌足らずな幼児の説明を聞き、優しく先をうながす。



「そしたらいつのまにか知らないところにいて、どうしようと思ってたらその猫が人間になって、ここへ僕を連れてきてくれたの」


「ほう。猫が、人間になって…?」


「それがこの人だよ」




セドリックはまっすぐに赤毛の男を指さした。


私は困惑したが、兄ははっとしたような顔をした。




「そうか、そう言えばさっき森でお前が抱いていた、変わった毛色の猫。彼の髪はあの猫と同じ色をしているね」


それを聞いて、セドリックを抱きかかえていたターラが急に大声を出した。



「ザジ! あんた、ザジかい? 赤猫の!」


そう言うとターラはセドリックから手を離して立ち上がり、ずんずんと大股で男に近づいていった。


そうして謎の男の前に立つと、いきなり襟首をぐいと引き寄せ、その顔をまじまじと見つめた。


赤毛の男は面食らっている。



「本当だ、近くで見ると面影があるわ。


全然わからなかった。こんなに大きくなったんだものねえ。


前に見た時は、豆粒みたいなちびっ子だったのに」


「そこまでチビじゃねえ」




当然の突っ込みを入れて、ザジと呼ばれた男はターラを突き放した。



「お前は誰だ? 森の民か? 見ない顔だが」


「ああ、私はマグダレーナお嬢さまについて王都へ行ってしまったからね。

あんたが知らないのも無理はないよ。

黒の森へ来たのは、お嬢さまがノナ・ニムの祝福をいただいた時にお供したのが最後だったよ。

あの時、ノナ・ニムの両脇には、あんたとあんたの兄さんがいたね。

ノナ・ニムのおそばにいられるのは特別な子どもたちだから、私はちゃんとあんたたちの顔を覚えてる。


それに、あんたは私を知らなくても、あんたの“知りたがり”の兄さんは私を知っていたしね。

そういえば兄さんは今どこにいるんだい?」


「兄貴のことは今どうでもいいだろ」



ザジに言われてそれもそうだと思ったらしく、ターラは話題を変えた。


「まあとにかく、私は森を離れて長いけど、ノナ・ニムのお恵みを忘れたことはないれっきとした森の民で、名前はターラ。

よろしくね……で、ザジ、あんたはちい坊ちゃまに何をしたの?」


ターラの中では兄アルマンが坊ちゃま、セドリックはちい坊ちゃまという位置づけになったようだ。ざっくばらんを通り越していくぶん失礼なターラの問いに、ザジは怒りもせず気の抜けた表情で答えた。


「だから、坊主が黒の森へ迷い込んできたから、精霊の道を抜けてここまで送ってきてやったんだよ。


フレイザーの子なら森のやつらも悪さはしないだろうから、別に放っといてもよかったんだが、もう夜だしな。

俺を追いかけてきて迷子になられたんじゃ寝覚めが悪いからな」



ルドガー。

赤猫。

精霊の道。



疑問はいくつも湧いてくるのだが、ザジというこの男がセドリックを助けてくれたことは間違いないようだ。

そして彼は、精霊なのか精霊の血を引く森の民なのか、とにかくフィンバース王国の身分制度の範疇に属さない存在であるらしい。



それならザジに対しては、王国の公爵夫人としてではなく、対等な関係の者同士としての態度で接するべきだ。

そう判断した私は息子と手をつないで、心配そうに見守る兄の横を通り過ぎてザジのところへ行った。

淑女の礼はとらず、セドリックの肩に手を置いて、母子二人でザジにお礼を言った。




「ザジさま、息子を連れてきてくださってありがとうございました」


「“さま”はよせよ、ザジでいい」


「ザジ、僕のこと送ってくれて、ありがとう」


「ああ、いいってことさ」



ザジはセドリックの頭を軽くなでた。

公爵子息にではなく普通の子どもにするように。


もちろん不敬をとがめるつもりはない。

だがザジに頭を下げる私たち母子を見て、ターラは憤慨したように言った。



「ちい嬢さま、そこまで恩義に感じることはありませんよ。

ザジはザヴィールの盟約で、フレイザー家の方々をお守りすることになっているんですから。

フレイザー家の跡継ぎであるちい坊ちゃまを守るのだって、当然のことですからいちいち感謝しなくていいんです。


この子はね、フレイザー家のこの館にちょっと縁があるんですよ。


だからこの館を守る結界を張っているのはこの子が好きでやってることで、ザジのことは、そうですねえ

……まあ、ちょっとゴツめの屋敷しもべ妖精だとでも思って、気軽にこき使っておやりなさいませ」



「誰が屋敷しもべ妖精だ」


ザジの不機嫌な声が飛んだ。




「しもべじゃねえし妖精でもねえよ」


「もののたとえでしょうが、細かいこと言いなさんな。黒の森の若長(わかおさ)ともあろうものが」


若長(わかおさ)?」



ターラの言葉を兄アルマンが聞きとがめた。


「君が黒の森の一族の若長(わかおさ)なのか? ノナ・ニムの代理人?」


「まあ、兄貴が帰ってくるまでの臨時の長だけどな」


「帰ってくるのかしらねえ、“知りたがり”は」


ターラがため息まじりにつぶやく。



「百年間の追放刑ですからねえ。あと何年残ってるんだっけ、ザジ?」


「まあだいたい八十年ってところかな」


「ああ、その間、弟の君が臨時の長に…ってそれ、臨時なの?」


兄はあきれた声を出した。

黒の森は精霊の森。人間界とは時間の感覚が違うのだ。

どちらの世界にも通じているターラがこぼした。



「臨時じゃすまないかもしれませんねえ。

この子の兄さんが黒の森へ帰ってくるのかどうかも、わかったもんじゃありませんからね。


そもそもあの子に“追放刑”なんて、罰じゃなくてお楽しみでしかありませんよ。

百年の放浪で足りるかどうか」


「そんなお兄さんなの?」


兄が目を丸くして問うと、渋い顔でザジはうなずいた。


「そんな兄貴なんだ。なにしろ“知りたがり”のジグと呼ばれるくらい、好奇心旺盛なやつでね。


しかも自分の好奇心を満たすためなら、結構ヤバいことでもサクッとやっちまうところがあってさ」



「危ないねえ」


「そう、危ないやつなんだ。今どこで何してるんだか知らないがな」


「怖いねえ」


「そうなんだ、怖いよな」


うんうん、と兄とザジはうなずきあっている。意気投合したようだ。




「さあ、もう暗くなってきたわ。おうちへ入りなさい、セドリック」


「はーい」


ぴょんと跳びはねて、セドリックはナタリーに付き添われ邸の中へ入っていった。

目を細めてそれを見送っていた私は、ふとザジの視線を感じた。

そちらを向くと、思いのほか真剣な表情のザジと目が合った。

もの問いたげなザジに声をかける。





「なにか?」


「坊主の名前はセドリックっていうのか?」


「はい、そうです」


「誰がつけた?」


「え?」


「坊主の名前は、誰がつけたんだ?」




質問に込められた意外な熱量に戸惑って私が口ごもっていると、ザジは重ねて聞いてきた。




「ルドガーか?」




ザジがフレイザー公爵の名を呼び捨てにしたことに私は少し驚いたが、「はい」とうなずいた。



「そうか…あいつが」


ザジは口調をやわらげて、セドリックの去っていった方へ目をやった。





「親心ってやつか…」


ぽつんとこぼれたつぶやきは、そばにいた私にしか聞こえなかったかもしれない。




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