月と闇【外伝・ナタリー視点】・1
フレイザー家の大奥さまから人払いを命じられて、侍女頭のカイサさまは私とターラさんを連れてエリナさまの寝室を出た。
まだお身体が本調子でないエリナさまが少し心配だったが、私にはどうすることもできない。
カイサさまはエリナさまの寝室を少し離れてから、私とターラさんを振り向いておっしゃった。
「二人とも、ご苦労さまでした。
お部屋で少し休むといいわ。
また必要があれば呼びますからそのつもりで。
ターラ、あなたにはナタリーの隣の部屋を用意してありますよ。
音楽卿からも、エリナさまのお世話をするようにと申しつけられているそうですね。
しばらくはこの館に留まるのでしょう?」
「はい、もしできればそうさせていただきたいと存じます」
ターラさんの返答を聞いたカイサさまは
「ではそのように。
食事やその他の生活のことについては、ナタリーに聞いてください。
他にも何か要望などあれば、いつでも遠慮なく私に言ってくださいね。
それでは私はこれで」
そう言って小さく目礼をして去って行かれた。
気心の知れたターラさんと二人になって、私は緊張がゆるんで大きなため息をついた。
ターラさんはそんな私を見て笑った。
「おやおや、疲れたんだね、ナタリー」
「だってターラさん、エリナさまがノナ・ニムの所へ行ったと聞いて、私は心配でろくに寝られなかったんですよ。
やっと帰っておいでになったと思ったら、そのままずうっと死んだように眠っておられるからやっぱり心配で眠れなかったし。
それで今度は大奥さまからお話があるって…いったい何のお話なんでしょうね。
もう少しエリナさまの体調がよくなってからでもいいのに」
「あんたは本当によくやってくれているねえ、ナタリー。
ちい嬢さまだってあんたのことを誰より信頼しておられるもの」
「はい。でも…」
私は少しためらってから言った。
「私…エリナさまに、ルドガーさまのことを申し上げない方がよかったでしょうか…?」
情けない声を出す私の背を、ターラさんは軽くたたいた。
「そんなことはないよ、本当のことだもの。
むしろ、あんたから言ってくれてよかった。
ナタリーの言うことなら、ちい嬢さまは真摯に耳を傾けてくださるからね。
なにしろ小さいころから、姉妹同然に育ってきたんだから」
「そんな、姉妹だなんて恐れ多いですよ、ターラさん」
私がそう言うとターラさんは大きな口を開けて笑った。
慣れ親しんだその笑顔は、私の心を解きほぐしてくれた。
ターラさんはいつだって私の師匠で、指南役だ。
ターラさんがいてくれるだけで私はとても心強いのだ。
だから私は、さっきのことを単刀直入に聞いてみた。
「ねえターラさん。
ターラさんは本当に、ルドガーさまがエリナさまに惹かれておられると思っているんですか?
ルドガーさまは今まで、エリナさまをまるで顧みないで、あんなにつらく当たってこられたのに…」
「そうだねえ…人の心というのは難しいものだからねえ…」
どうとでも解釈できるような返答をして、ターラさんは言葉を濁した。
それで私は、昨日の出来事をもう一度思い返してみた。
夜明けとともに、エリナさまはノナ・ニムの所からザヴィールウッドの領主館へ戻ってこられた。
早朝の庭園を手入れしていた庭師によると、エリナさまは突然応接室前の庭に姿を現したそうだ。
一瞬だけ立っていたがふっと力ない様子で地面にくずおれてしまったのだという。
そんなエリナさまのもとへ、すぐルドガーさまがどこからともなく駆け寄ってこられたらしい。
私がエリナさまのご帰還に気づいたのはその直後だったようだが、その時ルドガーさまは、エリナさまの身体が揺れないようにしっかりと支えてそっと抱き起こしていらした。
私がエリナさまのおそばに駆けつけると、ルドガーさまは真剣な目つきで白い首筋に二本の指を当てて、脈を確かめていらした。
それからかすかに開いた形の良い口元に手をかざしエリナさまの呼吸を確認すると、ルドガーさまの均整の取れたたくましい身体からわずかに力が抜けたように見えた。
「エリナさま、ナタリーです! おわかりですか!?」
ルドガーさまの腕の中にいるエリナさまに、私は必死に声をかけた。
無事に精霊界から戻っていらしたお姿を見て涙があふれる。
エリナさまは私の声に気づいてくださったのだろうか、閉じたまぶたは開かなかったものの、ほんの少し口元が微笑んだように見えた。
だがそれで力尽きたのか、エリナさまはそのまま完全に意識を失ったようだった。
どうすればいいのか迷って、思わずルドガーさまの顔を見上げると、常に鋼鉄のような厳しい表情しかお見せにならない騎士団長が、得も言われぬ切ない表情をしてエリナさまを見ていた。
だがそれはほんの一瞬で、すぐにルドガーさまはふだんの冷たい顔に戻り、低い声で私に命じた。
「おい、お前。
音楽卿の侍女を呼んで来い。
小柄な年寄りで、ターラという名前だ」
「え…」
私はルドガーさまの命令にすぐには反応できず固まってしまった。
その時には周囲に他の使用人たちが何人も集まってきていたので、その中の年若いフットマンが迅速にルドガーさまの命令を実行すべく、敷地内のアルマンさまの宿舎へ駆け出して行った。
その姿を見送って、私はルドガーさまに視線を戻した。
ルドガーさまは注意深くエリナさまの身体の具合を観察していらしたが、特に深刻な傷を負っているわけではないとわかってどこか安堵したように見えた。
私はそんなルドガーさまに、おそるおそる質問をした。
「ご当主さま、あの…どうしてわざわざターラさんをお呼びになるのですか?
このお屋敷には他にも、たくさんの優秀な侍女がおりますのに」
するとルドガーさまは無表情に私を見てお答えになった。
「ターラは、ウィロー砦でこの女に付いていた侍女だろう。
あれは森の民だ。
ノナ・ニムの霊気に当てられて体調を崩した人間の症状に詳しいはずだ」
ルドガーさまは、ウィロー砦でエリナさまのおそばに仕えていたターラさんのことをちゃんと覚えていらしたのだ。
公爵家の当主が他家に仕える一介の侍女を気に留めてくださっていたことに私は少し感動した。
誰もがルドガーさまを、ご自分の愛人のことしか頭にない非常識な方だと評していた。
この時までは私もそう思っていたが、ルドガーさまのお言葉を聞いて、そういう噂は当てにならないと自分を戒めることになった。
そんな私におかまいなく、ルドガーさまは気を失っているエリナさまを静かに抱き上げて立ち上がり、邸内へ向かって歩き始めた。
腕に抱いた身体に歩く際の振動が伝わらないよう細心の注意を払い、エリナさまに負担をかけない配慮をしているのが傍目にも見て取れた。
私はエリナさまがノナ・ニムの所から持ってこられたと思われる大きめの木の枝を拾ってから、小走りでルドガーさまの広い背中に追いついた。
「エリナさまのお部屋はこちらです」
と私が先導すると、ルドガーさまは無言でうなずいて私の後をついていらした。




