義母の哀訴・2
その日の午後、義母イーディスが侍女のカイサを伴って、再び私の部屋を訪れた。
「エリナさん、体調はどう?」
義母はそう言いながら、ベッド脇のスツールに腰を下ろした。
「顔色はだいぶよくなったわね。食欲はある? 昼食はとれたのかしら」
「はい、少しだけ。でもよく眠れたので体調は回復しています。明日のパレードには参加できそうですわ」
「本当に? 無理はしなくていいのよ」
「ええ、でもセドリックがとても楽しみにしているようで」
実は昼食をこの部屋でとった時、セドリックもここに来ていたのだ。
つい先ほどまで私のそばではしゃいでいた息子の姿を思い出して、思わず笑みがこぼれる。
義母は笑って「そうだったわね」とうなずいてから、姿勢を正して私に言った。
「エリナさん、実は折り入ってお願いがあるの。
その前に、ここにいるカイサは私の最も信頼する侍女だから安心して。
ナタリーとターラも、エリナさんに忠実で決して裏切らない者たちだと、信頼していいわね?」
「はい、お義母さま」
私が断言すると、ターラとナタリーは口元をゆるませると同時に胸を張った。
義母はそれを見て安心したように話しはじめた。
「エリナさん。ノナ・ニムにお会いした時のこと、ザジから大まかなところは聞いたわ」
「そうですか。お義父さまも?」
「ええ。あなたが黒の森の魔女としてノナ・ニムから祝福を受けたことを、ザジは私たち夫婦に報告してきたの。だけど同時に、あなたがノナの魔女となったことはあまり公にしない方がいいと忠告してくれたわ」
「そうなのですか?」
「ええ。魔女とは言ってもマグダレーナさまと違って、あなたにはまだ身を守るだけの力がないからと。
でもあなたにはこれから、あの子が魔力の手ほどきをしてくれるつもりのようよ。あなたの護衛騎士としての精霊契約も解除しないことにしたんですって。坊主とまとめて面倒見てやるよ、なんて言っていたわ」
義母の口ぶりにザジへの親愛が感じられた。
ザジはフレイザー家の血筋を守る役目を持っているというから、義母も彼を好意的な目で見ているのだろう。
今では私も、ザジを信頼している。
ターラの言うとおり、ザジを護衛騎士に任じて本当に良かった。
「ザジには私も感謝しています」
と言うと、義母は破顔した。
「よかったわ。ザジはルドガーとはザヴィールの盟約で結ばれた兄弟のようなものだし、黒の森の若長としてセドリックのことも守ってくれる、フレイザー家にとってはこの上なく頼もしい存在だもの」
そう言っていったん言葉を切ってから、義母は少しためらいがちにつづけた。
「フレイザーの血筋はね、竜人族だったといわれている開祖セドリック公の血が強いのか、配偶者に対しては一徹なところがあるの。
竜は生涯ただ一頭の番と添い遂げるというでしょう?
フレイザー家の歴代の当主たちも皆、生涯ただ一人の伴侶を大切にしてきたのよ。
それは今の貴族社会の主流ではないけれど、ベニートもそう。
彼は昔からずっと、妻の私を本当に大切にしてくれてきた。
そして息子のルドガーにも、愛とはただ一人、真実の相手に注ぐものと教えてきたわ」
義母は私に何を言いたいのだろう。
話の行き先が読めないまま私が口をつぐんでいると、義母はやや緊張した面持ちになった。
「ルドガーは律儀なところがあるから、父親であるベニートの教えをかたくなに守って、ある意味呪縛されているのだと思う。
あの子が貧民街の娘と恋仲になった時、私はもう泣いて泣いて泣き暮らしたわ。
どうか考え直してほしいと何度も言ったけれど、あの子は表情も変えなかった。
父上が教えてくださったとおりにしているだけだと言って……」
そのあたりのことは、外部から遠巻きにではあるが私も耳にしていた。
救国の英雄であり王国騎士団の団長を務める公爵家の若き当主が、貧民出身の娼婦を生涯唯一の女性と公言したのだ。
これ以上はないほどの醜聞であり、当時は王国中がその話題で持ちきりだった。
義母はまさにその渦中にいたのだ。
「あの時、私は泣くばかりで、ルドガーに何もしてあげなかった。
自分の悲しみに溺れるのではなく、もっと冷静になって、本当にあの子にとって良い方法を考えてあげるべきだった。
だから今度は、あの子にもう一度手を差し伸べて、あの子を救ってあげたい」
ベッドに上半身を起こしている私に、義母は訴えた。
「エリナさん、あなたにお願いというのはそのことなの。
ルドガーの要求が理不尽なものだとは重々承知しているけれど、どうかあの子を拒絶しないでやってくれないかしら」
息子を思う義母の姿には胸打たれるものがあったが、私はそれを受け入れることはできなかった。
「私に、ルドガーさまの子どもをもう一人産めということですか。
そしてその子どもを、ルドガーさまとネルラさまに育てさせてほしいということでしょうか」
冷徹に指摘し確認すると、義母は身を固くして沈黙した。
私は義母から目をそらして自分の手元に視線を落とし、静かに息を吐いてから言った。
「…残酷なことをおっしゃるのですね」
「若奥さま、イーディスさまは…!」
「いいのよ、カイサ」
私と義母の間に割って入った侍女のカイサを、義母が制した。
私はうつむいたまま、拳を握りしめた。
義母はなだめるように私に声をかけた。
「エリナさん、そうじゃないわ。
子どもを産んでくれと言っているわけではないの」
「それならお義母さまは、私に何をしろとおっしゃるのですか」
つい詰問するような厳しい声になってしまう。
私は義母に目を向けず下を向いたまま、心中を吐き出した。
「ルドガーさまはネルラさまにただ一つの愛を注がれるのでしょう。
どんなに周囲が反対しようと揺るがない強い愛で結ばれたおふたりです。
王都の愛の巣で気ままに暮らし、時にはおふたりで旅行に出かけて楽しまれるのでしょう。例えばザヴィールウッドの花祭りのような催しなどを。
お幸せではありませんか? この上ない幸福ですわ。
負け犬と呼ばれる私には一生縁のない幸せです…!」
鼻の奥がツンと痛くなったが、涙はかろうじてこらえた。
それでもターラが柔らかい手巾を手渡してくれた。
私は続けた。
「お義母さまとお義父さまは、理想のご夫婦です。私だって、できればそういう結婚をしたかった。夫と愛し愛されて、ともに人生を歩んでいけるような結婚を。
だけどそれはもう諦めました。離縁も覚悟しています。ですからもうこれ以上、幸せなおふたりをさらに幸せにするために私を利用するのはやめてください」
「エリナさん、あの子が本当に幸せだと思う?」
義母は私にぽつんと聞いた。
意外な問いかけに、私は思わず義母を見た。
私を見つめる義母の顔は暗かった。
「私があの子に会ったのは、セドリックが生まれた日が最後だった。
ルドガーがこの領主館にやってきたあの夜に、私は4年ぶりに息子の顔を見たのよ。
4年ぶりに会ったあの子は、ひどく険のある顔つきになっていて、陰鬱な表情をしていたわ。
私には、あの子が幸せそうにはとても見えなかった」
義母のそばに侍るカイサも小さくうなずいている。
ターラとナタリーはベッドの足元から、心配そうに状況をうかがっている。
私は言うべき言葉を思いつかず、ただ戸惑っていた。




