大精霊との対面・9
ルドガーは花嫁の館を開けないというザジに、私は質問した。
「どうして? ルドガーさまは当代のフレイザー公爵家当主でしょう」
赤猫は渋い顔をして―猫の表情はよくわからないが―答えた。
「花嫁の館は、ノナばあさんの加護を持ったフレイザー家の当主が、その血筋をつなぐ花嫁を連れてくるところだ。次の世代のフレイザー家当主の母親になる娘をノナばあさんに紹介して、その娘と生まれてくる子どもの両方にノナの森の祝福を受けるためにな。
フレイザー家当主は確かにルドガーだ。でも今のルドガーには、ノナばあさんの加護が届いていない。だからばあさんがフレイザー家のために開く花嫁の館を使うこともできないのさ」
「え? 加護が届いていないって…」
「あいつはばあさんの加護を拒否したんだ」
「加護を拒否? どうしてそんな」
「あいつが連れてきたネリーって女に、ノナばあさんが花嫁の館を開いてやらなかったからさ」
「なんですって?」
私は思わず肩の上の赤猫へ顔を向けた。
「どういうこと?
ルドガーさまはネリー嬢と花嫁の館へ入るおつもりだったの?
だったらどうしてネリー嬢は花嫁の館を開いてもらえなかったの?
正式に結婚した花嫁でなければいけないってこと?」
矢継ぎ早に質問する私に辟易した様子で、赤猫は重い口を開いた。
「ノナの森では人間世界の身分は関係ないから、結婚してるかどうかなんてどうでもいいんだ。ザヴィールの盟約を継承するフレイザー家の血を次代へつなげていくという覚悟を持った娘であれば、フレイザーの花嫁としてノナ・ニムの祝福を受けられるのさ」
「でも、それならネリー嬢は、ノナ・ニムからルドガーさまの花嫁として認められるはずでしょう。何が問題だったの? そ、その…」
私が言いよどむと、ザジはその先を引き取って答えた。
「あの娘が娼婦だってのは関係ないぜ。ノナの森では王女も娼婦も平等だし。
子どももそうだ。娼婦が産んだ子どもであっても、他の男じゃなくルドガーの子どもなら、フレイザーの血筋にノナばあさんの祝福は届く」
「だったらどうして…」
「ばあさんが言うには、あの娘は子どもを産んで母親になる覚悟ができてないんだってさ。それに、なんとも言いがたいような“饐えた匂い”がするらしい」
「“饐えた匂い”?」
どうにも抽象的な表現で、何を言おうとしているのか今一つつかめない。
「それは、どういう意味なの?」と聞くと、ザジは答えた。
「さあな、俺にもよくわからねえ。たしかにネリーからはルドガー以外の男の匂いがしてたけど、娼婦だったら当然だもんな。
子どもを産む覚悟ができてないってのも、娼婦なんだから避妊しててもおかしくないしさ。
ただ俺は、花嫁の館へ入る時でさえ避妊してるんだとしたら、やっぱりどこか違うような気がした。
そもそも、ルドガーはネリーを生涯唯一の相手だと言ってたけど、俺にはあの娘がルドガーと真剣に向き合っているようには見えなかったんだ。
なんつーか、適当にあしらってる、みたいな感じで、あいつと人生を分かちあうなんてつもりはさらさらなさそうだった。
この女は、何かヤバいことになったらすぐにルドガーを見捨てて、自分一人で安全なところへ逃げ出すんだろうな、と思ったよ。
人間のことは俺にはよくわからないけど、おそらくネリーは、ルドガーに害をなすたぐいの謀略に加担しているか、少なくとも巻き込まれてるんじゃねえかな。
自覚してるかどうかは知らねえけどさ。
ばあさんの言う“饐えた匂い”ってのはたぶん、何か自然の摂理に反した、人間特有の欺瞞の匂いってことなんだと思う」
私はネリーのことを全然知らなかったし、知りたいとも思っていなかったが、ノナ・ニムに拒否されたという彼女の人となりを思いがけず聞いて驚いていた。
「そうなの、そんなことが…」
「そうじゃなかったとしても、俺はあのネリーって娘を見て、ノナばあさんが祝福を与える気になれないのは無理もないと納得したぜ。
あの娘は黒の森の一族とは相いれないさ。祈りや祝福に何の価値も見いだせない、根っから世俗の“人の子”の魂の持ち主だからな。でもルドガーにはそれがわからないんだ」
赤猫はイラついた口ぶりになってまくしたてた。
「あいつ、ネリーを真実の愛の相手だと周囲の人間が誰も認めてくれないって言うんだ。
確かにネリーは貧民出身の娼婦だから、騎士団長の公爵さまとは人間界では釣り合わないだろうさ。
けどさあ、ノナばあさんや俺が、人間界の序列に左右されるわけないじゃん。
あいつもそれはわかってるはずなんだけど、ノナばあさんがネリーに会いもしないで門前払いしたもんだから怒っちまって、俺やばあさんを裏切り者呼ばわりしやがってさあ。
あの娘を受け入れない理由はちゃんと説明したのに、まるで聞く耳持ちやしねえ」
「それで、ルドガーさまはノナ・ニムの加護を拒否するようになったのね」
「ああ。今のあいつは生まれ持った自分の魔力しか使えない。それだけでも、ザヴィールの盟約にもとづいた強大な魔力だけどな」
ザジとそんな話をしているうちに、亀の歩みで進んできた精霊の道に終わりが見えてきた。
ザヴィールウッドのフレイザー公爵家領主館だ。
庭園に降り立つと、赤猫は私の肩から飛び降りて言った。
「エリナ、人間界に戻ったらとたんに今までの疲れがどっと来るからな。
たぶん2,3日爆睡するだろうけど、目が覚めたら花祭りが終わっていたからって俺を恨むなよ。
俺はちゃんと、ノナばあさんの所から、花祭りの間にお前を連れ帰って来たんだからな。忘れるなよ」
言いたいことを言い終えてすぐ、赤猫は姿を消し、私がニーヴの丘から歩いてきた精霊の道も煙のように消え去った。
するととたんに身体が重くなって、私は応接室前の庭園でくずおれた。
「わ、若奥さま!?」
「エリナさま!」
「誰か、早くお医者さまを!」
何人もの人間の慌てふためく声が聞こえ、力強い腕が私を抱き起こした。
意識が朦朧として、私はされるがままになっていたが、かろうじて聞き慣れた侍女の涙声だけが聞き取れた。
「エリナさま、ナタリーです、おわかりですか!?」
(ナタリー…)
重いまぶたを開くこともできない。
目を閉じたままで、忠実な侍女を安心させようと精一杯微笑んでみたが、それが限界だった。
私はそのまま、夢も見ないほど深い眠りに落ちていった。
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