大精霊との対面・5
少し残酷または性的な表現があります。ご注意ください。
セドリックを守り抜くというザジの頼もしい答えを聞いて胸をなでおろした私に、ノナ・ニムが尋ねた。
「エリナ、これでリック坊やの心配はしなくてよくなった。お前の望みはかなったかい?」
私は森の大聖女を見上げて答えた。
「半分だけは。ですがまだ足りません。私は息子だけでなく、自分自身を守る力も欲しいのです」
「自分自身を守るとは、何からだい?」
けげんな顔のノナ・ニムに、ザジが答えた。
「ノナばあさん、エリナはルドガーを恐れてるんだ。
ルドのやつ、エリナに愛人と育てる子どもを産めとか言いやがってさ。
エリナもエリナで、ルドの子どもを産む道具として嫁いできたとか言ってるし。
俺はルドにさあ、面倒くせえから、道具だってんなら反抗できないように、エリナの手足をもいじまえって言ったんだよ。
そしたらそれを聞いて、エリナが本気でおびえちまってさあ」
そのとたん、古代樹の上から大音声が響いた。
「冗談で言っていいことと悪いことの区別もつかないのかい、お前は!」
大精霊から雷を落とされたザジは、頭を抱えて身をすくめながらも口答えをした。
「だってよ~、こいつらの方がよっぽど変なこと言ってるじゃん?
他の女と育てる子どもを産めとかさあ、子どもを産むただの道具になるとかさあ。
何がいいのか悪いのか、俺にはさっぱりわからねえよ」
「人間のことには必要以上に首を突っ込むなといつも言っているだろう、ザジ。わからないなら黙っておいで」
ぴしゃりとそう言われて、ザジは不満そうな顔で口をつぐんだ。
ノナ・ニムはザジから私に視線を移した。
「エリナ、ノナはルドガーをよく知っている。あの子は合意もしてない女に、子づくりの行為を強要するような子じゃないよ。
ましてや罪もない者の身体を傷つけるなんて、あの子のいちばん忌み嫌うことさ。あの子は自分がそういう目にあわされた記憶を失くしているけれど、脳の記憶はなくなっても魂に刻まれた傷は消えはしないのだからね。
でもねえ、今ここでノナが何を言っても、お前のルドガーへの不信感はなくならないんだろうねえ?」
私は下を向き、ノナ・ニムに無言の肯定を示した。
「わかったよ。だったらエリナ、お前をノナの魔女にしてやろう。そうすればルドガーもおいそれとはお前に手を出せなくなる」
「え、私を? 黒の森の魔女にですか?」
私は信じられない思いで古代樹の上を振り仰いだ。
「でも私には何も……母の歌う祝ぎ歌のような特別な力は何もありません。
ノナ・ニムの魔女になる資格など私にあるのでしょうか」
「資格ときたかい。そうだねえ……だったらお前は何ができるんだい、エリナ?」
古代樹に半身をうずめたまま、鹿の角を生やした大精霊の顔がまっすぐに私の方を向く。
威圧されているような息苦しさを感じつつ、私は答えた。
「私に何ができるか…わかりません。でも何だってやります。セドリックのためなら、私は何だってできる」
息子の名前をつぶやくと、私の心に小さな灯がともった。
「ノナ・ニム、私は前の人生の最後になってようやく、セドリックが自分の宝物だったことに気づいたのです。
今度の人生ではもう間違わない。あの子を守って、あの子のために生きると決めたのです」
揺るがぬ決意で古代樹を見上げると、大精霊ノナ・ニムは、静かに私の視線を受け止めて言った。
「エリナ、お前が息子のために生きるなら、お前の息子は誰のために生きるんだい?」
思いもよらない問いかけに、私は一瞬言葉に詰まった。
「息子は…セドリックは、誰のために…?」
「そうさ。母親が息子のために生きてくれるなら、息子は自分のために生きなくてもいいじゃないか? だったら坊やはいったい誰のために生きたらいいんだい?」
「そ…それは…」
ノナ・ニムの問いは、私が今まで考えたこともなかったものだった。
私は返答に窮したが、何と言っていいかわからぬままに、心の内を少しずつ吐露していった。
「ノナ・ニム、息子のセドリックは、もうずっと小さいころから、私によく聞くんです。
『母さま、僕のこと可愛い?』って。
抱っこしてあげている時とか、添い寝してあげている時とか、私の膝で甘えている時とか」
そのときの光景を思い出して思わず笑顔になりながら、私は森の大聖女に向かって語り続けた。
「そういう時、あの子の瞳は期待でいっぱいできらきら輝いているんです。
私があの子を可愛いと答えることに、何の疑問も持っていない……そして私はもちろんあの子に答えます、可愛いわ、母さまはあなたが大好きよ、って。
そう言って抱きしめるとあの子は本当に幸せそうに笑ってくれる」
ノナ・ニム・フォレッサの深い緑の瞳は、心の内まで見透かすように静かに私を見つめている。
「前世で私は、あの子を12歳になるまで育ててきました。
けれどあの子は一度も私に、自分のことを可愛いと思うかなんて聞いてきたことはなかった。
あの子は、母親の私が息子である自分を愛しているなどとはまるで思っていなかったのでしょう。
前世の私は自分の見栄や体裁ばかり気にして、あの子自身を見てなどいませんでしたから」
私の胸には、何度も味わってきた苦い後悔の念がまた湧きおこり、頬にはいつしか涙が伝っていた。
「ノナ・ニム。今度の人生では、私は命をかけてもあの子を守ってやりたいのです。
前世では見ることのできなかったあの子のあの笑顔を見ることが、私にとっての幸福なのです」
大精霊はその手を伸ばして、そっと私の頬に触れた。
「それでいいんだよ、エリナ。自分の幸福がわかっているならそれでいい。
息子のために生きることが、自己犠牲ではなく自分を生きることである間は、そうすればいいのさ。
子どもが成長して母親の手を離れるまではそれでいいんじゃないかね。
誰しも幸福になるために生まれ、生きていくんだよ。
そして、自分の幸福を見つけることができるのは自分だけなのさ」
新しい涙をあふれさせた私に、ノナ・ニムは目を細め、優しく語りかけた。
「エリナ、魔女と聖女はどう違うかわかるかい?
魔女は自分のために魔力を使う者、聖女は他者のために魔力を使う者だ。
ノナは黒の森の大聖女と呼ばれるけれど、それは人間が勝手にそう呼んでいるだけであって、ノナは自分のために生きている。
だからノナの眷属になる者も、自分のために生きる者でなくてはならない。
ノナの魔女だったお前の母のマグダレーナも、“祝ぎ歌”の歌い手として自分の人生を生きただろう。
あの娘の一生は長くはなかったが、充実した人生だったと言えるんじゃないかね?」
私は涙を指で拭って、ノナ・ニムに答えた。
「はい、そうだと思います。
でも私には、母のような才能はありません。魔力も封じられたままで、思うように使うことはできませんし、黒の森の魔女になったとして、それに見合った働きができるかどうかわかりません。
それに自分の人生を生きろと言われても、特別な力のない私はどうしていいのか……ノナ・ニムは、私に何を求めておいでなのでしょうか?」
途方に暮れて私がたずねると、大精霊は口角を上げて、緑の髪と鹿の大角をさわさわと揺らした。
「お前は二度目の人生を生きている。それだけでも特別なことだと思わないかい?
でもだからこそ、自分の人生の傍観者であってはならないのだよ。
自分を粗末にしてはいけないし、間違っても、自分を他人の道具になどおとしめてはいけない。
いいかいエリナ、ノナの魔女になるのなら、よく視て、よく聴き、深く識りなさい。
二度目の人生を生きているお前にならそれができるだろう。
それに、自分だけでなく自分の周囲にも、人生をやり直したいと思う者があったら手を差しのべてやりなさい。
それがノナの魔女としてお前のなすべきことだ。
そしてもし、リック坊やをはじめとする他者のために使うお前の魔力が大きくなったら、魔女を超えて聖女と呼ばれるようになるかもしれないよ」
「よく視て、よく聴き、深く識る…そして人生をやり直したい者に手を差しのべる…」
私はノナ・ニムの言葉を反芻した。
それなら私にもできそうだ。特別な才能や魔力がなくてもいいのだから。
「わかりました。ノナ・ニム、それでいいのなら、どうか私をあなたの魔女にしてください。聖女になれるなどとは思えませんけれど、それでも精一杯努力いたします」
膝の上で固く拳を握ってそう宣言した私に、大精霊は満足げにうなずいた。




