大精霊との対面・4
私の母マグダレーナの気配が消えた後、ザジが古代樹に宿るノナ・ニムを見上げて問いかけた。
「ばあさん、エリナの封印、解けるかい?」
黒の森の大聖女は、高い位置からじろりとザジを睨めつけた。
「マグダレーナの気持ちを無視して、ノナが勝手に封印を解くつもりはないよ。
エリナ本人が自力で解けばいいだけのことじゃないかね。
それにエリナは、前の人生は魔力を解放しないまま終えたんだろう?
だったらそれもありってことさね」
「えっ?」
ノナ・ニムの思いがけない言葉に私は驚いて思わず問い返した。
「前の人生、って…ノナ・ニム、私が人生を巻き戻ってやり直していることをご存じなのですか!?」
「ああ、知っているとも。
巻き戻りの魔法が発動されたことは感じ取れるからね。
そういやザジ、お前はどうなんだい? 常世の国のことはわからなくてもまあいいけど、黒の森の一族が行ったこんな大がかりな魔法を感じ取れないようじゃあ、さすがに若長失格だよ」
森の大精霊からそんな風に言われたザジは、口をとがらせて言い返した。
「わかってるよ、そんなこと。感じ取ってるに決まってるじゃねえか。
なにしろ術者はジグ兄貴なんだからな。おなじみの“知りたがり”の魔力をめちゃくちゃ感じてらあ。
だけど俺あ、エリナが前世の記憶を持ってるとは思わなかったなあ。
お前、巻き戻りの魔法の依頼者なのか?」
「ち、違うわよ」
ザジに聞かれて私は慌てて否定した。
「私にもよくわからないのよ。
ただ、子どもを産む際に生死の境をさまよったことがあって、そのとき前世の記憶がよみがえってきたの。でも私自身が魔法を依頼した記憶はないわ」
「ふ~ん……けど前世の記憶を持って巻き戻ることができるのは、術者の他には巻き戻りの術を依頼した本人だけのはずだけどな」
「でも本当に、依頼したのは私じゃないわ。前世の私は時を巻き戻る魔法があるなんてこと、まったく知らなかったもの。依頼なんてできるはずがない」
「そうか。それならお前のまわりにいる誰かが、兄貴に依頼をしたんだろうな。誰だ?」
「わからない……」
私にはそれしか言うことはできなかった。
難しい顔で考え込んだザジと私に、ノナ・ニムは上から声をかけてきた。
「まあ依頼者が誰であれ、術者はあの“知りたがり”であることは間違いない。
本来、前世の記憶のないままで二度目の人生をやり直すはずだったエリナに、前世の記憶を思い起こさせてしまっているのはあの子の失態だ。
巻き戻りの魔法は最高に難易度の高い魔法だとはいえ、“知りたがり”もまだまだ未熟だねえ。
それとももしかしてあの子のことだから、何か考えがあってわざとそうしたのかもしれないね。
ともあれ、ノナの眷属がしでかしたことの後始末は、ノナがしてやらなければなるまいよ」
そう言うとノナ・ニムは、私に視線を投げかけた。
「エリナ、お前がここに来たのは、何かノナに頼みごとがあってのことだろう?
“知りたがり”の術で迷惑をかけたお詫びに、ノナがお前の願いを一つかなえてやろうじゃないか。
何が望みだい? 言ってごらん」
「望み…私の望みは…」
いきなり直球で聞いてこられて私は言葉に詰まってしまい、しどろもどろになった。
「私の望みは、その……強くなることです。私の息子の、セドリックを守れるくらいに」
「セドリック? ああ、銀髪のリックかい。あの子はお前の息子なのかい、エリナ?」
「んなわけねえだろ、ノナばあさん」
ノナ・ニムの返答を聞いたザジが、横から口を出してきた。
「銀髪のセドリックは千年も昔に生きてた、フレイザー一族の始祖だよ。
んなもん、とっくに常世の国に行っちまってらあ。
エリナの言ってるセドリックは、今のフレイザー家当主になってるあのルドガーの息子だよ。
セドリックって名前はあいつがつけたんだとさ。
黒髪に赤い目をしていて、親父そっくりなんだ」
「へえ、ルー坊やにそっくりの、黒髪に赤い目のフレイザーだって? ザヴィールの竜が当代に二人生まれたってことかい。これはいよいよ“知りたがり”の尻拭いが必要だね。
エリナ、よくよく気をつけた方がいいよ。高貴な竜の幼生は狙われるからね」
ノナ・ニムにそう言われた私は、不安に駆られてたずねた。
「狙われるというのはセドリックがですか? 誰に、なぜ?」
「いろんな悪いやつらにさ。特別な力を持つ子どもをさらってその力を我がものにしようとするやつは、どこにでもいるからね。
それこそエリナ、お前の母親のマグダレーナも恐れていたことだ。
特に黒髪赤眼の竜の子なんて、一目瞭然ですぐわかるからね」
「竜の子? セドリックがですか?」
ノナ・ニムが当たり前のように言うことに私は面食らっていた。
私の息子は魔力は持っているけれど、ふつうの人間であるはずだ。
だがノナ・ニムは、私が面食らっていることに逆に驚いたように問い返してきた。
「まさかエリナ、フレイザー家の開祖が結んだザヴィールの盟約を知らないわけではなかろうね?
銀髪のリックと黒竜王ザヴィールが結んだ盟約は、代々のフレイザー家当主に受け継がれてきたはずだよ。
ルドガーはお前に教えなかったのかい?」
「ルドガーさまは…」
私はうつむいて唇をかんだ。
「ルドガーさまは、私ではなく、別の女性を真実の愛の相手と定めていらっしゃるのです。ですから私とセドリックには、ほとんど関わっておられません」
「なんとまあ、そんなことになっているとはねえ」
ノナ・ニムは額に手を当てて大きく息をついた。
「どうりでおかしいと思ったよ。ルー坊やには花嫁の館を開いてやっていないものねえ」
「花嫁の館…」
それは義母の言っていた、フレイザー家に嫁ぐ花嫁が入るという館のことだろうか。
ルドガーからはその館について、前世でも今生でも何の説明もなかった。
おそらく夫は心の中で、私を花嫁とは認めていなかったのだろう。
彼にとってはネルラ夫人ことネリー嬢だけが自分の花嫁なのだ。
もういい、今さらそんなことに傷ついたりはしない。
私はうつむいていた顔を上げてノナ・ニムを見た。
大精霊の霊力に当てられて力の抜けていた身体にも少しずつ力が戻ってきていた。
母親として、セドリックのことはすべて聞いておきたいと思い、私は黒の森の大聖女に懇願した。
「ノナ・ニム、セドリックが竜の子というのはどういうことでしょうか。
ルドガーさまは私に何も教えてくださらないけれど、私はあの子の母親です。
子どもを守るために必要なことは何でも頭に入れておきたいのです。
どうか私に、セドリックに関わるフレイザー家の事情を教えてくださいませ」
古代樹の幹を背にしたノナ・ニムは、憐れみのまなざしで私を見た。
「ザヴィールとリック・フレイザーの盟約は、ノナの手の及ばぬことさ。
その内容についても、ノナが勝手にお前に教えることはできないよ、エリナ。
ノナはただ、警告してやっただけだ。
お前の息子のリック坊やが、いろいろな奴らに狙われているとね。
だけど、お前の坊やにはザジがついている。
ノナの森の若長の名にかけて、赤猫はリック坊やを守り抜くだろうさ。
そうだろう、ザジ?」
「おうよ」
ノナ・ニムの問いかけに、ザジは胸を張って即答した。
それを見て私はホッと胸をなでおろした。




