大精霊との対面・3
そびえたつ古代樹の幹から上半身を前に乗り出した格好で、緑の女性は私に話しかけてきた。
「マグダレーナ、元気そうだねえ。こないだは祝ぎ歌をありがとうよ。ウィロー砦はカルセミアに近いから、あっちの連中も喜んでいたよ」
「あ、えっと、あの」
返答に詰まる私に、ザジが助け舟を出した。
「違うって、ノナばあさん。レーナはもうずっと前に常世の国に移ったんだ。
こいつはレーナじゃなくてその娘で、エリナってんだよ」
「あ…はい。そうです」
私は姿勢を正し、あらためて黒の森の大聖女に淑女の礼をした。
「ただいまご紹介に預かりました、マグダレーナの娘のエリナと申します。
ノナ・ニム・フォレッサ様にお目通りが叶いまして、恐悦至極に存じます。
それと、ニーヴの柳の精霊さまから、ノナ・ニムによろしく伝えてほしいと申しつかってまいりました」
そんな私の頭越しに、「ふうん」とアルトの声がした。
「マグダレーナにそっくりだけど、なんだか堅苦しい娘だねえ、ザジ」
「まあそう言ってやるなって、ノナばあさん。
こいつも、礼儀正しくしなきゃと思うじゃん。ばあさん一応、フィンバースの大精霊なんだからさあ。
ていうかエリナ、いつまでやってんだ、頭上げな」
ザジに言われてそろそろと顔を上げる。そしてノナ・ニムをちらりと見たとたん、緑の瞳に射抜かれたような衝撃が全身に走った。
私は足元をふらつかせてよろめき、地面に座り込んでしまって、立ち上がろうとしても身体に力が入らなかった。
「あ~、ばあさんの霊力に当てられたな、エリナ」
ザジが上から私の顔をのぞき込んでそう言った。
ノナ・ニムは、古代樹の幹から体を伸ばし、大鹿の角のついた頭を私の目の前に寄せてきた。
「しっかりおしよ。
ノナの森では人間界の序列に縛られることはないからね。
敬語はいらないし、格式ばった礼儀作法も必要ない。
立っている力が出ないなら座ったままでいいよ」
大聖女ノナ・ニム・フォレッサは、おだやかな声音で私に語りかけてきた。
「エリナ、ノナはね、マグダレーナの娘であるお前が、いつここへ来るかと待っていたんだよ」
「なんだよノナばあさん、エリナのこと知ってたのか」
ザジの質問に、森の大聖女は答えた。
「エリナのことは、マグダレーナから聞いていたのさ。娘の魔力を封じたと」
「「魔力を封じた?」」
ザジと私の問い返す声が重なった。
「ど、どういうことでしょうか」
「何言ってんだよ、ばあさん」
ノナ・ニムは私たち二人の剣幕に押されたように身を離し、すいっと古代樹の幹の上方に戻った。
「エリナ、お前は生まれたときから魔力を持っていなかっただろう?
それはお前の母親のマグダレーナが、赤ん坊が生まれてすぐにその魔力を封じたからなのさ」
「そ、そんな…どうして? どうして母は私にそんなことを…!」
魔力を持たない令嬢が貴族社会でどれほど冷遇されるのか、リズリー伯爵夫人でもあった母マグダレーナが知らないはずはない。
現に私は幼いころから陰に陽にいじめられてきたし、貴族令息との婚姻はできないものとあきらめて、平民に嫁いで自分も平民になる覚悟をしていた。
兄アルマンほどではないにしても、わずかでも魔力さえあれば、あれほど悩み苦しむことはなかったのに。
「ひでえな、母親が娘の魔力を封じるなんてさあ」
実の母を悪く言われるのはつらいが、ザジの憤慨は私の心情を代弁するものでもあった。
だがノナ・ニムは、まるでかんしゃくを起こした幼児をあやす母親のような顔をして、私とザジを古代樹の幹から見下ろした。
「そうぎゃんぎゃん騒ぎ立てるんじゃない。
それにはちゃんと理由があるんだよ。
落ち着いて聞く気があるなら話してやるけど」
「あ、あります!」
「俺も!」
私たちの返事を聞いたノナ・ニムはうなずいて、色のない唇を開いて話しはじめた。
「マグダレーナは二人目の子どもを身ごもっていた時、その子が特別な力を持っていることを肌で感じていたそうだ。
そして、その力が他人に知られれば、その子がさらわれたり、最悪殺されたりすることになるだろうと危惧していた。
そこで、その子の持つ大いなる力を利用しようとする悪いやつらに見つからないように、子どもが生まれてすぐ魔力を封じたんだよ。
だからその子は、表向きには生まれつき魔力を持たない子どもとして育てられることになった」
「そ…それが、私…?」
「そうさ。それがお前だよ、エリナ。
マグダレーナは魔力を封じることで、お前の命を守ろうとしたんだ」
ノナ・ニムのその言葉とともに、私は背後からあたたかな光が差してくるのを感じた。
ノナ・ニムは私の背後へ視線を向け、親しげに声をかけた。
「おや、マグダレーナ。ずいぶん立派になったじゃないか」
「何言ってんだ、ノナばあさん」
ザジはあきれ顔で黒の森の大聖女を見上げた。
「さっきも言ったろ、マグダレーナは常世の国へ行ったんだ。これは娘のエリナだって」
「そうともさ、マグダレーナは常世の国から娘を守っているんだろうよ。
お前には見えないのかい、ザジ?
エリナの後ろにいる、“祝ぎ歌のレーナ”が」
「へあ?」
ザジは奇妙な声を出して私の後ろを見た。
私も思わず背後を振り返ったが、誰の姿も見えない。
ただ、明るくあたたかい光が私を包み込んでいて、とても心地が良かった。
ザジは私の背後に目を凝らしていたが早々に見切りをつけ、
「いや見えねえわ。お手上げだ」と肩をすくめた。
ノナ・ニムはそんなザジを見てあきれた声を出した。
「黒の森をまとめる若長にしちゃあ、修行が足りないねえ、ザジ」
「いいんだよ。俺は兄貴が戻ってくるまでの、臨時の若長なんだから。
どうせ修行したって、魔力では兄貴やヒューゴにかなわねえし。
俺は俺のやり方でやっていくさ」
上げた両手を頭の後ろで組んで、ザジは飄々と言った。
私はザジのようにすんなりあきらめることはできなかった。
母がここにいるのなら、一目だけでも会いたかったし、話もしたかった。
「お母さま…」
どこへともなく呼びかけた私の声に、答えたのは母ではなくノナ・ニムだった。
「エリナ、ここは人間界じゃなく、ノナたち精霊のいる精霊界だよ。
ここで常世の国の者に近づきすぎると、向こうへ引っ張られてしまうから気をおつけ。
特にお前の魂は引っ張られやすそうだからね。
マグダレーナ、お前もいろいろ娘に伝えたいことはあるんだろうが、本当にエリナのことを思うなら、今はこの子から離れておいで。
まだ時が来ていないんだ。わかるだろう?」
黒の森の大聖女は、私と私の背後にいる存在双方に、母が子を諭すような声音で語りかけた。
それを受けて、私を包んでいたあたたかい光は小さくまたたき、名残惜しげにゆっくりと消えていった。残された私は、風の吹きすさぶ荒野に一人取り残されたような寂寥感に、泣きたくなるのをかろうじてこらえていた。




