魔女月夜のできごと・4【外伝・ルドガー視点】
ルドガー視点の外伝です。少し性的な表現があるのでご注意ください。
丘を下り、ニーヴの柳の根元に立ってじっと上を見上げる。
アルマン・リズリーの言っていた土地の記憶の映像は、俺には見えてこなかった。
柳に寄りかかり、小川の方を向くが、見渡す限り、人も動物もいない。鳥さえ飛んでいない。
それは、今ここには人ならざる者たちが大勢集まって祝宴を開いているからかもしれない。
俺には見えないだけで。
苦い自嘲の笑いが洩れた。
幼いころ、俺は周囲の人間がみな黒い影のようにしか見えずにいた。
そんな俺が唯一認識できたのは、月夜の夢に出てくる女。
それが祝ぎ歌の魔女、マグダレーナ・リズリーであることを、成長して王都の街中に飾られている絵姿を見てから知った。
そして彼女がすでに故人であることも。
夢に出てくるマグダレーナは俺より年下の少女だったが、俺が成長するにつれ、夢の中の少女も成長していった。
あどけない少女の身体が丸みを帯び、すらりとした肢体が次第に成人女性と変わらぬほどに大きくなっていった。
夢の中の彼女はいつも静かに俺を見つめていて、祝ぎ歌を歌うどころか言葉を発することもないが、俺は彼女の姿を見られるだけで心が満ち足りた。
だが彼女はすでに死者の国へ旅立った人間だ。
いつか夢の中の彼女が享年を迎えたとき、彼女はもう夢に現れなくなるのだろうかと、俺は恐れていた。
貧民出身で娼婦だったネリーを真実の愛の相手と定めた時、両親は公爵家の後継者をもうけるためだけの妻を娶るよう俺に求めた。
俺はネリー以外の女と結婚するつもりなどなかったが、ネリーと結婚するためにはまず初婚を失敗させ、再婚という形を取るしかないと言われて承諾するしかなかった。
初婚の相手には白い結婚を了承してもらい、3年間は形だけの夫婦となる。
その後離縁して、貴族の養女となったネリーを妻に迎えるという心づもりだった。
白い結婚であることは公にはできないから、妻は子どもを産む道具であるという前提を受け入れてくれる相手を探すことになった。
瑕疵のある貴族令嬢が何人も候補に挙がったようだが、最終的に母が相手を決めた。
「あまり社交界に顔を出さないご令嬢なのだけど、評判は悪くないわ。
ただ、魔力を持っていないので、貴族との婚姻はあきらめていらっしゃるみたい」
魔力を持たない令嬢では、貴族社会での縁組は難しいだろう。
俺は相手が誰だろうとかまわなかったので、母にすべてまかせると投げやりに言った。
まさかそれがマグダレーナ・リズリーの娘だとは思わなかったが、どうせ3年経ったら離縁して二度と会わないのだ。
俺はそう考え、情が移らないよう、エリナ・リズリーの姿をあまり視界に入れないようにした。
だがそれは杞憂だったようだ。
婚約式でも結婚式でも、エリナ・リズリーは髪をひっつめて伏し目がちに沈黙していた。
髪の色と目の色はマグダレーナと同じだが、その様子は、あの満月の丘で見た生き生きとした祝ぎ歌の女とは似ても似つかない陰気なものだった。
初夜の晩は満月だった。
俺は憂鬱な気持ちで、花嫁のいる寝室へ向かった。
庭園を横切っていくと、バルコニーにたたずむ女の姿が見えた。
俺は思わず目を見張って、月に照らされているその女の横顔を見上げた。
明るい満月の光を受けて、ゆたかに輝きながら流れ落ちる、白金に近い金の髪。
色の薄い青い瞳、桜色の頬と唇。
視線はこちらに向いていないから俺の姿は彼女の目に入っていないのだろう。
じっと見られているとも知らず、愁いを帯びた表情で月を見て物思いにふけっている。
その姿を目にして、俺は瞬時に悟った。
(あの……少女だ……)
幼いころからずっと夢に出てきたあの少女。
あれは、マグダレーナ・リズリーではなかった。
その娘のエリナだったのだ。
その後花嫁の待つ寝室を訪れ、髪を下ろした彼女を間近で見て確信した。
エリナが俺の夢の少女だと。
だが俺にはすでに生涯を誓ったネリーがいる。
エリナ・リズリーには、3年間の白い結婚ののちに、しかるべき慰謝料を渡して離縁をすると伝えるはずだった。それなのに。
「旦那さまは、白い結婚をお望みなのですか? でしたら私はそれに従います」
エリナは遠慮がちに、しかしはっきりと俺にその意思を伝えた。
それは俺にとっても望む結果であったはずなのに、なぜかその時の俺の中にはひどく凶暴な気持ちが湧きおこった。
(3年経ったら、お前は他の男のものになるのか?)
幼いころからずっと、夢の中で俺を見つめてきたくせに。
理不尽な怒りだとわかっていたし、考えなしの行動の結果がろくなものにならないともわかっていたが、俺は自分を抑えられなかった。
「白い結婚などではない。お前は俺の子を産むのだからな」
そうして俺は新妻を蹂躙したのだった。
今夜の音楽会のエリナは、まさに俺が夢に見てきたあの少女そのものだった。
あの女にはもう近づくまいと自重していたはずなのに、部屋まで会いに行かずにはいられなくなってしまった。
馬鹿なことをしたものだ。
ニーヴの丘は静まりかえっている。
柳の枝の向こうには、あの夜と同じ満月。
地中に引きずり込まれ記憶を失くした日から、絶望の中で幾度となく夢に見て救われてきた、祝ぎ歌の場面と同じだ。
今の俺には見えないが、今夜この丘で繰り広げられているだろう“人ならざる者”の宴には、淫魔でも加わっているのだろうか。
身体の奥が激しくうずいた。
いいだろう。淫魔どもに、欲しいものをくれてやろう。
俺は柳の根元に腰を下ろし、ベルトをゆるめて前立てをくつろげた。
柳の枝越しに満月を見上げていると、夢の中でのように心がざわめく。
自分で自分を慰めるのは、ここに愛する女がいないせいだ。
俺は己に強くそう言い聞かせて、ほとばしる瞬間脳裏をよぎった月白の面影を振り払った。
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