魔女月夜のできごと・3【外伝・ルドガー視点】
ルドガー視点の外伝です。少し性的な表現があるのでご注意ください。
ウィロー砦を出て、俺は砦に近いニーヴの丘へ、ひとり馬を走らせた。
今夜は満月だ。
そしておそらく魔女月夜なのだろう。
今夜、あの女が魔力を開花させたのだから。
丘に近づくにつれ、馬の速度が遅くなる。
動物は勘が鋭い。
どうやら馬は、ニーヴの柳に近づくのを嫌がっているようだ。
俺は馬を下りて近くの木に手綱をつなぎ、徒歩で丘を上り始めた。
魔女月夜にニーヴの丘に来るのは初めてではない。
先ほど義兄に聞かれたときは答えなかったが、俺はマグダレーナ・リズリーがノナの魔女となって初めて祝ぎ歌を歌った時、この丘にいた。
あのとき俺は3歳だった。
父ベニートはフレイザー公爵家当主でありながら現役の王国騎士団長で、母イーディスは公爵夫人として領地運営の補佐をするかたわら、騎士団長夫人として団員の家族の面倒を見ており、それぞれ多忙な毎日だったらしい。
俺は王都のタウンハウスで生まれ、そこで暮らしていたが、春になると両親は俺を連れて、領都ザヴィールウッドの花祭りに顔を出した。
あの年も俺は両親と、花祭りを見るためにザヴィールウッドのカントリーハウスに滞在していた。
花祭りの最終日、後夜祭も終了して、俺はうら寂しい気持ちで床についた。
だがなぜか目が冴えて眠れない。
しきりと誰かに呼ばれているような気がして、我慢できずベッドを降りて窓を開けた。
すると突然、窓の外にある大きな明るい満月が俺の目の前に迫ってきて、周囲が水の中にいる時のようにゆらゆらと揺れ始めた。
足元が宙に浮いているような感覚で、一歩踏み出すとぐんと周囲の景色が後方へ飛び去って行った。
夢か現実か判別がつかないまま、俺は宙に浮いた状態で満月に向かってどんどん歩いて行った。
どれほど歩いたのか、大きな柳の木が見えて、そこで俺は歩みを止めた。
そのとたん、たゆたっていた周囲の景色が定着して、俺は自分が誰もいない丘の上にいることに気づいた。
ここは一体どこだろう?
きょろきょろと見回してみると、自分が丘の頂上にいるのだということがわかった。
満月の光であたりはほの明るい。
たくさんの枝を揺らしている大きな柳の木の生えている斜面に近づいて下を見ると、小さな川の河畔にある柳の根元に金髪の女が現れた。
俺はとっさに身をかがめて隠れた。
丘に伏せて見ていると、その女は、柳の木に向かって歌を歌い始めた。
それは素晴らしい歌だった。
すべての命を讃える祝ぎ歌で、大精霊ノナ・ニムに捧げる歌だった。
祝詞のような難しい部分は子どもの俺にはわからなかったが、歌の中心となる子守唄の部分はやけに強く伝わった。
ザヴィールの森は ノナの森
風は緑に 地は黒に
月のましろに 照らされて
あそべ愛し子 夢の野に
金にも銀にも見える満月の光が余すところなく歌い手の女に降り注ぎ、彼女の歌の魔力が人間の世界だけでなく、人ならざる者たちの世界へも届いていることが肌で感じられた。
俺はその歌声に魅了され、いつのまにか丘の上に立ち上がって呆然としていた。
祝ぎ歌を歌い終わった女は、俺に気づいて岸辺から声をかけてきた。
「坊や、なぜこんなところにいるの」
俺は返答に詰まって黙り込み、女をただじっと見つめた。
白銀に近い金の髪はまっすぐに長く、夜の風にそよいでいる。
瞳はごく薄い青色だ。肌は白くてまるで月光の化身のようだ。
死者ではないことを証すように色づいている桜色の唇が開くと、真珠のような白い歯がわずかに見える。
先ほどの歌声と同じ優しい声で、女は俺に尋ねた。
「あなたは、竜の子?」
女の質問の意味はその時はわからなかったが、わからないながらも俺は首を横に振った。
女は「そう……」とつぶやき、少し顔を曇らせて、丘の上の俺を案じるように声をかけてきた。
「坊や、今夜はここにいてはいけないわ。
早くおうちにお帰りなさい。見つからないうちに、早く」
女が言い終わるか終わらないうちに、「マグダレーナさま!」と柳の下の地面から大きな声がした。
俺は動転してその場から逃げ出した。
何が起こったのかわからなかったが、女の警告通りとにかく家に帰ろうと思った。
だが帰り道がわからない。
来た時と違って、周囲が揺らいで不思議な道が開くこともない。
夜着で裸足のまま丘を走っていき、つまずいて転んだ。
すると頭上から声が降ってきた。
「おやあ?」
目の前に突然子どもの足が現れた。
驚いて顔を上げると、俺より年上の、7歳か8歳くらいの男児が、俺を見下ろして立っていた。
きれいな巻き毛の黒髪で、緑がかった金色の瞳をしている。
子どもは地面にうつぶせている俺の前にしゃがみ、じっと顔をのぞき込んできた。
「ふうん……お前、面白い魂持ってるねえ」
そう言うと子どもはうっとりしたような顔で舌なめずりした。
俺は本能的に恐怖を感じ逃げ出そうとしたが、怪しい子どもは「おっと」と、やせっぽちのくせにものすごい力で俺をねじ伏せた。
「逃げるなよ。おーい、ザジ」
子どもは俺の腕をねじり上げ、背中の上に馬乗りになって誰かを呼んだ。
「なんだあ?」
のんびりした声がして、もう一人の子どもの足が、地面に這いつくばっている俺の眼前に現れた。
身動きが取れないので視線だけ上げて見ると、その足の持ち主は俺と同じ3歳か4歳くらいの男児だった。
赤毛に緑がかった灰色の瞳をしているが、俺を抑えつけている子どもと同じくやせっぽちで、面差しも似ている。
年上の方が俺を抑えつけながらうれしそうに言った。
「こいつ、面白いから連れて帰る。
ザジお前、こいつの代わりにこいつんちの子になりな」
「ええ~~~!?」
ザジと呼ばれた年下の子どもは盛大に不満の声を上げた。
「やだよ兄ちゃん。自分がなればいいじゃんか」
「バーカ、ボクが行っちまったら、研究も実験もできないじゃん。
こいつの魂、いろいろ調べてみたいんだよねえ。絶対面白いよ。
それに、ノナばあちゃんも喜ぶと思うし」
「マジか~。けど俺は大丈夫なのかよ。人間の子になっても」
「大丈夫だって~。ヤバそうだったら逃げてくればいいじゃん」
「う~ん、まあそうだけどさあ…」
しぶる相手の様子にまったく頓着せず、俺を抑えつけている子どもがなかば強引に宣言した。
「よし、決まり! じゃあボクは戻るから。
お前はこいつの来た道たどって行きな」
「ったく、しょうがねえなあ…」
二人の子どもは俺の頭越しに勝手な合意に至った。
するといきなり足元の地面が消失し、俺は年上の子どもとともに、ぽっかり空いた空洞の中に呑み込まれ、落下した。
「うわあああ!」
恐怖のあまり、声の限りに地上へ向けて叫んだが、気の毒そうに手を振る赤毛の子どもが一瞬見えただけで、俺はあっという間に真っ暗な地下の世界に沈んでいった。
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