魔女月夜のできごと・2【外伝・ルドガー視点】
ルドガー視点の外伝です。少し性的な表現があるのでご注意ください。
「閣下、エリナの心をこれ以上傷つけないでください。
妹には近づかないでいてほしいのです。
妹はあなたの息子のセドリックを産んで、慈しんで育てています。
それで十分だと思ってはいただけませんか?
子どもを産む道具としての役目はもう果たしていると」
義兄アルマン・リズリーは、深い青色の瞳に哀願の色をにじませてそう言った。
だが俺はうなずきはせずただ沈黙した。
義兄は軽く失望のため息をつき、肩を落とした。
「…まあ、いいでしょう」
少し息をついてから、アルマンは俺に顔を向けた。
「ところで話は変わりますが、閣下」
そうして義兄は、気を取り直したように話しかけてきた。
「実は今日、僕とエリナは、ウィロー砦へ来る前にニーヴの丘を訪れてきたのですよ。
閣下はニーヴの丘をご存じですか?
おいでになったことはありますか?
あそこは、僕とエリナの母であるマグダレーナが、ノナ・ニムの祝福を受けて戻って来た場所なのです。
いつか兄妹そろって行ってみたいと思っていたので、念願がかなってうれしかったですよ。
ですがあの場所を今以上の観光名所にはしたくないので、母が祝ぎ歌を歌ったのがニーヴの丘であることは他言しないでくださいね」
俺は黙ってうなずいた。アルマン・リズリーはそのまま話を続けた。
「僕がニーヴの柳の根元に立つと、土地の記憶が頭の中に映像として流れてきました。
精霊の国への入口でもあるあの場所では、魔力のある者には過去を見ることができるようですね。
あのときまだ魔力のなかった妹のエリナには見えなかったようですが」
俺はアルマン・リズリーの言葉を聞いて身体をこわばらせた。
ニーヴの丘の、土地の記憶の映像とはいつのものだろう。
まさかあの夜の映像なのだろうか。
そう思うと背中がぞくりとした。
そんな俺の警戒心に気づいてもいないのだろう、アルマンは饒舌に語り続けた。
「明るい満月の夜に、ノナ・ニムに捧げる祝ぎ歌を歌う母の姿が見えました。
魔力を通してしか見られない、土地の記憶の映像、つまり残像にすぎないというのに、わが母ながらそれはそれはすばらしい祝ぎ歌でしたよ。
なにしろ万物の魂を震わせたあの時の母の歌は、今でも語り草になっているくらいですからね」
流れるように母親の自慢話をした後、アルマンはそこでいったん言葉を区切った。
そうして姿勢を正して俺に向きなおり、あらたまった様子で再び話しはじめた。
「閣下。丘の記憶の中で、母の姿の他にも、僕にはもう一つ興味深いものが見えたのです。
母がニーヴの柳の下で、ノナ・ニムに捧げる歌を歌っているあいだ、岸辺にいる母を丘の上から見下ろしている子どもがいたのです。
黒髪に赤い瞳をした、3歳か4歳くらいの男の子です」
どくん、と心臓が跳ねたが、それを表には出さなかった。
義兄はさらに続けて言った。
「その子を見て、僕は最初セドリックかと思いました。
髪や目の色もそうだが、顔や体つきもあの子にうりふたつなのです。
だがセドリックがあの場にいるはずはない。
土地の記憶は母が妹を産む以前の、20年以上も前のものですから、セドリックは当然まだ生まれていないのです。
であれば、母のそばにいたあの子どもは誰なのでしょう?
考えられる可能性としては、あの当時3歳か4歳だった、セドリックにそっくりの容貌をした人物、すなわちあの子の父親ではないかと……そうではありませんか、ルドガー・フレイザー閣下。
あなたは幼いころ、ニーヴの丘で僕とエリナの母に出会っているのではありませんか?」
アルマン・リズリーが瞳に強い光を宿して俺を見つめる。
彼が自分の推論に確信を持って問いかけていることは明らかだった。
だが俺は、彼の仮説を裏づけることはしなかった。
「さあ、わからない。俺には幼いころの記憶がないのでね」
突き放すようにそう言うと、アルマンは軽く目を見張った。
「記憶がない? それはどういうことです?」
意外そうに聞いてくるアルマンの表情に他意はなさそうだ。
俺の答えを聞いてそれを何かに利用しようという意図があるわけではなく、ただ純粋に疑問を感じて反射的に質問しているだけなのだろう。
だがそうであったとしても、俺は音楽卿にそれ以上の詮索を許すつもりはなかった。
これ以上は立ち入れないようにはっきりと境界線を引き、すべての交流を絶ち切るように、俺はくるりと踵を返し、義兄に背を向けた。
「あなたにもあなたの妹にも知る必要のないことだ。
俺はこれからウィロー砦を出る。
砦の周辺を見回って、そのままザヴィールウッドに向かうつもりだ。
あなたの妹と顔を合わせることはないから安心するがいい。
今夜の音楽会ではご苦労だった、音楽卿。
ザヴィールウッドの花祭りでも良い演奏を期待している」
言いたいことだけ言い捨てて、俺は城壁の上を大股で歩いて、砦の下へ降りる階段へ向かった。
溺愛する妹のいる塔の入口から歩み去っていく俺を、もちろんアルマンは引き止めなかった。
「…ごきげんよう、閣下」
遠い背中越しに、義兄の空虚な社交辞令が聞こえた。
城壁の外階段を下りると、足元が明るい。
見上げた夜空では、満月が浩々と世界を照らしていた。
あのときもこんな満月の夜だった。そう俺は思い起こす。
幼いころ、俺の人生を一変させたあの夜のことを。
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