兄の来訪・3
薫り高い紅茶を味わっている兄に、私はたずねた。
「お父さまはお元気?
最近は、王都からあまりお出にならないと聞いたけれど」
「ああ…」
兄は手にしていたティーカップを静かに置いた。
「父上ももうだいぶ年を取られたからね。
王都から地方へ長時間馬車に乗って移動するのは、体力的に無理なんだ」
「まあ、そうなの…」
最後に父アルバートに会ったのはもう2年ほど前になる。
実家のリズリー伯爵邸へセドリックを連れて行ったのだが、その時の父はいつもと変わらず、体力の衰えなどは感じられなかった。
まだ王都のフレイザー公爵邸に住んでいたころ、兄のアルマンは演奏旅行の帰りなどに、ちょくちょく私を訪ねてきてくれていた。
お土産をくれたり、旅先の面白い話を聞かせてくれたりと、一緒に遊んでくれる伯父にセドリックもよくなついていた。
しかし、「音楽卿」の称号を持つ兄は特例なのだ。
公爵家という高位貴族の家はそう気軽に訪問できるものではない。
父アルバートは宮廷勤めの長い常識人なので、そうした貴族のしきたりに反するようなことはできないのだと、娘の私はよくわかっていた。
だからといって、私から実家の父を訪ねることもあまりできなかった。
そのころの私は、公爵家の領地運営を学ぶ一方、乳飲み子のセドリックの子育てに追われていた。
貴族の夫人なら、子育ては乳母に任せて、自分は社交に精を出すのが普通だが、私は前世の後悔もあり、セドリックとふれあう時間を何よりも大切にしたかった。
そのために、父アルバートのことは後回しになってしまっていた。
チクリと胸が痛む。
「王都を出る前に、お父さまにご挨拶しておけばよかったわね」
しおれて言う私に、兄は笑って首を振った。
「そんなの無理だよ。
お前が切羽詰まった状況だったことは、父上も僕もよくわかっている。
エリーはもう、一児の母なんだ。
母親として、セドリックのことを一番に考えてあげればいい。
僕や父上だってあの子が大事なんだからね」
「でも、私はお父さまにも会いたいわ」
「だったら王都に来るしかないな。僕らはいつでも歓迎するよ。
正直僕も、もう少し王都に腰を落ち着けようかと考えているところなんだ。
エリーが来る日が前もってわかっていたら、仕事の日程もなんとか調整して、家族そろって過ごす時間を取れるようにしたいと思っているよ」
「ありがとう、お兄さま」
「どういたしまして。お前は僕のかわいい妹だからね」
私たちはお互いに笑いあった。
「お兄さまは相変わらずお忙しいの?」
「ああ。今回はザヴィールウッドの花祭りに呼ばれてね」
「まあ、花祭りに!」
フレイザー公爵領の花祭りは、フィンバース王国のみならず近隣諸国にも広く知られている。
毎年春のこの時期に、花が咲き乱れる領都ザヴィールウッドでは、森の大聖女ノナ・ニムの恵みに感謝して盛大な祭りが開かれるのだ。
「私とセドリックも花祭りに行く予定なのよ。
お義父さまとお義母さまから誘われたの」
王都にいたころは領地をまわる時間などなく、公爵領のことは書面上でしか把握していなかった。
だからもちろん、有名な花祭りに行くのも初めてだ。
「お兄さまはいつザヴィールウッドに向かうの?
私とセドリックも一緒に行くわ」
はずんだ声を出す私に、兄は思いがけない返事をした。
「いや、ザヴィールウッドに行く前に寄るところがある」