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ザヴィールウッドの魔女  作者: 三上湖乃
母の祝ぎ歌

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28/52

宴の夜・1

音楽会が終わると、多くの観客は家路につき、砦の中には通常勤務に戻った兵士たちと、兄アルマンとともに砦を訪れている楽団員たちだけになった。

楽団員たちは明日には、領都の花祭りの演奏会のためにザヴィールウッドに向かう。

ウィロー砦司令官のヨシュアは、今夜の音楽会の成功を祝う宴を催して、兄や楽団員たちをねぎらってくれた。

満月の見える中庭は、ステージはそのままに客席が撤去され、いくつもの長テーブルが並べられている。

卓上にはたくさんの料理の皿や酒瓶が置いてあって、演奏会を終えた音楽家たちが気勢を上げていた。

私も酒宴に誘われたが、体調がすぐれないからと断った。

ルドガーと顔を合わせたくなかったからだ。

人目を避けて私は早々に楽屋を離れ、ターラとともに今夜宿泊する塔の部屋へ向かった。



「ターラ、今日は疲れたでしょう」


「ちい嬢さまこそお疲れでしょう。今夜は早くお休みください」


「そうね、そうしましょう」



ターラとお互いをいたわりながら部屋へ続く塔の入口に着くと、ちょうどあの厨房の少年が空のバスケットを下げて階段を降りてきたところに出くわした。



「あ、奥さま。失礼しました」


少年はあわてて階段を降り切ると、入口の脇によけて私たちに道を空け、頭を下げた。


私はくすっと笑って少年に声をかけた。



「ご苦労さま。こんな遅くまで大変だったわね」


「いえ、そんな。あの…」



少年は私が声をかけても下を向いて何やらもじもじしていたが、やがて意を決したように顔を上げて大きな声を出した。



「あのっ! 奥さまの今日の()ぎ歌、すっごく良かったです! 

みんなそう言ってました。心が洗われたって、ノナ・ニムも喜んでるだろうって……お、俺もそう思いました! 

ありがとうございました、奥さま!」



顔を真っ赤にして一気にそう言うと、ぺこり、とお辞儀をして踵を返し、少年は走り去っていった。

虚を突かれてきょとんとしていると、



「よろしゅうございましたね、ちい嬢さま」


ターラがそう言って私を見上げてにっこりした。

私は胸がいっぱいになり、「ええ」と一言返すのがやっとだった。


あの小さな少年があれほど喜んでくれているのなら、今日私がしたことは無駄ではなかったのだ。

夫からは、人前でさんざん悪しざまに言われて傷ついたし、それによってまた私の評判が悪くなっただろうことは気鬱ではあったが、何もかももうどうでもいいことのように思えた。


よかった、とふわふわした足取りで狭い階段を上り塔の部屋に着くと、私はなんだか気がゆるんでベッドに倒れこんだ。

ターラはそんな私を見て、「まあまあ、小さい子どものようですね」と笑った。



「お召し替えをなさる前に、身体をお拭きになりたいでしょう? お湯をもらってきましょうか」


「ええ、ありがとうターラ」


部屋を出るターラを見送って、私は結い上げていた髪をほどいてベッドから立ち上がり、窓際に立って外を見た。

夜空に満月が明るく輝き、宴の催されている中庭を照らし出している。


各所にかがり火が焚かれ、飲み食いしたり歌ったり踊ったり、陽気に騒ぐ人々の姿が見えた。

音楽会の間、音を閉じ込め反響させていた兄アルマンの(とばり)はすでになく、楽団員たちのにぎやかな声や物音が私のいる塔の部屋にまで聞こえてきて、思わず笑みが洩れた。


今日はいろいろなことがあった。

朝、セドリックを送りだし、ニーヴの丘を兄と訪れ、ウィロー砦で5年ぶりにヨシュアと再会し、音楽会で母の歌を披露した。


そして……。


中空の満月に目を移し、一日の出来事をぼんやり振り返っていると、コンコン、と扉をノックする音がして、私は思考を中断した。



「ターラ?」


窓を離れ戸口へ行って扉を開けると、そこに立っていたのはターラではなく、王国騎士団長のマントをまとった背の高い男性。


黒い髪、赤い瞳。


まごうことなく、音楽会が始まる前に公衆の面前で私に暴言を浴びせ続けていた騎士団長である夫、ルドガー・フレイザーだった。



「だ…旦那さま? どうして…」


思ってもみなかった夫の訪問に、戸惑った私は間の抜けた声を出した。


そんな私を、ルドガーは一言も言葉を発さずに、ただ鋭く見据えている。

私は声が震えそうになるのをこらえて、夫に質問した。



「旦那さまがなぜここにおられるのです? 祝宴に参加なさらないのですか」


「……」


私の問いに答えるでもなく、ルドガーは口元を引き結び、ただ無言で部屋の前に立っている。

彼の真意がまるでつかめず、私は急に夫が怖ろしくなった。



「タ…ターラが、私の侍女が戻ってきます」


牽制のつもりで言ってみたが、何の効果もない。

夫はやはり沈黙したままじっと私を見つめている。そこへ、



「ちい嬢さま!」


「フレイザー閣下、こんなところにいらしたんですか」



階下からターラと兄の声が聞こえてきて、私は胸をなでおろした。

背後から二人の声を耳にしたルドガーは、眉間にしわを寄せて階段下を見下ろした。

私の部屋の前は階段の踊り場になっていて、そこはせいぜい大人が一人、多くて二人立っていられる程度の広さしかない。

今は、ルドガーがそのスペースを一人で占領しているので、狭い階段を上ってきた兄はその一段下に、ターラはさらにその下に立ち止まる格好になった。

兄はその手に、もとはターラが持っていたと思われる水差しを抱えて、不自然に貼りつけたような笑顔でルドガーに話しかけた。



「砦の兵士のみなさんが閣下を探しておられますよ」


ルドガーに、この場を去るよう言外の圧力をかけた兄は、「失礼」と言いつつ、自分の一段下にいたターラをルドガーのいる踊り場まで押しやって、自分の手に持っていた水差しを彼女に手渡した。

部屋の扉の前にいた私は、ルドガーの手の届かないように急いでターラを踊り場から室内へ入れた。

ターラはお湯の入った水差しを戸口の床に置くと、扉を挟んでルドガーに向き合っている私のそばに立ち、いつでも私をかばえるように寄り添ってくれた。

兄はゆっくり一段階段を上がって、狭い踊り場で私の部屋の扉の前に立ち、至近距離で夫に向き合った。



「閣下、妹は疲れているのです。ゆっくり休ませてやってください。

どうかこのままお引き取りを」



そう言って兄は、さっさと降りろとでもいうように階段下を手で示し、騎士団長に退去をうながした。















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