砦の音楽会・1
今晩宿泊する部屋として案内されたのは、居間と寝室のついた小さな部屋で、砦にいくつかある塔のうちの1つにあった。
狭い塔の中なので、1つの階に1つの部屋が配されている。
塔にあるだけに部屋の壁面は丸く湾曲しており、最上階ではないが見晴らしがいい。
「ちい嬢さま、今夜はターラもここの居間で休ませていただきます。
ティムさまからのご伝言で、音楽会があるので演奏家やゲストが砦に大勢お泊りになっていて、このような狭いお部屋しかご用意できず申し訳ないとのことです」
「それはかまわないけれど、ターラのベッドは?」
「後で長椅子を運び込んでくださるそうです」
そんな話をしていると、コツコツとドアをたたく音がした。
「どなたですか?」
ターラがドア越しに声をかけると、
「厨房の者です。フレイザー公爵夫人とお付きの方に、夕食をお持ちしました」
と、幼い声が返ってきた。
ターラは部屋の扉を開け、そこにいた男の子から大きなバスケットを受け取った。
まだ12・3歳といったところで、見習いなのだろう。
前掛けが少し大きすぎるようだが、それも可愛い。
私もターラと一緒に戸口へ行き、男の子に「ご苦労さま」とねぎらいの言葉をかけた。
「こんな上の階まで、重かったでしょう」
「いえ、奥さま。慣れていますから」
厨房の少年はどぎまぎした様子でうつむき、赤くなった。
「あ、あの、お食事が終わったらバスケットは外に出しておいてください。後で回収に来ますので」
「ええ、わかったわ。ありがとう」
お礼を言うと少年は下を向いたまま深くお辞儀をし、音をたてないように慎重にドアを閉めた。
ターラは受け取ったバスケットの中身を、中庭に面した窓際の小さなテーブルにていねいに並べた。
「さあ、ちい嬢さま、召し上がれ」
砦の食事なので簡素だし取り立てて美味でもないが、ニーヴの丘でとった昼食以来なにも口にしていなかった私たちは、バスケットの中身を残らず平らげた。
この砦の建物の一角は、四辺で中庭を取り囲むような構造になっている。
辺と辺との交点に塔があり、私の部屋もそのうちの1つの中にある。
部屋の窓から中庭を見下ろすと、音楽会の準備はほぼ整っているらしく、客席も続々と埋まり始めている。
太陽が沈んでからもまだ周囲は明るいが、ステージの周辺ではいくつものかがり火が焚かれていた。
この暗さでは手元の楽譜を読むことなどできないが、それでも問題ないほど、楽団員たちは頭と身体に演目曲をたたきこんでいるのだ。
私はそこまで徹底した音楽教育を受けたわけではなかったけれど、少女時代には兄の楽団が王都の病院や孤児院をボランティアで慰問する時に同行させてもらい、つたないながらも歌や演奏を披露して、観客から寄付を集める手助けをしたりもしていた。
私が舞台に出ると寄付金が通常よりかなり増えるらしく、「エリナ・リズリー嬢を」と名指しで依頼してくるところもあったようだが、あまり目立ちたくないという私の意向を汲んで、兄は私の行く慰問先をかなり厳選して絞ってくれていた。
だから貴族の間では、私がそうしたボランティア活動をしていたことはあまり知られていない。
セドリックがもう少し大きくなったら、あの子と一緒にまたそういうボランティア活動を始めてみるのもいいかもしれない。
今度兄に相談してみよう。
兄は今夜、指揮者として舞台に立つらしい。指揮棒を振って各パートに細かく指示を出している姿が見えた。
音楽卿であるお兄さまの指揮する演奏。
今夜はきっと、素晴らしい音楽会になる。
私は胸をわくわくさせて、ターラの手を借りてナイトドレスに着替え、髪を結い上げて部屋を出た。
1階ホールを通りぬけて外を見ると、もうすでに会場である砦の中庭は人でいっぱいだった。
砦の兵士たちは通常通り軍服を着ているが、多くの人はせいいっぱい着飾って、軽食をつまみながらワインやカクテルを楽しんでいる。
ステージに近い客席にはまだ空きが目立つが、後方の席はすでにいっぱいで、予想した通り庭に面した回廊の方にまで立ち見の客があふれだしていた。
「フレイザー公爵夫人」
ターラと二人で中庭へ出ると、ティムが声をかけてきた。
軽く礼をしてから、さり気なく私の方へ曲げた腕を伸ばしてくれる。
「エスコートしてくださるの?」
「私では役不足かもしれませんが。エイレル司令官のところまでお送りいたします」
私はありがたくティムの申し出を受け入れ、その腕につかまった。
騎士団の制服をまとうティムには誰もが道をあけてくれるので、人混みの中もすんなりと通り抜けていくことができる。
ターラはティムにエスコートされている私の後に付き従って、主に危険がないよう周囲に目を光らせている。
ステージに向かって左手の中二階に、特別席の小さなバルコニーが設けられていた。
そこにはこの砦の最高司令官であるヨシュアがすでに着席していて、私を見つけると軽く手を振ってくれた。
それを目にした観客の中から、ひそひそとささやく声が聞こえた。
「まあ、エイレル司令官が手を振っていらっしゃる」
「お知り合い? あの女性はどなたかしら」
「ヨシュアさまはまだ独身でいらしたわよね?」
「そうですわ。婚約者がおられるというお話も聞いたことはありませんけれど」
「それならあの方は……」
好奇の目にさらされて、身を固くして下を向いていると、
「ヨシュア兄上」というティムの声が聞こえると同時に、うつむいた私の目の前に手袋をした男性の手が差し出された。
反射的に顔を上げると、そこには優しく私を見ているヨシュアがいた。
司令官席を出て、わざわざ私を迎えに出てきてくれたのだ。
ウィロー砦を統べる若き司令官の姿を目にした人々、特に女性たちから黄色い声が上がるのが聞こえた。
ヨシュアはそういった嬌声にいささかも動じず、
「エリー、とても綺麗だ。そのドレス、君に似合っているよ」
と褒めてくれて、私はどぎまぎした。
「あ…ありがとう、ヨシュア」
「ここからは僕がエスコートしよう」
そう言われて私はティムの腕を離し、ヨシュアの手を取った。
彼は私を、階段の設置されている壁際に誘導し、自分は外側の手すりの方に立って、私へ向けられる人々の好奇の視線をその広い背でさえぎってくれた。
これなら、特別席のバルコニーへ入っていったのが誰なのか、せいぜい貴族女性であるということくらいしか周囲にはわからないだろう。
そんな気づかいに感謝しつつ、ヨシュアのエスコートを受けて特別席へ続く階段を上りかけたその時、優雅な音楽会にはそぐわない甲高いラッパの音が、その場の空気を切り裂くようにして鳴り渡った。
「エイレル司令官! フレイザー騎士団長がお見えになりました!」
息せき切って駆け込んできた先触れの兵士が、ヨシュアの前で敬礼をして大声でそう告げた。
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