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兄の来訪・2

陽もだいぶ高くなったころ、執務室のドアがノックされた。

「どうぞ」というと、セドリックが勢いよく飛び込んできた。


「母さま! 伯父さまの馬車が来たよ!」


2階にある執務室の窓から外へ目をやると、一台の馬車が庭園をまわってくるところだった。



「よくわかったわね、セディ」


「うん! だってずっと待ってたんだもん!」


「そうね。それじゃ先に玄関で伯父さまをお迎えしていてくれる? 

母さまは、お仕事のお片づけをしてからすぐに行くから」


「わかった!」



言うが早いか、セドリックは身をひるがえして執務室を出て行った。

バターン! と大きな音で扉が閉まったが、無作法には目をつぶることにする。

息子のせっかくの楽しい気分に水を差したくない。


私もいそいそと書類を片づけて、ナタリーとともに兄を迎えに出た。



玄関ホールへの階段を下りていくと、入口の両側に使用人たちが並んで客人を迎えているのが見えた。

その列のいちばん手前、階段の降り口に近いところに、執事のボルトンがいた。


白髪まじりの黒髪をきちんとなでつけ、しゃんと背筋を伸ばした立ち姿は、王都のどの貴族邸の執事にも負けない風格を漂わせているが、彼は森の民の出身だ。

王都はおろか領都ザヴィールウッドへも出ることなく、長年この黒の森の小さな領主館に勤めてくれている。


公爵家の人々からも使用人たちからも絶大な信頼を得ているボルトンは、私に軽く目線を向けてから、すっと頭を下げた。


子どものはしゃいだ声がする。

頭を垂れたメイドやフットマン、そして執事ボルトンの眼前を通りすぎて、背の高い男性と年老いた女性の二人が、セドリックとともに現れた。


男性は私の姿を目にして、片手を上げた。



「エリー!」


満面の笑みで私の愛称を呼ぶ兄は、相変わらずまぶしいほどの美貌の持ち主だ。


陽光を浴びた麦の穂のように輝く黄金の髪。

夏の空のようにくっきりと青い瞳。

髪も瞳も、妹である私と色合いは同じだが、私より色が濃くはっきりしている。



長い手足はしなやかだが決してひ弱な感じではない。

楽器を演奏するのには意外と体力が必要なので、全身が引き締まっているし、それなりに筋肉がついている。

この容貌でどんな楽器でも弾きこなしてみせるものだから、昔から女性の人気はすさまじかった。



「やあやあ、相変わらず美人さんだね、僕の妹は! まるで月の女神のような美しさだ」



人によっては軽佻浮薄に思われてしまうようなこんな台詞さえ、嫌味なく口にできるのが兄のすごいところだ。


それはたぶん、兄がまっすぐな気性の持ち主で、彼の中に嫉妬や憎悪といった暗い感情がないからだと思う。


アルマンのまわりは、明るくて居心地がいい。

兄が世間の人からしばしば太陽神にたとえられるのも、美しく整った外貌だけが理由ではないのだろう。



兄と挨拶を交わした私は、彼の後ろで私たち兄妹をほほ笑んで見守っていた老女に声をかけた。


「ターラ、よく来てくれたわね」


そう言って彼女の手を取り、軽く抱擁した。


母よりだいぶ年上のターラは、鳶色の髪に白髪が増えて、昔より一回り小さくなったような気がしたが、「ちい嬢さま」と笑った顔は昔のままだった。



「アルマン坊ちゃまのおっしゃる通りですね。


マグダレーナお嬢さまも、月の女神の化身のようだとよく言われておいででした。


ちい嬢さまは、お母さまにますます似ていらっしゃいましたね」



そう言って私を見つめるターラの目は、心なしかうるんでいるようだった。

亡くなった母のことを思い出しているのだろう。



私の後ろに立っていたナタリーが控えめにお辞儀をすると、ターラは


「ナタリーかい? まあまあ、立派になって…」


とまたもや声を震わせるので、私はつとめて明るい声を出した。



「二人とも、朝から馬車に乗っていて疲れたでしょう。

お部屋に案内させるから一息ついて休んでちょうだい。

もうすぐお昼だから、昼食の支度が出来たら呼びに行くわ」


「ああ、ありがとう」


兄が私ににっこり笑いかけると、近くにいるメイドたちが色めき立った。

昔からこうなので、私ももう慣れている。

だがナタリーは彼女たちを一睨みして、しっかり釘を刺した。



「あなたたち、奥さまの大事なお客人に失礼のないように、きちんと仕事をしてね」


その一言でメイドたちはピシッと背筋を伸ばし、それぞれの持ち場へ戻っていった。




にぎやかな昼食を取った後、朝からはしゃいで体力を消耗していたセドリックは眠くなり、そのままお昼寝に入った。

私と兄は、天気がいいので庭園でお茶を飲むことになった。



庭園のあちこちに植えられているバラが、ちょうど見ごろだ。

今の時期、他にもさまざまな花が盛りを迎えており、さわやかな風に乗って芳香もただよってくる。



「エリーが幸せそうで安心したよ」


つるバラの這わされたガゼボで紅茶を飲みながら、兄がしみじみとそう言った。


「いいところだね、ここは。空気がきれいだ。セドリックの身体も丈夫になるだろう」


「ええ、そうなの。ここに来てからあの子は、前よりずっと元気になったわ。

本当に、王都を離れてここへ来てよかったと思っているの」



口さがない王都の人々が私を、夫の愛を得られず都落ちした負け犬夫人とあざ笑っているらしいことは知っているけれど、兄のアルマンはそんなことはおくびにも出さなかった。


「メイドたちの働きぶりも感心したよ。侍女頭はナタリーだろう? 

しっかりと統率が取れているね。大したものだ」


「そんな……恐れ入ります、アルマンさま」


給仕をしながら、ナタリーは心底恐縮したように身をちぢめた。



ナタリーが我が家に来たのは彼女が7歳の時だ。

そのころ兄はもう14歳で、音楽の世界では神童として名を馳せていた。

すでに王家から「音楽卿」の称号を賜っていたこともあり、平民のナタリーにとって、兄アルマンは私に対するような親近感を感じる相手ではなく、ある意味雲の上の存在だったらしい。

大人になった今でもそれは変わらないような様子が、私にはほほえましかった。



そして、ナタリーにメイドとしての作法を教えたのはターラだった。

ターラは私にとっても大切な存在だが、孤児のナタリーにとっては母代わりであり、生きるすべを教えてくれた師匠でもあるのだ。



「本当に立派になったね、ナタリー。私も鼻が高いよ」


そのターラはナタリーの隣に立ってニコニコ笑っている。


お客なのだから兄と一緒に座ってお茶を飲んだらとすすめたのだが、母の代から我が家に仕えてきた古参侍女は、そんな恐れ多いことはできないと固辞した。


結果、兄にはターラが、私にはナタリーが給仕をしてくれる格好になっている。



「実をいうと、お前とセディが領都のカントリーハウスではなく黒の森の館に住むというので、僕は少し心配していたんだ。ここは人里離れているからね。

本来なら騎士団長夫人とその子女には騎士団の護衛がつくはずだが、ルドガー閣下は、その…」



らしくもなく言いよどむ兄に、私は微笑んだ。


「ルドガーさまは私とセディに護衛などつけないわ、お兄さま。

でも公爵家の騎士がいてくれるから大丈夫」


「エリー……」



兄の明るい夏空の瞳に影がさした。

だがすぐそれを振り払うように、兄は笑顔を見せた。



「今日ここへ来てわかったが、領主館の敷地全体にかなり強力な結界が張られているね。

これならお前とセドリックも安心して暮らせるだろう。

それに、執事のボルトンは有能だし、ずいぶん人望が厚いらしい。

ここの使用人だけでなく、お前たちを護衛している公爵家の騎士も、彼の出す指示に素直に従っているようだ。

邸の中の秩序が保たれていて過ごしやすいよ」


「ええ、お兄さま、心配しないで。

ザヴィールウッドのお義父さまとお義母さまは、私とセドリックのことをとても気にかけてくださっているの」


「そうか。よかった。王都へ帰ったら父上にもそう伝えるよ。

きっと僕と同じように、安心なさるだろう」


「またお手紙を書くわね。お父さまにも、お兄さまにも」


「そうしておくれ。僕らはエリーの手紙をすごく楽しみにしているんだ」


「ふふ、ありがとう。セドリックもずいぶん字が上達してきたから、おじいさまと伯父さまへの手紙を書けると思うわ」


「うれしいね」



兄は口角を上げて、ターラが淹れたばかりのおかわりの紅茶をすすった。





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