祝ぎ歌のわたる丘・2
セドリックとナタリーを送り出してから、私は兄やターラとともに黒の森の館を出た。
家紋入りのフレイザー公爵家の馬車は、この小さな館には一台しか置いていない。
その馬車にはセドリックが乗っていったので、今ここに残っているのは荷運びにも使う粗末な馬車だけだ。
それで私は、兄とターラが乗ってきた馬車に同乗させてもらった。
御者は調律師のマロウである。
軍事拠点であるウィロー砦へ向かう道筋には、さすがに野盗なども出ないだろうと思い護衛はつけなかった。
一応兄のアルマンにお伺いを立てたところ、
「護衛? 必要ないんじゃないか。僕の鳥に空から周囲を監視させておくよ」
と言ってくれたので甘えることにした。
兄は武人ではないが、自分の魔力に習熟して使いこなしているので、荒事にも強い。
万一襲撃を受けても撃退する自信があるのだろう。
私の住む領主館からウィロー砦は、ザヴィールウッドと正反対の方角にある。
距離的にはザヴィールウッドよりやや遠く、馬車で半日以上はかかるが、この時間に出発すれば夕刻には着けるだろう。
「エリー、ニーヴの丘は初めてかい?」
馬車の中で兄が聞いてきた。
「ええ、初めてよ。恥ずかしいけど、私はあの館からあまり出たことがないの。近くの村へ行くくらいで」
「そうか。あの館へ来たときはまだ雪深い時期だったしな」
「そうね、それもあるわ。ただ、私もこれからは、領民たちの生活を知るためにも、少しずつ領内を見て回るようにしたいと思っているのよ。せっかく王都を出て公爵領に住むようになったんですもの」
「それがいいよ。見聞を広めるのはいいことだ。お前は昔からあまり外へ出たがらないところがあったしね」
「だって…」
幼いころから、魔力がないせいで周囲から白い目で見られることが多かった。
女親がいないこともあって、貴族令嬢の交友関係の中になかなか入っていけないでいた。
中にはとてもよくしてくれるご令嬢たちもいたのだが、そういう方は決まって兄アルマンがお目当てで、将を射んと欲せばまず馬を射よ、という目的で彼の妹である私に近づいて来るのだ。
そうした思惑が透けて見える方々と距離を置いていたら、社交界に私の居場所はほとんどなくなっていた。
といっても私は、そのことを特別苦にしてもいなかった。
華やかな交友関係を繰り広げる兄に対して畏敬の念を覚えてはいたが、私自身はそんな風になりたいと思ったことは一度もない。
私は、魔力のない私でも受け入れてくれる親しい人たちと、静かに穏やかに暮らしていたかった。
だから、社交の場ではなるべく人の目に立たないようにして、息をひそめて生きてきた。
どんな場合にも、他人から妬みや恨みを買わないように気を配り、できる限り慎重にふるまっていたつもりである。
それでも音楽卿の妹という立場は嫉妬から逃れられないのか、私はいつもいじめの標的だった。
英雄であるフレイザー公爵ルドガーと結婚してからは、さらにそれに輪をかけていじめがひどくなったのは言うまでもない。
兄もそんな私の事情はよくわかっているから、それ以上は言わなかった。
「ああ、見てごらん、エリー。大きな柳があるだろう。あれがニーヴの丘だよ」
兄に言われて窓の外をのぞくと、なだらかな丘陵の向こう側に大きな柳の木が揺れているのが見えた。
「マロウ、あの柳の木に近いところで停めてくれ」
窓から身を乗り出して、兄は御者のマロウにそう指示した。
馬車を降り、持参した簡単な昼食を済ませる。
少し雲が多いが青空も見える、春の昼下がりだ。
「ご兄妹水入らずで行っていらっしゃいませ」
そう言ってくれたターラの言葉に甘えて、馬車にターラとマロウを残し、私と兄は二人でニーヴの丘をのぼっていった。
丈の短い緑の草や小さな花々におおわれた丘は、それほど急な斜面ではなく歩きやすい。
頂上へ出ると、吹き渡る風が波のように草を揺らしていく先に、小高い丘の上に立つ城砦が小さく見えた。
「お兄さま、あれがウィロー砦?」
「そうだよ。これから僕らが行く場所だ」
兄は簡潔に答えて、丘の頂上を越えた向こう側へ足を踏み出した。
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