祝ぎ歌のわたる丘・1
春の朝は早くから明るい。
セドリックは起こされる前に起きだして、夜着のまま私の部屋へやってきた。
ナタリーの手を借りて身支度をしている私にまとわりつくのは、離れるのが寂しいからだろう。
「母さま、母さま」
「セディ、そんなに抱きついたら母さまのお支度ができないわ。
早く目が覚めたのなら、あなたも着替えていらっしゃい」
「うん…」
ぐずぐずと、私から離れようとしない息子につい笑みがこぼれた。
「お着替えが終わったら、母さまの御用をお願いできる?」
黒髪の頭をなでてそう言うと、セドリックはぱっと明るい表情になって顔を上げた。
「うん! どんな御用?」
「お庭のバラをね、何本か切って、伯父さまがお泊りになっている客室に届けてほしいの。
伯父さまはお寝坊さんだから、朝摘みのバラの香りで起こしてあげましょう。
きれいに咲いているものを選んで、棘に気をつけるのよ。できる?」
「できる! まかせて母さま!」
名誉な任務を与えられたとでもいうように、セドリックは勇んで部屋を飛び出していった。
私とナタリーは、その後ろ姿を見てくすくす笑いあった。
朝食の席に現れた兄アルマンは上機嫌だった。
「いやあ、今朝は良い目覚めだったなあ。
セドリックが届けてくれたバラの花は本当にいい香りだったよ。
ありがとう、セディ」
「えへへ、よかった」
照れたように笑ってセドリックは私を見た。
私は息子としっかり目線を合わせて、微笑んでうなずいてみせた。
セドリックはうれしそうに、大きな口を開けて朝食のパンをほおばった。
そんな様子に、伯父である兄も顔をほころばせている。
「朝早くからあんなにたくさんのバラを摘むのは大変だったろう」
「ううん、ターラが手伝ってくれた」
「そうか、ターラは早起きだからな」
ターラは昔から早起きで、働き者なのだ。
夜も遅くまで何かしらの仕事をしていて、私はターラが寝ているところを見たことがない。
身体も丈夫で、病気一つしないのだが、森の民が全員そうだというわけではなく、ターラが特別なのだ。
本人は、ノナ・ニムのご加護のおかげだといつも言っている。
朝食を終え、昨夜荷造りをした荷物を馬車に運び込んで、セドリックがザヴィールウッドへ出発する時が来た。
ナタリーはセドリックと同じ馬車に乗り、その馬車の前後に公爵家の騎士たちが騎馬で護衛につく。
領都までは、ゆっくり進む馬車の速度で行っても半日もかからないで着く距離だ。
黒の森の館に住むようになって以来、セドリックは祖父母のカントリーハウスを何度も一人で訪れているので、母の私と離れるのももう慣れていると思っていたのだが、今日のセドリックはなかなか私から離れようとしなかった。
「母さま、本当に砦に行くの?」
私のドレスの袖を引いて不安そうにたずねてくる。
ふだんこの館から出ない母が、遠いウィロー砦へ出かけていくことが心配でたまらないらしい。
私は地面に膝をついて息子と目を合わせ、小さな肩にそっと手をかけて言い聞かせた。
「アルマン伯父さまと一緒に行くのだから大丈夫よ。
花祭りの日までには、母さまもザヴィールウッドに行くわ。
一緒にお祭りを見に行きましょうね、セディ」
「うん…約束だよ、母さま」
幼な子は真剣な顔で私の前に小指を差し出した。
私はその指に自分の小指を絡め、「約束するわ、セディ」と心をこめて答えた。
「ナタリー、セドリックのこと、お願いね」
「はい、エリナさま」
決然と言い切るナタリーはとても頼もしかった。
二人が馬車に乗り込み、一行はザヴィールウッドへ向けて出発した。
馬車の窓からセドリックはいつまでも私に手を振っていて、私もまた、馬車が見えなくなるまで息子に手を振った。
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