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兄の来訪・1

『離縁は覚悟しています』の続きです。

フレイザー公爵領は、フィンバース王国の北端に位置している。

領都ザヴィールウッドの郊外には、地名の由来となったザヴィールの森、通称黒の森が広がっている。

豊かさを示す色で呼ばれる黒の森はまた、ノナの森とも呼ばれる。

フィンバース王国に恵みをもたらす大精霊であり、森の大聖女とあがめられているノナ・ニム・フォレッサが支配する聖なる森だからだ。

公爵夫人である私、エリナ・フレイザーが、息子のセドリックと暮らす領主館は、そんな森の近くにあった。

館の裏手にある黒の森は、精霊の血を引くとされる「森の民」の領域であり、一定の範囲を越えた森の奥へは、ノナ・ニムと関わりのない者が立ち入るのは禁忌とされている。

だが森の民の生まれでなくとも、ノナ・ニムが認めた者は「森の一族」として、黒の森への出入りができる。

フレイザー家の人々は、遠い昔に家門の始祖セドリックが結んだ「ザヴィールの盟約」により、自由かつ安全に森との行き来ができるのだ。

始祖の名をいただいた私の息子セドリックもそうなのだが、あの子の母である私は、フレイザー家の血族ではないので森の入り口部分までしか入れない。

雪どけした春の森へ、セドリックが行きたいと言いだしたら、誰をお供につけようか思案しているところだ。



そんなある日のこと。

私は朝からそわそわしていた。兄のアルマンが、この館を訪ねてくるのだ。

8歳違いの兄は、年の離れた妹の私をとてもかわいがってくれていた。

私が物心つく前に、私たちの母マグダレーナ・リズリーが病死していたので、母の記憶を持たない妹を不憫に思っていてくれたのかもしれない。

私たち兄妹の生家リズリー伯爵家は、宮廷の音楽に関する事柄をつかさどっている。

領地を持たず、宮廷費から支給される俸禄で生計を立てている宮中伯の家柄だ。

兄のアルマンは、あらゆる楽器を自在に操る演奏家であり、それらを駆使して多くの曲を生み出す作曲家でもあった。

その豊かな才能は広く知れ渡っており、王家から「音楽卿(ロード・ムジカ)」の称号を賜っている。

そうした兄の才能の源と言われているのは、亡くなった母だった。


母マグダレーナはたぐいまれな歌姫だったそうだ。

兄がまだ幼く、私は生まれてもいない頃、黒の森の大聖女ノナ・ニムの祝福を受けて、森の一族となった。

その後は、ノナの森の白魔女「()ぎ歌のレーナ」として、フィンバース王国の各地に祝福の歌を届けてまわった。

兄はそんな母の魔力をそっくり受け継いでいるという評判だった。


一方、私の父アルバート・リズリーは、妻や息子のような華やかな魔力を持ってはいない。

けれど音楽に対する姿勢は、常に真摯で誠実なものだった。それに、父の持つ穏やかな魔力は人に教えるのに向いていた。

芸術家にはアクの強い人物が多いが、父はその一人一人に適した指導で、それぞれの実力と個性を伸ばしていくことが上手だった。



力や権威で抑えつけては、人の内側にある芸術の芽を摘み取ってしまうことになる。

それは音楽に対する冒涜に他ならない。

それが父アルバートの信条なのだった。


父は貴族だけでなく、魔力を持たない平民をも教え子として平等に受け入れた。

魔力の有無にかかわらず、音楽はそれを愛するすべての者にひらかれているはずだというのが父の持論だった。

そんな父の教え子の中には高名な音楽家として大成した人物が何人もいて、彼ら彼女らは巣立った後もずっと、父を師として慕ってくれていた。




私は、父も兄も大好きだった。

けれど彼らは、私が幼いころから家を留守にしがちだった。

父は音楽を教授するために地方の領主から招聘されることが多く、兄は各地での演奏会にひっぱりだこだったからだ。

旅先から二人とも私に手紙を寄こしてくれて、彼らが私を愛し、気にかけてくれていることはわかっていた。

けれど、家族のいない家で一人の時間を過ごす幼い私の心には、いつもどこかすきま風が吹いているような感覚があった。

母がいてくれたら……と何度思ったことか。

私は母の顔を覚えていなかったが、家にあるいくつもの肖像画に描かれた母は、どこから見ても私にそっくりな大人の女性だった。



6歳になったころ、私の専属メイド兼話し相手として、父が孤児院からナタリーを引き取ってきて、それからは毎日が少し楽しくなった。

兄が16歳になり成人すると、母の侍女だった「森の民」のターラが、王都のリズリー伯爵邸に住み込んで私の世話をしてくれることになった。

それまでターラは演奏旅行で国中をまわる兄の世話をしていたのだが、大人になった兄にはもう彼女の手は必要なくなったのだ。

母マグダレーナの幼少期から彼女に仕えていたターラは、母の忘れ形見である私たち兄妹に心から忠誠を尽くしてくれていた。

母を「お嬢さま」と呼んでいた彼女は、私のことを「ちい嬢さま」と呼んだ。

少し気恥ずかしかったけれど、ターラの私に対する情愛が子ども心にも感じられた。



今回、兄はターラを伴ってくるらしい。私もナタリーも、ターラに会えるのを楽しみにしていた。





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