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2 出会い

       ◆


 かなり強く心臓マッサージを続けても、倒れている少年に変化はなかった。

「除細動器を用意してください」

 まったく平然と青年が心臓マッサージを続けながら言うのに、車の運転手が自分の車の方へ駆けていく。

 それにしても青年の動作には迷いがなく、少年の胸を押すリズムも一定に保っている。

 私に何かできるかと思ってそばに控えているけど、状況に変化が起こらないし、手の貸しようもなかった。

「持ってきました!」

 運転手が小型の装置とそれにコードで繋がれた数枚のパッドを持ってきた。青年が少年の服を素早く検め、金属製品を外した。と言っても携帯端末とベルト、腕時計、どこかの鍵がいくつかくらいなものだった。

 はだけた胸にパッドが貼られる。その位置もわざわざ確認したりはせず、迷いなく貼り付けられた。

 離れて、という声に運転手と一緒に距離をとると、青年が端末を操作し、独特の作動音がした。破裂音というには鈍いような音だ。少年の体がわずかに震えたのがわかった。

 少年に変化はない。青年がすぐに近づき、少年の首筋に指を当てた。脈を測ったようだが、あまりにも自然で素早く確認したので逆に脈を測ったように見えないほどだった。

「マッサージを引き受けて」

 いきなり言われて、私は青年が自分を見ていることに困惑した。私にやれ、ということ?

 何から逃げようと思ったのか、私は運転手の方を見たが、男性はまだ混乱していた。

 私がやるしかないのか。

 責任は持てないぞ……。

 進み出て膝を折り、少年の上に跨るようになる。過激な姿勢だけどこれが普通だ。非常事態だし。

 胸に手を当てる。心臓の動きが感じ取れれば、と思ったけどわからない。無視して、マッサージを始める。

「カウントして。声に出すことでリズムを一定に保てる」

 青年の言葉に従って、私は「一、二、三、四」と声に出しながら腕に力を込め、また一から声にして、また一に戻るを繰り返した。

 その間に青年はそばに置いていた自分のカバンを開け、何かのポーチのようなものを探っていた。そこから何かが取り出されたけれど、それが何かはとっさにわからなかった。

 最初はペンに見えた。しかし次にその先を見て、ペンではないとわかった。金属製の針が伸びていて、注射器にも見えたが、そうでもないらしい。

 その道具をどうするかと思ったら、青年が少年の腕を取り、針の先を皮膚に当てた。

 やはり注射器か、しかし何の? と思ったのも短い間で、青年が始めたことはまったく意外だった。

 針の先で皮膚をなぞっていく。

 針がなぞった後にはうっすらと赤い線ができている。

 手術を意識させるけれど、皮膚を切り裂いているわけではない。本当に浅く、かすかに血が滲む線が残る程度だ。

 どうやら針の先はメスのような切れ味があるようだった。

 私がマッサージを続けるそばで、青年は一言もしゃべらずに少年の腕に複雑な文様を作っていく。

 その段になってやっとわかった。

 はるかな昔から「魔法」と呼ばれた技術は、学問として確立されたことにより、その機能が論理的かつ工学的に進歩している。

 青年が少年の腕に刻んでいるのは、魔法を発動させるのに必要となる、「魔力回路」だった。

 この人は、魔法技師? いいや、そんな年齢じゃない。

 なら、魔法技専の生徒ってことか。

 青年の手は動き続ける。迷いなく、何かを考えたり、思い出す様子もなく魔力回路が生み出されていく。少年の左腕は手首から肘の上まで、あっという間に覆われていく。

 私の耳には救急車のサイレンが聞こえてきた。

 しかしそれよりも、青年のしていることが重要だった。私は無意識に数を唱えながら少年の胸を押し続けて、しかし意識は全く違う方に集中していた。

 青年の手が、ピタリと止まる。

「もういいよ、大丈夫だと思う」

 すっと針を少年の肌から外した青年が、服の袖で額の汗を拭ってからこちらを見た。私は無言で頷いて動きを止めて、そっと少年の上からどいた。

 意外にすぐそばに救急車が停車しているのにやっと気づいて、びっくりした。救急隊員が慌ただしく降りてきて、それには青年が対応した。少年はすでに救急隊員に取り囲まれて、私からは見えなかった。

 警察も遅れてやってきて、運転手がパトカーの中に連れて行かれた。そこでまず事情を聴くんだろう。

 私は一人だけ何もせず、展開を見物する形になった。

 救急隊員と青年は対等に話しているようだった。最初、青年が何かの手帳のようなものを見せていて、それで救急隊員の態度が急に軟化したのが印象に残った。

 ストレッチャーが運ばれてきて、その前に救急隊員が少年の首を固定したのがチラッと見えた。彼らは協力していとも簡単に少年の体をストレッチャーに乗せた。その段になって、少年の片腕がおかしな方向に曲がったのが見えた。原因は腕ではなく、どうやら肩のようだ。自動車と衝突して折れたのかもしれない。鎖骨だろうか。そうでなければ脱臼か。

 ともかくそのまま少年は救急車に乗せられ、青年を後に残して走り去っていった。パトカーはまだ残っている。青年がこちらへ戻ってくる。

「僕たちにも警察の事情聴取はあるのかな」

 のほほんとした声でそう問われて、咄嗟に答えが浮かばず、「どうでしょうか」としか答えられなかった。

 それでも、聞きたいことがあった。ありすぎるほどあった。

「あ、あの……」

 気力を振り絞って質問しようとした私だけど、いざ言葉にしようとするとどんなことを言えばいいのか、わからなくなってしまった。

 それに対して、青年は黙って私が話すのを待っていた。苛立つようでもなく、急かすようでもなく、柔らかい笑みで待っていてくれる。

「あの、技専の方ですか?」

 やっとそう問いかけると、彼はちょっと目を見開いた。

「え? ああ、そう。僕は魔法技専の生徒だよ。ここら辺にいるのは大概、そうじゃない?」

 そうですか、としか言えなかった。私のコミュニケーション能力のなさが情けない。

 しかし、まさか年齢を聞くわけにはいかないし、名前を聞くのも躊躇われた。遠慮というか、臆病が出てきた感じだ。

 私が次の言葉を口にしないせいだろう、青年の方から質問してくれた。

「きみもそうじゃないの? さっきの様子だと、新入生?」

 そんなさりげない問いかけに答えるにも、ちょっと言い淀んでしまう私だった。

「そ、そうですけど」

「技専の生徒は、心肺蘇生とか除細動器とか、ああいうのを扱うのに慣れているからね。毎年、講習を何回も受けることになるから、一年生と比べれば上級生は格段に手際が良くなる。でもきみの手際は良かったと思う」

 ありがとうございます、と言うべきだろうか、いや、言わなきゃダメだろう。

 でもそんなお礼を言う間もなく、青年は頷くと、

「ちょっと警察に話を聞いてくるよ。待ってて」

 と言って、パトカーの方へ行ってしまった。呼び止めるわけにもいかず、しかしお礼も言えないことに自責の念を感じながら、背中を見るしかなかった。

 ただ、待つのは短い時間で済んだ。青年が軽い足取りで戻ってくる。

「学生証を見せればここはいいらしい。あとで連絡は来るかもだけど、大丈夫だと思うってさ」

 こうして二人でパトカーから出てきた警官に学生証を見せ、連絡先を伝えた。私はまだ入学式も済ませていないけど、すでに仮の学生証が発行されているのだ。

 そうして、私とまだ名前も知らない青年は事故現場から解放された。

 二人で高架の上の歩道に戻り、自然、並んで歩くことになった。

 歩きながら、青年が急に名乗った。

「僕は、幸坂葉太と言います。きみは?」

 答えようとしたけど、ちょっと間ができてしまった。答えたくないと思っていると解釈されただろうか、とビクビクしながら私は慌てて名乗った。

「わ、私は、石森満月、です」

「石森さんね。入学おめでとう」

 私はとっさに葉太の横顔を見ていた。彼もこちらを見ている。視線がぶつかった。

 優しい笑みに目が一層細まって、目が見えない。

 でも、優しいのはわかる。

 私はかろうじて、ありがとうございます、と答えることができた。

 二人で揃って北八王子駅へ向かい、そのまま一緒にモノレールに乗ったけれど、それきりこれといった会話はなかった。葉太は特に気分を害しているようではないけれど、あるいは寡黙なのかもしれない。

 葉太が何年生なのか、何を専攻しているのか、少年の腕に刻んだ魔力回路は何だったのか。知りたいことは多くあったけれど、一つも聞けなかった。声をかける勇気が最後まで出なかった。

 モノレールは四十分をかけて目的の駅に着いた。

 終点の「中央魔法技専駅」である。

 モノレールを降りるときに「じゃあね」と葉太は声をかけてくれたけど、私はかすれた声で「ありがとうございました」と答えるしか出来なかった。

 私も車両を降りて駅のホームで離れていく葉太の背中を見送った。駅はやや混雑していた。すぐに葉太は見えなくなってしまった。

 私は一度、気分を整えるためにため息を吐いて、今度こそ歩き出した。

 入学式は明後日だ。その前に寮でのガイダンスがあるし、荷物を整理しないといけない。

 また会えるだろうか、と思う自分もいるけれど、どこか幸坂葉太という生徒は手が届かない場所に立っている気がした。

 そんな雰囲気の持ち主だった。



(続く)

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