23 裏切り
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その日の最後の授業が終わるまでの時間は、いつも通りのはずなのに私には普段よりとても長く感じた。
チャイムが鳴って先生が引き上げていくと、わっと教室の空気が明るくなる。
それもそうだ。新入生はついに所属するグループが決まり、これから上級生と合流するのである。大勢が携帯端末を手にしていて、足取り軽く教室を出て行く。
「じゃ、私は行くから」
隣の席で授業を受けていた美緒が素早く荷物をまとめると私の肩を叩いて、元気出して! とさらに背中を強く叩いてくれた。
「ありがとう、美緒ちゃん」
「明日には一緒に食事をしよう。約束ね」
今日は金曜日で、明日は休みだった。グループ所属の決定を週末にしたのは、学校側の好意なんだろう。きっと明日と明後日は、校内で歓迎会が無数に催されるに違いない。
私は席に座ったまま美緒を見送って、やっと自分の携帯端末を取り出した。
学校からメッセージで通知が来ている。
希望したグループに所属を認められるかの通知。
指でそれをタップするのが、酷く重労働に思えた。指がなかなか動こうとしない。
それでも指はわずかな距離を時間をかけながら確かに動き、ついに画面に触れた。
メッセージが開封されて、私の目が文面を追う。
私は、第十六グループへの所属を許されていた。
開放感は、全くない。
むしろ何かが肩にのしかかってきたように思った。それも、まるで本当に物体が載せられたような重さを感じた。
私はこれで、本当の裏切り者になった。
第十六グループを嫌悪して、私を拾おうとした人たちを裏切った。
それと同時に、山崎先輩を裏切った気もした。もしかしたら、幸坂先輩のことも。
二人はきっと、新入生を手元に置きたいと思わなかったはずだから。
でも所属を承認した以上、少なくとも幸坂先輩は私を認めたのだろう。
その真意は、これから知ることになる。どんな内容であれ。
これからの自分に何ができるか、正直、少しもわからない。自分の将来がどうなるのかもわからない。
私は悩みすぎだろうか。悲観しすぎだろうか。
美緒の言葉が脳裏に蘇る。第三グループについて話していた時の美緒の顔も思い浮かんだ。
私は第十六グループで、楽しく過ごせるのだろうか。
いつまでも教室にいても仕方がない。もう生徒は私以外誰もいなくなっている。
鈍い動作で私は席を立った。第十六グループに所属した関係で、幸坂先輩は私の連絡先を自然と把握したはずで、先輩の方から私に連絡を取る方法ができたはずなのに、今のところ何の連絡もない。
こちらから実習室へ出向くしかない。
それ以外に、二人の先輩と会う方法はない。
そして会わずに済ますことは、ありえない。
長距離を走りぬいた後のようにずっしりと重い体で教室を出て、階段を使って地上までも戻った。あとは実習棟へ向かうだけだ。実習棟までの道順はいつの間にか覚えている。
入学からいつの間にか一ヶ月近くが過ぎようとしている。敷地の中のことを少しずつ分かってきた。それだけのことでも、時間の流れが意識された。
足取りは遅いながらも、先へと進む。
その足が止まったのは、通りの真ん中で立っている数人の生徒がいるからで。
彼らが私を見ていて、私も彼らを見て、それだけで、横をすり抜けることはできなかった。
立っているのは、第二グループのメンバーだった。山口先輩と、芹沢さんがいるのはわかる。残りの三人は名前も専攻も忘れてしまったが、上級生だ。
「石森さん」
すでに日が暮れかかっているその通りは薄暗く、静かだった。そんな世界で、山口さんの声だけが世界の音の全てのようだった。
通りを行き来する生徒が何人もいるのに、その気配はほとんど感じられなかった。
山口さんが静かに言う。
「きみは、どこのグループを選んだんだ? てっきり、うちに来ると思っていたけど」
え、と声にする私は反射的に芹沢さんを見た。彼女はちょっと口角を持ち上げると、私が声を発する前に言った。
攻撃的な表情とは違い、媚びるような声だった。
「回答は待ってくれって言うから、ずっと待っていたのに」
そんなこと。
「待ってくれなんて……」
言っていない、と私は言葉を続けようとして、結局、口から出せなかった。
私は山口さんにも、他の上級生にも直接、何も伝えていなかった。芹沢さんに声をかけられ、彼女から加入するかしないか答えるように言われたから、なし崩し的に断った形になった。それだけだ。
芹沢さんが山口さんや他の上級生に私の答えをそのまま伝えるだろうと思っていた。
思い込んでいた。
甘かったのだ。私が、甘すぎた。
何の連絡も来ないから、てっきり第二グループは私に興味を失ったと思っていたが、違うのだ。
罠のようなものだ。
「連絡しないでくれって言っていたと聞いたから、何もしなかったけど」
山口先輩に並ぶ男子の上級生が不快げに言う。
「僕たちは期待していたんだよ。他のグループとは会食したり、連絡を取っているという噂も聞いていたけど、あちこちにいい顔をして見せていたってことか? 自分を高く売り込もうとしたとか?」
「いえ、その……、それは、違います」
「どう違う?」
事実なのだ。
芹沢さんに迫られて、うまく答えられなかった後も、私はいくつものグループの上級生に誘われていた。会ったりもしたし、連絡が来て返信したこともある。
私の行動は、言われた通りだった。
心では全く違うことを思っていたとしても、心なんて、示すことはできない。
「それは問題ないよ。新入生はどのグループに入ってもいいし、入るグループについては十分に知っておく必要があるんだから」
山口さんがとりなすように言う。
「それで石森さんは、どこのグループに入ったんだい? それだけは知りたいかな。どこ?」
即答できなかった。できるわけがない。
黙ってしまった私に、五人の視線が集中する。
時間が止まったような気がした。何もかもが動きを止めたような。
「石森さん?」
私は……、と言いかけ、詰まってしまう。上級生が苛立ったような雰囲気を見せ、芹沢さんはそんな彼らに見えないところで、笑みを深くしている。
「私は」
答えを誤魔化すことはできない。嘘を言うこともできない。
言葉は固く、平板だったが、私はそれを口にした。
「私は、第十六グループに、しました」
上級生は、一瞬の間の後に明らかに鼻白んだ。
おい、と上級生の一人が一歩前に踏み出した。本能的に、私が一歩、後ずさる。舌打ちした上級生が低い声で言った。
「第十六グループって、本気で言っているのか? それとも俺の聞き間違えか?」
私はなんとか首を横に振った。
「答えろよ、なあ、言葉で答えろよ」
上級生がさらに一歩踏み出した時、山口さんがすっと手を伸ばして彼の腕を掴んで止めた。二人が睨みあうが、山口さんが勝った形になった。
山口さんが、私をまっすぐに見据える。
その目に宿る感情は、紛れもなく怒りだった。態度に滲んでいないだけに、その怒気には何倍もの威圧感があった。言葉は穏やかでも、逆に心情の激しさは明白だ。
「石森さんは、第十六グループに入った。それで間違いないかな」
「そ、そうです……」
言葉にする私に、山口さんがゆっくりと頷く。
「僕たちの言っていたことを忘れたとも思えないけど、第十六グループがどういうところか、本気でわかっている? 知った上で、入ったの?」
ここでも言葉で答えることができず、私は無言で頷くことで答えに代えた。
上級生が舌打ちし、行こう、と山口さんを促そうとした。
山口さんはそれに応じずに、私から視線を外さなかった。
「石森さん」山口さんが普段とは違う、唸るような声で言った。「きみが僕たちのことをどう思っていたかは知らない。でも、間違ったことをした奴らと組むとは、信じられないよ」
すみません、と言葉が口をついていた。
それに、いや、と山口さんが無表情に応じた。
「謝る必要はないよ。きみの自由だ。でも僕はもうきみを、信じることはできないよ」
心が激しく軋んだ気がした。
何かを言い返そうとして、何も言えなかった。
私は、裏切り者だから。
ちょっといいかな。
唐突な声に、全員が弾かれたようにそちらを向いていた。
だってその声は、もちろん私の声ではなく、第二グループの面々の声でもなかったから。
幸坂だ、と誰かが小さく口にした。
私たちのすぐそばに、いつからそこにいたのか、一人の上級生が立っている。
どう見ても、幸坂葉太先輩だった。いつも通りに細い目でこちらを見ている彼は、何かの買い物の帰りなのか、大きなエコバッグを両手に提げていた。
その佇まいは迫力がないどころか、ぼんやりとして見えた。
「山口くん、こんな往来では目立つよ」
のほほんとした幸坂先輩の言葉に山口さんが笑みを見せるが、その笑みはいつになくぎこちなく、強張っていた。
「幸坂、こんなところで何をしている?」
「何って、見ての通り、買い物の帰りだけど」
人を食った物言いと取られても仕方なかったけど、山口さんはやっぱり怒りを見せず、ただ、「行こう」と仲間を促した。他の四人は私を無視していたけど、幸坂先輩も無視していた。
五人が私たちに背を向けて十分に離れてから、幸坂先輩が荷物のせいか、ちょっとよろめきながら私の方へ歩み寄ってきた。
私はほっとしていいのかもわからないまま、幸坂先輩に小さく頭を下げた。
幸坂先輩は、柔らかく微笑んでいた。
(続く)




