1 事故
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都会には慣れているつもりだったけど、八王子という絶妙な都市には落ち着かないものを感じた。
中央線の八王子駅を出てから、駅舎から伸びる歩車分離のための網の目のように張り巡らされた高架の歩道を進む。行き交う人は都心の無機的な印象を受ける群衆とは少し違って、どこか人間らしさを残している。
それがどうも落ち着かなくさせる。
向かう先は奥多摩モノレールの始発駅、北八王子駅だ。
同じ方向へ向かう少年少女が大勢いる。彼らも同じ学校の生徒だろうか、と考えるとちょっと緊張してしまう。かといって、本当に同じ学校の生徒か確信が持てる要素はない。今は春休み期間で制服を着ているわけでもないからだ。
自分の思い込みと悲観、卑屈さに心が沈む。
中学校を卒業してからの二週間ほど、ずっと悩んでいた。
魔法を専門に学ぶ「クサナギ中央魔法技能者専門校」を受験したきっかけは、両親の勧めだった。
それも強い勧めだ。
俗に「魔法技専」などと言われるこの学校は、五年制で一般的な学校とはやや趣を異にする。受験可能なのは中学卒業程度だが、編入してくる生徒もそれなりにいる。高卒どころか、高専を卒業して編入してくるものもいると聞いた。
クサナギ魔法技専は、魔法使い、もしくはそれに関する技術者を志すものが集まる、日本には二校しか存在しない学校である。
私の両親は技専の卒業生ではない。魔法技術者ではあるが、工学系の大学の卒業せいだ。
それもあって、私に魔法技専への入学を求めたのかもしれない。しかし今になってみれば、小学生の時からひたすらそう言い続けるのは、勧めるとかいうレベルではなく、洗脳した、と言えるかもしれない。
技専の入学試験は一般的な高校入試とは一線を画す内容で、倍率は相当に高い。私は技専の三つある専攻の中で管理者専攻を選んだので座学が中心だったけれど、行使者専攻の受験者は座学はもちろん運動能力をテストされるどころか、格闘技のテストもあると聞く。これは公式の格闘技関連の大会などでの実績などは加味されないという噂だった。別の噂では、試験において実戦というか、喧嘩のようなものをさせられるとか。
ともかく、私は中学生の三年間をひたすら魔法技専の受験のために費やし、その結果、ここにいる。技専に合格しても、喜びはなかった。まずは安堵があり、その次には大きな不安がやってきた。
中学校は苦痛だった。
最初は自分がどうして馴染めないのか、それが疑問だったけれど、徐々にわかってきた。
私が馴染めないのは、私が異質だからだった。
みんなが中学校生活に楽しみや希望を持っているのに対して、私にはそれがなかった。私にとって中学校は技専に進むためのステップで、楽しもうとは思えなかった。全てが技専に進むための試練で、一つでもクリアできなければおしまいだった。
周囲の誰とも違う、白の中の黒。
学校に通いたくないと思うこともあったけれど、無理だった。両親に反抗できなかったし、ここで学校を投げ出せば魔法技専に進むことはできないと思うと、言い知れない恐怖がこみ上げてきた。魔法技専に入学するためには不登校の経歴は許されない、という理屈で自分を騙したけれど、学校に通い続けたのは別の理由だと本当は知っていた。
いずれにせよ、三年間の酷い苦痛を乗り越えて、こうして奥多摩にある学校、その寮へ向かう日を迎えても、開放感や達成感、新しい生活や環境への興味や興奮、やる気のようなものは浮かんでこなかった。
あるのは、自分が場違いな所にいる、行こうとしている、ということだ。
当たり前だけど、魔法技専には知り合いは誰もいない。中学生の時点で自分はコミュニケーション能力に欠けているとはわかっている。中学校どころか、小学校の時点でも私はうまく友達を作れなかった。一時的には仲良くなっても、どこかで必ず繋がりが切れてしまうのだ。
あるいはそれは当たり前のことかもしれない。私は周りにいる人とは、まるで違う世界を生きていて、違う世界を目指していた。価値観が違う、見ているものが違うのだから。
もしかしたらこのまま一生、一人でいるのかもしれない。
そう思うと、中学時代に私を苛み続けた「魔法技専に入学できない可能性」の恐怖とはまた違う恐怖がある。
そんなことがあるわけがない、と考えようとするけれど、虚しい期待にも思えた。
いったい誰が、私と何かを共有できるのだろう。
私は地上より高い位置にある歩道を歩きながらふと視線を下に向けた。
歩道の下は車道が通り、電気自動車が行き交っている。その両脇にガードレールで分離された自転車が通行するゾーンが伸びている。アスファルトが緑に染められていて、目を引いた。
特に車道を見る理由はなかった。
走ってくる自転車に気づいたのは、だから完全な偶然だった。
一目見て、変に蛇行しているな、とは思った。蛇行というより、ふらついていて、今にも倒れそうに見えた。
危ないな、と誰が見ても思っただろう。私も思った。思って、視線が釘付けになり、足が止まった。
次の瞬間、自転車がぐらりと大きく傾き、乗っている人物はペダルを踏む力で立て直そうとしたようだが、あえなく失敗した。
自転車が横転する途中でガードレールに接触して、衝撃で乗っていた男性が車道へ放り出された。
私の口から短い悲鳴が漏れた時には、男性と通りかかった電気自動車が衝突した。
衝突の寸前に自動車の事故防止装置が働いて急ブレーキがかかっていたが、それでも間に合わずに男性は自動車のバンパーに跳ね飛ばされた。
「ちょ、ちょっと……!」
思わず誰にともなく声にして周囲を見たが、急ブレーキの音に周囲を見回している人はいても、事故現場を確認したり、駆けつける人はいない。
これだから都会の人間は冷血だ!
誰にともなく怒りを感じつつ私は素早く左右を見て、車道へ降りる階段を探した。幸いにもすぐそばにあった。非常時にしか使えないように開閉式の柵が設置されているが、錠はかかっていない。簡単な固定具を外して柵を開けた。
私が階段を駆け降りている間に、自動車の運転手が外に出て倒れている男性の様子を見て携帯端末でどこかに連絡している様子が見えた。車道では事故を起こした車両が停車している関係で、後続の車両が渋滞を始めていた。
ともかく、私は階段を下りきって、倒れている男性の方へ走った。
「大丈夫ですか!」
私の声に車の運転手の男性がオロオロした様子で首を振っている。
「救急車は呼びましたか?」
「あ、え、ええ、はい。すぐ来るそうです。心臓マッサージをしろと……」
男性は私との会話をしながら、まだ端末を耳元に当てて誰かと話している。
さっさと心臓マッサージをしなさいよ、と思いながら私は荷物を放り出し、倒れている男性の側に屈み込んだ。間近に見ているとまだ若い。いや、幼い。服装は高校生っぽく見えた。
しかしそれよりもまず、意識がない。
「大丈夫ですか! 聞こえますか!」
返事はない。まさか死んでいないよな、と不安に思ったが、確認する方法がとっさにわからない。
揺すっていいのだろうか。こういうとき、除細動器を使うんだったか。除細動器なら、大抵の車が簡易版を積んでいるはずだ。何年か前に義務化されたはず。
いやいや、まずは呼吸を確かめればいい。それで生きているかわかる。でもどうやって?
運転手同様、私自身もパニックに陥りつつあるようだった。
とにかく、心臓マッサージか。どこをどうやるんだったか。魔法技専の試験のために十分に学んだはずなのに、リアルな人形相手にやったことはあっても、実際に生身の人間、それも意識不明の人間を相手にやったことはない。
私が失敗すれば、もしかしてこの人が、死ぬ……?
少し手が震えるような気もしたけど、私は少年の胸に両手を置いた。
「代わるよ」
力を込めようとした瞬間だった。声と同時に、私の肩に手が置かれていて、私が死ぬかと思うほど驚いた。
振り返ると、大学生くらいの男性がすぐそばにいる。糸目というのだろうか、穏やかそうな目元に、口元には柔らかい微笑みがある。
それだけで、私は急に落ち着いて行った。
「代わる」
もう一度の静かな言葉に、私はガクガクと頷いた。
私が場所を譲ると、青年は慣れた様子で倒れている少年の口元に耳を近づけてから、素早く首元に手を当て、それから心臓マッサージを始めた。全てが慣れた動作だった。
だ、誰?
(続く)