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0 大雪の日

     ◇


 東條みゆは停車した電車の車内で携帯端末をいじっていた。

 三月なのに季節外れの大雪が降り、宵闇の中、電車は駅でもないところで停車していたのだった。窓の外はすでに日が暮れていて、車内の明かりの中でぼんやりと降りしきる雪が見える以外は、闇に包まれている。

 時期的には高校は休みで、大雪の予報が出ているのだから家にいたかったが、母親が予備校の冬期講習へ行けと口うるさく言うのでそれに従ったみゆだった。こうなるとさすがに後悔したが、全く想定できないことではなかったし、今更、どうしようもなかった。

 この雪では道路の除雪も怪しいし、駅に着いたところで母親か父親が迎えに来るのはいつになるのか。

 さすがに家まで歩きたくはないなぁ、と思ったが、最悪の場合は三十分の距離を歩くことになりそうだった。

 都市部なら駅から徒歩三十分にある一軒家は最善と言えなくても比較的、好立地かもしれないが、そもそもからしてど田舎なので、普段はありがたみは感じない。平凡な住宅街でそばにあるのはスーパーとホームセンターくらいだ。

 しかし、今夜はさすがに感謝するかもしれない。歩いて帰れる距離だから。

「あのー……」

 端末の画面に集中していたみゆは、不意な声に顔を上げた。自分に声をかけられたかと思ったが、それは違った。

 いつの間にかすぐそばに車掌がやってきていて、どうやらその車掌が声をかけられたようだ。車掌の視線の向きでわかるし、声は中年男性のそれではない。

 車掌に話しかけたのはみゆから少し離れた座席に座っていた少年だった。車掌が彼の方へ寄っていく。少年は座っているだけで上背があるのがわかる。対照的に顔の作りは童顔だった。みゆは意味もなく、体は大人、顔は中学生、と考えていた。

 なんでしょうか、と車掌が愛想よく声をかけるのを意味もなくみゆは見守った。車内は閑散としていた。こんな天気で電車に乗る方が迂闊なのだ。

「この電車、いつになったら動きますか?」

 少年の声はさほど険があるわけではなく、むしろのんびりとしていた。それに車掌も油断したのか、実に気安げに返事をした。

「線路の除雪が終われば動きますよ。もうしばらくはこのまま停車することになると思います」

「どこかの駅へは移動するんですよね? それともこの場所でずっと待つんですか?

「それは、場合によりますが、すぐに下車なさりたいなら、次の駅で降りていただければ」

「次の駅ってなんていう駅ですか?」

 奇妙な質問だったが、律儀に車掌が答えた駅名から、みゆは脳内に路線図を思い描いた。みゆが降りる駅の三つ手前で、ちょうど特急の停車駅だ。なるほど、この電車に乗り続けるよりは賢いかもしれないが、少年はどこへ行くのだろう?

 車掌の言葉に少年は即座に質問を続けた。

「この特急に乗りたいんですけど」

 どうやら特急券か携帯端末を示したようだったが、角度的にみゆの視界の外だった。車掌は、ああ、と思わずといったように声にした。

「この特急は運休になってますね。払い戻しの手続きをしますか?」

「え? 運休ですか?」

 少年の声に初めて困惑らしい困惑が現れた。ここに至るまで、実に落ち着いたものだったが、それは事態が把握できていなかったかららしい。というか、さっき車内放送で特急が運休になることが告げられていた気がするが、聞いていなかったのか。

 それからみゆが聞いた範囲では、少年はどうにかして東京方面へ行きたいと主張し、車掌は今夜中には無理だろうと答えた。少年は何か方法がないかを確認したが、東京方面への具体的な移動手段は車掌もわからないようだった。

 高速バスとかありますか、と少年が問いかけていたが、これには思わずみゆも笑いそうになってしまった。現状ではどうしても東京へ向かいたい人は高速バスを選ぶだろうけど、その前に電車を降りないとどうしようもない。その電車が中途半端な場所で止まっていて、電車を降りたところで今度は高速バスが停車するバス停にたどり着かないとどうしようも無いのが現実だ。ついでにこの雪でバスが普段通りに運行されているかも不明である。

 御愁傷様、と思わずみゆは心の中で言葉にして、携帯端末に戻ろうとした。

「じゃあ、ここで降ろしてもらえますか」

 そんな声が耳に飛び込んできた。

 少しして言葉の意味が呑み込めて、みゆはもう一度、顔を上げた。今度は少年のほうをはっきりと見た。

 少年は立ち上がっていた。車掌がすぐそばにいるが、その車掌の頭は彼の肩あたりにある。少年は図抜けた長身だった。ついでに肩幅が広くて胸板も厚く、童顔と釣り合いが取れないように見えた。

「ここで降りるって、それは無理ですよ」

 今度はさっきまでとは逆に車掌の方が困惑して答えたが、少年はすぐそばに置いていた巨大な袋に手を伸ばしている。よく見る自転車を分解して入れる袋のようだった。

 慌てた車掌が止めようとするが、少年は頑として受け入れず、自転車の袋を抱え、網棚から下ろしたバックパックも背負い、ドアの方へ向かっている。さすがに車掌が必死になり、押し問答のようになった。

「ちょっと! やめてください、お客さん!」

 車掌が悲鳴のような声を上げるに至って車内の視線が車掌と少年に集中したが、口を出したり手出しする者はいないどころか、見世物のような形になった。もちろんみゆも眺めている。

「車掌さんが黙っていればいいんですよ。僕はいなかったことにしてください」

「できませんって! 線路に降りることはできません! 警察を呼びますよ!」

 抵抗しようとした車掌はついに少年に押し切られた。少年は非常用のハンドルを操作してドアのロックを解除した。車掌が最後の抵抗としてその背中に組みついたようだったが、少年の体はビクともしなかった。スポーツでもやっているのかな、それにしては力あるなぁ、とみゆは想像していた。

 じゃあ、と少年は気楽な調子でいうと、車掌をそっと引き剥がして軽く押すことでその体をさっきまで自分が座っていたシートに尻餅をつかせた。そしてその隙にドアを開けて車外へ飛び降りてしまった。車掌がついに怒鳴り声を上げて、続いて電車を降りていく。

 後には開けっ放しのドアと、そこから風とともに雪が吹き込む光景があった。

 少ない乗客たちが顔を見合わせ、ドアをどうするか、誰かに通報するべきか、というように無言の視線を交わしたが、サラリーマンらしい背広の男性がゆっくりと開けっ放しのドアに近づき、外をうかがってからドアを力任せに閉めるという勇敢な行動に出た。

 車掌は、まぁ、自力で戻ってくるだろう。

 ドアが閉まったことで寒さが一段落してほっとしたみゆは、なんとなく端末を操作し、たった今目撃した顛末をネットに投稿し始めた。

 車掌はなかなか帰ってこなかったが、電車は三十分後に動き出した。その前に件の車掌が隣の車両から戻ってきて、少年が出て行った例の扉を点検していた。

 少年がどうしたのか気になったが、みゆはすぐに興味を失った。

 電車が動いたことを母親にメールすると、迎えに行けないことを告げる返信があったからだ。

 歩きかぁ、萎えるなぁ。

 そんな日常が、非日常と言ってもいい少年の行動の印象を塗り潰してしまった。



(続く)

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