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6.崩壊(黒幕視点)

6話目です。全8話。

 ――どうして、こんなことになった。


 シェリーナ・アランティスは貴族らしい表情を保ったまま、困惑と怒りに支配された胸中で呟いた。

 学院で過ごす、いつも通りの朝。今日も何事もなくすべてが思い通りに行くはずだったのに、昼前に王族しか使えぬ談話室に呼び出されてからシェリーナはずっと叫び出したいほどの怒りをこらえていた。

 思えば、朝から様子がおかしいとは思っていたのだ。現在この学院で最も貴き身分のオーギュストは授業に出ていなかったし、婚約者であるリュミエラも同様。他にも何人かの生徒が欠席している。低位の貴族たちはいつも通りのようだが一部の高位の貴族たちは落ち着きなく、使用人たちも廊下をせわしなく行き来して、そしてそれを誰も咎めない。

 何かあったのだろう、とは思った。けれど、こんなことになっているなんて。

 談話室の椅子には、憔悴しきった様子のオーギュストが腰掛けていた。同席しているリュミエラはいつも通り背筋を伸ばしているが、その顔は白い。王室から呼び出されたのだろう、知った顔の高官も何人かいて、それが事態の重さを内外に知らしめていた。


 すべての原因は、あの「神樹の娘」だ。

 順風満帆だったはずのシェリーナの思惑は、すべてあの娘によって潰されてしまった。

 苦々しい思いで机の上に広げられた紙片に目を落とす。それはあの娘からの手紙で、同じようなものが複数届いているという。それは王室とそりの合わない貴族派の家の子息にも届いているらしいとのことだから、この事態を留めておく事は出来ないだろう。


「……まさか、こんな事になってしまうとは」


 疲れ切ったようなオーギュストの言葉が、広い部屋に寒々しく響く。けれどその言葉自体は、この場にいる全員の総意だろう。

 だってまさか、こんなことになるとは。彼女を政治的に利用しようとしていた者も、陥れようとした者も、純粋に心配していた者も。誰も、こんなことになるとは想像し得なかったに違いない。

 そう、まさか。


「イリスティア嬢が、『神樹に還って』しまうなんて……!」


 長い息と共に吐き出されたオーギュストの言葉は、あまりにも重く。しんと静まりかえった部屋の中、時計の秒針だけが嫌に大きく響いていた。



 

 シェリーナが己の望みを叶えるために動き出したのは、「神樹の娘」が平民の、それも孤児から見つかったとの一報を得たときだった。

 物心ついたときから、なりたかったものは一つだけ。この国の王妃だ。

 それは決して高望みではないと、年を重ね分別のついた今でもシェリーナは思っている。アランティス公爵家に生まれ、次期国王となる王子との年回りもよい。加えて美貌も才覚も、決して同年代の令嬢たちに劣るものではない。だからこそシェリーナは、己の望みが叶う事を信じて疑っていなかった。

 そう、十二歳となったあの日。第二王子殿下の婚約者が、リュミエラ・バーデンベルグに決まったと父に告げられたあの日まで。

 沈痛な顔をした父に、シェリーナは「なぜ」と聞く事しか出来なかった。「なぜですか、お父様。わたくしの何がいけなかったのですか」と。

 シェリーナの父である公爵は、首を横に振って「違う」と呟くと「家の力の差だ」と肩を落とした。


「侯爵家とはいえ、バーデンベルグは今や貴族家の中で一番豊かだと言っていい。隣国にある夫人の実家と提携しての事業も上手くいっているし……シェリーナに不足があったわけではないんだよ」

「……では、わたくしは……」

「シェリーナは、第一王子……フレデリク殿下と婚約を望まれている。お受けするつもりだから、心構えをしておきなさい」


 父が告げたのは、明らかに格の落ちる婚約。慰めるように肩をたたかれ、シェリーナは唇を噛みしめた。


 第一王子であるフレデリク殿下はオーギュスト殿下よりも三歳年上で、確かにシェリーナとも年回りは悪くない。けれど彼の生母は伯爵家出身の側妃で、公爵家の令嬢であった王妃を母に持つオーギュスト殿下より継承権は下だ。彼が王となる可能性は限りなく低いだろう。

 王妃となり、この国の国母となる事。それだけを人生の目標としてきたシェリーナにとって、それは耐えがたいことで。なんとかバーデンベルグ家やリュミエラの瑕疵が見つけられないかと腐心しているうちに、数年が経ってしまった。

 学院を卒業すれば、オーギュストとリュミエラの婚姻が成立する。そうなってしまってはもう手の出しようがないとやきもきしているうちにもたらされた「神樹の娘」出現の報は、シェリーナにとって福音だった。

 リュミエラは秀才で瑕疵のない令嬢だったが、それ故にオーギュストが彼女に対して劣等感を抱いている事はわかっていた。

 そこから二人の関係を突き崩す事が出来ないかとつついてみた事もあるが、オーギュストもそこまで愚かではない。バーデンベルグ家の後ろ盾を失ってまで自分のプライドを優先させようとは思わぬようで、二人の関係は婚約者として最低限のラインを保っている。今の同年代の令嬢たちでリュミエラと肩を並べられる相手はおらず、オーギュストに選択肢は無かった。


 けれど、「神樹の娘」であればどうだ。

 初代の「神樹の娘」が当時の国王と婚姻し王妃となったのは有名な話で、その他の者も高位貴族に嫁いでいる。特別な癒やしの力がある娘だ、初代王にあやかって王妃となれば平民の支持も集まるだろう。実態はどうあれ、そういう「建前」が用意できる。「リュミエラよりも優れた王妃候補」という建前が。

 そして、歴史を詳しく調べているうちに「神樹の娘」には抹消された人物もいる事を知った。

 公爵家にひっそりと残された資料。当時の高位貴族にしか知らされていないその娘は、男爵家の令嬢で半ば平民のように育てられたという。 貴族の常識から外れた奔放な振る舞いと、ある意味貴族らしい虚言を弄し、学院に通っていた当時の殿下や高位貴族の子息を籠絡した。後にその企みが明るみに出て娘は毒杯を賜り、殿下は王位継承権を剥奪されたという。


 利用できる、と、思った。

 オーギュストとリュミエラの関係は、年を追うごとに距離が開いている。リュミエラはなんとか関係を改善しようとしているように見えたが、そんな動きすらオーギュストは煩わしがっていた。そこに「神樹の娘」という爆弾を落としたならば。

 新しく見つかった「神樹の娘」は子爵家の養女となるということで、王室があまり政治的な力を持たせようとしていない事が見て取れる。そのこともシェリーナにとっては好都合だ。低位貴族の娘など、邪魔になればいつでも排除できる。


 それからのシェリーナの動きは早かった。

 寄子や手のものを使って、さりげなくオーギュストに神樹の娘には親切にせねば、庇護をしなければと繰り返し吹き込んだ。

 それ自体は全く罪ではないし、その動きがばれたところで何も咎められる事はない。オーギュストも今の環境に閉塞感のようなものを感じていたのだろう、入学してきた「神樹の娘」に積極的に接触した。

 また「神樹の娘」が平民にしては愛らしく、最低限の礼儀はわきまえているものの特段優秀といったわけではないのもオーギュストの興味を引いたようだ。

 リュミエラやシェリーナと比較すれば全く洗練されていない彼女が、オーギュストにとっては新鮮だったらしい。何をさせても自分に及ばないところもよかったらしく、けしかけるまでもなくオーギュストは神樹の娘につきまとうようになった。

 神樹の娘の方は元平民なりにわきまえているようで、そんなオーギュストを避けたがっているのが見て取れた。けれどやはりその立ち回りは稚拙なもので、彼を遠ざけるには全く効果がない。

 下準備は上々で、そろそろ次の工程に移ろうかと言うときに、寮の廊下で対峙するリュミエラと神樹の娘を見かけた。

 どうやら神樹の娘の方がリュミエラに謝罪しているようで、リュミエラもそれを受け入れているようだった。

 けれどここで二人が和解しては都合がよくない。二人の間に割って入り、娘が涙をにじませている事を持ち出しことさらリュミエラが虐げたのではと責め立てる。

 集まる周囲の視線を感じたのか、焦ってリュミエラに害されたのではないという彼女を慰めるふりで強引にその場から離し、部屋まで送り届ける。

 最後まで本当に違うのですと言いつのる彼女に、「お優しいのですね」と告げるとうつむいて黙り込んだ。低位の貴族が上手に自分の意図を伝えられないときのその仕草に、シェリーナは思わず彼女に見えない位置で唇の端をつり上げた。


 神樹の娘と言っても、所詮ただの平民。いくら異能を持っていても、こうして貴族の舞台に上げられれば何も出来ない小娘に過ぎないのだ。


 優越は、計画の確信へと変化した。

 次の日から、再び寄子や貴族派の人間を扇動して、リュミエラが神樹の娘を虐げていると噂を流した。貴族はゴシップに飢えているから、狭い学院の中でそれはあっという間に真実として広まる。

 あとは、あくまでオーギュストが自然に気づいた()()になるように周囲がそれを耳に入れる。

 オーギュストとリュミエラの関係が悪くなければ、きっと彼とて裏取りをした上で中立なものの見方をしただろう。けれど婚約してから初めての彼女の瑕疵だ。彼女にコンプレックスを抱いているオーギュストが、目を曇らせぬ訳がなく。

 案の定リュミエラを非難したと聞いて、笑いが止まらなかった。あまりにも上手くいっている。オーギュストが単にリュミエラに瑕疵をつけて優位に立ちたいのか、本当に婚約解消までを考えているかはわからないが、この状況こそがシェリーナの望んだものだった。

 仮にオーギュストが神樹の娘へと関心を示す事でリュミエラが不適切な対応をとれば、それを理由にリュミエラが王妃にふさわしくないと主張しその座から降ろす。

 そしてその後に過去の「神樹の娘」の例を持ち出し、「元平民が不適切な振る舞いをした」とでっち上げて神樹の娘を排除すれば良い。

 そうすれば、同年代の娘で王妃教育に準ずる教育を受けているのはシェリーナだけだから、オーギュストの次の婚約者はシェリーナとなるだろう。第一王子との婚約解消という形になるが、王太子により優位な婚約者をあてがう事を王室は優先するだろうし、アランティス公爵家としてもそれを望む。

 リュミエラが不適切な行動を取らなかった場合は、オーギュストに瑕疵がつくように立ち回れば良い。すなわち、不備のないリュミエラを不当に貶めたとして、オーギュストを王太子の座から引きずり下ろす。そうすればシェリーナの婚約者であるフレデリクが王太子となり、シェリーナが王妃だ。この場合でも神樹の娘には殿下をたぶらかした汚名を着せて消えてもらうのが安全だ。彼女がリュミエラの無実を訴えていたという事が広く知られてしまえば、裏で事態を誘導したことが露見しかねない。


 シェリーナの計画は、順調に進んでいた。

 リュミエラへの噂は事実無根にも拘わらず広く流布され、彼女の味方はかなり少なくなった。彼女が自分の汚名を雪ぐために立ち回ればこうはならなかったが、どうやら「神樹の娘」を慮ったのかその動きは慎重だった。それでは後手に回るしかない。

 オーギュストはその噂を吹き込まれ、完全にリュミエラを排除する方向に動いている。どうやら学期末のパーティで彼女へ婚約破棄を言い渡すつもりらしい。

 そんな事をしてリュミエラに罪がなければオーギュストが罰される事は明らかだが、リュミエラを排除できるという事に気を取られているようだ。オーギュストのリュミエラに対する劣等感はこちらが想像するより根深かった。

 神樹の娘は言うまでもない。勝手に動いていく事態に何も出来ずにオロオロするだけだ。リュミエラは悪くないとことあるごとに言ってはいるようだが、「心優しい神樹の娘が高位貴族を庇っている」という方向にしか受け取られずストレスを溜めている。

 あとは、学期末を待つだけ。オーギュストが取り返しのつかない事をしでかすのを待ち、それを糾弾して王太子から引きずり下ろせばシェリーナの望みは叶う。


 ――そのはず、だったのだ。

 

 学期末を二週間後に控えた今日、それがすべてひっくり返された。

 沈痛な表情をしたオーギュストの「イリスティアが神樹に還った」という言葉が、シェリーナの失敗を示している。


 高位貴族や神樹の娘関係者しか知らない事だが、「神樹の娘」は死後ただ土に還るのでは無い。その遺骸は一本の樹――神樹となるのだ。毒杯を賜った娘以外の神樹は、今も王室が所有する庭で管理されている。

 つまり、神樹の娘が「神樹に還る」とは、その死を意味する。

 追い詰められたイリスティアは、死を選んだのだ。

 今朝、何人かの教師と生徒に、神樹の娘からの手紙が届いていたらしい。それを見て慌てて教師が彼女の部屋に飛び込めば、机の上に同じ手紙があり彼女の姿は無かった。そして、窓の外には昨日までなかった若木と、その枝には彼女がよく頭につけていたリボンが巻き付いていたという。

 問題は、手紙の内容だ。今シェリーナがここに呼ばれたのも、その内容が関係している。


「イリスティア嬢が、こんなに追い詰められていたなんて……」


 かすれた声で言うオーギュストに、シェリーナは舌打ちしたい気持ちを押し殺して無言を貫く。


 手紙には、震える文字でこう綴られていた。


 殿下から身の丈に合わない扱いを受けて申し訳ないと思っていた事。

 リュミエラ様に謝罪を受け入れてもらえて嬉しかったのに、彼女が自分を虐げているという噂が流れてしまった事。誰にどう訴えても誹謗中傷を止められずに苦しかった事。

 自分の主張は考慮されず、リュミエラ様が窮地に立たされている事が耐えられなかった事。

 次代の王である殿下とその婚約者の仲を乱す事は、国を乱す事に等しい。異能の力があったとしても、自分の存在は国にとってマイナスにしかならないと考えた事。

 だから神様にこの力をお返しにいくと決意した事、自分の死でどうかすべてが元に戻るよう、それだけを願う事――。


 それは最後のものを除き、常日頃から彼女が主張していた事。けれど、生きていれば「健気に自分を虐げる高位令嬢を庇っている」と受け取られたそれも、死んでしまえば「自分の主張を受け入れられず、命をかけて周囲をただそうとした」と考えるのが自然だ。

 この手紙が届けられたのがオーギュスト一人であれば、罪悪感につけ込んで丸め込む事も出来たかもしれない。けれど不特定多数の目に触れており、リュミエラもすでにこの内容を承知している以上それも出来ない。神樹の娘とリュミエラが直接接触できないように手を回してはいたが、事ここに至ってはそれも無意味だった。

 この事態にリュミエラがどう反応するかわからず、シェリーナは押し黙る。奇妙なまでに沈黙を貫いていた彼女は、おもむろに長い息を吐くとオーギュストを()めつけた。


「殿下、イリスティア様がこのような選択をしなければならなかったその一端はご自分にあると、自覚はございますか?」

「……なにを……」

「イリスティア様は殿下を敬して遠ざけようとしていたと、わたくしには見えました。それに対し、殿下はあまりにも軽率にイリスティア様と距離を詰めていたように思います。その振る舞いは、わたくしに対してもイリスティア様にも害のあるものです。――わたくしも今少し上手く立ち回れていればと後悔しております。今回の件は、わたくしたち皆の責でしょう」


 そう言いながら立ち上がったリュミエラの言葉は、シェリーナにとって苦く響く。彼女の言う『わたくしたち皆』はオーギュストとリュミエラだけではなく、この場にいるシェリーナも含んでいるようにしか聞こえなかったために。

 相変わらず天井から糸で吊ったように真っ直ぐ背筋を伸ばし、リュミエラはシェリーナの目を鋭く射貫く。まるで仇敵に向けるようなそれは、もはや何のいいわけも意味を成さぬと告げているようで。


「此度の事態、何者かが裏で動いていた事は把握しています。後手に回りましたが、バーデンベルグ家は決して本件をうやむやにはいたしません」


 その迷いの無い言葉に、シェリーナは己がここに呼ばれた意味を理解した。

 おそらく、リュミエラ――否、バーデンベルグ家は、シェリーナがどういう意図を持って動いていたかを把握している。おそらく決定的な証拠はまだつかんでいないが、そのめどは立っているのだろう。ここまで明確に告げられるのはもはや最後通牒に等しく、事態がひっくり返る事はほぼない事が暗に示されている。

 じっとりと、嫌な汗が背中を濡らした。何が起こっているのかわからないのだろう、オーギュストが困った顔でリュミエラとシェリーナを見ているのが気に障る。けれど何も言う事が出来ず黙りこくる事しか出来ぬシェリーナに、リュミエラは一つ息を吐くと「それでは失礼いたします」と全員に背を向けた。


「あぁ、そうでした。わたくしと殿下の婚約についても、追って陛下とバーデンベルグ侯爵家から連絡があるかと思います。以降、わたくしへの直接の接触はお控えくださいませ」


 それは、明言せずとも婚約破棄を示唆する言葉。イリスティア亡きあと、リュミエラの後ろ盾なくば王太子としての立場が危うくなる事がわかっているのだろう、オーギュストが慌てて立ち上がって「リュミエラ!」と叫ぶが、彼女が振り向く事はなく。

 シェリーナもまた、その場に立ち尽くす事しか出来ない。上手くいっていると思っていたすべてが砂上の楼閣である事を突きつけられた彼女は、己のこれからの処遇を考え目の前が暗くなる心地でいた。




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