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5.二周目で誓うこと

5話目です。全8話。


*********************



「……正直、それから先の事はあんまり覚えてなくて……何日後かに侍女の人が持ってきたお茶を飲んだら苦しくなって、気づいたら『ここ』に戻ってきてたの……」

「……」

「殿下に対して突き飛ばしたりとかすごく不敬な態度とっちゃったから、毒杯を賜ったのかなと思うんだけど……でもなんでこんな状況になったのかわからなくて、どうしたら良いのかもわからなくて……」


 たどたどしく、それでも今自分が理解している精一杯を、わたしは目の前のレナルドに語った。

 自分でも何が起こったのかわからない。おそらく死んだはずなのに、気づけば懐かしい孤児院に戻っていたのだから。当事者でないレナルドはわたし以上に理解できないのだろう、眉間に皺を寄せたままじっと押し黙っている。

 そうだよね、こんなこと、信じられないよね。

 それに、いずれにせよ明日にはサリニャック子爵家に向かわなければならないし、そうすれば程なくして学院に行く事になる。今のままでは、頭の中に残る記憶が夢か妄想でない限り、きっと同じ未来をたどるだろう。


 でも、わたしの心は不思議とだんだん凪いでいった。


 だって、レナルドにまた会えた。目をつむってじっと考え込むその顔に触れられる距離に、また戻って来られた。涙を拭ってくれる指先の熱を思い出せた。あのつらくてたまらない生活の中で、たった一つまた欲しかったものを得られた。

 だったら、もう、いい。また同じように死んだとして、今度は本当に戻って来られなかったとしても、もう良い。

 レナルドが元気にここにいて、わたしと向き合ってくれている。この時間をもう一度得られたのだから。


「……っおい!?」

「え?」


 ずいぶんと熟考していたレナルドが、目を開けてぎょっとした顔をした。慌てて手のひらでぐいぐいとわたしの頬を拭うその仕草から、わたしは自分が声もなく涙を流していた事を知る。

 ごしごしと擦るその仕草は、涙が苦手なレナルドが孤児院の小さな子たちによくするもの。戻ってきてから一番動揺しているのではないかと思うその表情に、わたしは思わず頬を緩めた。


「そんな風に泣くな、イリス。疑ってない、どうすれば良いか考えてただけだから」

「……信じてくれるの?」

「おまえの言葉は全部信じるって決めてる」


 話しながらこんなむちゃくちゃな事があるものかと自分でも思っていたのに、レナルドの言葉に迷いはなく。

 まっすぐに見つめてくれる目に、呼吸が止まる心地がした。

 あのつらい日々の中、誰がこうしてわたしの目を見てわたしの話を聞いてくれただろうか。ここにいたときは当たり前のように与えられていたものが、こんなに得がたいものだったなんてわからなかった。

 再び泣き出したわたしを、レナルドは引き寄せて根気強く背を撫でてくれた。しゃくり上げるのが止まるまで、ずっと。


「……多分、俺は殺されたんだろうな」


 やっと嗚咽がおさまった頃、レナルドがぽつりとそんな事を言う。今度はわたしがぎょっとする番で、思わず「なんで!?」と叫んでしまって口を塞がれた。

 しまった、まだ深夜だった。小さい子たちやバルニエ先生が起きてくる気配がないのを確認してから、レナルドはふーっと長く息を吐いた。


「学院に行ってから、俺の連絡が途絶えたんだろ? その後ずっとおまえが手紙を送っても返事もなくて、手紙だけじゃなくてありとあらゆる接触がなかった」

「う、うん、そうだけど……」

「ありえない。俺が生きてたら、おまえと連絡が取れなくなった時点で学院に行ってる。それをしなかったってことは、俺が死んでるって事だ」

「えっ!?」


 こともなげに「学院に行く」なんて言われて、わたしは再び目を丸くした。

 王族が通うだけあって、学院の警備は厳重だ。そんな簡単に入り込めるはずがない、と思ったのが顔に出ていたのだろう、レナルドは呆れた顔をして「あのな、学院の運営にどれだけの人間が関わってると思ってるんだ」と鼻を鳴らした。


「業者まで全員貴族なわけないだろ。学院の樹木を手入れをしてるの、中央通りのオルソンさんがやってる造園所だぞ」

「あ……そっか……」

「おまえが貴族になるって決まってから、時間見つけてオルソンさんのところで手伝いさせてもらってる。おまえの事も知ってるし、学院の仕事は見習いとして連れて行ってもらう約束してる」


 オルソンさんのところの他にも、卵と牛乳を納入してるテレンスさんとか建物を手入れしてるリグルさんにも話をつけてる、とあっさりと言われ、もはや言葉も出なかった。確かに最近忙しくどこかに行っているとは思ったけど、まさかそんな事をしていたなんて。

 わたしたちは年長だから、もちろん孤児院の仕事だってある。そっちは手を抜かずに他のところでも仕事をするなんて、大変な事だ。わたしはそんな事も知らずに、一緒に過ごせる時間もあと少しなのだからもう少し時間を取って欲しい、と言った記憶もある。そんなわがままにも嫌な顔ひとつせずに頷いてくれた裏で、そんなに動き回っていたなんて。


「……わたしの、ため……?」

「俺のためだ。おまえが心配な自分のため」


 だから気にするなと、何でもない事のように言われてまだ涙がにじんでしまう。これ以上泣いては話が進められないから、ぶるぶると頭を振ってなんとかそれを抑え込んだ。

 今重要なのは、時間が戻る前はわたしだけではなくレナルドまで死んでしまった可能性が高いという事。わたしだけならもう一度死んだって良いと思ったが、レナルドまで巻き込まれているなら絶対に諦められない。

 でも、わたしは自分がなんであんなことになったのか、そしてどうして死んだのかもよくわかっていない。レナルドもとなればなおさらで、一応神樹の娘であったわたしはともかく、その幼なじみまで排除するなんて尋常じゃないように思える。

 だけどレナルドにとっては疑問ではないようで、「俺はおまえの回りをうろちょろして邪魔だったから殺したんだろ。貴族なんてそんなもんだ」とあっさりと言った。


「あと、おまえは毒杯を賜ったんじゃなくて暗殺されてると思う。仮にも神樹の娘が毒杯を賜るには、罪状が軽すぎる。それに、毒杯は立会人もなしに侍女から渡されるようなものじゃないしな」

「そ、そうなの?」

「そうだ。……後ろ盾のバーデンベルグ家を遠ざけ、庇護下にあった神樹の娘を殺害されたとなれば、第二王子の立場はかなり悪くなっただろうな。端からは『神樹の娘に騙されて婚約者を虐げた殿下が、騙された事に気づいて激昂の末に害した』ようにも見えるし……一連の騒動は第二王子の失脚が目的だったんだろうな」


 すらすらと、あれだけの情報で簡単に目的を推察して見せたレナルドに、わたしは気づけばあんぐりと口を開けていた。

 賢い人だとは思っていたけど、ここまでなんて。目は口程に物を言うらしいわたしの視線に気づいたのか、レナルドはなぜか少し気まずそうに目をそらした。


「……それに、実際に似たような事があったしな」

「え?」

「神樹の娘って、おまえで何人目って言われてた?」

「えっと……四人目?」

「うん。でも本当は、二人目と三人目の間にもう一人いたんだ。つまりおまえは、本当は五人目。王族とか高位貴族にしか知られてないけどな」


 なんでそんな事知ってるの? と聞けば、しれっと「調べた」と返ってきてぎょっとする。王族とか高位貴族にしか知られていないって自分で言ってたのに、それを調べてしまうってどういうことだろう。わたしには調べ方の想像もつかないのに、レナルドは何でもない顔をしている。

 わたしの幼なじみって、もしかしてものすごい人なんだろうか。すごい人なのは知ってたけど。

 口元に手を当てたレナルドは、時折思案しながらも迷いのない目でわたしを見ている。


「その本来の『三人目』は位の低い貴族の娘だったけど、神樹の娘の立場を利用して当時の殿下や高位貴族の子息をたぶらかした。それこそ彼らの婚約者に嫌みを言われただの暴力をふるわれただの嘘をついて取り入ってな。結局企みはばれて投獄の上毒杯を賜って、そいつが神樹の娘であった事も抹消されたらしい」

「え……じゃ、じゃあ、同じ事をわたしがしたと思われた、ってこと……?」

「だろうな。抹消されたのと同じ『身分の低い卑しい娘』に傾倒したとなれば、殿下の評判はがた落ちだ。過去に神樹の娘にたぶらかされた王子も王位継承権を剥奪されているらしいから、同じようにオーギュスト殿下を陥れようとしたんだろう。まぁ殿下の方にも、神樹の娘の力を自分の役に立たせたいとか、おまえに対する下心もあったんだろうけど」


 レナルドは何でもない事のように淡々と、わたしが話したまとまりのない内容からそこまでを推測した。その上、「当代の神樹の娘であるおまえは元孤児で後ろ盾も子爵家だし、散々利用したあとに排除するのも簡単だろうしな」と言われ、気づけばわたしはわなわなと震えていた。

 身体の芯から沸き上がってきた、燃えるような怒り。

 わたしだけならともかくレナルドまで巻き込んで、その理由が殿下を失脚させるため? わたしが貴族じゃないからかもしれないけど、人の命をそんなくだらない事に利用するなんて全く理解できない。

 強く握りしめた拳の上に、そっとレナルドの手が重なる。驚いてそちらを見れば、珍しく眉尻を下げたレナルドの顔があった。


「……ごめんな。俺の油断のせいで、助けてやれなかった」

「レナルドのせいじゃない!」

「決めてたんだ。命に代えても、イリスの事を守るって」


 何の迷いもなく、まっすぐに告げられたレナルドの言葉に、思わず息をのむ。

 どきどきと、心臓がうるさく音を立てるのを聞く。優しいけれど不器用なレナルドが、こんなことを言ってくれたのは初めてだ。

 顔が熱くて、きっと首元まで真っ赤になってしまっている。レナルドの視線から逃れるようにうつむいて、こんな時だというのに場違いなまでに喜びに沸く内心を押し殺す。


「そ、それって、わたしがレナルドの命を助けたから……? レナルド、それを負い目に思ってる?」

「違う。感謝してるのは確かだけど、俺はもっと前からそう決めてた」

 

 わたしが示した逃げ道を、レナルドは一言で切り捨てた。

 ここで「そうだな」と返されれば、わたしはきっと真面目な顔してそんなふうに考えなくて良いんだよっていい子のふりが出来たのに。

 レナルドの手がわたしの頬を包んで、うつむいていた顔をのぞき込まれる。レナルドのあたたかなブラウンの目に、泣き出しそうなわたしが映っていた。平民に多い茶色の目は、だけどわたしにとってはどんな宝石よりもきらめいて見える。貴族たちに至高と呼ばれる青い目も、これほど美しくはなかった。

 大きな手は、いつの間にかしっかりと男の人のものだった。丸みの落ちた頬も、しっかりとしてきた首から肩にかけてのラインも、薄いまぶたも。どれも幼い頃の面影を残しているのに、わたしとは全然違うものになった。


「イリスが、俺と一緒にいられるだけで良いって言ってくれたあの日から。俺にとって一番大事なのはイリスだから」


 低く落ち着いた声が、ゆっくり告げてくれた言葉に。

 もう涙をこらえてはいられなかった。

 だってレナルドの言葉は全部、わたしのものだったから。

 わたしも、ずっとずっとレナルドが大事だった。一番大事だった。他の何を奪われたとしても、レナルドだけは奪われたくなかった。

 レナルドは本当に賢いね。わたしは貴族としてあの学院で過ごしたひどい日々の中で、ようやくこの気持ちに名前をつけられたのに。ずっと心の底にあったものをすくい上げるには、苦しみを経なければいけなかったのに。

 目の前のレナルドに、夢中で抱きついた。昔は勢いよく抱きつけば一緒に倒れていた細い身体は、もうびくともせずにわたしを受け止めてくれる。それが嬉しくて切なくて、声を殺してその肩口に顔を埋めた。


「わだっ、しもっ! わたしも、レナルドが、いちばん、大事だよ……!」

「うん」

「一緒にいたいよぉ……!」


 魂の芯からの叫びは、存外悲痛な色をしていた。

 生きるか死ぬかのこんな状況で告げたくはなかったけれど、きっと今しか伝えられない。だって何に巻き込まれたのかの推測は出来ても、ただの平民、それも孤児に過ぎないわたしたちにそれから逃れる術などきっとない。ただ逃げれば孤児院のみんなに累が及ぶ上に追手も差し向けられるだろうし、一生逃げ続ける事になる。学院に戻っても、下級貴族の養女でしかないわたしがどう立ち回れば最悪の運命を逃れられるかわからないし、貴族のままではレナルドと一緒にいる事は出来ない。

 何故神様は、わたしにこんな力を与えたのだろう。レナルドの命を救う代償ならと思ったけど、そのレナルドまで死んでしまうなんてあんまりだ。

 止まらない涙で服を濡らすわたしを、レナルドは突き放したりせずに抱きしめ返してくれた。そして不意にその腕に力を込めると、「イリス」とわたしの名前を呼んで。


「一緒にいよう」

「え?」


 そう、言った。まるで何でもない事のように。

 思わず顔を上げれば、そこには涙ににじんだ視界でもわかるほどに不遜な顔をしたレナルドがいた。とんでもない、誰も考えついた事のないような、そんな大胆な事をするときのレナルドの顔。

 大人の目を盗むいたずらっ子のような、この世のすべてを手に入れた王様のような、見ているとハラハラしてわくわくして、楽しい未来しか見えなくなるような、そんな。

 目を丸くしたわたしを再び抱きしめると、レナルドは低く低く「大丈夫だ」と呟いて。


「起こる事がわかってるなら、やりようはある」


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