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2.一周目①

2話目です。全8話。

 孤児院のみんなとの、別れの日。

 迎えの馬車に乗り込んだわたしは、みんなが書いてくれた寄せ書きを見ながらぼろぼろと涙をこぼしていた。

 頑張ってね、負けないでね、たまには帰ってきてね――つたない、だけど愛情のこもった言葉たちの中、端には整った字で「困っても困ってなくても手紙をよこせ」と書かれていた。

 それがレナルドのものであることは、名前がなくたってわかる。肩を震わせてしゃくりあげるわたしに、迎えに来た侍従の人が「貴族の令嬢はそのように人前で感情をあらわにしません」と無感情に言い捨てた。

 わたしがこれから暮らさなくてはいけないのは、そういう世界なのだ。怖くて怖くてたまらなくて一層激しく体を震わせたわたしを、侍従の人は呆れた目で見ていたように思う。

 馬車に揺られて一時間。城下にある子爵家のタウンハウスで、わたしはサリニャック子爵夫妻に迎えられた。

 養い親となる二人だが、年齢的には祖父母に近い。彼らの実子、わたしの義兄弟となる男女は、すでに成人して結婚もしていると聞いた。

 最初に教会に連れて行かれた時に一度顔を合わせているが、その時はろくな会話もしていない。ほぼほぼ初対面のような気持ちで、わたしは深々と頭を下げた。


「い、イリスです。よろしくお願いいたします」

「ああ、そんなに頭を下げなくていい。今日から親子になるのだから」

「そうよ。こんなにかわいらしいお嬢さんを迎えられるだなんて、うれしいわ」


 しどろもどろに挨拶するわたしに、二人は優しく声をかけてくれる。顔に刻まれた皺は年齢を感じさせるが、それでも街で出会う人たちよりずっと若々しく上品だ。背筋もピンとしている。どうやら歓迎してもらってはいるみたいだけど、今まで周りにいた人たちとは違いすぎて、どう接するのが正解なのかわからなかった。

 夫人に勧められて、ふかふかの椅子に腰を下ろす。部屋のインテリアも統一されていて、この椅子もすっごく高そうだ。そんなことを考えると体が震えてきそうで、体に余計な力が入っている気がした。

 向かいに座る二人は、ガチガチなわたしを見て少し気遣わしげな顔をする。心配をかけるまいと作った表情は、はたしてちゃんと笑顔になっていただろうか。


「イリス、早速だけれどあなたに最初の贈り物があるの」

「お、おくりもの、ですか」

「ええ。貴族としての名前。イリスティア……と呼びたいのだけど、どうかしら」


 柔らかく微笑んだ夫人の言葉に、思わず膝の上でぎゅっと手を握ってしまった。

 名前。そうだ、教会の人が言っていた。イリスという名前はいかにも平民だから、神樹の娘としてはふさわしくない。だから新しい名前をつけるのだと。

 イリスティア。夫人が口にした名前を、頭の中で反芻する。みんなが呼んでくれたイリスと言う名前でなくなるのは本当は嫌だけれど、教会の人に任せればきっと原形を留めないものにされていたと思う。愛称を「イリス」と出来る名前にしてくださったのは、夫妻の思いやりに感じられた。

 だから、笑う。今度はさっきよりも自然な顔になっていると思う。


「ありがとうございます。……うれしいです」

「よかったわ。せっかくきれいな名前だから、元の名前を残したかったのよ」


 夫人の言葉は、わたしの考えていたことを肯定した。緊張に強ばる子供を哀れに思ったものだとしても、その心遣いは素直にうれしい。ようやく体に入った力が抜けたのに気づいたのか、夫妻もほっと息を吐いたようだった。


 二人は、これからについて説明してくれた。

 まず、一ヶ月はこの家で夫人から最低限の貴族教育を受ける。そして来月からは、貴族の学院に通う。正直勉強はするから学院に行くのは避けられないか、と考えていたのだけれど、この国では貴族の学院を卒業しないと貴族として認められないらしい。そんな仕組みすら知らなかった孤児のわたしにとっては、なんてよくわからない世界だろうという感想しかない。生まれたときから貴族として生きている人たちに混じって生活するなんて、考えただけでも気が重い。

 学院では、わたしは寮に入るとのこと。これは教会からの条件で、どうやら特定の貴族、この場合はサリニャック子爵夫妻とわたしが必要以上に親密にならないようにするためのようだ。夫妻が説明してくれる言葉の端々からそんな感じが見て取れる。いろんな人の思惑が絡み合っていてうんざりしてしまうが、孤児院が人質に取られている状況だから、わたしに文句を言う権利はなく。

 どれだけつらくても、乗り切るしかない。わたしに出来ることは、なんとか神樹の娘として大成して、孤児院に手を出されないぐらいの力を身につけることだけ。

 二人の説明を従順に聞くわたしに安心したのか、夫人が優しく「今日は疲れたでしょうから、お部屋に案内するわ」とわたしのために整えてくれたという部屋へと連れて行ってくれた。

 明るくてきれいな部屋は、孤児院なら八人部屋になるぐらい広い。ベッドだって三人……いや、四人は眠れるぐらい大きくて、調度品も多分花瓶一つで孤児院の一月分ぐらいの食費になりそうだ。

 とても立派な、心苦しいほどに素敵な部屋。だけどそれが、かえってわたしを苦しくさせた。あまりにもこれまでの環境と違いすぎて、これまでの自分ではいられないのだと突きつけられているようで。

 あふれてきそうな涙をぐっとこらえて、わたしはレナルドに書く手紙の内容を考える。心配させないように、元気だよって伝えられるように。

 孤児院を出て半日ほどなのにもう大分心細くなってしまったわたしは、早速用意された机に向かってペンを取ったのだった。



 後から考えると、サリニャック邸で過ごした一ヶ月は『貴族社会に組み込まれて唯一平和だった期間』であった。

 夫人の指導は厳しくも優しさを持って行われた。丁寧な指導は、わたしが何も知らない平民であると言うことを前提に組み立てられていて、わたしは夫人の心遣いに何度感謝したかわからない。子爵はお城の仕事をしていて忙しい身でありながら、週に何度も夕食を共にしてくれた。困ったことはないか、体調は大丈夫かと声をかけてくれるだけで、ずいぶんと安心できた。

 レナルドの手紙も、三日と空けずに届いた。貴族社会で困ったことがあったらサリニャック子爵夫妻を頼れ、マナーはしっかり勉強しろ、出来るだけ目立たないようにして、特に高位の貴族には関わるな。そんなお小言の中に紛れ込ませるように「しっかり食べて、しっかり寝ろ」とわたしの体調を気遣う言葉があって、わたしはそれだけでたくさんの勉強も頑張れた。

 サリニャック子爵夫妻も優しいし、貴族といえど心を尽くせばうまくやれるかもしれない、と。

 そんな楽観を抱いて迎えた、学院入学の日。


「うわぁ……」


 目の前の壮麗な建物に、思わず間抜けな声が漏れてしまった。ここに侍従がいたら、きっと令嬢らしくないと叱られてしまっただろう。馬車が入れるのが校門より少し前の地点でよかった。

 見上げるほどに大きな建物は、物語の挿絵で見たお城みたいだった。どこもかしこもぴかぴかで、もちろん石造りだ。同じ王都でも、貴族が住むエリアと裕福な人が住むエリアは違うし、普通の人が住むエリアと貧しい人が住むエリアも違う。私たちの孤児院はもちろん貧しいエリアにあったので、周りの家も孤児院も木造だ。

 だからだろうか。なんだか建物全体からこちらを拒絶するような寒々しさを感じて、少しひるんでしまう。それでも立ち尽くしている訳にはいかないので、わたしは気合いを入れて一歩を踏み出した。


「見慣れぬ顔だな」

「えっ!?」


 けれどその最初の一歩は、後ろからかかった声によって台無しになった。

 勢いよく振り向けば、そこには今まさに馬車から降りてきている男子生徒がいた。

 あれ、ここまで馬車って入っちゃいけないんじゃなかったかな、と内心首をかしげるわたしにはお構いなしに、彼は優雅に歩み寄るとにっこりと微笑んだ。

 甘い蜂蜜色の髪に、青い瞳。恐ろしいほどに整った顔に、すらりとした長い手足。着ているのは制服だけど、それでも隠しきれない高貴な雰囲気。物語に出てくる王子様みたいだな、というのんきな感想と、この人は絶対高位貴族だ、という冷静な考察が同時に浮かんで、わたしはとっさに淑女の礼をした。


「礼はいい、学院では身分の区別はない。それより初めて見る顔だが、もしや君が神樹の娘か?」

「……お、畏れ多くもそのように呼ばれております。イリスティア・サリニャックです」


 「神樹の娘」という名前で呼ばれ、思わず少し声が震える。サリニャック子爵夫妻が「神樹の娘」を養子にしたという話は耳が早い貴族には知れ渡っていると聞いたから、隠し通せるとは思っていなかった。だけどまさか、学院に入る前からばれてしまっているなんて。

 こちらはなんてことだと叫びたい気持ちなのに、目の前の彼は我が意を得たりとばかりに微笑んで自然な仕草でわたしの手を取った。


「尊き君を一人にするなど、こちらの手落ちだな。エスコートをしても?」

「え、あの……え?」

「ああ、名乗り遅れたな。私はオーギュスト・モンペリエ。この国の王太子だ」


 さらりと告げられた言葉に、全身が硬直する。

 この人、今、何て言った? 王太子、王太子って、次に王様になる王子様、以外の意味、あったっけ?

 そんなことがぐるぐる頭を回って、ざぁっと血の気の引く音を聞く。やっと目の前の彼が『この国の第二王子であり、王太子のオーギュスト様』ということを理解した瞬間、わたしは彼の手から自分のそれを引き抜いて深々と頭を下げた。


「し、知らぬとはいえご無礼を……! 教養もない卑賎の身です、なにとぞご容赦を……!」

「学院に身分の区別はない、と言っただろう? それに君は特別な力を持つ人間なのだから、そんなにへりくだる必要はない」


 貴族への謝罪は、卑屈なぐらいでいい。所詮元平民よと目こぼししてもらって切り抜けろと、レナルドにアドバイスいただいたままにわたしはぺこぺこしながら謝罪を口にする。お願いだから見逃してくれオーラを全開にしているのに、殿下はそれに気づいていないのか気づかないふりをしているのか、再びさらりとわたしの手を取った。

 洗練された仕草なのだろうけれど、ぞっとした。今まで自分の周りになかったものだし、同年代の男の子だってレナルド以外近くにいなかった。レナルドが乱暴に頭を撫でてくるのは全然嫌じゃないのに、殿下に手を握られているのはすごく嫌だった。

 嫌悪に固まったわたしをどう解釈したのか、「緊張しなくていい」と笑みを深める様は多分客観的に見たら麗しの王子様だ。わたしも自分以外に起こったことなら絵本みたいだなぁと思っただろう。当事者になってしまっては、本当に、心底、一つの遠慮もなしに勘弁して欲しいとしか思わないけれど。


「今日が初日だろう? 職員棟に案内しよう」 


 相手が王子殿下だから、手を振り払うことも出来ない。そのまま手を引かれるわたしに、ちらほらと登校し始めた他の生徒たちの視線が刺さっている気がした。

 ここでちんたらしていたら、ますます多くの人の目に触れてしまうかもしれない。嫌なことはなるべく早く済まそうと、わたしは失礼にならない程度の早足で殿下の隣を進んだ。


 殿下は言葉の通り、わたしを職員棟へと送り届けてくれた。

 正直、場所は子爵夫妻にも聞いていたから一人でも来られたのだけれど、親切を悪く思ってはいけない。わたしは再び何度も頭を下げて、去って行く殿下の背中を見送って一息吐く。

 初日から予想外の出来事に遭遇してしまったけれど、きっとこれきりだ。最初から学院内で最も高位である王族に接触してしまったのは不運だったけど、これだけ広い学院だ。息を潜めて隅の方で過ごすようにすれば、二度と会うこともないだろう。授業も高位貴族と下位貴族で分けられているというし、子爵家の養女であるわたしはしっかり下位貴族クラスだ。

 担任になる教師に挨拶をして、クラスへと案内される。それ以降は何事もなく終わって、無事に寮へと戻ってきた。緊張に固まった体を伸ばしながら、わたしは早速机に座って、レナルドへの手紙を書き始める。


 レナルドへ。

 聞いて、初日から第二王子殿下に会ってしまったの。本当についてない。でも学院はたくさんの人がいるから、明日からは大丈夫だと思う。レナルドからのアドバイス通り、ちゃんとぺこぺこしておいたよ。

 なんかエスコートするって手を取られたんだけど、すごく嫌な感じだった。レナルドになでてもらうとうれしいのに、全然違った。不思議。それでね――。


 レナルドに話したいことが、いっぱいある。本当は顔を見て話したいけど今はそれが叶わないから、いっぱい手紙を書く。

 その日も結局便せん三枚にもなってしまった手紙を封筒にしまいながら、明日からは何も起こりませんようにとわたしは祈った。神様がわたしにこの力を与えたのなら、なるべくご意思に沿うように頑張るから、せめて波風立たないよう毎日を過ごさせてくださいと。


 けれど、そんなささやかな祈りは翌日に打ち砕かれた。


「やぁ、イリスティア嬢」

「……で、殿下……?」


 さぁ今日から本格的に学院生活の始まりだと、意気揚々と寮を出たわたしの目に飛び込んできたのは、キラキラとしたオーラを放つ人と彼を遠巻きにチラチラと見る生徒たち。そのキラキラオーラはなんだかつい昨日に見たもののような気がして、なんだかすごく嫌な予感がした。

 そしてその予感通り、キラキラ――王子殿下はわたしを見止めるとにこやかに近づいてきてわたしを呼んだ。

 しかも、名前だ。特別親しくない相手は家名を呼ぶんじゃないの? と付け焼き刃の貴族教育知識が訴えて、わたしは多分顔が引きつっていたと思う。

 そんなわたしに気づいているのかいないのか、殿下はまぶしいロイヤルスマイルのまま「いい朝だな」と至極どうでもいいことを言った。


「学院に慣れるまではまだかかると思ってね。どうだろう、しばらくは私に案内役を務めさせてくれないだろうか」

「そ、そんな、畏れ多いです。わた……くし、大丈夫ですので……」

「昨日も言ったが、君は特別な存在だ。遠慮しなくていい」


 大変だ。言葉が通じない。

 わたしがどれだけ言ってもきらきらしい笑顔を崩さない殿下に、冷たい汗が背筋を伝った。これは非常にまずい。ポッと出の平民が王子と関わるなんて、良い印象を持たれるわけがない。現に、すでにわたしを非難するような視線が飛んできているのを感じている。

 詳しくは知らないが、貴族というのは幼い頃に婚約者を決めることが多いらしい。貴族社会の筆頭である王子ともなれば、もちろん婚約者だっているはずだ。なのに急に現れたわたしが王子の周囲をうろつけば、あらぬ噂が立ちかねない。夫人にも、男性との距離はくれぐれも気をつけるようにと言われている。

 頭の中で、王子の申し出を強く断るリスクと申し出を受けて周囲に睨まれるリスクを天秤にかける。

天秤はあっさり周囲に睨まれる方に傾いたので、わたしは自分に向かって手を差し出す殿下に勢いよく頭を下げた。


「申し訳ございませんっ! 本当に一人で大丈夫ですので!!」

「イリ」

「下級貴族の棟は遠いのでお先に失礼します!」


 殿下が口を開きかけたが、それを遮るように言い捨ててわたしはダッシュで教室への道を走る。すごく不敬な行動だけど、周囲のお嬢様がたの「まぁ、あの方殿下に案内させようなんて何様かしら」と言いたげな目線に耐えられなかった。被害妄想かもしれないが、鈍感でいるよりよほどいいはずだ。

 それに、これだけ淑女としてまずい行動を取れば、殿下ももう声をかけてこないだろう。謹慎などの罰を食らう可能性はないではないが、最悪それでもいい。サリニャック子爵夫妻に迷惑をかけるようなことは避けたいけど、下手に王族と関わって周囲に目をつけられる方がまずい気がした。

 全速力で走って、ようやく教室の前に着いたときにはすごくほっとした。疾走したあげく肩で息をするわたしを周囲が奇異の目で見ていたけど、背に腹は代えられない。息を整えながら教室に入り、後ろの隅の方へ腰掛ける。席は自由だと聞いているから、これからもなるべく目立たないように端に座ることにしよう。

 そんなことを考えながら、わたしはすでに頭の中でレナルドへの手紙を書き始めていた。二日連続で王子に遭遇してしまったなんて聞いたら、レナルドはなんて言うかな。お前は本当に変なところでついてないなってむすっとするかな。それとも、心配して眉を寄せるかな。あぁ、昨日書いて用務員さんに預けた手紙は今どの辺かな。王都内なら遅くても明日の夜までには着くでしょうって言ってたけど、レナルドの返事はいつ届くかな。

 そんなことを考えていたら、教室に先生が入ってきた。鞄から教科書を取り出しながら、わたしは背筋を這い上ってくるような嫌な予感をごまかすようにレナルドや孤児院のみんなのことを考え続ける。そうしていなければ、なんでこうなるの、なんて叫んでしまいそうだったから。

 だけど。


「イリスティア嬢」

「――……」


 そうだ。わたしの嫌な予感、すごく当たるんだ。

 お昼休み、食堂に向かおうと教室を出たわたしを待ち構えていたのは、朝と変わらぬ笑顔の殿下だった。思わず絶句するわたしとは裏腹、周囲の人たちが色めきだっているのがわかる。

 なんで、どうして。あんなに無礼なことをしたのに。混乱で何も言えないわたしに、殿下はキラキラした笑顔のまま「朝はすまなかった」となぜか謝った。


「急いでいるのに気づかず失礼した。昼ならば時間を取ってもらえるだろうか?」

「あ、あの……いえ……」

「久方ぶりに降臨された聖女と、是非交流を深めたい」


 どうすればいいかわからずにしどろもどろになったが、殿下はお構いなしに初日のようにわたしの手を取る。王子様然としたその仕草にきゃあっと周りから控えめな歓声が上がった。

 さすがにこの状況で手を振り払って逃げる勇気はない。朝の不敬をなかったことにして、さらにこちらの都合を慮る姿勢まで見せてくれているのだ。これを断るのは、平民の礼儀知らずの域を超える。

 無礼にならない範囲でなんとか断れないかと、背中に伝う汗を感じながらわたしはなんとか言葉を絞り出す。


「あ、あの、せっかくなので、しばらくはクラスの皆様と交流をしたく……」

「ああ、それはいいな。どうだろう、急で悪いが、今ここにいる皆でランチを取らないか? 私が使える談話室がある、そこに食事を運ばせよう」


 必死に頭を絞ってひねりだした『失礼にならないお断り』は、しかし朗々と告げられた一言で一蹴される。わぁ、と周りから歓声が上がるのを聞いて、わたしは胃のあたりで拳をぎゅっと握りしめた。

 わたしが習った淑女教育において、さっきのは結構直接的なお断りだったと思う。他の予定を提示して代替案を出さないのは、あなたのために予定を空けることはしない、という意思表示だとサリニャック夫人も言っていた。王子という立場であればそのマナーを知らないはずがないのに、なぜこの人はわたしの意向を無視するのだろう。

 周囲のクラスメイトたちは、突然訪れた機会に沸き立っている。いかに貴族といえど、下級であれば殿下と食事を取ることなどそうはないだろう。この状況でわたしがこれ以上固辞することなど出来るわけがない。

 良いアイディアだろうとばかりに微笑む殿下に曖昧な笑みを向けながら、わたしは震える指先を押さえつけながら「格別のご配慮、光栄です」と答えることしか出来なかった。




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