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スライム殺人事件

作者: bamboo



  空がうっすら白み、昼行性の魔物がぼちぼち活動を始める早朝。

 草木が鬱蒼と茂る森の中から、天を切り裂かんばかりの馬のいななきが響いた。

 直後、茂みがガサガサと揺れたかと思うと、爆発するように葉っぱが吹き飛び、中から一頭のユニコーンが飛び出した。

 ユニコーンは気でも触れたかのように首を左右に振りながら涎を撒き散らし、血走った目で草原を駆け抜けて行った。

 ユニコーンの通った跡は、まるでその軌跡を示すかのように空気がキラキラと輝いていた。

 たまたま早起きして、その様子を遠くから眺めていた三つ目猿のジョージは、感動して母親を揺さぶり起こそうとしたが、母親はただ不機嫌そうに身を捩り、ジョージの頭をはたいただけだった。



 ロック地方の山奥に、毒霧が立ち込める澱んだ沼がある。その沼の中心にまるで巨大な城のような石造りの建物がそびえていた。事実、この建物は数代前の魔王の居城で、今はその城を安値で買い上げた『魔物警察』が拠点として使用しているのだ。


 ロック魔物警察署の中でも、人通りの少ない南塔の階段で二匹の魔物が向かい合っていた。

 一匹は眉間に深いシワが刻まれた、赤黒い顔のオーガだ。オーガは深いシワをさらに深くし、額にビクビクと血管を浮き上がらせていた。

「おいディスター! 貴様いつになったら金を返すんだ!」

 ディスターと呼ばれた魔物はオーガに胸ぐらを掴まれ、壁に押し当てられた。

 性別は雄だが美しい顔をしている。緑の長髪に薄ピンクの肌、尖った耳に頭部から突き出た二本の角は魔族の特徴だ。

 ディスターは乱れた美しい髪を頬に貼り付けたまま哀しげな目をした。

「オーガルさんすみません。オーガルさんが怒るのはもっともですが、正直今は身内の事で手一杯で……。オーガルさんの金の事まで気が回りません」

 オーガルの目が僅かに見開かれた。

「なに、身内の事だと? おいディスター。貴様ワシの二十万モンスを何に使った?」

 オーガルの声に先程までの勢いはない。

「あ、言ってませんでしたか。それはいけません。金を借りるのに理由を言わないなんて……。私もそれだけ焦っていたんでしょうね。オーガルさんからお借りした大切な大切な二十万モンスは妹の手術代に使いました。お陰で命の危機からは脱する事が出来ました。まだまだ予断を許しませんがね。本当にありがとうございました」

 ディスターは深々と頭を下げた。

 オーガルの手は既に胸ぐらから離れている。それどころか目には薄っすら涙さえ浮かんでいるように見えた。

「お前の妹……そんな状態だったのか。それは大変……だった……な」

 オーガルは詰まり詰まり言った。その顔からは珍しくすっかりシワが消えている。

「いえ、私は何も出来ずオロオロしてるばかりでしたから。それより二十万モンスを貸してくれたオーガルさんの心労を思うと、私はなんて罪な事をしてしまったんだと改めて……」

「何を言っているんだ、貴様の妹さんの辛さに比べたらワシの金など何でもない。もしお前さんさえよければ、あの金は妹さんの見舞金として……」

 オーガルがそこまで言ったところで、ドタドタと誰かが階段を駆け下りてくる音がした。

「ディスター様、ディスター様ー! 大変です。ディスター様が賭けてた競竜のドラサンブラックが負けました! 二十万モンスがパーですよ! どうしましょう!」

 そう叫んだのは竜と人間のハーフ、竜人のリュカだ。太く大きな尻尾と背中に生えた小さな羽根が特徴である。見た目は少女のような可愛らしいルックスをしてるが、長命である竜人の彼女は百歳を超えている。

 そのリュカが大きな声で、ディスターに二十万モンスの負けを伝えてきた。

 ディスターは舌打ちをした。そしてチラリとオーガルの顔を見る。

 赤紫の塊があった。もはや顔というには物足りないその物体は、深く寄り過ぎたシワのせいでどこに目があり鼻があるのか分からない程だった。ただ、白く太い四本の牙だけがギチギチとわなないている。

 ディスターは素早くリュカの腕を掴むと全力で階段を跳ね上がった。ほんの一瞬前までディスターの顔があった空間を赤黒い拳が横切る。階段を駆け上るディスターとリュカの背後で石壁が砕ける音がした。

「バカっ! 何てタイミングで伝えるんだ!」

「はわわわわ~。かか、階段が砕けてます、ディスターさまぁ~」

 オーガルの足音に合わせて階段が砕ける音がする。どうやら我を忘れているようだ。今捕まったら死ぬまで殴られるだろう。

 ディスターは階段を上り切り、通路を右へ曲がると、壁を構成してる石の中で一つだけ色の違う足元の石を思い切り蹴った。

 するとその石が奥へめり込み、同時に石壁の一部が床下へ下がり、丁度人が一人通れるくらいのサイズの穴が開いた。

 ディスターはリュカの腕を引っ張りその中へ滑り込むと、中の壁にあったボタンを押し、穴を閉じた。

 直後に壁の向こうを、オーガルが石張りの床を踏み砕きながら通り過ぎる音が聞こえた。

「ふうぅ~。危ないところでしたね、ディスター様」

「まったく……。オーガルの奴、キレると見境がなくなるからな。見たか? あの顔。まるで熟れたザクロだぜ」

 二人は隠し通路を歩きながら話した。

「それにしてもディスター様。よくここに隠し通路があるって知ってましたね」

「そりゃ誰だって知ってるだろ。警察署の見取り図に描いてあるじゃないか」

「へ? 見取り図ってあの何十ページもある分厚いやつですか? あれの、南塔最上階の隠し通路の部分をたまたま覚えてたんですか?」

「何言ってるんだ。全部覚えてるだけだ」

「ふええええ!? あの膨大な量の図面と隠し通路の場所を全部覚えてると言うのですかあぁ!? はわわわわ、さ、流石ディスター様。恐ろしい記憶力ですぅ」

「そんな事より私はどの竜が速いか見極める能力が欲しいよ……」

 ディスターが大きくため息を吐くと、リュカがクスクスと笑った。

 二人はその後しばらく無言で歩いていたが、突然リュカが跳ね上がった。

「はわっ! そうだディスター様。すっかり本題を忘れてました! 事件ですよ事件! リュカはそれを伝えに来たのです」

 リュカがそう伝えると、ディスターはさらに力の抜けた顔をした。

「ぐぬぬ、仕事か。こんな時は気が乗らないよ……。で、何があった?」

「殺しです。今朝B8地区でスライムの死体が発見されました」



 鬱蒼とした森の中、巨大な岩がいくつも折り重なった岩場がある。岩と岩の間には隙間が開いており、その隙間からはみ出すようにスライムの死体の半分はあった。半分というのは、スライムの死体が二つに分断されていたからである。もう半分は隙間の中だ。

「ディスター様。ガイシャはプレーンスライムのオス、『ネババ』七歳です。どうやらここはネババの巣のようですね」

 リュカはノートのメモを見ながら説明した。辺りでは鑑識ゴブリン達が事件の痕跡を調べている。

「死因は体を真っ二つにされた事によるショック死。切断面のキレイさから、おそらく牙や角などの武器、もしくは剣やナイフなどの刃物で一瞬で分断されたのでしょう。ここがガイシャの巣の出入り口という事から、朝起きて、巣から出たところを待ち構えていた犯人に襲われたとみられます」

 説明を聞いたディスターは、ふーんと生返事をしながらしゃがみ込んで二つに分割されたスライムの死体を観察した。

「なぁ、リュカさぁ……」

「何でしょうディスター様。はわっ! ま、まさかもう事件解決に繋がる重要な何かにお気付きになったのでは……」

「この事件、解決しなきゃダメ?」

「ふむふむ、なるほどなるほど。この事件解決しなきゃダメ……この事件解決しなきゃダメ……? は、はわわっ! な、何を仰ってるのですかディスター様っ!」

「だってほら見てみろよ。こいつ本当に生き物か? ぶよぶよだし表面ヌメってるし、それに手足どころか目や口がどこにあるかさえ分からないんだぜ? わざわざ警察が捜査する必要あるかね」

「ありますよっ! 捕食以外の魔物の殺害は禁止されてるんですよ。魔物同士で殺し合ってたら人間共と戦う貴重な戦力が減るから、という魔王様の崇高なお考えの元にです!」

「そうかねぇ……。魔物という生き物はお互いに殺し合う緊張感の中に身を置く事でこそ力を高めていく生き物だと思うがね」

「もーぅ! 屁理屈言わないで下さいよっ! 兎に角捜査を進めましょう。それが我々のお仕事なのですから」

「いやぁ……でもなぁ……」

「ディスター様。それ以上ごねるようでしたら、ディスター様がデスクに隠してるへそくりの事をオーガルさんに言いますよ?」

「バカっ! そんな事バラしたらオーガルの奴に奪われちまうだろ! わ、分かったよ。やるよ。やりゃーいいんだろ。ったく……」

「それでよいのです。それじゃあディスター様。さっそく第一発見者に話を聞きましょう」



「ええ。あれは私が早朝に散歩をしている時でした。突然森の方から馬のいななきが聞こえてきたのです。声に驚いてそちらの方を見ると、森の茂みの中から一頭のユニコーンが飛び出して来たのです。そしてユニコーンはまるで何かから逃げるようにそのまま草原を駆け抜けて行ってしまいました。私はその様子がどうも気になって、ユニコーンが出てきた場所を、逆に中に入ってみたのです。するとそこには変わり果てた幼馴染の姿が……」

 そう言って声を震わせたのは、第一発見者である、被害者の幼馴染のスライムだった。名前は『ドロロ』というらしい。

「そうですか……それはさぞ驚かれたでしょうね。お気の毒に……」と、リュカ。

「いえ、私の事など……。それより私は、何故あんないい奴が殺されなきゃならなかったかを思うと悔しくて悔しくて。一体誰がこんなむごい事を……」

 ドロロは涙声になっていた。その様子を見てリュカは掛ける言葉が見つからず、ただ黙り込むしかなかった。

 そんな状況の中、ディスターが口を開いた。

「あの……。あなたの目はどこにあるんですか?」

「はい?」

「いや、目ですよ目。どうやらあなたが泣いているらしい事は分かるのですが、肝心の表情が分からない。涙を流してるのかどうかも。だからあなたの目の場所を知りたいんですよ」

「ちょ、ちょっとディスター様! 何という失礼な事を聞いてるんですか! 今そんな事はどうでもいいでしょう」

「別に失礼じゃないだろ。自分達とこんなに体の作りが違うんだ。興味があって当然じゃないか」

「し、しかし今はそんな事聞いてる場合では……」

 二人の言い合いが始まると、それを見兼ねたドロロが口を開いた。

「あ、あの……目はここですよ。ここ」

 そう言うとぶよぶよだったドロロの体表から一本の触手が生えてきて、体表のフチあたりを指した。

「ほら、ここに小さな凹みがあるでしょう? これが右目です。そしてこっちが左目」

 ディスターはひょこひょこと器用に動く触手の指す先を見ながら、ほうほうなるほど。と、しきりに感心している。さらに口の場所や、触手は何本生えるのか、それに内臓がどこにあるか、とか、しまいには交尾はどうやってするのか、などという事まで聞き出す始末だった。

 これには流石にリュカも痺れを切らしたようで、ディスターの背後から口を塞いだ。

「ドロロさん、ご協力ありがとうございました。もうお戻りいただいて結構です」


「おい聞いたか、リュカ。スライムって水中で交尾するらしいぜ」

 スライムの殺害現場への戻り道。ディスターは興奮したようにリュカに話しかけた。

「ディスター様のバカ! 変態! エッチ! 私、今日ばっかりは流石にディスター様の事を見損ないましたよ。何でちゃんと仕事してくれないんですか!」

「そう怒るなよ。仕事ならちゃんとやってるじゃないか。第一発見者のスライムにいろいろ話を聞いたろ?」

「はぁ? ディスター様は下らないスライムの生態を聞いてただけではないですか! そもそもちゃんと話を聞いていたなら、まずはユニコーンの所へ行くべきでしょう。何で現場に戻るのですか!」

「まぁそう慌てるなよ。お前はどうもせっかちでいけない」

「ディスター様が呑気過ぎるんですっ!」

 二人が言い合いをしていると、いつの間にか現場に戻ってきていた。するとディスターは死体の前にしゃがみ込み、スライムの死体の端っこを指さした。

「なぁ、リュカ。ここが目だぜ、分かるか?」

「いや、ディスター様、もういい加減に……」

「脳みそは目と目の間にあるらしい。それが何を意味するか分かるか?」

「はい?」

「ガイシャは体を分断されているが、脳みそは傷つけられてない。つまり、体を分断されたからといって、その瞬間に絶命したワケではないという事だ」

 ディスターの説明を聞いてリュカは黙り込んだ。ディスターの表情がいつになく真剣なものだったからだ。

「もし突然体を真っ二つに切られたら、お前ならどうする?」

「え……ど、どうするって……。どうも出来ないですよ。だから被害者も死んだんです」

「いや、見るだろ」

「は? 何をですか」

「犯人を」

「あ……」

「自分の身に何が起こったのか、誰が自分を襲ったのか、傷口はどうなってるのか、まずは状況を理解しようとする」

 リュカは黙ってディスターの話に聞き入っている。こうなった時のディスターが、必ず重要な事を言うというのが分かっているのだ。

「そしてもし、自分が誰かに襲われたのが分かったとしたら、そう、例えばユニコーンに襲われた事が分かったのなら、被害者は逃げようとする。もしくは、逆に反撃しようと向かって行くかもしれない。兎に角何らかのアクションを起こすだろう」

「ふんふん」

「しかしこのスライムの死体を見てみると、ろくに動いた形跡がないんだ。逃げようとも、向かって行こうともしていない」

「そ、それってどういう事ですか?」

「状況が理解出来なかったのかもしれない。例えば犯人の姿を目にする事が出来なかったとか……」

「で、でもユニコーンは巨大な魔物……。目に入らないはずがありませんよ」

 リュカの顔は状況の不可解さに、不安の色を滲ませた。

「ああ。この事件には何か裏があるかもしれないな」

 そう言うディスターの顔は、リュカとは対照的に口元に笑みを浮かべていた。


「ところでリュカ。ユニコーンの居場所は分かっているのか?」

 森の外。ユニコーンが飛び出してきたという茂み付近の地面を調べながらディスターは言った。

「さきほど使い魔に確認したところ、現在オーク部隊が捜索にあたっているとの事です。間も無く見つかるかと」

 そうこう言っているうちに、一匹の使い魔が血相を変えて飛んできた。

「ディスター様! リュカ様! た、た、大変です! ユニコーンがっ!」

 激しく息を切らす使い魔の姿は、尋常ではない事態が起こった事を物語っていた。


 ディスターとリュカがヘルハウンドに乗り、草原を抜けた先にある泉に駆けつけると、オーク部隊が緊迫した様子でユニコーンを取り囲んでいた。巨体のユニコーンは全身が巨大な筋肉で包まれており、額には大きく尖った角がそびえている。あの角ならスライムを一刀両断出来るのではないか。リュカはそう思った。

「おい落ち着け! 我々はお前を捕まえに来たのではない。話を聞かせて欲しいだけだ。大人しく同行してくれ!」

 オーク部隊の隊長がユニコーンに向かって叫ぶ。鼻息を荒く吐き出すユニコーンはだいぶ興奮しているようだ。

「嘘言うでねー! そっただ事言ってほんとはオラを逮捕する気だべー! 何がスライム殺人だ! オラなんも知らねーって言ってるべー!」

 そう言ってユニコーンが地面を踏み鳴らすと、オーク達はざわめき、一歩飛び退いた。どうやらこんなやり取りがずっと続いているらしい。地面は巨体のユニコーンの足跡でボコボコに凹んでいた。

「ふぬぬ、ディスター様。これは困った事になりましたよ。どうしましょう」

「どうしましょうって、私は推理専門だ。あんな暴れ馬知らんよ」

 そんな話をしていると、オーク隊長がディスターの到着に気付いた。

「やや! これはディスター警部、お待ちしておりましたぞ。ずっとこの調子でらちが明かんのです。なんとかあのユニコーンを説得してくださらんか」

「な、なんで私が! やだよ。そういうのは君達の仕事だろ。私は荒事(あらごと)が苦手なんだ」

「しかしもう私達の手には負えません。この事件の責任者はあなたなのですから、何とか説得していただきたい」

「いやだね! 断る!」

 こんな問答を繰り返す二人だったが、ユニコーンはそんな彼らを興奮した様子で見ていた。

「おめえがあーっ! 責任者はあああっ!」

 ユニコーンは二、三度地面を空回りすると、ぶっ飛ぶようにディスターに突っ込んできた。

 地震のような地響きが彼らの体を揺らす。あまりのユニコーンの迫力にオーク部隊は散り散りに逃げた。ユニコーンは逃げ惑うオーク達には目もくれずディスターだけを見据えて突進してくる。

 こんな巨体にぶつかったらひとたまりもないだろう。しかしユニコーンは、自我をなくしたように白目を剥いて突っ込んできた。地響きだけではなく空気まで振動している。

 巨大な塊は微塵も勢いを落とす事なく、おののくディスターに迫った。

 よもやディスターの顔がスイカ割りのスイカよろしく破裂する。オーク達がそう予感した瞬間だった。

 突然ユニコーンの体がピタリと止まったのだ。急停止したその巨体は、前足を僅かに浮かせたまま微動だにしない。そしてその首元には一本の腕が見えていた。

 ディスターとユニコーンの間の僅かな空間。その肩幅程度の小さな隙間に、左手を突き上げたリュカの姿があった。

 ユニコーンの全体重を乗せた突進を片手で受け止めたリュカの足元は、深く地面にめり込んでいた。

「この御方に触れる事は何人たりともワシが許さぬ」

 リュカの声は、地の底から湧き上がるかのように低く重たい響きがあった。

 そしてリュカが、ユニコーンの首を掴んだ左手に僅かに力を加えると、ユニコーンは両前足を浮かせた体勢のまま失神した。



「ブルブルブル……。お、おら、やっぱり殺されるだか? 死刑になるだか?」

 失神から目覚めたユニコーンは怯えたように言った。

 ディスターはやれやれといった様子でため息を吐く。

「おい、だから早とちりをするなと何度も言っているだろう。私達はお前を犯人と決めつけてるわけではない。あくまで重要参考人として話を聞かせてくれと言っているんだ」

「えんざいか? えんざいだか? こうして何の罪もないモンスターに罪は被せられるだか?」

「えーい面倒な奴だ! こちらの言う事を素直に聞けないなら、もう一度リュカに首を締め落とさせてやろうか!」

 ディスターがそう叫ぶとユニコーンはピタっと口を閉じ、ガタガタ震えだした。

「はわ、はわわわわ。ユニコーンさんすみませーん。リュカはああなると自分が制御出来なくなってしまうのです……。ごめんなさーい」

 そう言ってリュカはユニコーンの頭をそっと撫でようとした。ユニコーンはビクっと身を縮こまらせた。リュカは、はわわと狼狽(うろた)えた。

「まあいい。私は兎に角話が聞きたいだけだ。協力してくれるな?」

 ユニコーンは震えながら小さく頷いた。


 ユニコーンの話によると、どうやら茂みから飛び出して草原を駆け抜けたのは本当の事ようだった。

「ふむ。目撃証言によると君はずいぶん慌てた様子で飛び出してきたそうだが、一体何があってそんなに慌てていたんだ?」

「は、はちだぁ……」

「はち?」

「お、おら本当に寝てただけなんだ。そしたらいきなりケツを蜂に刺されて……。ほんでおら、その時夢の中で知らねえ雄ユニコーンに追っかけられてたもんだから、急にケツに痛みを感じて、『こりゃあイケねえ事されちまっただ』と大慌てしちまったんだ。そんで飛び起きたんだけども、寝ぼけてたもんだから、夢と現実の区別がつかずに雄ユニコーンからケツを護ろうと一目散に逃げちまったというわけだ」

「ふむ、蜂か……。どこを刺されたんだ?」

 ユニコーンがしずしずとケツを向けると確かに尻尾の付け根の横に小さな傷があり、血が滲んでいた。

 その後ディスターはいくつか質問をして、ひとまずユニコーンを解放した。



「ねぇねぇディスター様。本当にあのユニコーンを解放しちゃってよかったのですか? 確かに蜂に刺されたというのは一定の説得力はありますが、あんな傷口自分で作る事だって可能でしょ?」

 森へ戻る道中でリュカが訊ねた。リュカは、ディスターがユニコーンをあっさり解放してしまった事が不満なのだ。

「まぁ問題ないだろ。住処(すみか)は分かっているんだ。いつでも話は聞ける」

「でも重要参考人という事に変わりはないです。ディスター様も見たでしょ、あの尖った角。もし証拠の痕跡を消されたら取り返しがつきませんよ」

「おそらくアイツは犯人じゃないよ」

 ディスターはさらりと言った。

「え。どういう事ですか? もしかして巨体のユニコーンが犯人なら、それを認識した被害者(ガイシャ)が動いた痕跡がないのはおかしい。というさっきの推理に基づいてですか? 確かに一定の説得力はあると思いますが、それは決定的な証拠にはならないとリュカは思うのです」

 リュカは納得出来なかった。そして密かに温めていた自分の推理をディスターにぶつけてみた。

「実は私考えたんですけど、もし、まだ夜が明けてない真っ暗な時間帯に襲われたのならスライムが犯人の姿を見る事が出来なかったというのにも一定の説明がつくのではないでしょうか。だから私はやはり、ユニコーンを第一の容疑者として……」

「いいや。足跡さ」

「へ?」

「お前も見たろ? オーク達がユニコーンを囲んでる場所のおびただしい足跡を。あれだけの巨体だ。当然歩くたびに足跡がつく。ユニコーンが飛び出してきたという茂みの地面にもついていた。だが、スライムの殺害現場にはなかったのさ、その足跡がな。アイツは犯人どころか、殺害現場に近付きもしてないよ」

「はわ、はわわわわ……う、うぅ~……」

 リュカは、自分より遥か先にいくディスターの推理に言葉が出なかった。まるで役に立ってない。そう思うとなんだか泣けてきた。

「まぁしかし夜中に襲われたというお前の推理もなかなかいいセンいってるぞ。私にはその視点はなかったからな」

「ひ、ひぃ~~ん。フォローしないで下さいよディスターさまぁ~。なんだか余計に泣けてきますぅ~~」

 そんな会話をしているうちに二人は森へ戻ってきた。



 ディスター達はユニコーンが飛び出てきた茂みから少し森に入った場所に居た。

「ふむ。ここがユニコーンの寝床か」

 そこは地面の凹凸が少なく雑草もあまり生えていない寝やすそうな場所だった。そしてそこはスライムの巣からは目と鼻の先で、少し視線を下げれば茂みの隙間から殺害現場が見えるほどだ。

「ユニコーンはここで寝ていて蜂に刺されて飛び起きた。そして飛び出てきたユニコーンを見て、第一発見者はすぐにガイシャのスライムの死体を見つけたんだ。つまり殺害が行われたのはユニコーンが寝ていた時という事になる」

「はい。しかしユニコーンは争う物音や怒鳴り声は聞かなかったと言ってましたよね。よほど深く眠っていたのか、それとも本当に一瞬で物音も立たずに殺害が行われたのか……」

「ああ。しかも犯人は現場に足跡を残していない……。あれだけの分断をするとなるとそれなりの腕力が必要になってくるだろう。必然的に体重も重くなってくる。果たしてその謎をどう解けばいいのか」

「それに被害者のスライムも犯人を目撃してない可能性もあるのですよね。ますます謎は深まるばかりです」

「うむ。いずれにしても重要参考人であるユニコーンの犯行の可能性は低くなったんだ。新たな手掛かりを見つけるしかあるまい」

「では聞き込みで、被害者に恨みを持った者でも捜しますか」

「そうだなぁ……」

 地面に這いつくばり、茂みの隙間から殺害現場を見ながらディスターは生返事をした。


 被害者のスライムの巣から、さらに森の奥を見ると三十メートル程先に大木の幹が見える。そこへ向かって歩いていると、丁度その大木の()()から、大きな花を頭に乗せた一匹のスライムが出てきた。

「やあドロロさん。今からあなたの巣に行く所だったんだ。いい所で会った」

 そのスライムは先ほど話を聞いた、第一発見者のスライム、ドロロだった。

「私の巣に? 必要な事なら先ほどお話ししましたが、まだ何か?……」

「ええまあ。ところで素敵なお花ですね」

 ドロロが頭に乗せていたのは、赤く大きな花びらがついた綺麗な花だった。茎には沢山のトゲが生えている。

「ああ、これですか。ネババの巣に供えてやろうと思って摘んできたんですよ。あいつ派手好きだったから、このゴライアスローズが喜ぶと思いまして」

「そうですか。なら私達もご一緒しましょう。その後でお話しを聞かせていただけますか?」


 ドロロはネババの巣の入り口にゴライアスローズを立て掛けると、二本の触手を合わせて弔った。ディスターとリュカもその後ろで手を合わせ黙祷する。ネババの死体は既に鑑識ゴブリン達によって回収されていた。

「これでアイツも少しは喜んでくれるといいんですが……。『一本じゃ足りん。花束で持って来い』なんて怒られそうですがね」

 そう言って笑うドロロに合わせてディスターとリュカも小さく笑った。

「ところで私に聞きたい事とは?」

「ええ。ドロロさんがネババさんの幼馴染なんでしたら、ネババさんが何らかのトラブルに巻き込まれていた、とか聞いた事はありませんか? 誰かと揉めているとか、誰かに恨まれているとか」

「え? という事はユニコーンは事件とは関係なかったんですか? あの鬼気迫る表情とネババの死はきっと何か関係があると思っていたのですが」

「もちろん関係がないと断定するわけではありません。ただ、事件とはあらゆる可能性を考え、多角的な方向から捜査するものなのです」

「なるほど。そういうものなんですか、分かりました。とは言ってもトラブルか……。ネババはわりと勝ち気な性格で、あちこちでケンカはしてましたが、殺される程の恨みとなると……」

 ドロロは二本の触手をうねうねさせながら考えていたが、突如触手をピンと固くした。

「あ、そう言えばデビルスパイダーと揉めてるって聞いた事があります。なんでもデビルスパイダーが巣を放置したまま、あちこちに引越しするもんだから邪魔で仕方ない。と文句を言いに行ったと聞きました」

 ドロロがそう言った瞬間、リュカが「はうあっ!」と体を仰け反らせた。

 ディスターはそんなリュカを無視して、ドロロにデビルスパイダーの名前を聞いた。



 デビルスパイダーの名前は『グモー』というらしい。その名前で周辺の魔物に聞き込むと、グモーの巣の場所はすぐに分かった。

 そこへ向かう道中、リュカはずっとわなわな震えている。

「はわわ……はわわわわ……と、とんでもない事に気付いてしまった……はわわわわ……」

「はぁ……何だよリュカ。さっきから聞いてくれと言わんばかりの態度して。言いたい事があるならさっさと言えよ」

「はわわわわ……ぶるぶるぶる……ま、間違いない。は、犯人はそのデビルスパイダーで決まりです……ぶるぶるぶる」

「だからもったいつけた言い方するなっての、面倒な奴だな。なんでそう思ったのか順を追って説明しろよ」

「今までの、この事件の最大の謎は二つ。『犯人の事を目撃していない被害者』『現場に一切残されていない犯人の足跡』これを同時に解決するのが、デビルスパイダー犯人説なのですよ! ディスター様! はわわ、ぶるる、はわわ、ぶるる……」

「あー、つまりこうか? デビルスパイダーが木の上からぶら下がり、被害者の頭上から襲ったのなら、被害者が犯人に気付がない事も、現場に足跡が残ってない事にも説明がつく、と。そう言いたいのか?」

「は、はうあっ! な、なぜリュカの考えてる事が分かったのですか!」

「そりゃデビルスパイダーと聞いたら真っ先に思いつくさ。それにデビルスパイダーといえば、鋼のような糸で獲物をぐるぐる巻きにして、それをいとも簡単に切り裂ける鋭い牙も持っているからな。犯人像としては現状とかなり合致する」

 リュカはビクビクと()け反った。

「そ、そこまで分かってるのなら何でそんなに冷静でいられるのですか! もっと驚きましょうよ! ()け反りましょうよ!」

「バカ。可能性があるってだけで、そう簡単に()け反ってられるか。事件てのは思い込んだらその瞬間から真実が見えなくなるものなのだ。お前はすぐに結論を急ぐ。悪い癖だ」

「…………」

 リュカはプルプルと震え、下唇を噛み締めた。



「グモモモモー、そうか。あのスライムが死んだか。これはめでたい。グモモモモー」

 デビルスパイダーのグモーは、透明の美しく編まれた巣をたわませながら笑った。

 二メートルを超える巨体は、巣の中央に張り付いており、空中に浮かんでいるようにも見える。巣が揺れる度に木漏れ日を反射してキラキラ輝いた。

「ずいぶん気分が良さそうですね。よほどスライムの事が憎かったのですか?」

「ああ。気分が良いに決まっているだろう。あのスライムは事ある毎にこのグモー様に文句を言ってきていたのだ。最弱モンスターのクセに生意気な。魔物不殺の法律がなければワシが殺してやりたかったわい」

「ほう。と言う事は貴方は殺していないと?」

「グモモモモ。なんだ? ワシを疑っているのか?」

「まあ色々な可能性を当たっているだけですので。あまり構えず気楽にお答え下さい」

「グモモ、愚か者め。ワシが今『あのスライムを殺したいほど憎んでいた』と言ったばかりだろう? そのワシに変わって何者かが殺してくれたのだ。ワシがそんな素晴らしい事件の解決に協力するわけがないだろう。グモモモモ」

「まあお気持ちは分かりますが、治安を守るためなのです。殺人事件を放置していては平和は維持出来ません」

「グモモモモ。何が平和だ、軟弱者め。魔物はいつ襲われるか分からない緊張感に身を置く事で己の戦力を高めるのだ」

 グモーはまるで聞く耳を持たない。ディスターも言葉が続かなかった。というのもディスター自身、グモーの考えに賛同する部分もあるからだ。言葉を出しあぐねているとリュカが口を開いた。

「ゆぬぬぬぬふぅ……。おいグモー! 本当はあなたが犯人なのでしょう! 屁理屈ばかり言ってないでさっさと白状するのです!」

「おいリュカ、やめろ。決めつけは真実を見誤るといつも言っているだろう」

「何を言ってるのですディスター様。ディスター様は甘すぎるのです。こちらも多少強気にいかなければ相手のペースに巻き込まれるだけなのです」

「グモモモモ。おやおや仲間割れか? 喧嘩なら他所(よそ)でやってくれ。ワシは眠いのだ」

「いや、リュカの言ってる事は無視してくれ。私はお前と話がしたいだけなのだ」

「何言ってるのですディスター様。こんな奴ボコボコにして力ずくで白状させてやればよいのです」

「グモモモモ。これは面白い。貴様は竜人だな? 貴様の方がずっと話が通じそうだ。どうだ、いっちょワシと殺し合ってみるかね? 竜人ならば相手にとって不足はない」

「舐めるななのです。お前と私の実力差なら殺し合いではなく、一方的な殺戮なのです」

「くっ……、ほざきよる。小娘のクセに……」

「震えてないでさっさとかかってくるのです」

「やめろと言ってるんだ、リュカ! 私の言う事が聞けないのか!」

 ディスターが叫ぶと、リュカはようやくディスターに視線を向け、悲しげに言った。

「ディスター様こそリュカの言ってる事、信じて欲しかったのです……」

 リュカの視線が自分から外れた隙をついて、グモーが巣から飛びかかった。大きく開かれた(やいば)の様な二本のアゴが怪しく光る。

 よもやその大アゴがリュカの首を刎ねようかという瞬間だった。

 グモーが突然水平に大きくズレた。いや、吹き飛ばされたのだ。茂みから飛び出してきた、あるモンスターの突進によって。

 そのモンスターの狙いはグモーではなかった。グモーの先にいたディスターだったのだ。グモーはたまたまその軌道上にいて、巻き込まれた形だ。

「ようやく見つけたぞディスターっ! 覚悟しろーっ!」

 絶叫と同時に赤黒い拳が空気を切り裂く。ディスターは全く反応出来ずに、ただ目を見開くばかりだ。しかしその稲妻のような拳に反応したのはリュカだ。リュカは超スピードで赤黒い拳とディスターの間に体を滑り込ませると、両手の平を使い拳を受け止めた。肩の骨が軋む。腕の筋肉が破裂せんばかりに膨張した。拳を受け止めたリュカの背中に押されてディスターが五メートルほど吹き飛ぶ。

 全身の力を振り絞り、リュカは拳を受け止めた。頭をしたたかに地面に打ちつけたディスターが朦朧(もうろう)とした頭でそちらを見る。

 リュカの前に居たのは、まるで焼けた鉄球のように赤黒く光るオーガルだった。あまりの怒りに大気が震えているようだ。

「ぐがああああ! ディスターあああ!」

「はうぁっ! オーガルさんっっ!」

 リュカが、奇襲の相手がオーガルだったと気付き、慌てて制止する。

「オ、オーガルさん、落ち着いて下さいなのです!」

「ぐぐううう! 離せリュカあああ! 邪魔するようなら貴様とて容赦はせぬぞおお!」

 オーガルは涎を撒き散らし暴れ狂う。リュカはそれを全身を使って必死に止める。つい先ほどまでディスターと喧嘩していた事などすっかり頭になかった。自分が命懸けでディスターを守らねば。リュカの頭にあるのはその気持ちだけだった。

「ディ、ディスター様! お逃げ下さい! 私の事は大丈夫です! 命に変えてもオーガルさんをお止めしますから! だからどうかお逃げ下さい!」

 リュカがそう言って振り返ると、顎が外れるほど驚いた。

 そこには既にディスターの姿はなかったのである。



 ディスターが手に持った木の棒を茂みに投げ込むと、茂みはガサガサと音を立てて木の棒を飲み込んだ。

 振り返ると、森の奥からこちらに向かい歩いてくるリュカと目が合った。

「よ、よう。無事だったか」

「あ……ディスター様」

「元気そうじゃないか。今頃オーガルの奴に()()()()にされてるかと思ったぜ」

「あはは……。オーガルさんの狙いはあくまでお金を騙し取ったディスター様ですからね。ディスター様が一目散に逃げたと分かったらすぐに解放してくれましたよ」

「ふーん」

「………」

「………」

 それ以降会話は続かなかった。ただ、ディスターが、行くぞ、とだけ短く言って歩き出し、リュカがそれに続いた。

 日が傾き、オレンジ色になった木漏れ日が二人を照らす中、二つの足音だけが森の中に響いた。

「もうこんな時間か……」

 長く続いた沈黙を破ったのは、独り言ともとれるディスターの呟きだった。

「そうですね……」

 リュカが相槌を打つと再び静寂が訪れる。

 次に静寂を破ったのはリュカだ。

「あの……ディスター様」

「なんだ?」

「そ、その……結局グモーからは何も聞けませんでしたね。私が出過ぎたマネをしたばっかりに……。申し訳ありません」

「いや、そんな事はないぞ」

「え?」

「たぶんグモーは犯人ではない」

「え……。な、何でですか?」

「奴の大アゴだ。グモーがお前の首を刎ねようと飛びかかってきた時に見えたが、アイツは二本のアゴを交錯させて、まるでハサミのように敵を寸断する。この刃のようなアゴは湾曲(わんきょく)しているためアゴを閉じる時の軌道は()を描く。恐らくその軌道の距離感をつかむのは、例えグモー本人とて至難の業だろう。その作業を木から糸でぶら下がった不安定な状態で行うのだ。難易度は極限に達する」

 リュカはさっきまでの気まずい空気はすっかり忘れ、ディスターの説明に聞き入っていた。

「うーん……難しいから出来なかったというのですか? しかし難しいとはいえ、グモーにとっては自分の体の一部。不可能な事とまでは思えません」

「ああ、不可能ではないだろう。だが思い出してみて欲しい。スライムの体は綺麗に分断されていたのだ。体の途中まででもなく、皮一枚残るわけでもなく、綺麗に真っ二つだ。そこが不思議なんだよ」

「不思議? そうでしょうか。綺麗に真っ二つに出来るよう、余裕を持って深めに切れば、出来ない事はないと思いますよ」

「なら地面に跡が残るはずだろう?」

「あ……」

「スライムを分断しようと深めに切れば、アゴの先端が地面を抉った跡が残るはずだ。しかし現場の地面は綺麗なままだった。そんな事をしようと思ったら、スライムと地面の接地面ピッタリを正確にアゴで挟み込まなければならない。果たしてそんな事が可能だと思うか?」

「……い、いえ。並の魔物には到底出来るとは思えません」

「ああ、私もそう思うよ。だから恐らくグモーは犯人ではない」

「…………」

 リュカは深く項垂れた。

「ディ、ディスター様……。申し訳ありません。やはりディスター様の言った通り、決めつけは真実を見誤ります。結局リュカはいつも暴走してディスター様の足を引っ張ってばかり……。リュカは……リュカは……」

「そんな事はない。お前がグモーを煽ったから、奴の攻撃方法が見え、今の推理に繋がったのだ。お前がいなければ私は未だにグモーを疑っていたかもしれない。感謝してる」

「うぅ……そんなフォローはよして下さい。余計に情けなくなります……」

「フォローなどでは……」

 しかしそこで会話は途絶えた。再び静寂が訪れる。足音だけが一定のリズムを刻む。

「なぁ、リュカ……」

「はい、ディスター様……」

「私は弱い」

「…………」

「魔力も無ければ、腕力も人間程度だろう」

「…………」

「だから今後も自分の身に危険が迫ったらきっとお前を置いて逃げ出してしまうだろう」

「ディスター様……」

「反面お前は強い。恐ろしい程にな。私がすぐに逃げ出すのはお前の強さに頼り切っているからだ」

「い、いえ、ディスター様。私はディスター様が逃げ出す事に不満なんか……」

「今後も命懸けで私を護ってくれ」

 ディスターのその言葉を聞いて、リュカは何だか胸のモヤモヤが吹き飛んだ気がした。自然と笑顔の花が咲く。

「はわわぁ……! はいなのですっ! リュカにお任せ下さいなのです、ディスター様っ!」

「お、おいおい。何だ急に。お前は本当に情緒の安定しない奴だ」

「ふふふ、それがリュカの良いところなのです。てゆーかディスター様、さっき茂みの中に棒切れ捨ててましたよね? もしかしてアレを持ってリュカを助けに来るつもりだったのですか?」

「バ、バカ。そんな事するわけがないだろう。私は私の命が一番大切なのだ! リュカごときを助ける為になんか……」

「あはは、顔が赤いですよディスター様。でもあんな棒切れを持ったディスター様が助けに来ても足手まといになるだけですから、余計なお世話なのです」

「なんだとー!」

 さっきまでの静寂とは打って変わって森の中に賑やかな声が響いた。

 しかししばらくすると、リュカが黙り込み真剣な表情を作る。

「あ、あのディスター様。実は一つディスター様に言っておかなければならない事があるのです。さっき私がオーガルさんに捕まっている時に、私はオーガルさんから逃れようとディスター様のへそ……」

「ディスター様! ディスター様ー‼︎」

 突然、リュカの話を遮るように使い魔の声が聞こえてきた。

「目撃者が見つかりました! 今朝、ユニコーンが茂みから飛び出してくる所を目撃していた者がいたんです!」

 大急ぎで飛んできた使い魔の背中から降りて来たのは、一匹の三つ目猿の子供だった。



「ふむ。早朝に森の茂みから、尋常ではない様子のユニコーンが飛び出してきて草原を駆け抜けて行ったというのだな?」

「へへへそうだよ、おじちゃん。オイラこの三つの目でしっかり見ていたんだ」

 三つ目猿のジョージはそう言って鼻の下をこすった。

 それを聞いたディスターが渋い顔をしているとリュカが耳打ちしてきた。

「第一発見者のドロロと同じ証言でしたね。証言は補強されましたが新しく分かった事実ではありません……」

「へへへオイラの話、役に立った? バナナおくれよ」

 ジョージが両手を差し出す。ディスターが使い魔を見ると、こちらに申し訳なさそうな視線を送ってきた。どうやらバナナをエサに連れてきたようだ。

 ディスターは舌打ちをしてポケットからなけなしの三十モンスを取り出した。

「おい、この子猿にバナナを買ってやれ」

 そう言って使い魔に渡した。

 ため息をつくと、再びリュカが耳打ちしてきた。

「進展はありませんね。ユニコーンも違う。グモーも違う。事件の真相は一体どこにあるのでしょう……」

「うーむ……。私は何か重要な見落としをしているような気がするのだ。もう1ピースだ。もう1ピースさえあれば、この難解なパズルが解けそうな気がするのだよ」

 二人は言葉をなくし、立ち尽くした。

「ちぇー……。三十モンスじゃバナナ一本しか買えないよぉ……。でもいっか、あんな感動的な場面を見れたから」

 使い魔に手を引かれながらジョージが呟いた。

「ちょっと待ってくれ。感動的な場面って?」

 ディスターがジョージを引き留めて聞く。

 ジョージは振り向いて嬉しそうに言った。

「あのねあのね。草原を駆け抜けてくユニコーンの後ろの空気がキラキラ輝いていたんだ。綺麗だったなぁー。オイラあんな綺麗な場面見たの初めてだよ」

 ジョージは額の目を輝かせた。

「綺麗な場面を見れて良かったのです。ジョージさん」

 リュカがジョージに笑いかける。つられて使い魔も笑顔になった。

 ところがディスターだけが雷に撃たれたように目を見開いた。

「おいジョージ! 空気が輝いていたんだな? ユニコーンが走った軌道の空気が輝いていたと言うんだな?」

 ディスターはジョージの肩を揺さぶり確認した。

「う、うんそうだよ。ユニコーンが通った場所の空気がキラキラ輝いていたんだ」

 ジョージは三つの目をまん丸にして言った。

「おい、お手柄だジョージ! お前のお陰でパズルが完成したよ!」

 ディスターはそう叫ぶと、リュカに振り返った。

「おいリュカ、金を持っているか?」

「ふ、ふぇ? ディスター様、何を言っているのですか? パズルって? お金って?」

「いいから金を出せ。いくらでもいい、私は手持ちが無いんだ!」

 ディスターの剣幕に押されてリュカは懐から一万モンス札を取り出した。ディスターはその金を引ったくると使い魔に渡した。

「おい、これでこの猿にありったけのバナナを買ってやれ!」

 ディスターはそれだけ言うと走り出した。

「はわ! はわわわわっ! 私の一万モンスがっ……。ま、待って下さいよー、ディスターさまぁー!」

 森の中を疾走するディスターとリュカの耳に、ふおおお! と、狂ったように叫ぶジョージの声が聞こえた。



「お、おい刑事さん、何するだ! ど、どこ触ってるだ。お、おら角を優しく触られると変な感じがしてしまうだ……あ……あふっ……うほほ……うほっほっ……」

「はわわ、ディスター様何してるんですか。ユニコーンさんは犯人じゃないってさっき言ってたじゃないですか」

 ユニコーンとリュカが変な目で見る中、ディスターはユニコーンの角をまさぐった。

 ジョージの元から走り去ったディスターは一目散にユニコーンの寝床に駆けつけたのだ。ユニコーンは戻ってきており、ディスターは挨拶もそこそこにユニコーンの角を調べ出したというわけだ。

 もぞもぞとユニコーンをまさぐっていたディスターが突然動きを止める。

「はぁ、はぁ……あった……。やはりあったぞ……」

「ど、どうしたんですかディスター様。一体何があったと言うのですかぁ」

「おいリュカ。謎は解けたぞ。やはりあいつが犯人だったんだ」

 ディスターの言葉に、賑やかだったユニコーンの寝床は静まり返り、ただオレンジ色の木漏れ日だけが彼らの肌をそっと撫でていた。



 オレンジ色の木漏れ日に照らされ、ゴライアスローズはまるで鮮血のような不気味な色彩を放っていた。事件現場のネババの巣の前、ディスターは一人佇み、ある魔物が来るのを待っていた。

 後方の雑草がガサガサと音を立てた。

 ディスターが振り向く。

「何か用ですか? 刑事さん。わざわざ使い魔を寄越(よこ)し私を呼び出すなんて」

 ディスターの視線の先にいたのは、事件の第一発見者。スライムのドロロだった。

「ええ。ネババさんのご冥福を一緒に祈ろうと思いましてね」

「はは、何言ってるんですか? さきほど一緒に祈ったばかりでしょう」

「ああ、そうでしたね。このゴライアスローズは貴方が供えた物でした」

「はぁ……どういうつもりですか。私をからかっているんですか?」

 無言で向かい合うディスターとドロロ。しばしの静寂が二人を包む。

「最初の違和感はまさにこのゴライアスローズでした」

「はい?」

「さきほど私とリュカがあなたから話を聞こうと、あなたの巣へ向かっている時、あなたはちょうど巣から出てきたところでした。頭にこのゴライアスローズを乗せてね」

「まぁ……そうでしたかね」

「私が『素敵なお花ですね』と褒めたらあなたは『ネババの巣に供えてやろうと摘んできた』と言った。おかしいと思いませんか?」

「はあ? 何がおかしいんですか。友人を弔う為に花を供えるのは普通の事でしょう」

「摘んできたばかりの花が、何故あなたの巣から出てくるんです?」

「は?」

「摘んできたばかりなら、あなたはゴライアスローズが生息してる場所から来るはずです。しかしあなたは巣の中から出てきた。外から来なければおかしいのに。それともあなたの巣の中にこの花が生えていたとでも言うのですか?」

「…………」

 ドロロは黙り込んだ。つるんとしたスライムの表情は全く分からないが、どことなく表面が引き締まった気がする。

「つ、摘んできたとは言いましたけど、摘んできた『ばかり』とは言ってませんよ!」

「ほう」

「そ、そうだ! 私はゴライアスローズを摘んできたんだ。そして用事があったから、少しの間だけ巣の中に置いておいたんですよ! だから私の発言に矛盾はない! い、一体何なんですか、私の発言にいちいち言いがかりをつけて。そんな嫌味を言いに来ただけなのなら私は帰りますよ」

「わかりました。ではその件はひとまず置いておきましょう。ところであなたも見ましたよね、ネババさんの変わり果てた姿を。彼の死体は綺麗に真っ二つにされていた。私はこのように鋭い切り口がどのように出来たかずっと考えていたんですよ。剣やナイフなどの刃物を持った魔物に斬りつけられたのか。それとも角や牙などの武器を持つ魔物に分断されたのか。いずれにしても地面に抉られた跡が残ってない事から、かなり精密な攻撃が要求される為、相当な攻撃能力を持った魔物の仕業と思っていました」

「知りませんよそんな事。それを調べるのがあんたら警察の仕事でしょう?」

「でもね、違ったんですよ。凶器は鋭利な刃物でもなければ研ぎ澄まされた牙や角でもなかった。凶器はもっと扱いやすく、もっと確実性の高いものだったんです」

「は? な、何だって言うんです」

「これですよ」

 そう言ってディスターはポケットからある物を取り出した。ドロロの前で手を開く。手の平には何もなかった。しかし何もない手の平を見て、ドロロはビクリと体をうねらせた。

「そう、普通の人には見えないはずだ。しかし凶器が何なのか知っているあなたには見えましたよね? この細い細い『クモの糸』が」

 確かに目を凝らさなくては見えないが、ディスターの手の平に、うっすらと透明の細い糸が渦巻いているのが見えた。

 ドロロは何も言えず、ただ身を硬くしている。

「真っ二つにスライムの体を分断し、しかも地面には僅かな跡も残さない。そんな事が出来るのは鋭利な武器を持つ相当な手練れしかいない。そう思い込んでいたのが私の大きな過ちでした。武器はこれ。たった一本の糸で犯人はスライムのネババを分断したんですよ。()()も簡単にね」

「…………」

「こいつは恐らくデビルスパイダーの『グモー』の糸でしょう。クモの糸は自然界の中でも、最も強靭で細い繊維だ。これをスライムの体に巻き付け、思い切り引っ張ればスライムの体は真っ二つに分断される。まるでゆで卵を糸で切る時みたいにね」

 そしてディスターはネババの巣の横に生えてる木を指差した。

「犯人は糸の片側をこの木に結びつける。そして地面を這わせ、ネババの巣の入り口に輪っか状にして配置する」

 ディスターは巣の入り口の岩肌を指さし、空中にぐるりと円を描きながら説明する。

「そしてネババが巣から出てきたタイミングを見計らってもう片方の端を……」

 そこまで言ったところで、黙って聞いていたドロロが突然笑い出した。

「くくく……ははは……あはははは! 面白い。ずいぶん面白い推理ですよ。まさかそんな殺し方をするなんて。いやぁ、犯人もよく考えたものですね。まさか殺害にクモの糸を使うとは」

「ドロロさん。とぼけるのはやめましょう。私はずっとあなたを犯人として話しているのですよ」

「ははっ。私が犯人? バカも休み休み言えよ! 私がそんな殺し、出来るはずがないだろう! 私は非力なスライムだぞ。ネババを分断するほどの力で糸を引っ張る事など出来ない! 仮に出来たとしても私だってスライム。無傷でいられるはずがあるまい!」

「いえ、引っ張ったのはあなたじゃない。私はこのクモの糸をユニコーンの頭から発見しました。角の根元に結びつけられていたんですよ。最初に会った時は気付かなかった。これだけ細い糸ですからね。だが、ある猿が言っていたんですよ。『ユニコーンの後ろの空気がキラキラ輝いていた』と。そこで私は気がついた。それは空気が輝いていたのではなく、このクモの糸が朝日を反射していた光なんだとね」

「だったらやっぱりユニコーンが犯人じゃないか!」

「彼は犯人じゃない。もし彼が犯人ならいつまでも頭に証拠品の凶器を結びつけておくわけがないでしょう」

「ぐっ……」

 ネババは一瞬黙り込んだ。おそらく今、必死で反論を考えているのだろう。

「だ、だが、奴は茂みから物凄い勢いで飛び出して来たんだ。その勢いでネババは断ち切られたんだろ? あのバカ馬が犯人で決まりじゃないか!」

「いえ、犯人はユニコーンの頭に糸を結びつけた魔物……。つまりあなただ」

「俺じゃない! 仮に俺が結びつけたとして、ネババが巣から出てきたタイミングでユニコーンが偶然走り出すのを待っていたと言うのか? そんな奇跡的なタイミングに期待する馬鹿な殺人があるものかっ!」

「ユニコーンは寝ている時に蜂に刺されて、びっくりして走り出したと言っていました」

「な、ならその蜂が犯人だっ! 蜂を捕まえろ! あのバカ馬のケツをぶっ刺した蜂を捜し出すんだ!」

「なぜユニコーンが尻を刺されたと知っているのですか?」

「はああん?」

「私は今、ユニコーンは蜂に刺された、とだけしか言っていません。なのにあなたは『ケツ』をぶっ刺した犯人を捜せと言った。犯人じゃないのなら何故あなたはユニコーンが尻を刺された事を知っていたのですか」

「…………」

「どうやら言い訳が思いつかないようですね。そしてあなたも分かっているでしょうが、ユニコーンの尻を刺したのは蜂ではない」

「は、蜂が刺すのは大体ケツだ……」

 ドロロが苦し紛れの言い訳を口にした時、二人の後ろでガサガサと足音がした。

「どうやらリュカが見つけてきてくれたようですね。ユニコーンを刺した『蜂』の正体を」


 向かい合うディスターとドロロ。リュカは少し離れた場所で二人を見守った。木漏れ日はオレンジから紅に変わり、ゴライアスローズは古い血溜まりのように赤黒く変色していた。

 ディスターは、これは私の憶測も多少入ってますが、と前置きをして話し始めた。

「あなたは何らかの理由でネババを殺したかった。しかし非力なスライム同士の殺害だと、一筋縄ではいかない。その分目撃される危険も増えるし遺留品を残してしまう可能性も高くなる。そこであなたは自分が完全に容疑者から外れるよう『非力なスライムでは絶対になし得ない殺害方法』でネババを殺したいと思った。そんな中でネババから聞いたのが、『最近、巣を放置したまま引っ越しを繰り返すデビルスパイダーのグモーと揉めている』という情報だ。そこであなたは思いついた。『そのクモの糸を使ってネババを殺してやろう』と」

 喋り続けるディスターとは対照的に、すっかり口数を減らしたドロロは力なくディスターの演説を聞くばかりだ。

「あなたは放置されたグモーの巣から糸を入手し、深夜にネババの巣の入り口にセットする。そして近くで眠っていたユニコーンの角に糸の片側を結びつけ、茂みの隙間からネババの巣の様子を伺っていたんだ。そして朝になり、ネババが巣から出てきたタイミングを見計らって、ある物でユニコーンの尻を刺した」

 リュカは黙って聞いている。真相はさきほどユニコーンの寝床で聞かされていた。

「眠っていたユニコーンは突然尻を刺され、蜂に刺されたと勘違いし走り出す。すると仕掛けが物凄い勢いで引っ張られ、巣から顔を出したネババは一瞬で分断される。まるで鋭利な刃物で斬られたかのようにスパっとね。ネババは何が起こったか理解出来なかったはずだ。巣から出た瞬間、突然致命傷を与えられたんだから。しかも周りを見渡しても誰もいない。どうすれば良いか分からないネババは、そのまま自分の身に何が起こったか理解出来ないまま絶命した」

 ドロロの体が激しくうねる。呼吸が荒くなっているのだ。

「ネババを分断したクモの糸は、ユニコーンに引っ張られ途中で切れ、半分はユニコーンの頭に残った。そしてもう半分は巣の横の木に結び付けられたまま。あなたはそれを回収した後、第一発見者のフリをして使い魔にネババの死を通報したんだ」

「刑事さん……」

 ずっと無言だったドロロがようやく喋った。先ほどまで荒れていたドロロの口調だったが、今はすっかり最初の頃の冷静な声色に戻っていた。

「そのユニコーンの尻を刺した『ある物』というのは何なんですか?」

 その質問を受け、ディスターは振り向き、リュカに目配せした。

 リュカがこちらに歩み寄る。

「ディスター様のおっしゃった通り、ユニコーンの寝床の茂みに落ちていました」

 リュカは手に持っていたある者を手渡した。ディスターはそのままそれをドロロの目の前に持っていった。

「これですよ」

ディスターの手の平には、親指サイズの円錐状の緑の物体が乗っていた。

「ゴライアスローズのトゲ。これがユニコーンの尻を刺した『蜂』の正体です」

「…………」

 ドロロは無言のまま動かない。

 ディスターも無言で、ドロロの反応を待った。

「ははは……。た、確かにこれなら蜂と勘違いしそうだ。でもね、刑事さん。今刑事さんが言った犯行は全て私以外の誰でも出来るんじゃありませんか? クモの糸を手に入れ、セットする事も。トゲでユニコーンを刺し、走らせる事も。こっそりクモの糸の切れ端を回収する事も。しかしあなたは私が犯人だと言った。一体その根拠はどこにあるんですか? もしかして私が第一発見者だから疑ってるとか言うつもりじゃないでしょうね? それともユニコーンが尻を刺された事を知っていたから? 私を疑うならもっと確実な証拠を出して下さいよ。私が犯人だという決定的な証拠をね」

 ディスターがスッと手を伸ばした。ドロロはビクッとする。しかしディスターの手はドロロの横を素通りして、ネババの巣に供えられた血の色をしたゴライアスローズをそっと掴んだ。

「ドロロさん、この供え物のゴライアスローズ。あなたさっき、このゴライアスローズを『用事があったから少しの間巣の中に保管していた』と言いましたね?」

 ドロロはピクリとも動かない。

「だが、本当はこのゴライアスローズは、ユニコーンの尻を刺すトゲを採取する為に摘んで来た物なのではないですか? そしてあなたは、無事ネババさんを殺し、警察の事情聴取も終え、全てにかたが付いたと思ったから、証拠品のゴライアスローズを処分しようと巣から出た。ところがその時、偶然もう一度事情を聞きに来た私達と遭遇してしまった。だからあなたは咄嗟にこれを『供え物』として摘んで来たと嘘をついたのでしょう?」

「そ、そんな事……」

 ドロロは否定しようとした。しかしその声はか細く、震え、今にも消え入りそうだった。

「このゴライアスローズ。トゲが一本無くなってますね」

 ディスターが茎を指さす。切り取られたトゲの部分が丸く跡を残していた。

 ドロロはその跡を見て息を呑んだ。

「この跡と、リュカが見つけてきたトゲの切り口がピッタリ合えばそれはあなたがユニコーンの尻を刺したという紛れもない証拠」

 ディスターが茎にトゲをあてがおうと近付けた時だった。

「もういい……」

 ドロロの声だった。

「もういいよ……」

 そしてドロロは、力強く、今までにない誠実な声で言った。

「私が犯人です。刑事さん」



「ある時ネババが私に頼み込んできたんですよ。『母親が病気になった。手術をしたいから五十万モンスを貸してくれ』とね」

 ディスターとリュカが見る中、ドロロは落ち着いた様子で話し始めた。

「私は考える間もなく貸してやる事に決めました。ネババの母親には小さい頃から何度も会ってますし、よく面倒もみてもらいました。私は仕事でずっと貯めてきたお金を全てネババに渡す事に決めました。足りない分は親戚や友人から借りましたよ。そうして何とかかき集めたお金をネババに渡しました。ヤツは喜びましたよ。『ありがとうドロロ、この恩は一生忘れない。金は必ず返すよ』と泣いて感謝しました。そんなネババに私は言ってやりました。『お金は返さなくていい。私からお母さんへのお見舞金だ』と」

 ドロロの声は、昔話を懐かしむように穏やかだった。しかし声色は徐々に怒りを含んだものに変わる。

「その数日後、別の友人スライムと話していると、たまたまネババの話になったんです。『おいドロロ。そういやネババの奴、先日競竜レースで五十万モンス負けたらしいぜ。まったくバカだよな。ギャンブルでそんな大金をパーにするなんて。つーかそんな大金どこにあったんだろうな』友人はそう言いました」

 大金をギャンブルで失ったと聞いてリュカはドキリとした。ディスターの顔を見たが、ディスターは頑なにこちらを見ようとしなかった。

「私は信じられませんでしたよ。五十万モンスは母親の手術代、ギャンブルに使うハズがない。そう信じていた私はすぐにネババのところに確認に行きました」

 ドロロの声はすっかり怒りに満ちたものに変わっていた。そして低く、絞り出すような声で話を続ける。

「あの金はどうした? 母親の手術代に使ったんだよな? まさかギャンブルになんか使ってないよな? そう詰め寄る私にネババは言いました。『あの金は俺にくれた物なんだろ? 自分の金を何に使おうが俺の勝手だ』とね。私は耳を疑いましたよ。しかもよくよく聞いてみると、母親の病気も嘘だという事でした。私は気がついたら殴りかかってましたよ。『ふざけるな! 金を返せ! この嘘つきが!』泣きながら怒る私にネババは言いました。『くれた金の事をぐだぐだ言うな、嘘つきはお前だ。この守銭奴が!』そう言って私を殴りました。その瞬間に思ったんですよ。『こいつを殺そう』と」

 全てを語り合えたドロロは、体中の毒気を出し切ったかのように萎んで動かなくなった。

 リュカは掛ける言葉が見つからなかった。しかし何とか一言だけ搾り出した。

「ネ、ネババさんのお母さんが病気じゃなかった事だけは良かったですよね……」

 ドロロはリュカの言葉に小さく、ええ、とだけ言うと、使い魔に連れられて警察署に行った。ディスターはドロロの話を聞き始めてから、ついぞ口を開く事はなく、リュカと目を合わせる事もなかった。



 ドロロ逮捕の翌日、魔物警察署にリュカの声が響いた。

「ええっ! 週末の競竜レースに二十万モンスを賭ける!? 本気で言ってるんですか? ディスター様!」

「ああ。次のレースは絶対に負ける事は出来んぞ、リュカ」

「しょ、正気ですか? ディスター様。昨日のドロロさんの話を聞いたでしょう。被害者はディスター様と全く同じ手口でお金を騙し取ったから殺されたんですよ! お金を貸したオーガルさんの気持ちを考えたらとてもギャンブルなんか出来るはずがないです!」

「バカ。だから週末のレースは負けられんと言っているんだろう。絶対にレースに勝ってオーガルに金を返してやらねば顔向けが出来ん」

「なんでそうなるんですか! へそくりからそのまま返したらいいでしょう! 一度ギャンブルを挟む理由が分かりません」

「リュカ。お前は何も分かっていない。週末のレースはガチガチなのだ、必ず勝てる。私はオーガルの為に絶対勝ってみせると約束するぞ」

 真っ直ぐな目でそう言い切るディスターを見て、リュカは心底震えた。

「ディスター様はどうかしてますよ! 昨日のドロロさんの話から何も学んでいない! 結局自分がギャンブルを楽しみたいだけじゃないですか! ディスター様最低です! バカ! ろくでなし! 穀潰し!」

 リュカは思いつく限りの悪口を言ったが、ディスターの耳には全く届いてる様子もなく、ご機嫌そうに勝てる勝てる~♪と鼻歌を歌いながら自分のデスクの引き出しを開けた。

 そして引き出しの中から一冊の辞書を取り出すと、パラパラとめくりはじめた。

「あれ?」

 辞書をめくるディスターの顔色が変わる。

「え? あれ? ないぞ。確かにこの辞書に挟んでたよな」

 ディスターの表情は次第に焦りの色を帯びていき、何度も辞書をめくり直す手の動きも早くなっていった。

 そうしていると、リュカが何かに気付いたように目を見開いた。

 ディスターが、探し物が見つからず焦っていると、その様子を見かねた横の席のトロルが声を掛けてきた。

「ディスターさん、探し物かい? そういえばさっきオーガルさんがあんたの引き出しを開けて何か持っていったみたいだったよ。もしかしたら探し物と何か関係あるのかねぇ」

 その発言を聞いて、ディスターの頭に閃光のようにあるシーンが甦る。

 昨日リュカと喧嘩をして、仲直りをした時の事だ。確かあの時、リュカは何か言おうとしていた。使い魔がやってきたので最後まで聞けなかったが、確かこんな事を言っていた。

『さっき私がオーガルさんに捕まっている時に、私はオーガルさんから逃れようとディスター様のへそ……』

 そうだ。リュカは、ディスター様のへそ……、と言っていた。

 この言葉から思い浮かぶのは一つしかなかった。

「へそくり」

 間違いない。リュカはオーガルから逃れる為に私のへそくりの情報を売ったのだ!

「リュカー!」

 ディスターが振り返ると、リュカはちょうど刑事課の居室(きょしつ)から出て行こうとしてるところだった。

「待てー! リュカー! お前私のへそくり情報を売ったなー!」

「はわわわわ! ディ、ディスター様がいけないんですよー! オーガルさんの借金を踏み倒そうとするし、私を置いてさっさと逃げてしまうし、ギャンブル狂だし、オンチだし、好き嫌い多いし、足遅いし、弱いし、遅刻するしー!」

「おい貴様! 後半ただの悪口じゃないか! 私のへそくり返せー!」

「ひぃぃぃぃぃ! 許して下さい。魔王さまぁー!」

「バカっ、その呼び名はやめろと言ったはずだ! それに私は『元』魔王だー」

「ふぃぃぃぃん、ごめんなさいぃぃ!」

 ロック魔物警察署の周りには、今日も美しい毒霧が立ち込めているのであった。


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