【第02話】どこから来た人なの?
奇妙なことが起っていた。
向かい合っている女性の言葉が、日本語として理解できている。
クオンと言うらしい、細いアームバングルと小さなイヤーカフを、身につけた直後からだ。
それ以前は、耳馴染みのない、何語なのかも定かではない言葉にしか聞こえなかったのにである。
「どうして、急に、言葉が分かるようになったんだ?」
「待って。その、助けてくれて、ありがとう」
俺の問いかけを手で制してくると、もう一人の女性へ駆け寄っていった。
「リネア、大丈夫?」
うずくまったままの女性を、抱きしめた。
呼ばれた方の女性が、縋り付いていくと、堰を切ったように泣き始める。
「もう、大丈夫だから。訊きたいことがあるの。少しずつでもいいから、答えて」
しゃくりを上げるばかりの背を、抱きしめている方の女性が撫で続けていた。
数分が経つと、泣き声に混じって、少しずつ答えが返り始めたらしい。
頷きながら話を聞いていた女性が、確認するように、ゆっくりと問い掛ける。
「私が仮眠を取った後に、カロロという男から連絡が来て、居場所を伝えたんだ。どうして、そんなことをしたの?」
「戻ってきた兄様たちが……、敵を追い払ったから、迎えに行くって……」
「あなたのお兄さんは、妹の安否確認を、他人に任せるような人?」
「……ううん。違う。兄様は、私のこと、すごく……」
部外者の俺が聞いてさえ、簡単に騙される女性だと分かった。
抱いている方の女性が、ため息を吐きさえしないことに感心する。
辛抱強く、話を聞き出そうとし続けていた。
嗚咽を漏らしながらなので、まだ、しばらく時間が掛かるだろう。
二人の姿に目を遣りながら、俺の置かれている状況について、考えてみた。
まず、最初に起きたこと。
目を閉じて開いたら、別の場所に居た。
こんなことは、普通では起こらない。
小説やアニメで、よくある転生? ……じゃないな。死んだ記憶が無い。
では、別の人間に憑依したのだろうか? ……多分、これも違う。
顔は見られないが、手は確実に俺だ。それに服も靴も腕時計まで同じ。持ち物まで揃っていた。多分、他人に憑依したとかは、あり得ないだろう。
だとすれば、転移は?
起こりえないということは、一旦、横に置いたとする。
そうなると、一番、可能性が高いと思えた。
では、何故そんなことが起きた?
世界に、不具合でも起ったのだろうか……?
考えを巡らせていると、話を聞き出していた方の女性が、少し前から質問をしていなかったことに気づく。
近付いて、声を掛けてみた。
「状況を聞かせてくれ」
話を聞き出していた方の女性が、顔を上げてきた。
「昨日の早朝に、この娘の村が盗賊の一団に襲われたの。運良く、すぐに気づいた私は彼女を連れて、ここまで逃げ延びたんだけど、相手に騙されて居場所を伝えちゃった結果が、今というわけ」
一息で説明されたが、内容は理解できた。
簡潔に、纏められていたからである。
多分、かなり頭の回転が速いのだろう。
俺の置かれている状況について、質問をする相手としては好都合だ。
だが、あまり変な質問をするわけには、いかない。
不信感を与えすぎると、立ち去られてしまう恐れがあるからだ。
なるべく、自然に話を聞き出すには、どうすればいい?
ふと、思いつく。
迷い人を装うことにした。
「少し教えてくれ。森で迷ったようだ。ここが、どの辺りなのか教えてくれないか?」
「ヘイノ村の近くだけど」
「知らない村だ。その村は、何に属している? 国か地域の名前を教えてくれ」
「……知らない? ずいぶん遠くから来たんだ? ヘイノ村は、イドリンのイルタ領に属している。一応だけど。イドリンを含む、この辺りの小国を纏めた地域の呼び名は、フルール。聞いたことは?」
「……今から言うのは、国と大陸の名前だ。聞き覚えはないか? 日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、インド。ユーラシア大陸、アフリカ大陸。どれでもいい。知らないか?」
「知らない。フルールを離れたことがないから。遠くのことには、あまり詳しくないの」
「分かった。質問を変える。今は、何月何日だ?」
「十月二十一日。クオンを見れば分かるから」
立ち上がってきた女性が袖を捲ると、右手首に嵌めているアームバングルに触れてみせた。
表面に[3019.10.21 03.29.57]という値が、光で表されている。
アラビア数字であることに驚いたが、不信感を抱かれないよう、平静を保つ。
左手首に嵌めている腕時計と見比べると、秒針が一秒を刻む毎に、光る数字は58、59、00、01と形を変えていた。
その間に、コンマを挟んだ、左隣の二桁は、29から30に変化している。
「俺の居た国と、暦の数え方が合っているか確認させてくれ。一年は十二ヶ月、一月はおよそ三十日、一日は二十四時間。違いはないか?」
「そんなのが違うことって、ないと思うけど……?」
「三千十九年というのは、何を基点にして数えられている?」
「知らない。ねえ……」
「水一リットルは、何キログラムだ?」
「え……? 一キログラムだけど? それが何?」
「一メートルは、大体このくらいの長さか?」
「……そうだけど? 何で、今そんなことが気になるの?」
戸惑っていた様子から、不審者を見る態度に変わっていた。
一メートル程度に開いていた両腕を閉じる。
視線を上げた。
月が一つ浮かんでいる。満月に近い。
「月は、一つだけなんだな。二十九日周期で、満ち欠けするのか?」
「……え? 何? さっきから、当たり前のことばかり訊いてくるけど。何のつもりなの……?」
「ちょっとだけ待ってくれ。頭が混乱している。少しだけ、整理する時間が欲しい」
……ここはどこなんだ? 地球、……だろうか?
もし、そうだとだとすれば、きっと未来だ。過去への遡行は技術的にできないと、聞いたことがある。
しかし、……未来だと考えれば、必ずしも地球とは限らない。
別の惑星に進出していることも、あり得るからだ。
その場合、住むなら地球に似た環境の惑星を選ぼうとするだろう。
それとも、並行世界なのか?
……そんなものがあればだが。
近しい並行世界というのも、なくはないのか……?
「……ねえ? ちょっと?」
「何だ?」
「あなた、どこから来た人?」
「……東京って分かるか?」
「聞いたことがない。もしかして、コンラド山脈の向こうから来たの?」
「……多分そこよりも、ずっと遠い」
「大丈夫……? 顔色が悪くなってきたみたいだけど……?」
「この先のことを考えている。多分、そのせいだ」
「この辺りに、知り合いは?」
「いない。……さっき言っていた、ヘイノという村。余所者を受け入れてくれるだろうか?」
「今の時期からは、難しいと思う。蓄えがあれば、別だけど……」
「お察しの通りだ。蓄えはない」
「特技は?」
「パソコンやサーバーという言葉は、聞いたことがあるか?」
「……ない、と思う。知らない言葉」
「だとすれば、特技と言えるものはない」
「もしかして、すごく困っている……?」
口を噤むと、考えを巡らせる様子で、見つめてきた。
俺という男の価値を、値踏みでもしているのだろうか?
一度、気を失ったままの男を見遣った後、視線を戻してくる。
「エマシン乗りを倒せた?」
「あいつのことなら、そうだ。俺が気を失わせた。エマシン乗りというのは、特別な力でも持っているのか?」
「そういうわけじゃないけど。人によって、向き不向きがあるみたい」
「……? 俺の何かが向いていると、判断したんだな? 一応、理由を教えておいてくれないか?」
「気を悪くしないで。……凶暴、冷酷な人ほど、エマシン乗りとしては、強い傾向があるの」
「……まあ、事実だけを見られれば、そう受け取られても仕方ないな」
「エマシンに乗って、戦ってみない? 盗賊どもを、追い払うか倒すかすれば、大きな恩が売れるから」
「恩人の頼みなら、無碍に断られることはないだろう。そういうことか?」
「どういう風に、話が進むかは分からない。でも上手くいけば、あなたの望みに近い結果が得られると思う」
「分かった。それで、エマシンというのは何だ?」
「……こっちへ来て。話をするより、見て貰った方が早いと思うから」
説明しようかと迷った素振りを見せた後、俺の右手を掴んで、引いてきた。
そのまま駆け出したので、やむなく、後を追う。
ここより更に低い位置に続く、細道を駆け下っていくと、巨木の数が増えていった。
僅かな月明かりに照らされた、太い幹の間に、何か巨大なものが、うずくまっていた。
一目で、それが何かを直感する。
だが、まさか……?
頭の理性的な部分が、その存在を否定する。
その一方で、心は躍り始めていた。