【第02話】どこから来た人なの?
奇妙だ。
さっきまで理解不能だった言葉が、急に日本語として聞こえてくる。
手首のアームバングル、耳の小さなイヤーカフ――クオン。
これらを身につけた瞬間からだ。
「これは、誰もが身につけてるものなのか?」
「そうだけど……? どうして、そんなことを訊くの?」
「気が動転していたらしい。普段しない蹴る殴るをしたせいだ」
碧眼に浮かぶ不審の気配に気づいて、咄嗟に取り繕った。
効果はあったようで、彼女の視線は後ろ手で縛った男へ向けられる。
「念のため訊くけど。あれの仲間?」
「もちろん違う。仮に、そうだったとしても裏切り者だ」
「でも敵の敵は味方、……とは限らないけど?」
「君らを襲ったり、拘束しないことが証明にならないか?」
「じゃあ、とりあえずお礼は言っておく。ありがとう」
律儀に頭を下げた少女が走り出すと、もう一人の女へ駆け寄っていった。
「リネア、大丈夫?」
抱き寄せられた金髪の女が、途端に子供のように泣き崩れた。
泣き声が夜の森に吸い込まれていく。
――何なんだ、ここは。
俺は二人を横目に、頭を必死に回転させた。
目を閉じて開けたら森が変わっていた。
死んだ記憶はない。だから多分、転生ではない。
見知らぬ他人へ憑依した? いや、服も持ち物もそのままだった。
……残る可能性は、転移か?
馬鹿げている。
だけど、目の前の光景が現実だ。
事実を確かめるにも、この場に居るのは困った様子の二人の女しかいない。
こちらの質問をする前に、まず彼女らの状況を確認した方が良いだろう。
嗚咽を漏らす金髪の女を慰める少女へ問い掛ける。
「君らの状況を聞かせてくれ。どうして、あいつに襲われていたんだ?」
「昨日の早朝、この子の村が盗賊の集団に襲われた。運良く逃げ延びたけど……居場所を知られて。追いつかれたところ」
顔を上げた少女の答えは端的だ。かなり頭の回転が速いらしい。
話を訊く相手には相応しい。
状況を確認するために、俺は自然を装い問い掛ける。
「教えてくれ。森で迷って暫く経つ。ここが、どの辺りなのか教えてくれないか?」
「ヘイノ村って分かる? ここから一番近い村なんだけど」
「聞いたことがない。その村は、何に属している? 国か地域の名前を教えてくれ」
「イドリンのイルタ領。……もしかしてだけど。この辺りの小国を纏めた地方は『フルール』、これにも聞き覚えはない?」
「……今から言うのは、国の名前だ。聞き覚えはないか? 日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、インド。……じゃあ、ユーラシア、アフリカ、北アメリカ。大陸の名前だ。どれでもいい。本当に知らないのか……?」
少女の表情から知らないことは一目瞭然だった。
俺を落胆させることを気にした様子で、申し訳なさそうに首を振ってみせる。
「ごめんなさい。フルールを離れたことがないから」
「……分かった。今日の日付は?」
「三千十九年、十月二十一日」
細い手首に嵌めたクオンの表面は光るアラビア数字を示していた。
[3019.10.21 03.29.57]
俺の嵌める腕時計の秒針が一秒を刻むタイミングで、末尾の数字はカウントアップしている。
三秒後、末尾四桁は[30.00]に変わった。
混乱を押し殺して問いを重ねる。
水一リットルは一キロか? 一メートルは大体これくらいか?
答えは何れも、俺の常識と一致していた。
深くため息を吐くと、夜空を見上げる。
月が一つ浮かんでいる。満月に近い。
「月は一つだけ。二十九日周期で満ち欠けする。違っているか?」
「……ねえ? さっきから、もしかして何か馬鹿にしているの?」
これだけのことが一致するだろうか?
可能性として考えられるのは、並行世界の地球。
或いは未来。ただし、この場合は地球とは限らない。――人類が別の惑星に移り住んだ可能性だってあるからだ。
考えを巡らせていると、気遣うような目で少女が尋ねてくる。
「あなた、どこから来たの?」
「東京。分かるか?」
「聞いたことない。もしかして、コンラド山脈の向こう?」
「いや、もっと……」
「静かに」
俺の言葉を遮った少女が目を閉じた。
聞き耳を立てているらしい。
真似をしてみると、遙か遠くの方から微かな音が届いてくる。
確実とは言えないが、ここに来る前に聞いた音に近い。
目を見開いた少女が、上から下へ値踏みするように俺を見る。
「……ううん。事実だけ」
微かに落胆したのは、俺が強そうには見えなかったからだろう。
首を振ってから毅然とした眼差しを向けてきた。
「エマシン乗りを倒したのは、あなたで間違いない?」
「あの大男のことなら、そうだ」
「あなたは、今困っている。それもかなり。違う?」
ばれる嘘を吐いても仕方がない。
「見ての通りだ。少なくともヘイノ村、だったか? そこまでは連れて行ってくれると助かる」
「ただ行っても駄目。あの村には余所者に与えるほどの余裕はないから」
「俺の持ち物は、多分、珍しいものばかりだ。交換すれば、暫く留めてくれるんじゃないか?」
「そんなの見せたら、奪われて終わり」
「もしかして、この辺りでは、どこもそうなのか?」
頷いてみせた少女が、緊迫した表情で問い掛けてくる。
「エマシンに乗って、戦ってみない? 盗賊どもを追い払うか倒すかすれば、大きな恩が売れるから」
「恩人の頼みなら、無碍に断られることはない。そういうことか?」
「約束は出来ない。でも手ぶらで行くよりは、ずっとまし。上手くいけば、あなたの望みに近い結果が得られるかも知れない」
確約は出来ないし、望みも薄いらしい。
だが、手元に代案がないのも事実だ。
「……分かった。それで、エマシンというのは何だ?」
一瞬、目を見開いた後、諦めたようにため息を吐いて、俺の手を引っ張る。
「一緒に来て。説明するより、見てもらった方が早い」
返事を待たず、俺の手を取ったまま彼女が駆け出した。
少女が向かう先は、枝の折れた針葉樹が向き合って出来た月明かりの差し込む小道。
やがて、大量の折れた枝が散乱して、月光が差し込む開けた場所が見えてくる。そこに――巨大な黒い塊。
輪郭を捉えた瞬間に、それが何かを直感した。
信じられない。
言葉では否定したが、細部がはっきりし始めると、もはや疑いの余地はなかった。
思いがけず目の前に現れたのは、幼少の頃からの憧れ。
いや、こんなものが現実にあるはずが――。
弱々しい理性が、警鐘を鳴らした。
足を止めた俺は、それを見上げる。
「これが、エマシン……!」
漏れ出た声は、昂奮に震えていた。




