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錬金術の初歩を学ぼう

 

 寝坊が過ぎた僕は昼食に誘われ、要するに彼女の家で昨日の夕食と同じ構図になり、もちろんはじめは遠慮した。


 だけど、僕の遠慮を彼女はガンとして聞き入れなかった。


「よそでご飯を食べられる保証はないでしょ? なら遠慮しないで食べなさい」


「本当に仰る通りなんだけど……」


「レンの分も作っちゃったんだから食べて貰わないと私が困るのよ。だからほら、冷める前に早く」


「じゃあ、いただきます」


「うんうん。たっぷりいただいて」


 僕が食事に手を付けると、ようやくフローラも食べ始めた。


 今の僕は衣食住の全てがフローラに委ねられていた。


 衣、食、住は、生活の基本。

 その人間の生活の基本を得るために、かくも苦労するものなのかと思い知らされてしまった。


 これは多分、異世界でも以前の世界でも全く同じ事だろう。

 そう考えると働いて衣食住を手にする大人ってすごいと思う。


 僕もこの世界で早く大人にならなくっちゃいけない。


「ねぇ。レンは今日これからどうするの?」


「僕は生産者ギルドに行くよ。錬金術の初心者講習もあるし、お父さんの工房を使わせてもらえることになった訳だし……」


「ふぅん、早速勉強しに行くんだ。やる気十分ってとこね」


「やる気って言うか、たまたまタイミングが良かったみたいだから」


 昨日行ったら明日講習があると言われたという、ただそれだけだ。

 しかし、少しでも早く生活の基本を勝ち取るために、錬金術の事を少しでも吸収しなくてはならない。

 そういう意味では、確かにやる気はあった。


「ギルドに行ったらドリスによろしくね。彼女、昨日はずいぶんレンの事心配してたわよ」


「ドリスって誰?」


「昨日ギルドで会ったでしょう? ドリスは受付にいる女性」


「あ、やっぱりあの人が僕の事を説明しに来てくれたんだ……」


「すごく責任感の強い人なのよ。きっとレンの事もしっかり面倒見てくれると思うから」


「昔からって事は……フローラとドリスさんは昔からの知り合い?」


「うん、彼女とはそうね」


「もしかして、友達だとか」


「向こうは少し年上だし、友達って程じゃないけれど……私も生産者ギルドに顔を出す事が多いから。よく顔を合わせるのよね」


「え、そうだったの?」


「私、毎週お父さんの保険をギルドに受け取りに行ってるの。レンみたいにあそこで働いてるわけじゃないわ」


「ふーん……保険」


 僕はまだ何にも働いてないけど、それはさておき。

 フローラの話から推測して遺族年金みたいなものがあるんだと思う。


「ドリスは今朝もここに来たのよ。レンがあの工房を使う事は、私から話しておいたから」


「そうだったんだ……ありがとう」


「偶然レンが来たことをかなり驚いてたわ。ドリスはあんまり感情を表に出さない人だから、ちょっと面白かった」


 その今朝のやり取りがよっぽどおかしかったのか、フローラは一人で思い出し笑いする。

 僕はまだ少ししか話してないけど、確かに彼女は落ち着いた女性というイメージだ。


「今日ギルドに行ったら、まずドリスさんにお礼を言うよ」


「うん、そうしてあげるといいと思う」


「仕事が終わった後、雨の中わざわざここまで来てくれたんだよね。感謝しなくっちゃ」


「それは別にそこまで感謝しなくていいんじゃない?」


「え、なんで?」


「だって彼女、ここから三軒先の家に住んでるんだもの。ここへは仕事帰りに寄っただけ」


「そうなの!?」


 意外と近くに住んでいた。

 しかし距離は関係なく感謝の気持ちは変わらないので、ギルドに行ったらいの一番にしっかりと伝えよう。


「ところで、講習って何時から?」


「えーっと、午後一番って聞いてたけど」


「じゃあそろそろ出た方が良いわ。ギルドへの行き方は分かる?」


「……多分。大きな建物だったし、何となく覚えてる」


「何だか不安ねぇ……あ、私が保護者としてついて行ってあげよっか」


「い、いいよ。それは何だか恥ずかしすぎる……」


「そう? じゃ、分からなくなったら戻って来て」


「その時は恥を忍んでそうするよ」


「でも、道に迷ったレンがここに無事に戻ってこれる保証もないし……やっぱり私も一緒に行った方が……」


「大丈夫だったら」


 何かと過保護なフローラだった。

 面倒見のいい性格もあるのだろうけど、あまりにも頼りない僕が彼女をそうさせてしまうのだろう。

 これ以上フローラを煩わせたくなかったので、僕はどうにか彼女を押しとどめ、一人でギルドへ向かった。

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 内心は不安だったが、迷って辿り着かないというオチもなく無事に生産者ギルドに到着。

 ギルドは昨日と同じく、とても静かで落ち着いた雰囲気だった。


 その中で受付の美人お姉さん……ドリスさんは、昨日と同じくお茶を飲んでいる。


「あの~」


「はい?」


「昨日は本当にありがとうございました、ドリスさん」


「あぁ、レン・アルケミさん。話は伺ってます。フローラの工房を借りる事ができたようですね」


「はい。お陰様で……彼女のところに、わざわざ相談に行ってくれたんですね」


「特にお礼を言われるような事ではありません。これも私の仕事です」


「でも……」


「私が話したからというより、あなたがフローラの信頼を勝ち得たからでしょう。気にしないで結構です」


「信頼というよりも、多大な同情を勝ち得たからな気がします」


「確かにあの子は、あなたの境遇にかなり同情してました」


「ですよね」


「ですがフローラは信頼のおけない人間に同情するほどお人好しじゃありません。おそらくはあなたの人柄を気に入ったのでしょうね」


「そうなんでしょうか? でも、まだ会ったばかりなのに」


「私もあなたがとても人畜無害である事はすぐ分かりました。おそらくあの子もすぐ同じように感じたんだと思います」


「……」


「ン、コホンッ、言い直します。特にあたりさわりがない人という意味です」


「お気遣いは嬉しいけど、自分でも分かってますので……」


 せっかく言い直してもらっても、ほとんど意味は変わらなかった。

 まぁ、そんなところでも気に入ってもらったのなら僕としては文句ない。

 文句ないのに、非常に寂しい気持ちになるのは何故だろう。


「それでは、登録用紙をお預かりします。工房の欄は埋めてもらえましたか?」


「あ……それで、工房の名前をどうしようかと思って。あそこはフローラのお父さんの工房だし」


「大抵は錬金術師の名前をそのままつけるものです。ですから、『レン工房』あるいは『アルケミ工房』。または『レン・アルケミ工房』とするのが一般的ですね」


「できれば、フローラのお父さんが使っていた名前をそのまま使わせてもらえれば、僕はそれでいいと思うんですが……」


「それはお勧めできません」


「ダメなんですか?」


「ダメではありませんが、フローラの父が営んでいた『マグヌス・アルベルトゥス工房』は人気がありました。それと完全に同名の工房では、あなたに重圧がかかる気がします」


「えーっと、どういう事でしょう?」


「工房の名はひとつの銘柄です。フローラのお父さんが亡くなって久しいですから、混同する人は少ないと思いますが……中には工房の名を見て、新人錬金術師であるレンに同じような完成度を求める人が出てくるかもしれません」


「……」


 言っている事は理解できた。

 工房を一種のブランドみたいな感覚で捉えても間違いではなさそうだ。


 フローラは、マグヌス・アルベルトゥスさん──お父さんの事を『腕のいい錬金術師だった』と言った。僕がその名を使う事は、虎の威を借りる事になるかもしれない。


 その工房の名でおかしなものを作って、ガッカリされることもあるかもしれない。

 その事でフローラが傷ついたりしたら、僕は……。


 僕はそうならないよう死ぬ気で頑張ろうって、そう思えるんじゃないだろうか?


「どうしますか? 私としては、レン・アルケミさんの名を使うのが良いと思いますが……」


「……フローラがもし許可してくれたら、僕はやっぱりお父さんの名を使わせてもらいたいです。自分がこの道で頑張るためにも」


「……確かに、発奮する材料にはなるかもしれませんけど」


「フローラは嫌がるでしょうか」


「いえ、父親の名残が残るならフローラは喜ぶでしょうね。後は二人で話し合って、数日中に工房の名前を確定させてください」


「はい、そうします」


 とりあえず仮の名前とし、フローラと話し合ってから決めようと思う。

 彼女が嫌がったらそれまでだ。

 そうなったら……別に、どんな名前でも構わなかった。


「……レンは少し変わった人ですね。通常は自分の名を用い、その名を世に売るものですよ」


「僕はそういう事は特に……それに、あそこはやっぱりフローラとお父さんのものだと思うから。いつか自分の工房を持つ事ができたら、堂々と自分の名をつけます」


「少しレンの印象が変わりました。人畜無害であたりさわりがないだけじゃなく、あなたは思慮深く、慎み深い人のようです」


「僕、褒めてもらってるんでしょうか?」


「私はそのつもりで話しています。……気に障りましたか?」


「いえ、全然……」


 ドリスさんはあまり表情が変わらないので、どこまで本気か冗談かが分からない。

 それも彼女の個性だと思い、細かい事はあまり気にしないようにしよう。


「では名前の件はいったん預かりとします。それと本日は『精製水』の講習がありますね」


「あ、はい。僕はどこに行けばいいんでしょう」


「二階の空き部屋で講義をします。必要なものは準備してありますから、そのまま私について来てくれれば結構ですよ」


「分かりました。案内の方、よろしくお願いします」


「案内だけじゃなく、講師も私です」


「ドリスさんが!? 一体どうして!?」


「それは、私がこのギルドの数少ない錬金術師兼、受付だからです。……フローラから何も聞いてないんですか?」


「ぜ、全然何も。三軒先に住んでることくらいしか……」


 そんな情報は全くなかった。

 フローラは分かってて黙っていたのか、ただ単に忘れていたのか。

 ちょっとしたイタズラ心で黙ってたんじゃないかと思うのは僕だけだろうか?


「まぁ、それはどうでも良い事です。あなたがあの『マグヌス・アルベルトゥス工房』の名を継ぐというのなら、それなりに厳しくいきますよ」


「えぇっ!? 受付しなくていいんですか?」


「講習の間は代わってもらいます。さ、二階に行きましょう」


「は、はい……」


「気のない返事は止しなさい。千里に及ぶ錬金の道も、まずははじめの一歩から。すべては『精製水』の作り方から始まるのです!」


「はいっ!」


 ドリスさんは生産者ギルドの受付で、三軒先に住むご近所さんで。

 そしてたった今から僕のスパルタ講師となるようだ。


 


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