雨宿り
生産者ギルドに行ったおかげで先の事は決まったが、今現在の状況を解決する事はできなかった。
降りしきる冷たい雨が身体を濡らし、服の上から冷たさがじんわり滲みてくる。
「さ、寒いな……」
はじめは見栄もプライドも捨ててもう一度冒険者ギルドに行こうかと思った。
クラスメートは全員レンタルハウスを借りられる事になった訳だし、そこにコッソリと僕も紛れ込ませてもらおうと考えたのだ。
寝床はベッドじゃなく床でいいし、食事は誰かの食べ残しで構わない。
要は雨風と飢えをしのげればいい。
だけど、色々と考えた末にそれもやめた。
冒険者ギルドに縁のなかった僕が勝手にその施設に入り込む事は、住居侵入か何かの犯罪になってしまうかもしれない。
その場合は僕に同情し、匿ってくれた人が罰せられるかもしれない。
何より僕は『誰も同情してくれず、あるいは同情したとしても、僕を匿おうとしない』という想像が現実になるのが嫌だった。
「……へくしっ!」
そんな事を考えながら歩いていたら、寒さのせいでくしゃみが出た。
だんだん空が暗くなってきていて、生産者ギルドを出てずいぶん時間が経ってしまった事に気付く。
きっともうすぐ日が暮れる。
「……へっくしっ!」
二度目のくしゃみには鼻水がついてきた。
今の僕はとても屋根の下が恋しかったのだ。
このまま雨ざらしでは確実に風邪を引いてしまう。
もし空き家でもあれば、思い切って忍び込んでしまおうかと思った。
だけどそう簡単に空き家が見つかれば苦労はなく、結局今の僕が思いつく自衛手段はその辺の家の軒先を借りる事だった。
……ここの家の人、誰か分からないけどごめんなさい。
僕は心の中で謝罪しながら、近くの民家の軒先に飛び込んだ。
「ふぅ……」
軒先の屋根はとても心もとなかったけれど、ひとまず雨を避ける事だけはできる。
もしもこの家の人が出てきたら……怪しい者じゃない事を説明し、謝るしかない。
「……へっくしっ!!!」
三度目のくしゃみには、鼻水と寒気がついてきた。
今頃、クラスメートたちははレンタルハウスを借りて休んでいるのだろう。
誰かが僕の噂をしているのかもしれない。
もしかしたら心配してその辺を探してるとか、そんな事も──いや、それはない。
みんなだってこの訳の分からない異世界で、自分の事でいっぱいいっぱいのはずだ。
そんな時にずぶ濡れになって僕を探すとは思えなかった。
生産者である僕の事は生産者ギルドで何とかすると考えるだろうし、僕も実はもしかしたら何とかしてくれると考えていた。
しかし結果はご覧の有様で、今の僕は一人で体の震えを堪えながら雨宿り。
とりあえず明日は、飢えをしのぐためにどこかの飲食店や家から出る残飯を漁るのが良さそうだ。
こんな惨めな生活がしばらく続くと思うと情けない。
まさか異世界に来て剣とも魔法とも縁がなく、ホームレス同然に生ゴミを漁る羽目になるとは思わなかった。
「工房……錬金工房さえあればなぁ……」
懐から取り出した登録用紙を眺めながら、力なく呟いた。
登録用紙はすっかり雨が滲み、乾いたらきっとゴワゴワになってしまうだろう。
空白なのは工房の欄だけだが、ここが埋まらない限り僕は生産者ギルドから仕事を回してもらえない。
逆に言えば、後はここさえ何とかなればいい。
そうしたらいずれ錬金術の仕事ができて、この状況はいつか改善される。
今みたいに雨ざらしになって寒さに震える事もなくなるし、日々のパンを買う事もできるだろう。
自力ではどうにもならないのが残念過ぎるけど、できれば早く何とかなってほしい。
「……へっくしっっっ!」
四度目のくしゃみには、鼻水と寒気と軽い頭痛までついてきた。
もしかしたら早くも風邪を引いてしまったのかもしれない。
このまま玄関先で夜を明かしたりしたら、明日にはギルドに通えないほど具合が悪くなったりして……。
「……へっくしっっっ!」
「『レン・アルケミ』。職業『錬金術師』。経験年数は『ゼロ』。……ふぅん」
「えっ……!」
五度目のくしゃみには、誰かの声がついてきた。
もしかして幻聴かと思ったけどそうじゃない。
雨宿りしていた家の玄関から、僕とそう年の変わらない女の子がぴょこんと顔を出していたのだ。
「勝手に見ちゃってごめんなさい。でも、見えちゃったから」
「君は……?」
「私はこの家の住人。玄関先から何度もくしゃみが聞こえるんだもの」
「す、すみませんっ! こんなところで勝手に……」
「別にいいけど。……あなた、傘を持たない主義?」
「いえ、ただ単に持ってないだけです……」
「主義じゃないなら、傘も持たずに雨の中を歩くのはやめた方がいいと思うわ」
「……僕もそう思うけど」
「思うなら、次からそうしましょ。きっと風邪を引いてしまうから」
「気をつけます。それじゃあ、さようなら」
「どこへ行くの?」
「まだ決めてないけどここにはいられません」
「どうして?」
「だって、迷惑をかけちゃったみたいだし……」
「誰に?」
「誰って……もちろん君と、君の家の人に」
「キミじゃなくて私はフローラ。フローラ・アルベルトゥス。この家には私しか住んでないわ」
「えっと、そうなんですか……あ、僕は」
「あなたはレン・アルケミ。その紙に全部書いてある」
フローラという女の子はおかしそうにくすくす笑った。
初めて会ったのに何だかとても話しやすく、親しみやすい。
でも、だからって勝手に軒先を借りていいって道理はない。
「とにかく、本当にごめんなさい。失礼な事をしてしまって……」
「軒先で雨宿りくらい、大した事じゃないじゃない。気にしなくていいわ」
「……じゃあ、雨が止むまでもう少しここに居てもいいですか?」
「私は別に構わないけど、いくらなんでも軒先は寒いんじゃない?」
「だ、大丈夫です。お構いなく」
「もし良かったら、家の中に入る? 大したお構いもできないけど」
「いいんですかぁっっっっ!」
「きゃあっ!?」
思わず大声を出してしまった。
「あぁ~もう、びっくりした。大声を出すと近所迷惑よ」
「すみません。でも……今会ったばかりなのに、本当にいいんですか?」
「あなたはレン・アルケミで、経験ゼロの錬金術師。その紙を持ってるって事は、生産者ギルドの帰り道」
「え……あ、はい。そうです」
「そこに書かれてる事は、あなた本人の事で間違いないのよね」
「それは間違いないですけど」
「ここへ来たのはどうして?」
「ごめんなさい。雨宿りに良さそうな軒先が目につきました」
「いいわ。体を拭くものを貸すから、早く入って」
「あ、えっと……はい……?」
この異世界の人って、特別に親切なんだろうか。
冒険者ギルドでの扱いを思い起こせば決してそういう訳でもなさそうだけど……。
僕は何だかよく分からないまま家の中に案内されてしまった。
案内されてすぐ、家の中の温かく乾いた空気に安心した。
それは僕がこの異世界へ来て、初めて感じた家庭の空気だった。