工房の家賃が払えません
「……はぁ」
買い物を終え、工房に戻った僕は一人ため息をついた。
そうする事で胸に溜まっているモヤモヤも一緒に吐き出そうとしたのだ。
落ち込んだって仕方ないと分かっていても、あんな風に言われたら少し凹む。
今頃ツムギさんたちは力を合わせてモンスター退治に励んでいる事だろう。
それは彼女たちに限った事じゃなく、他のクラスメートも一緒だ。
みんな気の合う者同士でパーティーを組み、この異世界で仲良く協力して新しい生活を送っている。
その輪から外れてしまったのは、何度も言うが僕だけだ。
「……だけど、それも仕方ないよなぁ」
僕にはもともとクラスに友達がいなかった。
特に嫌われていた訳でもないし、特定の誰かと仲が悪かった訳じゃないけど、だからと言って親しい人もいなかった。
もちろん人並みに友達は欲しかったけど、人見知りで内気な性格を言い訳にして自分から仲良くなろうとする努力を怠った。
そうしている内に本だけが僕の友達になり、学校の休み時間も延々と読書をして過ごすようになっていき……。
そんな僕が一人だけ孤独に錬金術師になってしまったのは、ある意味当然の結果だ。
この異世界の神様に「お前はどの世界に行っても変わらんのじゃよ?」とでも言われているような気がした。
ダメだ、深く考えだしたら余計に落ち込んでくる。
とりあえず買ってきたパンを食べて英気を養おう。
その後は初級錬金術の本を読み、精製水よりもっとマシなアイテムを作れるようにならなくっちゃ──。
と、パンをかじろうとしたその時。
「……レン、帰って来てるの?」
「あ……フローラ?」
「えぇ、そう。入ってもいい?」
「う、うん。どうぞ」
扉を開けて入ってきたのは、工房の隣に住むフローラだった。
年は僕と同じで、身長は僕よりもやや低い。
その優しそうな顔立ちは、美人と言っても差支えがない。
そしてその手には重そうな鍋を持っている。
鍋は、蓋を開ける前からとても食欲をそそる良い匂いがした。
「レン、お帰りなさい。納品に行ってきたの?」
「うん、今日の分のね。……何か用事?」
「実はね、シチューをたくさん作っちゃったのよ。良かったらレンも食べない?」
「僕にも? 食べてもいいの?」
「いいからこうして持ってきたんでしょ? ちょっとこのテーブルに置かせてもらうわね」
そう言ってフローラは、大きな鍋をドスンとテーブルに置く。
要するにおすそ分けだと思うけど、おすそ分けの度を越して量が多い。
「ふぅ~、ちょっと重かった。多かったら夜食にしてね」
「言ってくれれば、僕がお皿を持ってフローラの家に行ったのに」
「お皿一杯分じゃ足りないかと思ったの。食べ終わったらお鍋を返してくれる?」
「あ、ありがとう。いつも助かるよ……」
「いいのよ」
気にしないで、とほほ笑むフローラ。
彼女はれっきとしたこの異世界の住人であり、僕の借りている工房の持ち主でもある。
そして食事時には高確率でおすそ分けを持ってきてくれる、とても面倒見のいい女の子だ。
クラスメートとは疎遠な生活をしている僕だけど、フローラとは出会ってからほとんどこうして毎日会っている。
「錬金術のお仕事の方はどう?」
「うん、何とか。まだ大したアイテムは作れないけどね」
「最初はみんなそうよ。私のお父さんもそうだったって言ってた」
「フローラのお父さんも?」
「大したアイテムどころか、駆け出しの頃は失敗ばかりだったってお母さんが言ってたわ。よく錬金釜を爆発させてご近所に迷惑をかけてたみたい」
「……そうなんだ」
「そういう意味ではレンの方が優秀ね。まだ錬金釜を爆発させてないもの」
そう言ってフローラはくすくす笑う。
そんなに詳しく聞いた事はないけれど、フローラのお父さんは僕と同じ錬金術師だったそうだ。
そのお父さんは、彼女が小さい頃に死んでしまって今はいない。
そしてお母さんも数年前、流行病で亡くなってしまったんだとか。
僕が貸してもらっているこの工房は、そのお父さんがずっと使っていたものだ。
おかげで苦労して買うまでもなく錬金道具は充分に揃っている。
足りないものがあるとすれば、それは僕の腕だけだ。
「できればお父さんにあやかって、僕も立派な錬金術師になれればいいんだけどな」
「レンならきっとなれるわよ。いつも夜遅くまで勉強してるじゃない」
「どうして分かるの?」
「同じ敷地内に住んでるんだから分かるに決まってるわ。私が寝る時間になっても、灯りをつけて頑張ってるみたいだし」
「僕の勉強なんて本当に初歩の初歩で、頑張ってるなんてものじゃないよ」
「もう……努力を誇張するのはどうかと思うけど、わざわざ卑下しなくてもいいでしょう?」
「だって……何たって、まだ精製水しか作れない身だからさ」
自虐的な僕に呆れるフローラだったけど、今はどうしてもそうなってしまう。
それは自分の実力のせいでもあり、先ほどのクラスメートとのやりとりのせいでもある。
「……ね。もしかして、またお友達と何かあった?」
「ど、どうしてそう思うの?」
「だって家に入って来た時、レンがすごく暗い顔してた。そんな顔してる時はいつもそう」
フローラの指摘は鋭かった。
彼女は僕がクラスメートと馴染めてない事を知っていた。
もちろん別の世界からこの異世界へ転移した事は知らず、僕がたくさんの『お友達』と共に遠くの国からマールバニアに来たという風に解釈しているようだった。
「嫌な事はあったけど、大した事じゃないよ。冒険者じゃないから、からかわれただけ」
「そんなに冒険者が偉いなんて私は思わないわ。もちろん強くて頼りになるのは分かるし、街のためになってるのは事実だけど……」
「冒険者が偉いって言うより、僕だけ冒険者ギルドに入れなかったのが問題かな……」
「……レンは、自分だけ錬金術師になったのが嫌?」
「嫌って訳じゃないけど、何て言うか……」
「私は良いと思うけどな、錬金術師。素敵なアイテムを作って、みんなを幸せにできるから」
「……うん」
確かに錬金術を究めれば色々なアイテムが作れる。
浮力のあるホウキを作って空を飛んでみたり、ゴミがたまらない便利なゴミ箱を作ったり、重い病気を一日で治癒する薬を作る事もできる。
そんなレベルにまで達すれば、確かに人々を幸せにもできるだろう。
しかしそこまで至る道のりが遠く長く、極めて困難なのは言うまでもない。
「私思うのよ。レン一人だけが錬金術師になったのは理由があるんじゃないかって」
「理由?」
「きっとレンにしかできない何かがあるはずよ。だから、冒険者になれなかった事なんて気にしない方がいいと思う」
「僕にしか……」
僕だけの、僕にしかできない何かがある。
だから僕だけが錬金術師になった。
僕はこれまで一度もそういう風に考えた事はなかった。
そういう風に考えてみると……今まで感じていた劣等感が、少しだけ薄れていった気がした。
「ありがとう、フローラ。これからはそういう風に考えてみる」
「うん、そうして。じゃあ私は行くね」
「あっ、待って……ひとつだけ相談いいかな?」
「相談?」
差し入れをくれたり、励ましてくれたり……そんなフローラに対して、僕が相談しなければならない事。
それはとても格好悪く、どうしようもなく情けないお願いだった。
「相談って何? 何か困りごと?」
「じ、実はその……今月のこの工房の家賃の事なんだけど……」
「家賃なら出世払いって事にしてあげる。そのシチューの代金と一緒にね」
「……本当にごめん」
「いいのよ、そんな事。じゃ、また明日ね」
フローラは軽く手を振り、笑みを残して工房を出ていった。
家賃の事なんかまったく気にしていない様子だった。
恥ずかしい話だけど、単価の安い精製水の売り上げでは食べていくだけがやっと。
とても今月の──この工房を借りて最初の家賃を、僕は支払えなかった。
本当に自分が情けなく、悔しい。
だけど同時に、やる気のようなものが漲ってくる。
パンだけの貧しい夕食にフローラの美味しいシチューも加わった。
これで頑張らなかったら、本当のダメ人間だ。
「よーし、今日も頑張って勉強だっ!」
彼女は異世界に来た僕を今までずっと助けてくれた。
冒険者ギルドに入れず、途方に暮れていた僕に住む場所を提供してくれた。
さらにはこうして温かい食べ物を差し入れしてくれる。
彼女にはいつか、立派な錬金術師になった自分を見せたいと思った。
「……うん、美味しい。すごく美味しい」
フローラが作ってくれたシチューを食べながら、僕は初級錬金術書を読み始めた。