EP26 追跡
陽子の命令を受けた隼人と美鶴は、まだ見ぬ襲撃者たちの追跡をしていた。
襲撃のあった車道から外れてしまえば、そこは樹海と呼ぶにふさわしい森林が広がっており、森の奥に進んでしまうと、まともに歩けるのは辛うじて残っている獣道のみだった。
「はぁ、はぁ……ここ、森林浴には不向きですね」
人が歩きやすいように整備された森林公園ならともかく、放置されたままの森は、とても人の歩ける環境ではない。二人はどうにか木々の間を縫うようにして歩いていた。
「……まったくだ。冬木、まだ歩けるか?」
「はい、なんとか。でも、まさかこんなことになるなんて……」
「俺も久納さんの所に剣を受け取りに行くだけだと思ってたよ」
美鶴が弱音を吐くと、それに釣られて、隼人は深い溜め息を吐き出した。
「こんな場所、普段は誰も通らないよな……っと、冬木、待ってくれ」
突然、先行していた隼人が、後続の美鶴に制止を促した。
「え?」
「奴らはこっちに逃げた」
少し先の地面を見つめた隼人はそう言って、進路を変えた。
「それにしても、よく犯人が逃げた方向が分かりますね」
「足跡が残っているからな」
「もしかして、ずっと足跡を辿ってきたんですか?」
「いや、最初は血痕を追っていた。だが、途中で途切れていたから、足跡に切り替えた」
そう言った直後、隼人は何かを思いついたように声を上げた。
「そうだ。いい機会だから、冬木に追跡術を教えておくか」
対人用だけどな、と彼が補足すると、美鶴は曖昧な表情で首を傾げた。
「私に使う機会はあるのでしょうか……?」
「さぁな。でも、知識は場所を取らない財産だって――」
「――って、秋山さんが言ってたんですか」
「……ああ、うん」
美鶴に言葉を先読みされた隼人は、しょぼんと肩を落とした。
「あっ、ごめんなさい! 私、知りたいです! 教えてください!」
慌てて声を張り上げた美鶴を見て、隼人は困り顔で人差し指を立てた。
「その言葉は嬉しいが、小さい声で話してくれ。一応、追跡中だ」
「ごめんなさい……」
声を潜めて隼人が注意すると、彼女も小声で謝った。
「ここだ。新しい足跡が残ってる」
隼人はそう言うと、目の前の地面を指差した。陽光を木々に遮られた森は薄暗く、足元が見づらいため、美鶴は目を凝らして地面を見つめた。
「これ、ですか……」
「ああ」
隼人の指差した先には、形や大きさが異なる複数の足跡が、列になって森の奥に続いていた。
「日光があまり届かない森の地面は、湿っていて足跡が残りやすい。ほら、靴底の模様がしっかり残っているだろう」
彼の言葉どおり、地面にはしっかりと足跡が残っていた。
「本当ですね」
「それと、こっちなんかは踏まれた草が、まだ枯れてない」
「はい、千切れた草もまだ緑色です」
「新しい証拠だ」
踏まれた際に千切れたと思われる雑草が、押し花のように足跡にへばりついていた。その葉は濃い緑色をしており、真新しさを物語っていた。
「襲撃者は、四人だな」
「え、どうしてですか?」
「足跡が違う。サイズや靴底の模様、歩幅に歩き方……辿ってきた足跡が合流して四つのパターンになった。群れを操っていたのは、こいつだな。この比較的小さい足跡だ。歩幅が狭くて、爪先がやや内向き……多分、女だな」
隼人の推測を聞いた美鶴は、感心した様子で目を丸くした。
「よくそこまで分かりますね……まるで名探偵です」
「そんな格好いいもんじゃないって、俺は」
ひたすらに感心している美鶴に、隼人は思わず微笑を浮かべた。
「痕跡は別に足跡だけじゃない。小さいゴミすら付いていない、張ったばかりの蜘蛛の巣が破れていたし、通行の妨げになっていた枝を折った跡もあった」
「そ、そんなことまで観察していたんですか……?」
彼女の反応は、いつしか深い感心から淡い困惑のそれに変化していた。
「どんな小さい痕跡でも、見落とせば命取りになることもある。逆に見つけたおかげで命拾いすることもある。追う側と追われる側、双方の立場を理解すれば、逃走も追跡も成功率は格段に上がる」
「……驚きました。やっぱりすごいですね」
「ま、これも受け売りなんだけどな……」
「秋山さんの……ですか?」
「そうだ。俺じゃ、あの人の洞察力には敵わないよ」
そう言って、隼人は苦笑しながら肩をすくめた。
「あとは……そうだな。実は冬木が得意そうな追跡術がある。これは秋山さんには、できない方法だ」
「念信ですか」
「ああ、そうだ。相手が念信使いだと分かっていれば、力の残滓を追う方法がある。念信を使った際に、強い思念が焼き付いてその場に留まる――残留思念を利用する方法だ」
「でも……さっきの場所には、何も感じませんでしたよ?」
「……!」
隼人が指示する前に、美鶴が念信の痕跡を探っていたことを知って、彼は驚いた。その驚きを顔に出さないよう、胸の内にどうにか押し留める。
「……やっぱりか。俺も一度は試してみたんだが、念信の痕跡はさっぱり残っていなかった。逃げる前に痕跡を消したんだろう」
「念信の痕跡を消して、他の痕跡を残しているなんて、不思議ですね。もしかして、わざと他の痕跡を残している可能性もあるのでは……?」
「鋭いな。追跡者を混乱させるために欺瞞する、ということはよくある。だが、それにしては、妙だ。念入りに念信の痕跡を消しているわりに、他の痕跡はあまりに素直すぎる。嘘を嘘で誤魔化した不自然さがないんだ」
「俺には念信の痕跡を消すことに躍起になって、他の痕跡については頭になかったように見える。念信能力者の……いや、伏魔士の癖ってやつかもな」
「なるほど……」
隼人の推測を聞いて、合点がいった様子で美鶴は小さく頷いた。
「なぁ……冬木。俺とお前は魔獣の遠吠え――念信を聞いて、さっきの襲撃があった現場に来ただろ?」
「……はい」
改まった声で隼人が尋ねると、どこか緊張した声色で美鶴は返事をした。
「正直に言うと、俺には大体の方向しか分からなかった。お前が俺をあの場所に導いてくれたんだ」
そう語った隼人の言葉に、美鶴は驚愕して立ち止まった。
「え……」
彼女が立ち止まったことに気付いた隼人は、足を止めて後ろを振り向いた。
「驚くことじゃない。お前にはそれだけの力があるんだ。さっきだって俺を助けてくれただろ」
「それは、夢中で……」
「やっぱり、俺なんかよりもずっと優秀な念信能力者だよ、冬木は」
「そ、そんなこと……!」
否定しようとする美鶴に構わず、隼人は進行方向に向き直った。そして彼女に背を向けたまま、口を開く。
「冬木には冬木にできる方法で、標的を追うことができる。わざわざこんな方法をしなくても……」
「でも、楽な方法を覚えたら、人間はそれしかやらない。だからあえて地道な方法を先に教えた。ま、追跡術なんて、使う機会がないことに越したことはないんだけどな」
「そう、ですね……」
同調する声に帯びた暗い響き。彼女の不安を感じさせる声色に、隼人の胸がちくりと痛んだ。
「さてと、そろそろだな……」
気分を切り替えるように、やや明るい声で隼人がそう言った直後、森を抜け、視界が開けた。
「やっと着いた」
二人の目の前には、雑草が生い茂り、蔦がはびこる廃墟となった工場が現れた。
「もしかして、ここが……」
「ああ、ここが奴らの隠れ家だ」




