EP19 急襲
久納儀武の工房から西方へ約二キロ。森を東西に分断するように直線が続く国道を、一台の大型トラックが走っていた。
「あー、本部。本部。こちら臨時輸送小隊」
助手席に座る中年男が手に持った無線機のマイクに向かってそう告げた。ややあってスピーカーから応答を示すノイズが流れた。
「こちら本部。臨時輸送小隊、どうぞ」
事務的な女性の声。それは本部のオペレーターのものだった。
「予定通り、チェックポイントを通過」
「……チェックポイント通過を確認。このまま安全運転でお願いします」
「了解、通信終わり」
通信を終え、マイクをホルダーに戻した男は、にやりと笑みを浮かべながら隣にいる運転手を見た。
「安全運転でお願いします、だとよ」
「はいはい、分かってますよ」
トラックを運転している青年は、助手席の男に気のない返事を返した。
「ったく。俺、運転手になるために葬魔機関に入ったわけじゃないんだけどなぁ……」
「はははっ、若い頃は俺もそう思ってたぜ。だがな、葬魔士なんかよりドライバーの方がずっといいぞ。前線に出る葬魔士は、まず定年まで生きられないからな」
「そりゃ、そうかもですけど……葬魔機関の花形といえば、やっぱ葬魔士じゃないですか」
「まぁな」
「俺もなりたかったなぁ……」
脱力した姿勢でハンドルを握っている青年は、宙を見ながらぽつりと呟いた。
「そうは言っても、だ。葬魔機関の人間が全員で魔獣の討伐に行っちまったら、組織として仕事が回らねぇよ。俺たちみたいなのも必要なんだぜ?」
「それは……まぁ、分かってますよ。はぁ……」
「本当か?」
助手席の男は、不貞腐れた様子の青年に疑いの眼差しを向けた。
「御堂課長でしたっけ? いい気なもんですよ。俺たちにこいつを運ばせて娘と昼飯食いに行くなんて」
運転手の青年の愚痴を、助手席の男は黙って聞き逃した。
「それに今回の任務、なんか変じゃないですか。大体、俺たちに知らされない積み荷ってなんです? 相当ヤバいんじゃ……」
「さぁな。知ってどうする?」
「それは……」
運転手の彼は、言葉の続きを言い淀んだ。
「ああ、そうか。お前はこういうのを運ぶのは初めてだったか……ま、この業界じゃ、よくあることだ。黙って指示されたものを運べばいい」
「俺たちは余計なことは知らなくていい。あー、そうじゃないな。知ろうとしなくていい。必要なら、教えられるからな」
気楽な口調で語る中年男に、まだ納得していない青年は胡乱な目を向けた。
「そういうもんですか」
「そういうもんだ」
「俺は積み荷なんかよりも、今日の昼飯の方が気になるよ」
「昼飯ですか……」
興味の対象が積み荷から昼食に変わった青年は、ハンドルを微調整しながらそう言った。
目的地に着くまで、まだ数時間はかかる。助手席の男は運転手の青年の教育係であり、日々を共にする彼らは、とっくに話題が尽きてしまっていた。
とどのつまり、時間を潰す話題の種を探していた二人にとっては、積み荷の正体も昼食のメニューも大差なかったのである。
「やっぱラーメンですかね」
「またラーメンか。よく飽きないな」
「いいじゃないですかラーメン。第三支部の近くにうまい店があるって噂は俺も聞いてましたけど、全然来る機会がなくって……」
「どの店で昼を食うか。それとも昼は食わせてもらえないのか。それもこれも先導の奴らが決めることだ」
大型トラックの二〇メートルほど前方を先行する黒塗りの高級車を見ながら、助手席の男はそう言った。
「あー、それもそうですね。ていうか、輸送ルートすら事前に教えてもらえないなんて信じられないですよ。まぁ、金を貰えるなら文句は言いませんが」
散々言ってるだろ、と口にしかけた助手席の男は、険悪な空気になるのを避けるため、その言葉を飲み込んだ。
「ん……?」
突然、視界の端に光の点滅が見えた。助手席の男が進行方向を注視すると、先導車の後部座席に乗ったスーツ姿の男が、手持ちのライトをこちらに向けていた。
「発光信号だ。次は右に曲がれ、だとよ」
光の点滅は後続車への合図だった。
新しい電池に交換したように、ライトの光が急に明るく見えたことを不思議に思ったが、彼は特段気に留めなかった。
「ちぇ、さっきからピカピカピカピカ……大体、本部に連絡するのだってあいつらがやればいいじゃないですか。なんで俺たちが……」
「仕方ねぇよ。そういう命令なんだ」
「へいへい」
生返事をした運転手の青年は、途端に首を傾げた。
「あれ……?」
「どうした」
青年の様子を訝しんだ助手席の男は、彼の顔をちらりと見た。
「なんか……急に暗くなってません?」
「あ……?」
助手席の男が窓の外を見ると、確かに周囲が暗くなっていた。元々、鬱蒼とした木々の影の中を走っていたため、その変化に気付くのが遅れたようだ。
「気のせいですかね」
「ああ、気のせいだろ……」
前方に進むにつれて、木々の足元を覆う雑草に枯草が目立つようになった。路面の白線がやけに眩しく見える。いつしか闇のような紺色の霧に、辺りは包まれていた。
葬魔機関の一員でありながらも、戦線から遠のいていた彼は、その存在を忘れていた。ふと鼻腔に飛び込んでくる臭気が、遠い記憶を呼び覚ました。
「いや、違う。これは……瘴気だ!」
助手席の男が叫ぶと同時に、先導車がいきなり爆発した。
「なっ、先導がやられた……!?」
「止まるな! 止まったらやられるぞ!」
運転手の青年が速度を落とした瞬間、助手席の男が怒鳴った。
「なんですかこれ! まさか魔獣が積み荷を奪おうとして!?」
急ハンドルを切って、燃え上がる先導車を避けた青年が叫んだ。
「分からねぇよ! 本部、本部応答しろ!」
助手席の男が慌てて無線機のマイクに怒鳴りつける。しかし、返ってきたのは砂嵐のようなノイズだけだった。
「ちっ、駄目だ。無線が使えねぇ!」
「魔獣の襲撃……にしてはやっぱ変ですよ。第三支部の奴らが仕組んだんじゃ……」
「馬鹿言え。んなこと、どうやってやるんだよ。それにこっちには護衛の機甲部隊がいる。ビビることなんか――」
言葉の途中で、背後から爆発音が轟いた。サイドミラーを見ると、殿を務めていた護衛の車が大破、炎上していた。
「やられた……」
遠ざかり、紺色の霧の中に消えていった護衛の車を目にして、助手席の男は呆然とした声で呟いた。
「あれは――」
前方に視線を戻した青年が言った。
瘴気の霧の向こう、無数の影が道路上に立ちはだかっていた。近づくとそれは、餓鬼の群れだと分かった。路面に座り込んだ餓鬼たちがトラックの中にいる二人をじっと見つめていた。
「餓鬼!?」
「待ち伏せか……!」
「構わん、轢き殺せ!」
運転手の男がアクセルを踏み込んだその時、車体を揺らすほどの衝撃がトラックを襲った。その原因を探ろうとして運転席側のサイドウインドウを見ると、そこには餓鬼とは異なる巨大な犬のような魔獣が張り付いていた。
「なっ、なんだこいつ……!」
突然現れた魔獣を目にして恐慌状態に陥った運転手の青年は、ハンドル操作を誤った。
「おい、急にハンドルを切るな――!」
バランスを崩した大型トラックは、派手な音を立てて横転した。法定速度を大幅に超える速度を出していた車体は、火花を散らしながら、横滑りする。
※ ※ ※
横転したトラックの中で、助手席の男は目を覚ました。運転席側が下になったことで、どうやら衝撃が軽減されたらしい。
「うぅ……」
事故の衝撃によりエンジンから発生した白煙が車内に充満していた。横転したせいか、エアバッグは作動していなかった。
「おい、おい起きろ!」
ベルトを外し、項垂れたままの運転手の青年に声をかけるも、反応はない。彼の顔をよく見ると、横転した際に打ちつけたと思われる額が深々と裂け、どくどくと血が流れ出していた。
「ちっ、ダメか……」
魔獣の群れがトラックを取り囲んでいることを気配で察した彼は、瀕死の青年に見切りをつけ、自己の生存を優先した。
座席背面に隠されていた護身用の銃――MP5短機関銃を取り出して乱暴にドアを開けると、車外に飛び出した。
「うぉぉぉぉぉぉ!」
男が出てきたと知るや否や、餌を求めて餓鬼の群れが殺到した。彼は肉薄する群れの先頭目掛けて、無我夢中で銃を乱射する。
「クソ、クソ、クソ――!」
物資輸送の都合上、対人戦闘は想定されていたが、対魔獣戦闘は想定されていなかった。短機関銃が吐き出す九ミリ弾では、最も低級な魔獣である餓鬼にすら歯が立たない。
とはいえ、続けざまに銃弾を撃たれれば、さすがに餓鬼も怯む。しかし足止めはできても、息の根を止めるには至らない。
「なんでこんな目に遭うんだ!? 俺は葬魔士じゃないんだぞ!? 俺は……!」
カチン、と弾切れを告げる空撃ち音が無情に鳴った。
「あ、あ、あ」
男の顔が絶望に歪む。撃たれて怯んでいた餓鬼も銃撃が止んだと知ってほくそ笑んだ。
「畜生っ!」
銃を投げ捨てて逃げ出す男。彼の背を追って走る餓鬼。その距離は徐々に狭まっていく。
「あれは――!」
生存を諦めかけた彼の目に入ったのは、わずかに瘴気が薄まった箇所から光の差す光景だった。
雲間から放射状に光が差し込み、空から地上へ続く光の帯が見える現象を、エンジェルラダーと呼ぶが、まさしくそれに酷似していた。
低級な魔獣である餓鬼は、瘴気から離れて活動することはできない。瘴気の霧が薄い箇所、そこが唯一の脱出経路であることを彼は知っていた。
幸いなことに瘴気濃度はそこまで高くない。地面を覆う下草が枯れても、木々はまだ青々と茂っている。陽の光が輝く方向へ男は懸命に走った。
逃げ切れる、と男が思った瞬間、右側面から巨大な犬の姿をした魔獣が突然現れ、彼の右脚に噛みついた。霧に潜む獣もまた、獲物がそちらに逃げることを知っていたのだ。
「ぐああああああ!」
その魔獣は男を咥えたまま、力任せに頭を振り回し、餓鬼の群れの中心目掛けて放り投げた。そうして男の体が路面に落下した途端、餓鬼たちは男に群がった。それはまるで池の鯉にパンくずを投げ込んだような騒々しさだった。
「痛ぇぇぇぇ! 痛ぇ! やめろ! おrを、食うんじゃ、ぁ、っ――」
競うようにありつく餓鬼の群れ。癒えぬ渇きを潤すように。満たせぬ飢えを満たすように。血肉を貪り食い尽くす。一人の男が骸に変わるまでそう時間はかからなかった。




